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2006年9月23日 (土)

サントロペ・1960

196001_1 196002_1 1950年代の終わりから1960年代のはじめにかけて、フランスの避暑地・サントロペは(http://www.geocities.jp/mistral83260/sttropez.html)夏のバカンスの頃ともなると映画・小説・絵画などのアーティストが集まっては、それはそれは今となっては羨ましい毎日が過ごせたという話です。フランソワーズ・サガン、ブリジッド・バルドー、ピカソ、ジョニー・アリデー・ルイデュフェネス・アランドロンなどの各界面々が集まって朝から深夜まで一緒に過ごす様子など、この頃の日本では考えられなかったのでしょうが、それでも戦前の軽井沢には似たような集まりがわずかの間ながら存在したそうですし、私が記憶している1960年代後半の旧軽井沢・水野などの店にはそのような気配が少しあったようです。

この1960年(http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1960.html)を中心とした時代は世界が大きく転換していくエンジンとなった年のようで芸術を中心とした文化面でも政治・社会面でも新旧交代のうねり現象が各国で見られたようです。とはいっても個人は極めて不安な存在ですからこのように集まっては、今で云う異業種交歓会を毎日開いて、喧々諤々と感性エネルギーの衝突を繰り返していたことでしょう。そういえば日本でも1985年から始まるバブルの頃、恵比寿にあった畳屋を某企画会社が買い取って大手企業から中小メーカー、それに各界の有識者、芸能人までも目ざとい連中が毎晩集まってはビジネス・エンターティメントの潮流を話し合い、おいしい話がないものかと飲み・喰い続けた場所もありましたが、サントロペの宴会はもっと純粋に、次の時代を引っ張っていく気迫と余裕が見てとれ、高い志の熱気が伝わってきます。

今では時代のエンジンたる若い世代が、「熱き思いを語るような集まりには参加すること自体が恥ずかしいことです」などと言って、携帯メール程度で他愛無い思いを打ち明けるのに精一杯のご時勢ですから、それから見れば45年ほど前は、どこも熱かったのですね・・・。

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2006年9月21日 (木)

ブルーグラスの傑作!

Bluegrass101_1Bluegrass901 Bluegrass601 Bluegrass401私がブルーグラス・ミュージックに惹かれていったのは1960年代の中頃、フォークソングが流行り、キングストン・トリオのスカッとしたサウンドに惹かれていくうちに彼らの音楽背景にブルーグラスという音楽領域があることを知ったからです。荒々しいなかに哀愁がほのかに漂うキングストン・トリオの音色にはブルーグラスのエキスが注がれているのか!・・・などと勝手に思い込んでブルーグラス音楽のLPを探し求めましたが、なかなか自分にピタッとくるものには、出遭う事がありませんでした。その後、おおきく時代の価値観が変化しだした1970年代に入り、当初アメリカ西海岸の若者を席巻したヒッピー・ムーブメント、ホール・アース・カルチャーなどのカウンターカルチャーの影響がアメリカ全土にも浸透した1974年、本場ブルーグラス・フェスティバルの世界を写真の力で記録した一冊が、たった一人の日本人の若者によって出版されました。

[Blue Ridge Mts Friendly Shadows]というタイトルの写真集がそれです。出版社の写真部に在籍しながら趣味のブルーグラス・ミュージックをことある度に記録されていた小森谷信治さんが20歳代中頃に自ら自費でアメリカに出かけ、ブルーグラス・フェスティバルの様子を撮影・出版された大傑作の写真集です。1974年当時、この写真集にすぐ飛びつきページをめくる度に、この時代の若者の風俗・文化がアメリカの典型的保守・良識層が支持するカントリー・ブルーグラスの世界にも浸透しだしたことが一目瞭然であることと、日本ではレコードを通してしか判らなかったブルーグラス・フェスティバルの臨場感がぞくぞくするほど、伝わってきました。この写真をみても、大御所と若手新興勢力とのジャム・セッション、ビル・モンローが仕切る一般演奏家とプロのジャム・セッションなど、単にブルーグラス・ミュージックに留まらないある時代の流れを読み取れる、すばらしい一冊であります。

残念でありますが今は絶版となってしまい、私の所有している一冊も繰り返し見たのでもうぼろぼろとなり本としての体裁を保っていませんから、いずれ神保町あたりでの偶然・奇跡の再会を願っています。

さて、この時代(1970年代)には、ブルーグラス・ミュージックの世界にも新しい表現の可能性を求める多くの優れた演奏家が登場し、素晴らしいアルバムを遺しています。、その多くはブルーグラス・ミュージックを閉鎖された保守的な世界から開かれた革新的世界へと引きずり込んだ名盤として、今日でも私世代はもちろんのこと、若い世代にも聴き継がれていますし、その変革の志の伝承は今も脈々と次世代へと伝わっています。日本国内のブルーグラス・フェスティバルなどで、若い世代のバンドがその音色・リズム・構成などに趣向を凝らしているのを観ると、嬉しくなってしまうのであります。

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2006年9月20日 (水)

1956・マジックインキ大流行!

1956102 1956902 1956年に大流行したマジックインキは、その強烈なアンモニア臭のようなにおいに酔いそうになりながらも、これまでの水彩・クレヨン・クレパスとは違った表現が出来たので、ずいぶんと描きまくりました。この頃、国民的人気を博していた山下清さんがマジックインキで描いた花火シリーズが登場してから、全国的に人気が加速度的に上昇していったそうです。今ではチラシや文化祭の発表会などで活躍する地味な文具の代表であるものの、50年ほど前には画材としても大人気であったことを、最近父の資料の中から出てきた私のマジックインク絵を見て、思い出させてくれました。

1956年といえばまだ小学校3年生で、「よい子」でしたから、父に薦められたこの画材を使っては日々の記憶を描き留めようと、ほぼ毎日、家に帰ると父のアトリエの大きなテーブルの上で描きまくりました。なにしろ、これまで見たこともない原色が嬉しく、しかも速乾性のため、完成まで待つ必要もなく、自分の性格にこれほど向いたものはないと感じていたのでしょう。

この翌年から、私は急激に体育指向の生徒となり、野球が生きがいの少年となっていきました。それと並行して絵として描く内容も、学校・日常生活に関わるものから、戦争もの・軍艦ものばかりへと変わって行きました。

( www.geocities.jp/hasu58/longseller/magicink.html )

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2006年9月19日 (火)

音楽を愉しんだ時代!

101_26 501_1 201_20 301_5 私にとって、音楽が生活に欠かせないものとなってから、45年以上の年月が経ちましたが、この2年ほどで更に音楽の供給と需要のバランスがすっかり変わってしまい、個人が自分の意志でいつでも・どこでも・なんでも一曲から購入できる時代となってしまいました。要は、業界が握っていた時間・場所のイニシャティブを、殆ど個人に明け渡してしまった、ということなのでしょう。音楽は個人の心に飛び込んでくれる最もエモーショナルな表現のアートですから、今の状況がある意味では理想の姿なのでしょう。それでも、ふと、こんな懐かしい写真を見つけると、音楽が個人の手に届くにはそれなりの時間と手間のあった頃を、羨ましく感じることがあります。この写真はおそらくレコード盤が大衆化される黎明期のものが殆どと思われますが、レコードを入れる袋・レコード針の缶にいたるまで音楽のもつ感情が伝わってきそうな、それぞれきれいなグラフィックで、その時代の気分がつよく表れています。

これを見ていると、あのウディー・アレンの名作「ラジオ・ディ」で、家族が居間のど真中に鎮座するラジオに釘付けになって聴いている場面に近い寛ぎの様子が浮かんできます。とっくの昔にラジオ・蓄音機は家族団欒の主役の座からは降りてしまい、今やパソコンを通して瞬時にして、好きな曲を好きな時に買い求めることが出来ますが、一曲一曲をそれは耳をそばだてて聴いていた過ぎ去った時代の豊かな時間の流れにも、捨てがたい魅力があります。

さて、最近はカントリーミュージックの世界にも新しいリズム・メロディー進行・コラボレーションが顕著となっていますが、その流れについて行けない皆さんは、WSMのアーカイブwww.wsmonline.com/onair/archives.shtml)でカントリーミュージックの懐メロを聴くのが密かな流行となっています。確かに1950年代・1960年代の曲を聴いていると、自分の将来も見えず混沌としていた頃がふと懐かしく頭のなかを過ぎると同時に、安心できる曲趣とメロディーにほっとするのです。

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2006年9月15日 (金)

1961年グランド・オール・オープリー

101_34 Copyrights : Ishizu Office

1961年10月10日、カントリーミュージックの聖地、テネシー州ナッシュビル・ライマン公会堂でのグランド・オール・オープリー(1927年から今日まで続いているカントリーミュージックの公開放送)のライブの様子です。歌っているのは1950年代から1970年代までの大スター・マーティーロビンスです。1961年頃ともなるとプレスリーをはじめとする若い世代の感性とエネルギーを盛り込んだビート主体のロックンロールサウンドが席巻して、カントリーミュージック自体も、のほほんとした片田舎の音楽から脱皮し始めた頃でしょう。写真を見てもいわゆるカントリー・ミュージシャンののお好み衣装でもある、ギンギラギンのウェスターン・スーツも見当たらず、普通のスーツです。これを見ても若い世代の都会派志向の気持ちが服装にも表れているようです。歌手のマーティー・ロビンス自身も「エルパソ」・「ホワイトスポーツコート」などのそれまでのカントリーミュージックの観念を飛び越えたセンスの曲でミリオンセラーをかっ飛ばし、トップスターの地位を不動のものとし、飛ぶ鳥を落とす勢いの絶好調の時です。ライマン公会堂のスポットライトを独り占めし、そのテンションと聴衆の羨望の眼が伝わってくるような気持ちのよい写真です。

それにしても、最近のライブステージのようなハイテクを駆使した照明や、大音量の出力装置とは程遠いのどかなステージ模様ですね。カントリー・ミュージックのほとんどが日常・身辺生活の出来事を採り上げた曲が多いだけに、舞台と観客との距離もお隣さん同士といった感覚でほどよく、音量もまだ耳を覆うほどのものではないようです。次に控えるバンドもステージの後ろに控え和気あいあいといったところですし、マーティー・ロビンスの後ろでしっかりと彼のステージパフォーマンスを見落とすまいと凝視している歌手の様子も見て取れます。どうやら、マーティー・ロビンスの歌声を聴きに来たお客で二階席もどうやら立ち見で一杯のようで、大盛況のようです。

この1960年代半ばあたりからカントリー・ミュージックもチェット・アトキンスを親方とするナッシュビル・サウンドが潮流となり、異ジャンルとのコラボレーションも加速してポピュラー音楽業界への影響力もたいへん大きくなっていきましたが、その始まる少し前頃の貴重でのどかな写真であります。

このライマン公会堂でのグランド・オール・オープリー(http://www.opry.com/)は1943年から1973年まで開かれましたが、その後紆余曲折して今ではミュージック・バレーにあるオープリーランドで開催されています。ライマン公会堂そのものは、今では大物歌手のコンサートにたまに使われたりしているだけのようですし、さらに1970年以降はナッシュビル以外にもテキサス州オースティンなど他所の州にもカントリーミュージックのメッカが登場し、また最近では若い世代を中心としたトレンドが生まれ、今ではオープリー自体そのご本尊の栄光の歴史に陰りがでてきたようです。

グランド・オール・オープリーの歴史について (http://www.demiya.net/blg/opry.html

グランド・オール・オープリーのアーカイブ放送www.wsmonline.com/onair/archives.shtml 

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2006年9月13日 (水)

のどかな自転車の時代!

Riders1 最近の自転車レースはすっかりシステムが構築されて、広告代理店もそれなりのメリットがあるのか、以前からみれば随分一般雑誌などにも登場するようになりました。選手一人ひとりの健康管理もITのお蔭で完璧なまでに、検証できるようになりましたし、勿論、自転車そのものの構造もたいへん進化し、ハイブリッド素材をはじめ、モノコック構造など人間の勘と経験に任されていた世界にもITが入り込んでいます。各チームの走り方のローテーションなどもすっかりシステム管理されてしまい、昔のTOUR DE FRANCEのようなチーム同士の喧嘩ごしのようなレースの駆け引きはもう観られなくなってしまいました。

この写真、1950年代前半フランスの郊外を、太めのタイヤを履いて走るランドナークラスのレース様子です。ロードレースのような殺気立った気配は見えず、むしろ周りの景色を楽しみながら走っているような雰囲気が和やかでもあり、嬉しい気分を誘います。

1960年代中頃までは、東京近郊でも週末ともなれば、このランンドナークラスの自転車で走るプライベート・レースが盛んでしたが、東京オリンピック・高度成長時代で浮かれている間に東京郊外の多摩丘陵もすっかり山が削られ、マイホームの密集地域となってしまいました。これ以前にはランドナーでヒルクライムを楽しめる、まるでイギリスの田園地方のような風景が今の読売ランド付近でも見ることが出来ましたが、あっという間にその素晴らしい光景も消えてしまいました。そうなれば自然とランドナーを楽しむ地域も少なくなって、走る人も減少し、今ではランドナー・マニアの「お好きな方々」は走ることもなく、きっとお部屋の中で毎日金属部分辺りを磨きこんで、微笑んでいるだけなのでしょう。

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2006年9月 9日 (土)

洋梨の季節となりましたか!

2006101 しばらく、スーパー・マーケットにご無沙汰でしたが、昨日自転車仲間と目黒・とんきで待ち合わせをしましたが、予定よりも早く目黒駅に着いてしまいましたから、Presse  に入って時間を潰しました。店内は湿度の高い暑苦しい外とはうって変わって、秋の気分真っ最中でありました。缶ビールも各社趣向を施した秋物一色の店頭装飾で染まり、その意匠も毎年エスカレートしているようで、調子に乗っているとそろそろお客さんにそっぽを向かれる時期が近づいている気配さえあります。Presse の果物コーナーには秋の果物の代表「洋梨」がその黄緑色の姿を什器一杯に広げ、まさに果物売り場で一番輝いていました。話は飛びますが、昨今のバイオ・テクノロジーのおかげで、植物・野菜・果物などには新種のものが四季の季節感を味わう愉しみを無視して続々誕生し、その種類も年を追う毎に増えているようですから、旬も走りもお構いなしといった)日本人が誇る歳時記に対する感性を逆撫でする現実が出しゃばり始めたわけで、そちらの情報もしっかり掴んでおきませんと、この先、季節感を含め、生活における季節の約束ごとがなんだか分からなくなってきています。ですから、いかにもその季節に一番相応しい食材が、どんぴしゃりと店頭に登場すると、単純に嬉しくなってしまいます。

その秋らしい「洋梨」を購入してそそくさと「とんき」に向かいまして、暖簾をくぐると、いつものようにいっぱいのお客さんがお待ちでした。 

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2006年9月 8日 (金)

名作漫画・TINTINが生まれる前!

Tintin1301Tintin1201 タンタンの創作者エルジュ(本名ジョルジュ・レミ1907-1983)ブリュッセル生まれ。少年時代はボーイ・スカウトに傾倒し、その頃よりドローイングを開始するが1923年より本格的に「ベルギー・ボーイスカウト」誌に作品を発表しはじめる。1928年に新聞の若者向けウィークリー増刊号「プチ20世紀」のチーフ・エディターとなり1929年には自作の「タンタン、ソビエトへ」が同紙に掲載。またたく間に人々の人気を博した。それ以後、タンタンとスノーウィをコンゴ、アメリカ、中国、はたまた月まで送り続け、世界中を駆け巡る23話のタンタン冒険シリーズを我々に残している。ヨーロッパ・コミックの父と称される彼の作品は、今日においても様々なアーティストに影響を与え続けている。(TINTIN CLUB)

101_33タンタンの生みの親、ジョルジュ・エルジュ15歳から20歳の頃に描いた絵を見ると、もう既にタンタンがいつ現れてもおかしくないほど、そのストーリー性・デッサン力に抜群の観察力が見えます。後のタンタンシリーズにも出てくるキャラクターの片鱗も忍ばせていますし、なによりもスピード感の表現がもうこの頃から人並みでなかったことを、証明しています。

ボーイスカウト時代に多くのドローイングを描いていますが、このボーイスカウトで培った多くの経験が後のタンタンシリーズの話に反映されていくのが明快ですし、相棒の犬がまだ登場していないのも、少し気がかりです。

タンタンには他の漫画には見られない細部の緻密さ・20世紀の大事件と程よく絡んでいくドラマチックな話の展開の大きさに、普遍性と古典性があるからこそ私のような世代にも根強い追っかけがいるのでしょう。

ALL COPYRIGHTS : HERGE CHRONOLOGIE D'UNE CEUVRE

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2006年9月 4日 (月)

江ノ島灯台の皆様!

Img_3738 4月7日のブログに載せた水彩画の灯台の現物を、登場させました。実は、どこかの箱にしまい込んだまま、行方不明でしたが、今週偶然にも、昔の靴を容れた紙箱の片隅に入っていたところを発見しました。靴ブラシだけを集めた箱の中にあったもので、おそらく以前の引越しの際に、家族の誰かが、適当にしまい込んでしまったと、推測されます。なかなか見つからずそれなりに思い入れのあるものだけに、いらいらしていましたが、これですっきりしました。

江ノ島神社の参堂にあるお土産屋・堀江商店のご主人、堀江虎一さんが趣味として作られていたもので、残念ながら、今はもう作られておりません。灯台を実物以上に自分の中で創作され、その自由なフォルムと色使いが妙にモダンで、気の利いたお土産として、ずいぶん多くの人によろこんでいただきました。10年ほど前、偶然入った堀江商店でこの灯台を見つけた時は、、「この灯台を見つけた時の新鮮さといったら、ありゃーしない!」と言いたくなるほどの、喜びでした。

この感性に近いお土産は、きっと他所の観光地の何方かが他のアイテムで作られているのでしょうが、今のところ私は出会っていません。

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