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2007年2月10日 (土)

中村外二・数奇屋大工

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写真:高橋曻102_4 

数多く居る職人の中でも、この中村外二さん(1906-1997)ほどの磨かれた風貌には、なかなか、お目にかかれません。大正10年に大工職・水田常次郎に弟子入りして木造建築のいろはを叩き込まれますが、ここで止まっていたら普通の大工で終わっていたのでしょうが、昭和28年に裏千家出入りの大工になって以来、家元・千宗室にお茶のいろはから始まり、茶室の設えまでこと細かな作法から家元独特の素材に対する感性に至るまで、直伝で叩き込まれました。業界用語でいえば、ハードとソフトの最高レベルのノウハウとこつを実学で習得したのです。以前、中村外二さんの座談を本で読んだことがありますが、木の話から人の器量の話まで、機微に満ちたその内容には、マーケティングと機械を通して出来上がる量産を前提としたデザインには無い、実学と自然の叡智の裏打ちの深さと強さがありありでした。

私は中村さんを知った30年ほど前から、西欧建築にはない日本建築のもつ意匠の感性的部分と、気候に適した合理性の部分を勉強し始めました。たまたま、私の曽祖父が木曾の御料林を管理していて、小学校の頃、父から「木曾の檜と云う材料は日光と風により南斜面と北斜面では全くその年輪の姿も異なり、南斜面の檜は安定していて年輪もみごとな同心円を描くから、南斜面のものが伊勢神宮や徳川家の普請に使われるのだ」ということを聞かされたことが妙に頭の中に焼きついてましたから、まず始めに日本の木から勉強し始めました。

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