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2007年4月30日 (月)

b.という雑誌があった!

Img_6535 Img_6545 Img_6540 バブルも終盤になりかけた1991年に日本の最強ファッション・デパートメントストアがファッション志向の最上顧客に配布した雑誌は、現在見てもその編集に対するエネルギーが半端で無かったことを裏付けてくれます。当時も飛ぶ鳥を落とす勢いであったSAZA社を退社された鈴木汀さんを編集長に迎え、テーストのぶれの無いような徹底を文案・写真・レイアウトまで図りました。

世界中の鮮度のある情報を、これまでの服を中心とした内容だけでな、く生活のすべてがファッションであるという大前提で進行していきましたから、内容・執筆陣も一家言ある方ばかりで、そのうちこの雑誌を欲しいがために会員になっていただいた方も多かったと聞いています。

Img_6543 Img_6547 旅・グルメ・こだわりのグッズなど、今見ても内容の鮮度が退化していないのには驚きであります。

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2007年4月29日 (日)

芳味亭のお弁当

Img_6681_2 Img_6684 この時期は日も長くなって、夕方六時過ぎのなんとも言えない雰囲気は、悪くない情緒がありますが、殆どの街が明るすぎる照明のおかげで、その情緒を味わう気分にもなりません。

昨日、家族と久しぶりに出かけた人形町は、少し路地に入れば、まだ昔の記憶が蘇るような艶っぽい気配が漂ってきます。

明治座が盛況だった頃を知るわけでもないのですが、問屋街を背景にしていた街と併せて、芝居・歌舞音曲に関わっている街のもっている正しい姿というものがあるとすれば、間違いなく東京では人形町が筆頭だと思っています。料亭・割烹・洋食・珈琲・和菓子・豆腐屋・甘味所・三味線店・葛篭店などなど、江戸から昭和への系譜が基本的に変わらず残っているだけでも、昨今の巨大再開発街とは違う余裕のある街の営みがあります。ほんのりと陽が沈む前の水打ちされた横丁の路地を散策すると、柔らかな風が横切って手の届く贅沢気分に浸れます。

人形町の仏蘭西式洋食屋・芳味亭でお願いしたお弁当も、隅々までこの風土で育まれた伝統がしみこんで、嬉しい出来上がりでした。昨今のグルメ系の弁当と比較するのも何ですが、姿・かたちに格の違いを見せられました。

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2007年4月28日 (土)

Webb Pierceのお気楽カントリー

Wp 最近のカントリーミュージックはしっかりとしたサウンド作りとビジネスとしてのマーケティング戦略を持ち、そつなく時代の受けを押さえていて、昔のようなマニアックな人だけを相手にしていた頃とはその様相が変わってきたようです。逆にいえばどれも同じような音作りに偏ってきたとも云えるわけでもあります。

先週、神戸のB.O.Mサービスから届いた「懐メロ」はすっかり忘れていた1950年代から60年代の、のんびりしていたカントリーのふくよかさを楽しむことが出来ます。歌うは当時の大人気スター・Webb Pierse、高音のシャゥト唱法がお得意で、私世代よりかなり上の方々には今もって同じ歌い方をされる方が多く、東京の週末、銀座あたりのカントリー・ライブハイスではそっくりさんが目白押しです。

どうも最近は、旧いものばかりに目がいき始め、新しいものごとを無視するような癖がでてきましたので、自分の仕事柄、「これはあまり良い傾向とは云えない!」などと呟くありさまですが、こと音楽に関してはどうしても昔の音の魅力を無視できず、もっぱらタイムトリップを遊んでいる有様です。特に、インターネット放送で聞こえてくるカントリーのアーカイブ放送(http://www.wsmonline.com/onair/archives.shtml )には 自分と同世代の聴視者が多いようで、クラシック・カントリーの嬉しい音ばかりがPCを通して聴こえてくるのであります。更に、Webb Pierceの映像http://www.youtube.com/watch?v=QkUwBnlPY_k&mode=related&search を観ると、今の時代には少し時代錯誤とさえ思ってしまうステージ衣装をまとった彼の姿が登場しますが、高く張りのある伸びやかな声が、のどかな時代を彷彿とさせるように聴こえてきます。

It's Been So Long Music It's Been So Long

アーティスト:Webb Pierce
販売元:Jasmine
発売日:2006/05/09
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年4月27日 (金)

落ち着いた店

Pro601_3  最近出来る東京都心の再開発に伴って入るテナントビルのショップも完全にパターン化した様相を呈しています。

 安心できる家賃収入を目論む側と売上予測さえも管理化された側との相互都合による出来レースのようでもあり、気が付けば、どこも同じ店ばかりという、間抜けな商売の町づくりばかりのようです。

 この画像、フランスの片田舎と思われる町のものです。何といっても自転車とブリック(煉瓦)が醸し出す素材感の響き合いが、落ち着いた中に自然の気配を上手に取り込んでいて、この町の人々がどれだけこの町を大切にしているか、その愛情までもが読み取れそうですね・・・。

 さて、落ち着いた町がどんどんと消えていくこの東京界隈ですが、今の内、気になっている町があれば直ぐに出かけて、記録しておきませんと、あっという間に壊され、あっという間に建替え、出来てみれば、これまでと全く違う世界の誕生ということとなって、私など情報化社会の流転のハイスピードに、追いついて行きません。

麻布・白金・根津・小石川などにはまだ明治・大正・昭和の薫りが幾ばくか残っていますから、極力記録に残しておきませんと、突然白い養生シートが掛けられてしまうこと、此れまでも何度かありました。そういえば、以前、文京区小日向の急坂を早朝下ってますと、あのタモリさんが町並みの撮影をしてましたから、ひょっとすると同好の士かも知れません。

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2007年4月25日 (水)

コミック・バンド?RIDERS In The SKY

Ris 実力のある歌手・演奏者がひしめくカントリー・ミュージック界にあって、商業的な音楽制作に興味を持たず、着々と独自路線を築いているRIDERS In The SKY http://www.youtube.com/watch?v=obi9vfvXoQs&mode=related&search )はコミックバンド的お笑い芸からシリアスな曲趣に至るまで一定のクオリティーを保っています。数多くの優れたアルバムを出していますが、私はこのアルバムが一番の、お気に入りであります。10年前の作品ですが、テーマに採り上げた偉大なカントリーミュージックの巨星「ジーン・オートリー」に捧げたオマージュ曲集です。あくまでも明るく、楽しく、優しくをモットーにしているような彼らの音楽はどうやら子供たちにも人気のようですから、ますます、品格のある面白バンドに育っていくことを楽しみにしています。ジーン・オートリーの歌った曲はそのどれもが美しい旋律と分かりやすい普遍的ストーリーを以って、多くのアメリカ全土の良識的保守層の人々に支持されましたからこそ、次世代の人にも歌い継がれて、伝わっていくのでしょう。

ジーン・オートリー ( http://www.youtube.com/watch?v=ZeybLKfvOkY  ) ジーン・オートリーは若いころ、オクラホマに住み鉄道会社の電信技師をしていた。時々ギターを片手に歌を書いたりして暇をつぶしていたが、ある時お客さんがそれを見て、転職してラジオ局にでも売り込んだらどうかとアドバイスしてくれた(そのお客とはウィル・ロジャース)。それをきっかけにニューヨークへ向かい、世界でもっとも有名な、歌うカウボーイとなったのだ。スクリーンの上で100人以上の黒帽子をかぶった悪者をやっつけ、その後にすずしい顔をして歌を歌ったものである。古いカウボーイのクラシックのほかには、クリスマスのスタンダード「赤い鼻のトナカイ」「サンタが街にやってきた」「フロスティー・ザ・スノーマン」なども披露。こうしたクリスマス・キャロルや、「ディープ・イン・ザ・ハート・オブ・テキサス」「バック・イン・ザ・サドル・アゲイン」といったカントリーのヒット曲で、彼のいかにも豊かな声は世界中の子供やお母さんたちに親しまれ、なんとそれは60年以上も続いている。

Public Cowboy #1: The Music Of Gene Autry Music Public Cowboy #1: The Music Of Gene Autry

アーティスト:Riders in the Sky
販売元:Rounder
発売日:1996/10/15
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年4月23日 (月)

もう夏が待ち遠しい!!!

Holiday13_1 まだ春の始めというのに、ひねくれ者の私は、もう夏の気分に浸っています。昔のように、海に出かけたり、ヨットに乗ろうなどという気持ちは薄れましたが、こんな絵を見ますと、ふと、むかしの記憶が蘇って来ます。

子供の頃、学校のプールで溺れて以来、夏の水泳があまり得意とはいえなかったものですから、両親と海に旅行に行っても、海水浴よりも、磯遊びの方が性に向いていました。カニの棲家を見つけては、追い出したりといたずらは尽きなかったようで、その頃の日記がまだ見つかっていないので、出てくる事を願っている次第です。

472195501_1 この写真は1956年頃に、茨城県・五浦海岸でのスナップで、だいぶ潮も満ちてきて危ない状態でありますが、スリル満点を得意げに撮ってもらった一枚です。

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2007年4月22日 (日)

広重・湯島聖堂

201_44 春爛漫の頃、御茶ノ水界隈を基点とした都心の自転車徘徊ほど、季節の薫りを享受できるものは、他の交通手段には今のところ見当たりません。

車を運転していては気付かない都心の坂の勾配や、意外ときつい午後の風など、自然の為せる小技と格闘するにも、やはり高速自転車が最高のマシーンであると自分では思っています。

この広重の版画に描かれた湯島聖堂近辺も、江戸情緒を偲ぶのになかなかのロケーションでありますが、この版画の左に描かれた山はずいぶんと誇張されて描かれているなー、と思っていたのですが、幕末のお台場を築くために、御茶ノ水の山を削って、神田川経由で運んだ事は史実ですから、それ以前はきっと、このような眺望だったのでしょう。01_31もし 今も、このままの景観であったならば、東京は思った以上、山と川に囲まれた、正に箱庭のような美しい都市であったでしょうに・・・。

Img_6424 早春の快晴の早朝、湯島聖堂の前の下り坂を昌平橋に向かって疾走する爽快感は、朝陽を正面に浴びてごきげんな快感であります。

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2007年4月21日 (土)

根津神社のつつじ!

Img_6605Img_6596Img_6587_2 昨夜は建築家・ブログの神様、秋山東一さん(http://landship.sub.jp/stocktaking/ )と銀座・六本木で美食・美酒を堪能し、話題の幅が建築から自転車までと止め処も無く、気が付けば久しぶりの午前様となり、自転車三昧のおかげですっかり健康人間となってしまった私としては、朝の頭痛も久しぶりでありました。

さて、根津神社( http://www.nedujinja.or.jp/ )のつつじは一見の価値あり!などと以前から言われてましたが中々行く機会に恵まれませんでしたが、二日酔いもなんのその、今日は行こうと決心して即座に電車に乗りました。千代田線・根津駅を出て不忍通りに出ると、もうそこは根津神社に向かう人の波でありました。日頃この近辺はよく自転車でも走っている所でもあり、裏道を抜けて最速ルートで辿り着きました。

それほどの強い日差しでないことが幸いして、境内は鮮やかな錦の競演といった状態で開花の状態もこれ以上無い!と言うほどの絶景でありました。知らぬとはいえ、つつじにもいろいろな種類と色があるようで、なかには黄色のつつじなどもあったりして、日頃の勉強不足を反省した次第です。

人で溢れた境内の散策路は、それはそれはゆっくりと歩く方々ばかりで、せっかちに関しては自信のある私としては追い越しの連続でありましたし、デジカメの普及で、至る所が記念写真のスポットと化して更に渋滞を加速していました。

新緑との対比も美しく、見ごたえのあるスポットでありました。つつじは比較的長く楽しめますが、今日の土曜日は天気も最高でしょうから、早くお出かけになることをお薦めいたします。

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2007年4月20日 (金)

国立新美術館・ポールボキューズ

Img_6488 Img_6494 Img_6495 Img_6496 Img_6499 国立新美術館 ( http://www.nact.jp/ )に出向くには、まだ早いと思っていたのですが、この日は断れない方からのお誘いでしたので、『パリの異邦人』展と『モネ・大回顧展』を見に行きました。平日というのに大変な混みようで、その話し言葉の様子から全国のお客さんが集結しているようでした。勿論、東京ミッドタウンの界隈のひとつでもあることから、もう暫くすれば落ち着くのでしょうが、この集客の勢いをみると、そんなことは無さそうにも思えてきます。ここも90%が女性客が占めていて、この美術館のお目当てはどうやら展覧会と同等以上に『ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ』 ( http://www.nact.jp/restaurant/01.html )とお見受けしました。

 開店が11時ですが10時過ぎにはもう長蛇の列!、私たちが並んだ時は早くて一時間以上待ちということでしたが、折角ということで、待つこととしました。その間、図書館・地下のショップなど、何時もの徘徊癖が出て各階を回ってきましたが、まだ運営に慣れないスタッフも多く、これでは「土日あたりはいざこざもありそうだ!」などと勝手に推察しました。

 待つこと一時間で席に着くことが出来、とりあえず、ランチメニューからセレクトしてみましたが、待った甲斐もあったのか、大変美味なランチでなにより料理の盛付けが美しい出来栄えでありましたし、¥2,500という料金はかなりの良心的価格と思います。空中遊泳するような浮遊感のある空間でのひと時でありましたが、まだまだ続く客の列を見るとそれほど長居も失礼かと思い、席を立ちました。

 さて、ここは昭和3年(1928年)http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1928.html陸軍歩兵第三聯隊兵舎として竣工した場所であり、Img_6506 昭和11年(1936年)に起きた2・2・6事件に関わった連隊の兵舎としての昭和史の場がまたひとつ壊されたのは残念でありますが、平和文化に寄与する施設に変換されたのであれば、まあ、これもありかなどと短絡的な結論を導きました。

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2007年4月19日 (木)

1956年・私の日記より

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小学校の帰りは寄り道をしてはいけないと、言われてましたが、久我山駅を下車すると、もうそこは、私の天下のようなものでした。

家の傍の竹薮は、ほんの25年前まで在りましたが、農家のマンション建設ブームの煽りを受けて、あっという間に消えてしまいました。この竹薮は、たいそう立派な敷地面積があって、中にはきっとその昔、川でもながれていたのでしょうか・・・、その名残のような地形も遺っていましたから、休みの日などは、近所の友達と、戦争ごっこなどをして、遊んでいました。長い間に堆積した竹や他の樹木の葉を踏むと、その独特のクッション感が絶妙なリズムを奏でるようで、子供ながらにも、この自然環境の楽しさを謳歌していました。

春ともなれば、筍が顔を出し、あっという間に自分の背丈を越えていくそのスピードの速さにも、びっくりしたものです。筍刈りなどする人もいなく、人のものに触れてはいけないという美しい文化は、この時代には残されていました。0102_3 最近は宅急便で京都の筍でさえ、いとも簡単に手に入る時代ですが、春の竹薮から薫ってくる筍の甘い香りは、其処に居る者でなければ、感じることの出来ない、季節の贈り物なのです。

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2007年4月18日 (水)

皇居のツツジ

今月もImg_6522 桜のその潔さを一時楽しませていただいてから2週間以上経ちましたが、今度はツツジのお出ましです。

例年より半月ほど早い開花であるそうですが、春の予感を先取りして既に満開状態であります。

最近気に入っている、皇居の某入り口近くにも見事なツツジの一面がありますが、奥の石垣・葉桜との色の対比が絶妙で、私の気に入っているスポットです。花と葉の按配が見事でこういった雰囲気はきちんと剪定されているからこそ、美しいのです。

和菓子の職人さんにでも見せたら、早速、創作和菓子に採用されそうな色と表面感覚でありますが、西欧の草花には見られない素朴ながら艶やかなオーラは、この国の季節の代表選手であります。

Img_6429皇居の周辺はツツジ以外にも菜の花などが春爛漫の装いを競い合い始め、まだ暫くは優雅な日本の春が堪能できます。

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2007年4月17日 (火)

いいですね!PUSH PIN STUDIO

Push_pin_studio406 Push_pin_studio106 1960年代のグラフィック・デザインを先導したPUSH PIN STUDIOの作品を初めて見た時、その手作り感の素晴らしさに感動しました。その頃といえば、モダンでシャープな構成主義的作品か、『話の特集』誌を中心とするサブカルチュアーとしての横尾忠則・粟津潔のような作品に分かれていた感のある日本のグラフィック界でしたから、アメリカの健全な精神と少しの批判性を織り込んだこのスタジオの作品には当時の学生はおおいに惹かれたものでした。驚異的なデッサンに裏打ちされたミルトン・グレーサーのイラストレーション、アメリカの草の根運動の象徴のようなポール・ディビスなどスターデザイナーも多く輩出しました。

又、同時期にハーブ・ルバリンが立ち上げた『AVANT GARDE』誌も1960年代のカルチャーが盛りだくさんで、銀座イエナ書店に行っては立ち読みしていました。アートともデザインとも呼べる、この実験的雑誌から生まれた多くの作品は、今も愛好者が多いそうですから、嬉しい話です。

ミルトン・グレーサー

1929年ニューヨークに生まれる。 1951年クーパー・ユニオン・アート・スクールを卒業後、フルブライト奨学金でイタリアのボローニャのアカデミー・オブ・ファイン・アーツで学ぶ。 1954年、レイノルド・ラフィンズ、シーモア・クワストやエドワード・ソレルと共にニューヨークでプッシュピンスタジオを設立、社長に就任。 1968年クレイ・フェルカーと共に「ニューヨークマガジン」を創刊する。 1983年ウォルター・バーナードと共に出版デザイン会社WBMGを設立。 1976年ニューヨーク州の依頼で制作した、「I・NY」のロゴをはじめグラフィクデザインを中心に CI、インテリアデザイン、環境デザイン、建築、出版、音楽、演劇、映画など、様々な分野を幅広く手掛け、 300点を超えるポスターのデザインやイラストを制作している。 1987年より全米規模のスーパーマーケット・チェーン店やレストランなどの内装設計、ロゴを含むデザイン全般のアートディレクションを行う。 1987年ニューヨークのレインボー・ルーム複合ビル開発を担当。 1993年トニー・クシュナーのピューリツァー賞を受賞した舞台劇「エンゼルス・イン・アメリカ」のロゴをデザイン。・…その他ボブ・ディランの有名なレコードジャケットのデザインなど、気が付けばミルトン・グレーザーの作品が世界中のあちらこちらに。作品は、ニューヨーク近代美術館、イスラエル美術館、ニューヨークのチェース・マンハッタン銀行、ワシントンD.C.のスミソニアン研究所に永久保存されている。

ハーブ・ルバリン

1918年ニューヨーク生まれ。1939年クーパー・ユニオンを卒業。1945年サドラー&へネシー社の副社長兼アートディレクター。1964年ハーブ・ルバリン社を設立。1975-78年LSC&Pデザイングループ社長。1976-81年クーパー・ユニオンのデザイン教授を務める。
主な受賞:1962年全米アートディレクター協会より「アートディレクター・オブ・ザ・イヤー」に指名される。1963年アメリカテレビ祭においてテレビコマーシャルでクリオ賞受賞。同年米国政府より切手デザインで表彰される。1972年母校よりその際立った業績で表彰される(1973年、80年も同様)。1977年ニューヨークADC名誉の殿堂入り。1981年AIGA(アメリカン・グラフィックアーツ協会)より受賞。その他、1952年から1980年の間に、ニューヨークADCより9つの金賞と8つの銀賞をはじめ、ニューヨークTDC、出版デザイナーズ協会、イラストレーターズ・ソサエティ、CA(コミュニケーション・アーツ)展などの団体より500を越える賞を受賞している。
主な個展:1979年パリのポンピドーセンター、1980年ニューヨークITCセンター等多数。
作品収蔵:ホイットニー美術館、米国会図書館、ニューヨーク近代美術館、スミソニアン博物館、ワシントンDC国立ギャラリーに永久コレクション。
1981年にその生涯を閉じるまで、講師、教師としても貢献した。

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2007年4月12日 (木)

八芳園の庭

Img_6463 Img_6471 Img_6474 昼食を兼ねた打合せを白金の八芳園( http://www.happo-en.com/index.php )ですることとなり、せっかくなので、少し早めに出向いて庭を散策しました。ご自慢の桜は既に葉桜の最終回といった状態でしたが、新緑の按配がそれほど強くない日差しの下、結構でした。この場所、江戸時代は大久保彦左衛門の住まいであったと言い伝えられてますが定かではないようで、明治期に渋沢喜作((1838~1912.8.30)名は英朋。通称は時に成一郎。変名大寄隼人。武蔵榛沢郡血洗島村渋沢長兵衛二男。1863年従弟の渋沢栄一と故郷を出、京都で一橋家に仕え、ついで幕臣となる。1868年彰義隊頭取となるが脱隊、振武軍総帥として飯能で西軍と戦い、さらに箱館で戦い降伏。のち東京商品取引所理事長、北海道製麻会社社長を務めるなど実業界で活躍。)の手に渡り、1915年(http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1915.html )日立製作所の創業者・久原房之助が入手し、手を加えて今日に至っています。

さり気なく置かれた見事な盆栽には樹齢500年というものも、珍しくなく、この世界に疎い私はよくわかりませんが、ひと目みただけでも、その手入れの見事さは分かります。この日、新入社員の歓迎会やら結婚式と賑やかな様相を呈してましたが、何故かこの庭には私以外誰もいなく、清清しい空気をたっぷりと味わうこととなりました。

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2007年4月11日 (水)

TINTINの面白さ!

Tintin1001_4Img_5319  Img_5315 世界中で今も、特に大人を中心に人気の高い『TINTIN』シリーズですが、私が始めてこの本を手にしたのは20代の半ば頃でした。    私は子供の頃から父の書斎にもぐりこんでは悪戯ばかりしていた悪ガキでしたから、落ち着きもなく、母がしょっちゅう担任の先生に呼び出されていたようです。そんな私を見かねて、両親も何か興味を持たせようと試行錯誤していたようですが、小学校4年生になり、突然、野球に目覚めるまで、随分と私のことで頭を悩ませていたそうです。それというのも、両親とも若い頃、いわゆるモボ・モガの類に属した高等遊民でしたから、子供のきちんとした教育にはいささか疎いところがあったようですが、今となってはそのちょっとずれた感覚のお陰で、私も少しは世間のお役に立っているのだ!などと思う、この頃であります。

話がズレまくりましたが、このTANTANの作者、HERGEは多くの絵や文献を遺していて、その多くが立派な本の中に収録されています。その中から抜粋した自動車の絵ですが見事なスピード感を表現しています。18歳の頃の作品と思われますが、その卓越したデッサン力と、描写力には脱帽です。又、TINTI Nのキャラクター・グッズは他のそれよりもきちんとしたアート・ディレクションが為されていて、大人の鑑賞にも堪える商品が少なくありません。最近買い求めたこのフィギュアも完成度の高いものですし、トータルな色調の美しさも馬鹿になりません。それでも20年以上前、私が始めて見たTINTINのグッズはフランスのHERGE財団のような組織が意匠管理・監修をしていたもようで、今はそのテーストの面影は残念ながら、ほんの僅かな商品を除いて皆無な状況となっています。

エルジェ(本名:ジョルジュ・レミ)1907-1983
ブリュッセル生まれ。少年時代はボーイ・スカウトに傾倒し、その頃よりドローイングを開始するが1923年より本格的に「ベルギー・ボーイスカウト」誌に作品を発表しはじめる。1928年に新聞の若者向けウィークリー増刊号「プチ20世紀」のチーフ・エディターとなり1929年には自作の「タンタン、ソビエトへ」が同紙に掲載。またたく間に人々の人気を博した。それ以後、タンタンとスノーウィをコンゴ、アメリカ、中国、はたまた月まで送り続け、世界中を駆け巡る23話のタンタン冒険シリーズを我々に残している。ヨーロッパ・コミックの父と称される彼の作品は、今日においても様々なアーティストに影響を与え続けている

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2007年4月10日 (火)

江戸城

Img_6440 Img_6445 Img_6443 皇居の周辺を自転車で周回してばかりいますと、江戸城内に入る事など思いもよらないのですが、ふと、入ってみようと思いつき、自転車を置いて、中に入ってみました。普段は外から見ていましたが、中に入るとずいぶんと見え方の違う事に気付き、生まれて初めての江戸城見物を堪能しました。天守台跡などはもう石舞台といった感じで、これほど空が一面に広がっているとは思いもいませんでした。

新緑も眩しいうえに、例年より早く咲き始めたサツキの花も、錦の按配が美しい兆しをみせてました。9時の開門ですから、早く行くと他所にはない大展望を独り占めで味わえますから、やはり行ってみるものです。

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2007年4月 9日 (月)

1925年・ヒルクライム

1925_beggars_roost_hill06 Frank Pattersonの挿絵にでてきそうな、丘陵が遠くに望める、いかにも、イギリス田園地方らしい景色の中の皆さんは、1925年(大正14年)のBeggar's Roost Hillのヒルクライムを楽しんでいるご一同様であります。

イギリスの自動車スポーツはまさにこのような光景の中で花咲いていったわけですから、オートバイ・ランドナータイプの自転車を含めて、紳士の嗜みとしての趣が重視されていたようで、ただガソリンをばら撒いてスピードだけを競うなどといった野暮な感性のモータースポーツは、この国においては全く育つ土壌がなかったようですね。

この写真にも、きちんとした身なりの方々が見受けられ、優雅なスポーツの一面を読み取れますね。きっと、柳のバスケットにでもイギリスらしい胡瓜とハムのサンドイッチ・アールグレーか、アッサムなどの上等な紅茶なども用意して優雅な観戦を楽しんでいたに違いありません。もうこの時代から、洗練された趣味を持つ人間がこんなに多く居たわけですから、やはり今に続く豊かな大人の国なのであります。

Beggar's Roost Hillを検索したら、MGクラシックカーの嬉しくなるような画像が見つかりましたので、ご覧ください。(  http://www.nemgt.org/oldno1.htm )

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2007年4月 8日 (日)

六本木あれこれ

Img_6413 Img_6407 Img_6418 5月3日の筑波8時間耐久自転車ロードレースに向けてのトレーニングを怠っていましたので、今日は早起きして都心の徘徊と洒落ました。とりあえず向かったのが東京ミッドタウンです。9時前に到着しましたから、まだ人も少なく朝陽の差込み具合もよろしく、なかなかご機嫌な風景です。此処は間違いなく朝が狙い目でしょう。庭園もおそらく日中はビルに太陽が閉ざされて、気持ちよい昼間は望めそうもありません。せめて公園は一日中日差しを浴びていたいものです。それ以上に、庭園の造りがお粗末で、この海外要人も今後訪れるであろうというのに、全く、土建業者が適当に石積みしたとしか考えられない程度の美の欠片もない悲惨な有様です。ここでも公共アートのような彫刻がのさばっていて、余計なことをしてくれます。

一方のデザイン・ミュージアムも、イッセイミヤケの一枚の布をインスピレーションとした安藤忠雄氏の一枚屋根が、何故か懐かしい駒沢体育館にも似ていて、なんともはや・・・であります。

ちょっと目を横に向ければ、これから再開発されそうな地域がその朽ちた環境を辛抱して、待機してます。今時こんな場所に鳩小屋のある家があったなど、今日まで気付きませんでした。この谷地もいずれ立派な姿に変身するのでしょうが、ひょっとすると今のうちが最後の見納めかも知れません。

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2007年4月 7日 (土)

辻まことが歌う!

02_6 辻まことさんは、山小屋だけでなく、こんな東京のど真ん中、共立講堂でも聴衆を魅了したのであります。43年前、日本の代表的詩壇・歴程のフェスティバルのスナップであります。この写真を撮影された内田耕作氏が自ら紙焼きされたのを、その昔いただくこととなり今も大切にしてあります。

私はこの頃から辻さんのスキーを直伝で教わることとなり、志賀高原を中心に現場実施訓練の日々を過ごしましたから、その技法・滑降法は日本スキー連盟の指導法とはかけ離れたもので、辻さんはエミール・アレ直伝のフレンチ・メソッドでありました。独特の回転技術をまだ17歳頃の若造などが、身につけられるものでは、ありませんでしたが「いつか、突然、きれいにすべれるから、心配しないように・・・」とその優しい笑顔で言われると、頷くほかありませんでした。

ギターをもって歌う歌もシャンソン・カゥボーイソングと幅広かったのですが、この頃私はフォークソング・ブルーグラスミュージックにはまりだした頃でしたから、特に辻さんの歌う「On Top of Old Smoky」「Red River Valley」等、カントリー・カゥボーイソングに聞きほれていました。ウィスキーを横に置いて歌う穏やかなその姿からは、志賀高原のスキー特訓のときの厳しい顔つきなどとは違い、町場を遊ぶ高等遊民のようなコスモポリタンがぴったりであります。

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2007年4月 6日 (金)

これは、欲しい!

Vi102 昨今の、メールが主流のビジネス社会ですが、ここ一番というときには、やはり、手書きのレターというものでしょう。

銀座・伊東屋にも、2階にオーダーの便箋・封筒のコーナーがありますが、その種類の少なさにあぜんとし、それならば、小津和紙店 ( http://www.ozuwashi.net/shopinfo/index.html )にでも出向いて、探してみるか!などと思っています。ことさように需要の無さも影響しているとはいえ、、やはり美しい手紙・葉書をいただいた時の嬉しさというのは、全然べつものでありますから、若い方には、しっかりと筆の練習もしていただいて、手書き文の復活を願っています。

この写真はGRAPHISに掲載されていた、優れたPaper Designの中から抜粋したものです。昔のタイプライターのような書体が誠実さを表しているようですし、手漉きのような紙には空気が含まれているようで、ほんわかとしています。がんばり過ぎ・やり過ぎのデザインのはびこる中、絹ごし豆腐のようなさっぱり感が、気分をすっきりとさせてくれます。ペリカン4001の、鮮やかなロィヤル・ブルーのインクを使ってみたくなる紙の素材感と色調が、写真を通して伝わります。何でもパソコンで出来てしまう時代ですが、こんな、アナログ感覚に、どうしても惹かれてしまうのであります。アイボリーのステーショナリーに真っ白な帯をつけただけですが、最小加工の最大効果とでもいいましょうか、シンプル・エレガンスの極致のような、美しい完成度があります。

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2007年4月 5日 (木)

神田にも新しい波が!

Img_6254Img_6248 神田の街並みが少しずつ変わりはじめ、ちょっとした立ち飲み・立ち食い系のお店がちらほら、し始めました。 この日も、漢陽楼( http://www.osk.3web.ne.jp/~koakira/ )で麺類を食したあと、黒澤楽器でジョン・ピアースの絃をワンセット買って、駿河台交差点に向かおうと、ふと横を見ると、ちょっと気になるお店がありました。開店して半年ほど経ったそうですが、普段良く通る道なのですが全然気付かずにいました。イタリアの町にありそうな地元の叔父さんで一杯のお店の雰囲気ですが、ここは持ち帰りもありそうで、ひっきりなしに買い物客が訪れます。

この店、ずいぶんと昔の話ですが、六本木の交番の傍にあった『ユーラシアン・デリカテッセン』の雰囲気をぐっとお洒落にした感じなのです。『ユーラシアン・デリカテッセン』は他所ではなかなか手に入らないヨーロッパの惣菜を色気なしの店構えで商っていましたが、その食材の美味なことで、多くの得意客を持っていました。

この神田の店は、軽い食事と美味しいお酒も揃っていて、今までの神田の客層とは異なった層を相手にしていく様子です。坂道にあるこんな店が、ジャンルは違いますが他にも飛び火しているようで、一時沈みかけていたこの界隈にも時の流れがひたひたと押し寄せて来ています。

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2007年4月 4日 (水)

今宵、フィッツジェラルド劇場で!

Img_6123 先日、銀座テアトルシネマで映画『今宵!フィッツジェラルド劇場で』を観てきました。

場内には、いかにもカントリー・ミュージックを「お好きな方々」と見受けられる方たちで、一杯の入りでした。その反面、所謂、映画好きの方と思しき方々が少ないように思われました。私もその音楽に惹かれた一人ですから、映画の場面を勝手にグランドオールオープリーのステージと舞台裏に見立てて、想像力だけを膨らませて観ておりました。   http://www.youtube.com/watch?v=nkjhnCRqDF0

映画が始まるや否や、楽屋のぴりぴりした状況が伝わり、映像そのものがハンディ・カメラを使って撮影しているような、フレンドリーな臨場感のカットに溢れています。

この映画の原案・脚本・出演を果たしたギャリソン・キーラーが1974年以来、今日も続いているミネソタ州セントポールからの公開ラジオ放送番組『プレーリー・ホーム・コンパニオン』の司会を実際にしていることも、パンフレットを読んで知りましたし、この番組が日本でも極東・米軍放送を通し毎週日曜日・午後4時から聴けることも分かりました。( http://prairiehome.publicradio.org/ )アメリカ中西部の良識的守旧派層を占める地域で、比較的リベラルな指向を以って、商業主義的な音楽とは一線を画した『アメリカーナ』ミュージックを幅広く取り上げていて、カントリーからクラシックまで「素朴ながら洗練され、粋であるが流行的でない」ことが番組のコンセプトにあり、全米でも多くのフアンを虜にしている番組でもあるようです。

この実際の番組の設定を元に映画としてのスパイスを混ぜて、ちょっと懐かしい雰囲気たっぷりの出演者が歌うカントリー・カゥボーイ・ゴスペル・ブルース夫々の音楽もたいへん出来がよく、並みのカントリー・ミュージシャンの数段上をいっていました。パンフレットを読むと日本の芸能界とは少し違ったスタンスの性格俳優も多く登場していますし、先ほど挙げましたが、主役の男優が本職は脚本・小説家であり、実際、このフィッツジェラルド劇場を仕切っている本人であろうとは、気付きませんでした。

バンドのサイドメンにはピーター・オストロウスコをはじめブルーグラス界の名人・職人もこっそり顔を出してましたし、なかなか楽しいステージが主役の音楽ドラマ・人生ドラマ映画でありました。

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2007年4月 3日 (火)

桜三昧ロード

Img_6284 Img_6313 Img_6306 Img_6293 Img_6317 日曜日の朝から、毎年恒例の、お花見ロードを楽しんできました。予定していた方がキャンセルとなりましたから、久しぶりの単独ロードでした。4月1日の日曜日に満開というお見事な結果となって、東京都心は早朝よりお花見フリークスがあふれ出ていました。例年通り、駒沢通りを経由、広尾から霞町を抜け青山墓地を上がり青山通りに出て権田原から赤坂離宮・ホテルニューオオタニ・上智大学を通り、半蔵門に向かいました。もうこの辺りに来ますと8時前にも関わらず、大勢の人がお花見に向かっています。英国大使館から千鳥が淵信号を右折して乾門を下って平河門で休憩しようと思いましたが、ジョギング・お花見の雑踏に巻き込まれ、ここも早々に引き上げ、桜田門内の名物・一本桜で記念写真を撮り、神保町で一休みしてから御茶ノ水から本郷に向かい、菊坂を左折して小石川植物園( http://www.bg.s.u-tokyo.ac.jp/ ) に向かいました。

ここは10年ぶりの再訪でしたが、桜は勿論のこと、永い間に蓄積された樹木・草花種の豊富さは圧倒的で、野趣に富んだ景色から日本庭園にいたるまで、もともとが徳川家の住まいでしたから、ロケーションも申し分なく、ご覧のようにピーターラビットが出てきそうな春の草花から、お見事な枝垂れ桜まで、云ってみれば『何でもあり』ですから、それ相応に時間を遊べるのであります。Img_6299

お茶屋さんに置かれた牡丹の花もお見事でありましたし、殺伐とした人混みもなく、園内は落ち着いた方々ばかりでしたから、私のぎんぎんの自転車ユニフォームには、けげんな眼差しを浴びせていました。

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2007年4月 2日 (月)

桜と新緑

Img_6217 桜の名所は数知れず、桜の色一色に埋まった素晴らしさは言うまでもありませんが、最近はこの画像のように、桜と新緑の按配の良さに惹かれます。

世田谷区を流れる丸子川を二子玉川から上野毛方面に向かっていきますと、一ヶ所だけ桜色と新緑色のコンビネーションが絶妙なところがあります。

この時期、和菓子の世界でも豊富な意匠が最も競い合う頃ですが、きっとこんな景色を見ながら職人さんたちは、創作に励んでいたのでしょう。日一日と変化してしまう自然界の色模様ですから、偶然に出会えたことに感謝する以外、何もありません。

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2007年4月 1日 (日)

Filofax 1984

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私のロングライフ商品の筆頭、ファイロファックスの手帳でありまImg_5465す。

1984年頃に、西武デパートで購入したものですが、20年以上を経てようやく革も馴染み今が最高の状態であります。この手帳に関しては、多くの逸話が誕生しましたが、今、それらは何処に行ってしまったのでしょうか。

友人にこの手帳のフリークスが居て、彼に教わったとうり、革の裁断面にボンドを塗っていましたので、形も崩れず今も現役なのでしょうか、その姿も自分で言うのも何ですが、 なかなか良い風合いが出ていると自己満足しています。

最近は、この手帳を頻繁に使用することは以前から比べれば、ずーっと減りましたが、それでも、アイディアを練ったり、企画書のチャート作りの際は、まだまだ、登場の機会はあります。しっかりと買い占めておいた当時のリフィールにも、イギリスらしいカスタムメィドの薫りも感じ、精度では日本製には及ばないものの、ブリティッシュ・フレィバー独特の手作り感のような趣はいまだ、健在なのであります。

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