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2007年5月31日 (木)

アメリア・イアハート

1932 今から70年前の1937年・5月21日、謎の遭難で消息を絶った女性飛行士、アメリア・イアハート     http://www.youtube.com/watch?v=N8mpARVUG74&mode=related&search   

http://www1.interq.or.jp/mmi/gui/ameria.htm の写真です。度胸と美貌を併せ持った稀代のヒーローとして今も人気が衰えていないばかりか、いまだに彼女の捜索を続けている人もいるようであります。

音楽の題材としても幅広いジャンルで採り上げられていますが、私はイアン・マシューズのアルバム『PLAIN SONG』で歌われている、アメリア・イアハートの曲  (http://www.amazon.com/gp/music/wma-pop-up/B0007YXPWO001006/104-3503057-0271159 )が一番のお気に入りであります。

Plainsong Music Plainsong

アーティスト:Plainsong
販売元:Water
発売日:2005/05/10
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年5月30日 (水)

朝霧高原・ブルーグラス三昧の日

Img_7065_1 Img_7067_1 Img_7069_1 ご報告がちょっと遅れましたが、26日から27日の二日間にかけて、朝霧高原のハートランドあさぎり中嶋酪農場で、ブルーグラス・フェスティバルが開かれました。昨年は、雨と嵐の惨憺たる状況の中で、やむを得ず急きょレストラン屋内にステージを作って開催され、演奏する連中は目の前の暖炉の照り返しと格闘しながらのフェスでしたが、今年はこれ以上はない!と言わんばかりの快晴・無風でありました。

私も昨年の堀内冬彦さん、フランコ・トラベルソさんの他、超絶マンドリンを弾く柴木健一さん・ブルースハーモニカの貴公子・田中宏禎さんも加わり、さらに楽器演奏の一曲だけは真鶴からその一曲のために駆けつける稀代のフィドラー、佐宗知自彦さんという豪華メンバーでFRONT LINEというバンドで演奏いたしました。

何しろ、ご機嫌な天気ですから土曜日もお昼過ぎにはお好きな方々が既にお見えになってまして、テントの設営に奔走していました。ブルーグラスという限られたジャンルの中で比較的カジュアルなフェスティバルの性格をもった朝霧高原には、新しい世代や、女性層を増えているようですが、何しろ参加する殆どが演奏者ですから、其処彼処で自然と始まるジャム・セッションにはいつもぞくぞくいたします。

Img_7100Img_7096私たちのキャビンは去年よりぐっとバージョンアップされて、寝場所もリビングもキッチンも段違いの清潔感に溢れていました。

  101_50 Img_7101初日は午後5時から午前1時頃まで、二日目は午前9時から午後3時頃まで、各バンドが入れ替わり、立ち代りでしたが、それでも去年よりバンド数は少なく、その分、演奏曲数は増え、楽しませてもらいました。クラシックなバンドからストリート系のバンドに至るまで、少しずつ、時代の風を受けつつ、この偏狭な音楽ジャンルにも変化の兆しがちらついてました。

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2007年5月29日 (火)

高輪の昭和残影

Img_5805  Img_5802Img_5801

品川プリンスホテル先を左に曲がると柘榴坂という自転車乗りにはきつい坂があります。上りきって右手に向かえば、そこは東京都心でも爽快な気分を味わえる「馬の背大地」の稜線を縦走する快適コースとなります。この稜線にある高輪2丁目あたりは、都心屈指の伝統的住宅地であるにも関わらず、江戸・明治・大正・昭和の時代の流れの薫りを其処彼処に散りばめながら、懐かしい気配がたっぷりであります。保安寺という古いお寺の境内に向かう坂の脇にも大正末期から昭和初期にかけて建てられたと推測される和洋の建物が並んでいます。出来た当時は全くのミスマッチとして近所の噂の種にもなったのでしょうが、永い年月を経て、今やすっかりよい感じでまとまっています。このタイプの建物も、すっかり観ることが難しくなってしまいましたが、もし見つけられたら、記録されておく事をお勧めいたします。Cgj

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2007年5月28日 (月)

舟町・セツモードセミナー付近

Img_6776Img_6777  先日どうしても曙橋にある讃岐のうどんが食べたくなって、出掛けました。犬も同伴でしたから、車を駐車してから、近辺を散歩していますと、ちょっと行ってみたくなる坂がございました。住吉町と靖国通りを隔てたちょっと裏道にあるこの坂、何となく引き寄せられて上っていくと其処にはあの1960年代から1970年代にかけたイラストブームの発信地となった『セツ・モードセミナー』が健在ではありませんか・・・。主宰の長沢節さんは既に他界されてますが建物は往時のままであります。平凡パンチにもよく登場したこの建物は当時ファッション雑誌にも頻繁に登場しましたから記憶によく残っていました。この日は人影もすくなかったのですが、どうやら今もセミナーは続けていられる様子です。

舟町と呼ばれている町名はおそらくこの崖地の底にある地勢から名づけられたのでしょうか?。この新宿区の東部には何故か管理番号的地名の多い東京23区のなかでも異質なほど旧町名が遺っていて、何方か知りませんが大人物が官僚の意見を無視して、守旧に徹したことは大快挙であります。

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2007年5月26日 (土)

1956年の日記より

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315b_04_1久我山の家の周りには旧家然とした農家が多く点在しており、この1956年(昭和31年)の頃は畑から匂ってくる堆肥の匂いが部屋中を席捲して、子供ながら「まいったなー」と思っていました。

そんな時代でしたから農家の生活スタイルは江戸・明治時代となんら変わらず、子供ながら好奇心を持たざるを得ない出来事が目白押しでありました。

この屋根の葺き替えは、その中でも印象的な思い出でした。後にも先にもこの時以降、一度も葺き替えをこの目で見ることなど、ありませんでしたから・・・。この農家にはよく遊びに行っては、炉辺で一日中自在鍵のもとで大きな鍋から湯気のでているのが不思議で、じーっと見ていました。農家はいつも開けっ放しで家には誰もいないし、庭には鶏・犬・猫が適当に動いているし、といった按配で自分の家とあまりにかけ離れた世界に興味を持てないわけがありませんでした。

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2007年5月25日 (金)

イギリス田園生活

209 写真:小瀧達郎

英国式生活の真骨頂は何といっても、余暇生活といいましょうか、至福のときを愉しむ環境に身をおいて、ただひたすら丸々一日、静かであることのありがたさを享受することが出来ることでしょうか・・・。

自転車を趣味というより、生きていく上での大事なパートナー化してしまった私などは、その性格からも云えるのでしょうが、ゆっくりすることなど、考えられず、むしろ、次々と新展開していく景色を車上から風を浴びて愉しむことを至上の価値と思い込んでいます。

それでも、自分の住まいの傍に、こんな美しい川があれば、それなりの、大人の趣味をもった、悠々と一日を愉しむタイプの人間になっていたことに違いなかったでしょう。小学校時代には裏に神田川が江戸時代と同じ姿で流れていましたが、崖の北側にあったために南の明るい印象というものが皆無で、暗く寂しい印象だけが記憶に残っています。この写真のように、一日中、光を浴びながら、ちょっとした食事の準備と釣り道具、そして水彩画材などを携えて出かける事ができるのならば、最高ですね・・・。

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2007年5月24日 (木)

昌平橋近辺

Img_6791 Img_6792  Img_6788昌平橋近辺で自転車待ちをしていますと、普段は此処近辺など気にしたこと等なかったのですが、よくこの橋近辺を見ているとそれなりに、変化の起きていたことが分かりました。関東大震災以前は日露戦争の英雄の銅像や広場などもあって、東京駅とほぼ同等の意匠の駅舎が建っていたそうですが今やそのひとかけらも見当たりません。この日もなにやら飲食店が開店した模様で、近くのサラリーマンも押しかけていました。

パリにもこれとそっくりな Viaduct des art と呼ばれるロケーションがあり、アート・クラフトを中心とした物販・工房の文化的商業街として再生しましたが、東京はますます勢いのついている秋葉原を後背に控え、やはり飲食以外には思いつかなかったようです。 Viaduc_des_arts_xlarge1 E

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2007年5月23日 (水)

ブルーグラスの空気だ!

Bluegrass1001 小森谷信治さんが1974年に出版された『Blue Ridge Mts Friendly Shadows』は、ブルーグラスミュージックの持つ、素朴さ・連帯感をみごとに撮り切った傑作な一冊です。今は既に故人となった演奏者・歌手も多く、その点からも貴重な資料的価値も大であります。

小森谷さんは大手出版社のカメラマンとして活躍しながら、寸暇を惜しんで、趣味のブルーグラス・ミュージックの世界を記録し続け、そのエネルギーは今もって衰えておりません。

毎年、朝霧高原や箱根・夕日の滝キャンプ場で開催されるブルーグラス・フェスティバルにも、その飄々とした風貌を伴って登場すると、周りの空気が柔らかくなるのです。

この写真も、ブルーグラス・ミュージックを愛する人でなければ決して撮ることなどない一枚でしょう。きっと人気バンドで、ステージを終えて次のフェスティバル会場になんとか間に合うように、雨で足場の悪い所を駆け上がって駐車場に向かっているのでしょうか・・・。

実は、これとは逆に、もっと急な坂を上らないとステージに出られないのが『箱根・ブルーグラスフェスティバル』なのであります。雨の確立が高い箱根では、ベースマンが苦心惨憺しながら山登りしている所を何度も目撃しました。そんなに苦労しても、聴きたい・演奏したい、のがこのブルーグラス・ミュージックの世界なのであります。

今年も8月末には箱根のフェスも始まりますが、その前、今月26日・27日には朝霧高原ブルーグラス・ピッキングパーティーが開催され、一年ぶりの再会を楽しみにしているオジサンたちで盛り上がるのでしょう。

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2007年5月22日 (火)

広重・山伏谷に風が吹く!

10b01  ズバリ!この風の表現方法を見てから、私の「広重追っかけ」が始まりました。

 私世代はその青春とともに、殆どをアメリカ・フランスの文化・風俗に洗脳され続け、ようやく40代に差し掛かった頃、妙なジャパネスク文化啓蒙が始まり、これにも洗脳されて、ようやく日本が世界に誇れる特異な文化をもっていることに気づき始めるのであります。

この美作(現在の岡山県・美作【みまさか】市)・山伏谷の一枚はその頃、神田の古書店で見てから虜となったものです。版画というフラットな画面に時間と奥行きを感じさせる見事な抽象表現でありますし、今日の劇画作家が競って広重の技法を真似たのもうなずける話であります。広重には黒線で表した雨の表現が有名でありますが、この版画には見る側が勝手に「雨になる直前の風だ!」などと想像してしまうほど、人間の感性に鋭く入り込んで来るものがあります。

『美作・山伏谷』、この版画に見られる風の表現は広重型という典型まで昇華したひとつの特許表現であります。

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2007年5月21日 (月)

BiCのボールペン!

Img_6569 Img_6571 探し物は忘れた頃、やってくるというのは、こういうことでしょうか!。ずーっと所在が分からず探していた私のお宝が、全く予想だにしない息子の参考書をまとめておいた場所から出てきました。

このボールペン、実はBiC製で、色はもっとあったのですが、欲しいというお方が続出して気前よく差し上げ、残ったものがこちらです。

今から13年前,表参道に事務所を構えていた頃に、眼と鼻ほどの距離にあっBEAMSで買ったものです。

この頃のBEAMSの雑貨は何故か、私の好みの波長とよく同調していて、安くてエスプリが効いていて、それで実用的といったアイテムが目白押しでしたから、ほぼ毎日、店に入っては物色していました。リピートのない商品がほとんどで、その多くはBEAMSのスタッフが海外に出張した折に、買って来た物ばかりでしたが、個人的感性・好みが生に出ていて楽しさがまともに伝わるようでした。やがてこの雑貨グループが雑誌に頻繁に採り上げられ、BEAMSの呼び物となっていったのです。

このボールペンも確か15色ほどあったかと思いますが、ぺなぺなのスチロール樹脂のパッケージに入り、いかにもフランス的なチープシックな洒落た趣でありました。残念ながら、この本体にフィットしたリフィールが国内に存在せず、今や宝の持ち腐れでありますが、なんともいえぬこの色調に魅かれ保管してありました。10年ほど経っての再会でありますが、この色調には感心するのみであります。あのBiCのライターとも違う色相を展開しているところなどが、頭を使っている証拠でもあり、フランス人らしいこだわりとでもいえましょうか・・・。

Img_3094クリップの処理などはいかにもフランス的で、考え抜いた末のいい加減さといいましょうか、ペン軸を本体から出すのにツークッション必要で、使い勝手に完璧を好むドイツ・日本とはちょっと違う感性が嬉しいのであります。この部分の型抜き処理などは1960年代の自転車変速機の名機・ Huret社のALLVITにも共通している何かがあるようにも見えます。

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2007年5月20日 (日)

藤森照信が全開!!!

Img_6824Img_6819 先日見学した清春芸術村で見た、茶室『徹』の創案者にして建築家・藤森照信さんの展覧会が7月1日まで、東京オペラシティー・アートギャラリーで開催されています (http://www.operacity.jp/ag/exh82/ )。私が出かけた日は丁度朝日新聞に、この展覧会の概要が掲載されたこともあって、普段このタイプの展覧会に足を運びそうもない中高年の方々が大挙していました。さて、この展覧会は昨年イタリアで開催され、大いに話題となった「ヴェネチア・ビエンナーレ建築展」の中の『藤森照信と路上観察:誰も知らない日本の建築と都市』とほぼ同じ内容のもので、私も待ちに待っていた展覧会であります。

私が藤森さんの存在を知ったのは、路上観察学会という名前からして面白そうなグループが設立された1986年頃ですから、ずいぶん昔の話で、そのメンバーは赤瀬川原平さんを筆頭に新しいアカデミズムを創出しようとする野心と遊び心にあふれた面々で占められています。「トマソン」をはじめとする、斬新な切り口で都市の生産と生活の隙間を紡ぐ一連の考現学的調査活動は、その後、千利休の侘び寂びとの共通点を発見して茶道の本質を辛辣に見抜き、現在の緩みきった組織・家元制度としての茶道界を一刀両断にしました。なにしろこのグループの確信犯としての異端でありながら普遍性のある社会批判を含んだ行動と発言は、各学会・教育界にも隠れファンが多く、ある大物をして、日本が世界に誇れる唯一の集団であるとまで言わしめています。

会場構成も藤森さんを棟梁に、路上観察学会の面々が手弁当・手作りで作りましたから、至る所、妥協の微塵もない潔癖性が表れているのですが、表現が飄々としていますから、とにかく和み、癒されるのであります。どの建築作品にも風土性がよく表れ、まさに今の時代の大潮流である、あるべき環境循環社会の核心と具体物が隠し味となっているようです。

Img_6996Img_6975Img_7000Img_7002この展覧会は、上記の路上観察学会の活動も包括的に紹介されていますが、メインは藤森さんの建築作品であります。時代の後押しを受けて、形式にとらわれない独創的アバンギャルド性・ヴァナキューラ性・インターナショナル性がお互い上手く響き合って、藤森さん独自の世界が会場に 展開されています。また、建築ツアーやワークショップも開催されるようですから、一介の建築展に終わらず、楽しんでもらおうとするサービス精神が盛りだくさんであります。

  帰りに購入したカタログも展覧会同様おみごとなもので、箱に入った冊子や建材をサンプリングした標本までもが、博物学的アプローチに徹していました。

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2007年5月19日 (土)

スイスの温泉ポスター

101_40 スイス最高のミネラル温泉・バーデンの観光ポスター(1943)です。この時代のスイスのポスターはいつ見ても感心するのですが、今の観光ポスターのように協賛団体・企業の名も見当たらず、ひとえに美しいポスターを目指している姿勢がこの一枚を見ても分かります。

この絵を描いたカリジェは世界を代表する絵本作家として「ウルグスの鈴」をはじめスイスの片田舎の風土と民衆の暮らしを土台として多くの名作を私たちに遺してくれました。ですから、温泉町のポスター一枚とっても詩情あふれんばかりの品位に満ちた出来上がりとなっています。これまで多くのスイス観光ポスターをこのブログを通してご紹介してまいりましたが、その中で、最も絵画性の高い秀作といえるでしょう。温泉と思われる部分を黒で静寂感を表現していて、どこにも温泉客の誘致を訴えていません。逆に豊かで叙情溢れる場所であることを印象づけています。こういうみごとでおとなの国家だからこそ成しえるポスター一枚を見ると、昨今のブランディング流行りの日本企業・観光地の、商売っ気たっぷりが見え隠れするグラフィックには正直いって食傷気味であります。「美しい日本」はいつごろからよみがえるのでしょう。

カリジェ:http://www.carigiet.net/

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2007年5月18日 (金)

ヤン・チヒョルトの仕事

022804280128  私は絵やイラストレーション・写真も好きでありますが、その一方、活字の持つ美しさにもとりとめのない憧れをもつ一人であります。神田の古書店街を散策していても、タイポグラフィーの美しさに眼が眩んでしまい、買ったものの家に帰って冷静に眺めれば、大失敗などということも、これまで何度かありました。

最近は、デザインに直接携わることよりも、デザインを決定していくプロセスの監修・指示が増えてしまい、自分で手を下せないもどかしさが、ただでさえせっかちなこの性格により拍車を掛けているようで、周りからは、一層せっかち度数が上がったなどと笑われています。そんな時期に神田で買った「アイデア」誌がヤン・チヒョルトさんの丸ごと一冊大特集でした。雑誌を買い込む事では、かなり病気モードに突入していると自覚していますが、この雑誌はずばり!完璧な出来栄えです。1970年代から今までのデザインに関する本の中でも群を抜いたまとまりといえるでしょう。日頃、お気楽なパソコンでインスタント食品を調理するがごとく、デザインが消費されていますが、この雑誌を見て、久しぶりに、人間の構想力と職人芸の二極を同時に愉しませてもらいました。

K19990909021 ヤン・チヒョルト
Tschichold, Ivan (Jan)
ドイツ 1902-1974
タイポグラファー、エディトリアルデザイナー


ライプチヒで看板のレタリング職人の息子であったチヒョルトは天性の活字に対する洞察力を備えていた。1914年、ライプチヒで「BUGRA」(グラフィックアート国際博覧会)が開かれ、チヒョルトはここに教育の基礎を置くこととなる。
1916年から1919年までライプチヒの教員養成大学に通う。1919年以降グラフィック・デザインの仕事、フリーのタイポグラファー、カリグラファーとして働きながらさらに勉学を続けた。1921年からドレスデンの工芸美術学校で働く。のちにライプチヒ・アカデミーの夜間レタリングクラスの助手に指名される。1923年ライプチヒとワイマールのバウハウス第1回展覧会を訪れ、そこに展示してあったリシツキー、マレーヴィッチ、モホイ=ナジの作品に共感を抱く。1925年、ライプチヒで彼の「タイポグラフィの原理」が「タイポグラフィ通信」の増刊号として出版される。1926年ミュンヘンの印刷職人学校に招かれ、活字印刷とカリグラフィーを教えた。1928年、チヒョルトの最初の著書「ノイエ・ティポグラフィ」がベルリンで出版。これはチヒョルトのタイポグラフィにおける理論と哲学を著したものである。1929年フランツ・ローとともに、リシツキーのデザインによる写真集「写真の眼」を出版。1935年、ロンドンの出版社ルンド・ハンフリーで活版職工の活版印刷展覧会を開催。1935年「タイポグラフィの形成」を出版。1947年から1949年、ロンドンのペンギン・ブックスのタイポグラファーとなる。1949年、ロンドンの「ダブル・クラウン・クラブ」の名誉会長に選出される。1955年から1967年、バーゼル製薬のフィルムの活字印刷アドバイザーを務める。1964年から、タイプフェース「サボン」のデザインを始める。彼の残したブックデザインや主張したアンシンメトリー・タイポグラフィは今日なおグラフィック・デザインに影響を与えている。

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2007年5月17日 (木)

平凡パンチがバイブル!

01_30 平凡パンチが発売された1964年頃、同世代の輩は大橋歩さんが描くクレパスのイラストレーションに新しい風を感じ、VAN Jacketの掲載商品にアイビーを感じ、音楽・エッセィにも健康的なヤング・ジェネレーションの新しい風が吹き始めたことを察知していました。

といってもひとクラス45人というすし詰め状態のクラスでも、新しい風に眼を向ける者はせいぜい3人から4人程度でして、大多数は守旧派の正統派でありました。それでも徐々に平凡パンチの影響は男子でいえば普通のカッターシャツに代わって、ボタンダゥンシャツにと少しずつ浸透していきました。

1964年、東京オリンピックの年にはぱっと咲いてぱっと散ったあのみゆき族のような風俗もありましたが、フォークソング・モータースポーツの大ブームが、又さらに平凡パンチの追い風となりました。今はたまに本屋で最近のメンズマガジンをめくって見ますが、とりたてて読むものもなく立ち読みで充分であります。一時代ではありましたが、一冊の週刊誌が全国のある世代を虜にして、その生活全般の感性を取り仕切ってしまった平凡パンチは、今でも親父の集まりとなると何処からともなく話題が浮き上が来るほどの、神通力が際立っています。

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2007年5月16日 (水)

偶然出合った狛犬なのですが!

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Img_6771芝・増上寺から東京タワー近辺は、山あり谷ありの多い港区の中でも比較的開放感のある場所ですからたまに早朝の単独サイクル・ロードを楽しむときはよく通る地域なのですが、この道だけは今回初めて通りました。東京タワーを左に見て飯倉に下る前の信号を右折すると何となく江戸の名残が多少感じる界隈となります。江戸明治東京重ね地図で検証しますと、江戸時代と道の姿が殆ど変わらず、その昔はなかなかの桜の名所でもあったようです。

そのまま道なりに進むと右手にパワー全開の狛犬がこちらを向いていました。神社の名は幸稲荷神社と云い、それほど昔から此処にあったわけではない事が、重ね地図からして明白であります。しかしながら、この狛犬の風貌が力強く素晴らしい出来栄えですから、失礼とは思いつつ撮影してしまいました。私の親戚縁者には神社関係の者が多いので、お稲荷さんは気を付けないと崇りが怖いなどとよく聞かされていましたから、私としてはかなりのハイリスクなのであります。道の向かいは水道局ですから、当初、此処は水神様かな・・・などと思ったのですが、全く関係ないようです。この辺りの増上寺に関係する曰く因縁などもあるのでしょうが、崇りを怖れ、あまり踏み込まないことにしました。Cxp7

Bro 幸稲荷神社 応永元年(1394)武藏国豊多摩郡岸之村(現在の芝公園十号地あたり)の鎮守として創祀される。当初は岸之稲荷と称したが、氏子崇敬者に幸事多く現社名に改称された。境内にある御祠石(御福良石)に水をかけて祈ればいかなる熱病も癒えると伝える。

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2007年5月15日 (火)

ブルーダニューブの珈琲カップ

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この食器は、日本の陶磁器技術の最高レベルを維持しながら、すでに50年以上も作り続けられている『ブルーダニューブ』というシリーズの中の珈琲カップです。去年、あるバザールで購入したものです。

実は50年ほど前から、家にもこのカップがあったのですが、さすがに50年近く経ちますと、欠けたところも多く、思い切って買い換えたのです。この藍色の深みが何ともいえない上品さを与えてくれ、私はほぼ毎朝この器で珈琲をいただきます。他にもプレート・ボゥル・卓上用品など商品アイテムがふんだんにあり、国産品ながらその需要は全世界に広がり、今や日本の誇るマスターピースのひとつと云っても良いでしょう。お皿は一通り揃えましたが、和食にも洋食にも合うアイテム構成、程良い装飾デザインはなかなかの優れものです。元のデザインはドイツのブルーオニオンでしょうから、かなり当初は海外において顰蹙(ひんしゅく)をかったに違いないのでしょうが、そこは日本のお家芸!あっという間にオリジナルを超え、その価格のお手頃感とは裏腹に高質で丈夫な世界の日常品となりました。その磁器の白さはみごとなもので、朝陽に眩しいほどです。

ブルーダニューブ(Blue Danube)は「日本のブルーオニオン」として、今から50年ほど前に創業された陶磁器ブランド。

マイセン・フッチェンロィター・カールスバードと並ぶ、世界4大ブルーオニオンの最後、第4番目のブルーオニオン。日本での知名度より、アメリカなど海外での知名度のほうが高いといわれる。

ブルーダニューブは、日本古来の染付技法によって「ブルーオニオン」を造る信念のもと、美濃陶磁器伝統の技術を徹底した、自社のこだわりにより造られる「ジャパニーズ・ブルーオニオン」である。この日本古来の染付技法は世界4大ブルーオニオンの中でも、特に濃い青色を放つ。

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2007年5月14日 (月)

清春芸術村にありました!

Img_6849Img_6871 Img_6833_1 Img_6841_1 Img_6857_1先 日、とある大学の同窓会が主催する美術館巡りに、どうしてもお付き合いしなくてはならない羽目となって、山梨県長坂にある清春芸術村 (http://www.kiyoharu-art.com/ )に行ってまいりました。ここは銀座の老舗画廊・吉井画廊の吉井長三氏が構想した美術館と制作アトリエ、ルオーの作品に囲まれた協会、それと梅原龍三郎さんのアトリエなどが移築されている所であります。

予備知識もなにも持たずに同行したのですが、この日ご一行の目的はここで開催されているルオー展の見学なのです。しかし正面入口を入って私の目に最初に飛び込んでしまったのが、正しく藤森照信氏の設計による茶室『徹』であります。この清春芸術村は廃校となった清春小学校の跡地に作られたものですから、昔の小学校に付き物のソメイヨシノも樹齢80年をゆうに超えとものもあり、その桜を絶景として楽しめる絶対位置に立っているこの茶室と出合ったことこそ、私の予期せぬ驚きでした。藤森さんが、建築学会で成果を上げつつも、路上観察学会の面々に刺激されつつ独自の視点で開眼した建築作品には、クチコミを通して多くの本物セレブも注目し、この茶室も独自性では天下無二ですから、一気に藤森ファンが増殖したようです。現在、東京オペラシティーのアートギャラリーで開かれている「第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展帰国展・藤森建築と路上観察」 http://www.operacity.jp/ag/exh82/も、これまでにないコンセプトの内容で集客を呼んでいるそうですし、銀座・メゾンエルメス8階フォーラムでも6月10日まで藤森さんの茶室展が開かれています。http://www.j-wave.co.jp/blog/hermes/ http://www.kanshin.com/keyword/1113701  

Img_6870Img_686801_33この日はありがたいことに昼食の前にこの茶室に上ることが出来、私は当然ですが、ご一行の女性群もスカートの乱れも気にすることなく、全くの子供に帰ったようにわれ先状態となりました。 この茶室は対角線を強調したスペースが遠近法効果で予想外の広さを感じ、窓のガラスはステンドグラスの素材を利用しているので外光が適度に分散し、外の景色も窓を全開しない限りフィルターを掛けたようなボケ状態で何とも云えぬ柔らかい明るさが室内に広がります。

藤森さんの建築作品の資料を見ても此処から見えるさくらは間違いなく絶景ですからら、来年、都合がつけば是非再訪したいと思いました。

勿論、ルオー展も日本初公開が含まれ、その宗教的モチーフの格調に本物でなければ味わえない力を感じました。

LA PARETTEというレストランでは美味しいフランス料理を味わい、前日の雨と風のおかげで雲ひとつない天下一品の快晴となって、甲斐駒ケ岳をはじめ南アルプスの絶景がパノラマとなって目にも眩しいひと時を堪能しました。

江戸明治東京重ね地図
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2007年5月13日 (日)

神田祭り・神幸祭

Img_6950_1 Img_6944_1 Img_6947 Img_6941_1 Img_6931_1神田祭りの神幸祭ともなれば、早朝より準備して出かけるのが私の毎年の楽しみでありますが、今年はサイクル・フレンドの梶原さんを誘って朝7時25分駒沢をスタート、どういうわけかやたら混んでいる玉川通りを避け、三軒茶屋の裏道から下北沢経由で東大裏から表参道を抜け、朝日の神々しさを浴びるために、権田原から四谷に上がり、また抜け道を通り千鳥ヶ淵から靖国通りに出て、一気に神田明神に直行。終始、かなりのフルスピードで飛ばしましたから45分丁度で到着しました。境内はもう既に多くのお祭りのお好きな方々で溢れかえり、神事も終わり、いよいよ鳶頭連によるぞくっとするほど美しい木遣が始まりました。どこかラルフ・スタンレーの歌唱法と似たところが嬉しいのでありますが、今日は朝からの日本晴れでもあり、その独特のハーモニーと想定外のキー(音階)の高さが境内に直球のように響き渡りました。8時30分には木遣を唄いながら祭礼行列が神田明神を出発し、一ノ宮・二ノ宮・三ノ宮の神輿巡行を中心にこの日の長い一日が始まりました。神田明神の神幸祭は、一日掛かりの祭礼行列巡行という大催事ですから、もう千代田区・中央区の各町内会もこの日のために朝から神輿を飾って、お神酒も入って盛り上がっていました。

Img_6952 梶原さんもこのような江戸風情三昧は初めてのようで、ご自身がお好きな京都とは違う江戸っ子気質に酔いしれていました。間もなくロンドンに永住予定という梶原さんにとっても、よき日本の薫りをさんざん享受された一日だったようでありますから、私も少しはお役に立てたのかも知れません。

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2007年5月12日 (土)

三越も神田祭りに変身

Img_6816Img_6812   Img_6818今日は神田祭の神幸祭の日となりましたが、さすが神田明神の御利益は江戸時代から今日まで連綿とした、ありがたさを継続しているようで、千代田区・中央区の伝統的生活を営む皆さんは先月中頃から下準備に奔走していました。一昨日は日本橋・三越の正面玄関にこのようなみごとな神様を迎え入れる準備も万端整って、日曜日の宮入の受け入れ態勢も完全であります。偶然目にした光景でありますが、地元の人にとって当たり前の姿でも、私のような外様人間にとっては、さすが大三越の大店としてのプライドがなせる技と意匠の格調がふんだんに薫っていました。

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2007年5月11日 (金)

瀬田あれこれ

Img_6755 Img_6753自宅のある駒沢から多摩川に自転車で抜けるのには、そのまま玉川通りを直進すればよいのですが、それは自動車の発想であって、自転車の楽しみとしては寄り道・回り道・戻り道があるわけですから、目的地までの紆余曲折こそが醍醐味でもあるのです。

私は自動車のハンドルを握ると、かなりのスピード狂に属すタイプの人間ですが、こと自転車に関しては相当な徘徊主義者でありますから、ついつい脇道にわざわざ入って未体験ゾーンに突入したいという願望癖があります。何方かとご一緒の時はなかなかそうは行きませんが、単独走の時はうろつきながら徘徊するのが、環境探偵気分満点であります。

この日も玉川に向かう途中で瀬田方面に抜けて、久しぶりの自然環境の有り難味を味わいました。瀬田町は玉川通りを境に南北に分断されてしまい、町民の交流は祭り以外になくなってしまいましたから日中はたいへん静かな住宅街です。外国人子弟の学校・由緒ある寺院・著名人の住まい・昔からの急坂などが巧く絡み合って独特の重厚さと明るさが織りあっています。 また夏ともなれ強烈な蝉の鳴き声が響き、天然の薫りが充満する場所でもあります。此処もやはり国分寺崖線の上にありますから、縄文・弥生時代の遺跡も多く、また戦前からの別荘地としての風光明媚さは今も此処彼処に残っていて、俄か作りの町にはない正統性がうれしいのであります。

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2007年5月10日 (木)

これがデュフィー?

Dufy17 暖かい南フランスの気持ちよい生活を描くだけかと思っていたデュフィーですが、こんな絵も描いています。刷り込みにある、デュフィーのイメージとは全く違ったモチーフと色感でまとめられたこの絵は何かまるでルソーの絵のようであり、スリラー映画の舞台にもなりそうなドラマチックな印象が描きなぐった空から伝わってまいります。

フレンチ・トリコロール(赤・白・青)をキーカラーとして頻繁に用いていたデュフィーですが、こちらは、うって変わりブリティッシュ・グリーンがテーマ・カラーそのものです。重苦しくなりがちなこのモチーフを軽くしているのは、いうまでもなく、奥の建物のさらっと描いた窓枠に他なりません。

やはり、デュフィーらしい「品格の高い軽さ」はここでも健在でありました。

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2007年5月 8日 (火)

エレガントなスパイス・ミル!

Img_5379Img_5378自転車に関係する消耗品にばかり、興味の対象が移り、ちょっとした生活を愉しむ分野まで見て回る時間もなかったのですが、昨日銀座を歩いていて、思わず衝動買いしてしまったのが、このスパイス・ミルです。

キッチンで使う背の高いものもあるのですが、テーブルでちょっと使うのに、具合よさそうな大きさとその素材バランスにグッと来てしまいました。イタリア製のようですから、きっと、食べることが大好きな建築家あたりが、誰の指図もされずに自由に愉しんだ結果、出来上がったのではないかと推測してしまいたくなるほどの豊かな表現力にあふれています。たかだか9センチほどの高さですが、バーズアイ・アッシュ・メタルの自然素材と金属との相性も抜群なセンスで、近年にない掌の大きさの嬉しい買い物でありました。 

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2007年5月 7日 (月)

1956年・私の日記

304_04_1 今では土がむき出しになっているような場所さえ、見つけることも困難なほど、日常の生活環境の整備の普及には感心いたします。

51年ほど前は、どこも土だらけで一歩外に出れば、この季節ですと日陰は霜柱ばかりで、やたら地表が盛り上がっていました。私の家は北側の崖下を神田川が流れていましたから、冬場ともなると北風がまともにぶつかり、おまけに家の北側には塀もありませんでしたから、その冷たさといったら、並大抵のものでは、ありませんでした。

父のアトリエは、北側にありましたから、だるまストーブに石炭と木っ端をひっきりなしにやっている音が家中に聞こえていました。アトリエは採光のためにガラス張りでしたから一層よく冷えたのでしょう。

スコッチテリアのピス・秋田犬のたろう、二匹とも冬を楽しめるDNAが濃いのか、冬の庭遊びが大好きで、霜柱で盛り上がってしまった芝生を掘り出したりと悪戯三昧でしたが、私は庭で野球もすることが出来ずに、ひたすら、春を待つのみでありました。それでも、霜柱を通して見える光の輝きが宝石のようで、そのブルーを含んだ独特の色味は今でも鮮明に覚えています。

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2007年5月 6日 (日)

アメリカン・ファーマシーの薫りがする!

Img_5235 Img_5237 Img_5239 丸の内・中央通りを入ってすぐにあったアメリカン・ファーマシーがドラッグストアの店舗ながら、そこに置かれた商品が未だ見ることのない憧れのアメリカ生活文化を私世代に運んでくれたのは40年以上も前の話であります。まだ十代の私も銀座の山野楽器で、当時高価だったカントリー・フォークの輸入LPレコードを父に願って買ってもらいました。その後はいつも決まってアメリカンファーマシーに寄っていくのが1960年代半ばのちょっとませた高校生の決まりコースでした。真鍮のドアノブを回して店内に入ると、何ともいえないアメリカの薫りが刺激的でありました。大人向けのちょっと艶っぽい雑誌に目線をそらしながらも、第一のお目当てはHainsのトレーナーやT・Shirtsで、そのビニールの袋さえも当時はお宝でしたから、今から思えばずいぶんと子どもっぽかったので、あります。

その頃買ったJohnson&Johnsonの絆創膏や医療用のテープにも、アメリカのグラフィックのソリッド・シンプルなテーストがたっぷりで、これも人気者でありました。第二次世界大戦を通して、その品質と機能性に磨きをかけて進化したこれらのアイテムも、当時のノー天気な高校生には単なるかっこいい雑貨でしかなく、このノンポリ性格は今日までまったく改心もせず、至っております。保存も良かったのですが、40年以上経ってもその存在感が堂々としていますし、何といっても色褪せていないその原色が嬉しいではありませんか。

 さて、1950年代の半ばまで銀座の街角では夜ともなれば、露店が並んでアセチレンガスの光がその独特の臭いとともに、妖しげな雰囲気をつくっていました。その頃、父と一緒に出かけた銀座の夜の光景は素晴らしい老舗の店よりもこの露店の妖しさの方が印象深く残っています。露店に並んでいたのは、日比谷三信ビルあたりから横流しされたと思われる、紛れも無いMADE IN U.S.Aが大半を占め、そのカラフルなアルファベットのロゴはお菓子から日用品まで、今でもしっかりと眼に焼きついています。

・・・で、この刷り込みがあったからこそ、いまだにアメリカン・テーストが好きな単純人間となってしまったのであります・・・。

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2007年5月 5日 (土)

筑波8時間耐久・自転車レース

Img_6720 Img_6727 Img_6730 5月3日は毎年恒例の筑波8時間耐久レースが茨城県・筑波サーキットにおいて、開催されました。普段は、のんびりと東京都心を自転車徘徊している私でも参加できる、今や全国から走り好きな皆さんが大挙して押しかけるレースです。朝4時過ぎに自宅を出発、6時すぎには開場にて出場登録手続きを済ませ、スタートの10時まで、のんびりと過ごすのであります。しかし、どの世界にもいる『お好きな方々』がこの時間を使って自転車の薀蓄について語ったり、最新メカ・最新素材の自転車をおもちの自慢大会などが各所で展開され、見ようによっては、展示会よりも乗り手のノウハウなどが公開されますから、楽しいひと時であります。

この筑波サーキットは自動車専用レース場ですから、コーナーのバンクをスピードを落とさずに周れますし、一周2キロ強のコースでもフルスピードで周回しますから疲労度も半端でなく、後半はガクッと来るのです。また、チームの中には玄人はだしの料理好きの方が作ったイタリアン・グルメありと、この日を目一杯充実した一日にするため、各人が趣向を凝らす、楽しい集いの日でもあります。

来年あたりは、走ることよりも美味しいワインと食事にずーっと浸っていたいと感じた、一日でありました。

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2007年5月 4日 (金)

CURLY SECKLER爺さん頑張る!

01_32 カーリーセックラー爺さんのCD『Bluegrass,Don't You Know』http://www.curlyseckler.net/store.htmがBMO Serviceから届きました。

今年88歳の米寿を迎えますが、益々の老獪ぶりを発揮してあっという間に復活してしまったこのお爺さんこそ、Lester Flatt&Earl Scruggs率いるFoggy Mountain Boysのテナーボーカルで通を唸らせた、バイプレーヤーなのです。この方のとても男の声とは思えないような高音があったからこそ、今日までいぶし銀のような名曲が多く生まれ、ブルーグラス界の頂点を極めたバンドの影の功労者といえると思います。前作、『Down In Caroline』と比較すれば、若干の落ち着きとリラックス感が加算された出来上がりですが、それでも独特のスリル感たっぷりなメロディーラインの組み立てには、他の歌手が到達できない巧みの技と感情表現があって、おまけに支える達人ばかりのバック・ミュージシャンが、尊敬の念を含んで演奏する姿がみえるようです。春先の優しい季節にはうってつけの、長閑さとブルーグラス・スピリッツに溢れた一枚であります。

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2007年5月 2日 (水)

広重・赤坂の旅籠模様

101_49 広重が描く風俗版画の中でも、旅籠での寛いでいる場面はリアリズムに満ちていて、観る者の想像力が豊かでないと隅々の細部に至るまでの細かい情景描写を読み取る事が出来ません。

江戸時代の庶民にとって伊勢神宮詣りが生涯の夢であった頃の版画ですから、一日中歩いて辿り着いた旅人の安堵感がうかがえるようです。往く人・帰る人が入り混じって丁度、情報交換などで宴たけなわといったところでしょうか・・・。右手のお姐さんも準備万端整えてこれからご出勤のタイミングです。広重は時間のずれを巧みに測って観る側にストーリーを読み取らせるといった点でもなかなかの監督センスに満ちた絵師なのです・・・。

「赤坂」は現在の御油宿から名古屋方面に2キロ程向かった場所で、今も僅かながら旅籠が保存されているようです。http://youjirouwalk.arrow.jp/toukai_walk/37akasaka/akasaka.htm

旧東海道の旅』より  赤坂は小さな宿場だが,良く町並みが保存されていて,旧東海道の紹介に使われる ことが多い.
中でも宿場の中間あたりにある「大橋屋」さんは今も旅籠の営業をしている東海道 でも大変珍しいところだ.しばしばTV番組にも取り上げられる場所だ.
通りかかりに「大橋屋」さんの提灯が見つかったので,ちょっと中を覗いて見たが 営業している気配はなかった.普段はこんな状態で,本格的に営業している分けでは なさそうだった.
土間に素朴なお土産物を並べているのが目についた.
「大橋屋」さんの建物は正徳五~六年(1715~1716) 頃に建てられた古いものだ そうだ.音羽町の指定文化財に指定されている.
もっとあちこちを探索し,ゆっくりしたい町並みだったが,既に少し陽が陰り はじめていた. 先を急ぐことにして, 早々に赤坂宿を出た.

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2007年5月 1日 (火)

1936年・六本木から品川へ

193621 写真:師岡宏次

1936年といえば2・26事件の起きた年ですが、この事件に深く関わった近衛師団・麻布三連隊(兵舎は現・国立新美術館になっています)が満州に左遷され、六本木から品川駅を行進している様子です。戦前の日本では法を犯した者には激戦地などに召集される確率が一般人よりも圧倒的に高いという事実があったようで、この写真も見せしめなのか、華やかな行軍なのか分かりませんが、ひとつの時代の貴重な写真です。遠くで見送る学生は背丈からして中学生位の年恰好でしょうか・・・。きちんと整列した姿は歴史の残酷さとは別に美しい景観を作っています。今やこのような整列の美しい行事などなく、勝手に腰から落ちそうなズボンを穿いている輩が跋扈しているこの国ですが、人の品格も街並みには欠かせないものですね・・・。

2.26事件とは http://www.ffortune.net/social/history/nihon-mei/226.htm

昭和を歩く・2.26事件を巡る http://www.tokyo-kurenaidan.com/showa2.htm

 

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