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2007年5月18日 (金)

ヤン・チヒョルトの仕事

022804280128  私は絵やイラストレーション・写真も好きでありますが、その一方、活字の持つ美しさにもとりとめのない憧れをもつ一人であります。神田の古書店街を散策していても、タイポグラフィーの美しさに眼が眩んでしまい、買ったものの家に帰って冷静に眺めれば、大失敗などということも、これまで何度かありました。

最近は、デザインに直接携わることよりも、デザインを決定していくプロセスの監修・指示が増えてしまい、自分で手を下せないもどかしさが、ただでさえせっかちなこの性格により拍車を掛けているようで、周りからは、一層せっかち度数が上がったなどと笑われています。そんな時期に神田で買った「アイデア」誌がヤン・チヒョルトさんの丸ごと一冊大特集でした。雑誌を買い込む事では、かなり病気モードに突入していると自覚していますが、この雑誌はずばり!完璧な出来栄えです。1970年代から今までのデザインに関する本の中でも群を抜いたまとまりといえるでしょう。日頃、お気楽なパソコンでインスタント食品を調理するがごとく、デザインが消費されていますが、この雑誌を見て、久しぶりに、人間の構想力と職人芸の二極を同時に愉しませてもらいました。

K19990909021 ヤン・チヒョルト
Tschichold, Ivan (Jan)
ドイツ 1902-1974
タイポグラファー、エディトリアルデザイナー


ライプチヒで看板のレタリング職人の息子であったチヒョルトは天性の活字に対する洞察力を備えていた。1914年、ライプチヒで「BUGRA」(グラフィックアート国際博覧会)が開かれ、チヒョルトはここに教育の基礎を置くこととなる。
1916年から1919年までライプチヒの教員養成大学に通う。1919年以降グラフィック・デザインの仕事、フリーのタイポグラファー、カリグラファーとして働きながらさらに勉学を続けた。1921年からドレスデンの工芸美術学校で働く。のちにライプチヒ・アカデミーの夜間レタリングクラスの助手に指名される。1923年ライプチヒとワイマールのバウハウス第1回展覧会を訪れ、そこに展示してあったリシツキー、マレーヴィッチ、モホイ=ナジの作品に共感を抱く。1925年、ライプチヒで彼の「タイポグラフィの原理」が「タイポグラフィ通信」の増刊号として出版される。1926年ミュンヘンの印刷職人学校に招かれ、活字印刷とカリグラフィーを教えた。1928年、チヒョルトの最初の著書「ノイエ・ティポグラフィ」がベルリンで出版。これはチヒョルトのタイポグラフィにおける理論と哲学を著したものである。1929年フランツ・ローとともに、リシツキーのデザインによる写真集「写真の眼」を出版。1935年、ロンドンの出版社ルンド・ハンフリーで活版職工の活版印刷展覧会を開催。1935年「タイポグラフィの形成」を出版。1947年から1949年、ロンドンのペンギン・ブックスのタイポグラファーとなる。1949年、ロンドンの「ダブル・クラウン・クラブ」の名誉会長に選出される。1955年から1967年、バーゼル製薬のフィルムの活字印刷アドバイザーを務める。1964年から、タイプフェース「サボン」のデザインを始める。彼の残したブックデザインや主張したアンシンメトリー・タイポグラフィは今日なおグラフィック・デザインに影響を与えている。

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