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2007年8月27日 (月)

1907・パリ北京間自動車レース凱旋

1907_1 1907年 http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1907.html(明治40年)、パリと北京間の自動車レースで優勝したイタリアのボルゲーゼ公爵がパリを凱旋している様子であります。

今では世界最高峰の自転車レース、Tour de France位しかフランスとスポーツとの関連を思いつきませんが、この時代はやたらとパリを起点としたレースが頻繁に行われていたようであります。この自動車レースは後にエポック・メーキングな事象が多く含まれていて、あのルイ・ヴィトンが初めて参加したスポーツレースでいわゆる「ルイヴイトン・クラシック」の原点でもありましたし、大手タイヤメーカーのPIRELLI社もこのレースで優勝した車にタイヤを供給し、その後の不動の位置を築く礎となったのであります。

いまだ車のレースは大変なコストが掛かり、生半可では出来ない世界でありますし、今でも大手自動車メーカー以外は、宣伝媒体としてのステータスもあるものの、一部優雅な人たちのお遊びの要素も残されていますが、この写真はその優雅さという点においては、魁の記録であります。

この時代の自動車レースに関わるサイト

http://www.jama.or.jp/lib/jamagazine/200605/01.html 

http://rosepink.milkcafe.to/story.html

ピレリ社の歴史  1872年の創業以来、100年以上にわたるピレリタイヤの歴史は自動車そのものの歴史でもあります。ピレリは、1890年に自転車用タイヤ"ティポ・ミラノ"を発表、そして1901年には初期の乗用車のいくつかのモデルに装着されていた"エルコーレ"を発表しています。 ピレリの自動車レースでの初勝利は1907年の北京―パリでした。この勝利がピレリの二輪、四輪のレースにおける長い伝統の始まりとなりました。そしてその伝統は、ヌボラーリ、アスカリやファンジオなどによって築かれて行きました。優れた技術と革新的な製品を世に送り出し続けた1世紀の間に、製品は戦前におけるワイドシリーズのステラビアンカから超扁平タイヤのチンチュラートラジアルへと変遷して行きます。そしてその間、ピレリの国際化は、ヨーロッパから南アメリカ、そしてアメリカ、中国、東ヨーロッパへと拡大して行きました。1872年の創業以来、100年以上にわたるピレリタイヤの歴史は自動車そのものの歴史でもあります。ピレリは、1890年に自転車用タイヤ"ティポ・ミラノ"を発表、そして1901年には初期の乗用車のいくつかのモデルに装着されていた"エルコーレ"を発表しています。 ピレリの自動車レースでの初勝利は1907年の北京―パリでした。この勝利がピレリの二輪、四輪のレースにおける長い伝統の始まりとなりました。そしてその伝統は、ヌボラーリ、アスカリやファンジオなどによって築かれて行きました。優れた技術と革新的な製品を世に送り出し続けた1世紀の間に、製品は戦前におけるワイドシリーズのステラビアンカから超扁平タイヤのチンチュラートラジアルへと変遷して行きます。そしてその間、ピレリの国際化は、ヨーロッパから南アメリカ、そしてアメリカ、中国、東ヨーロッパへと拡大して行きました。

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