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2007年9月30日 (日)

1954年・パリ-2

1954_1 フランスのヌーヴェルヴァーグ映画が一気に開花する1950年代後半の画面を観ている錯覚におちいりますが、これはれっきとした街角のスナップ写真であります。

フランスの新しい映画の潮流が芽生えていったのには既に1950年代の始め頃から、既成の文化に飽き足りない10代・20代が跋扈していて、この時代・どこの国でも新しい風俗を先取りしていくのは、所謂、良家の子息・子女でしたから、どこか不良性と高雅性が両立していて、長閑な感じさえいたします。

車のことにはさほど詳しくありませんが、どうやら前が2輪、後ろが1輪のタイプのようです。二人縦列のドライブなどは、どんな気分だったのでしょうか、後ろの人がおしゃべりな性格ですと、後ろから喋り捲られ、運転にも集中できなかったことでしょう。カフェのお客も1950年代の雰囲気に溢れていて、街角スナップとしては出来過ぎの感さえあります。

こういうフランス的風俗文化は、日本ではほんの一部の麻布・飯倉あたりに集合離散していた戦前の旧華族の子弟が持ち込んでいましたが、多くの若者は圧倒的に、元気のあるアメリカの風俗・音楽・映画に憧れていました。それでも、この数年後に日本で大ブレークするIVY LOOKにしても、元はアメリカの東部の大学のキャンパス・ライフを参考としていたものの、やがてMr,VanとかEdwardsなどのパリ・ロンドンのポップ・カルチャーの影響を受けたファッションが台頭し始め、今日もその影響が、かたちは異なるもののきちんと受け継がれています。

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2007年9月29日 (土)

小さなお家

バージニア・リー・バートン著によるFhy 絵本の名作『ちいさいおうち』に出てきたようなお家ですが、こんな町の中の一軒に偶然でも出くわしたならば、その感動は相当なものとなりそうですね。

仏蘭西のチョコレート屋さんですが、この外観と扱うものとが、あまりにも合い過ぎていてびっくりといった状態ですが、きっと誠実そうなご主人と優しそうな奥さんの二人で昔からの変わらぬ製法でチョコレート作りに励んでいる、確かなお店という気配が伝わってきます。地元のお客さんに永い間支持されてきたからこそ、周りがどんどんと取壊されていく中でも、頑なに先代の教えを守って創業の心を一徹に頑張っているようでもあります。

今や世界的に古いものが見直されているものの、当事者にとっては、現実との絡みで新しくせざるを得ない状況が切迫しているわけですから、せめてこんなにがんばっているお店を応援しない訳には参りません。

ちいさいおうち Book ちいさいおうち

著者:ばーじにあ・りー・ばーとん,いしい ももこ
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年9月28日 (金)

PINARELLOの自転車

Detail_0161 自転車の虜となって早47年、ツーリングにクラブマンレース、そして都心の疾走徘徊と興味の対象と走るエリアは変化したものの、衰える肉体と頭の回転に反比例して、最近益々、自転車そのものに対する興味が増幅しています。その原因は何といってもヨーロッパで開かれているレースの中継が、BSを通してライブで観ることが出来るようになった、ということに尽きるでしょう。このライブは、レースそのものもさることながら、通過する地方々の風光明媚な景色が観光振興も兼ねているのでしょうが、ふんだんに観られることも楽しみの大きな要素です。

又、それ以上なのが毎年刻々と変わる自転車そのものなのですが、私のようなクロモリ鋼しか認めないような偏屈で守旧派な人間でも、さすがに此処数年の自転車本体の素材がアルミ・カーボン・マグネシウムと選択肢が広がってきますと、最先端のマシーンにでも付き合ってみようかなどと、自然に思ってしまいます。

その中でもイタリア独特のラテン感覚溢れた造形美の頂点として、PINARELLO http://www.pinarello.com/ を所有したい欲望が湧き出てしまったのですが・・・。

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2007年9月27日 (木)

手書きのオンパレード・近代文学館成田分館開館記念展覧会

Rimg1999 Rimg1996_2 Rimg1987 Rimg1993 Rimg1995 日本近代文学館創立45周年・開館40周年・成田分館開館記念展覧会『近代文学の至宝 永遠のいのちを刻む』という、誠に長いタイトルの記念展覧会が成田山書道美術館で開かれています。(9月15日~10月21日)

昨今の作家の皆さまは、パソコンで推敲しながら小説などをお書きになる方々の比率が高いそうで、昔のように読みにくい原稿を解読する担当者や、誤字・脱字・句読点を校正する担当者もその作家にべったり張り付かなくてもよくなったようです。

しかしながら、それぞれの時代を象徴する近代文学者の現物を目の前にしますと、原稿用紙から発散する一文字一文字が、作家の試行錯誤の現われと重なって、身の引き締まる思いがするようですし、作家の制作現場に踏み込んだ錯覚に陥るようでもあります。資料的にもこのようなレベルが一堂に会することも今後無いことでしょうから、『お好きな方々』はちょっと早起きでもして、足を運んでは如何でしょうか。

それにしても、皆さんのきちんとした執筆制作姿勢に、こちらも襟を正さねば・・・と思うほど、一時代前の文学者は無頼派などとは程遠い、生真面目な方々ばかりです・・・。

日本近代文学館 http://www.bungakukan.or.jp/

成田山書道美術館 http://www.naritakanko.jp/naritashodo/

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2007年9月26日 (水)

吉祥寺南口駅・1965

1965102_1 撮影:加藤恂

昭和40年に撮影された吉祥寺・南口の様子です。

私は小学校から高校までこの町にお世話になりましたが、この頃、大学が八王子方面に在った為、自然と足が遠のき、徐々に通過するだけの町となっていきました。それでも、高校時代の仲間と会うときはこの近辺のちょっと洒落たバーなど愉しいひと時を過ごしたものです。この写真をみても、その頃の吉祥寺の郊外の雰囲気がよく表れています。まだ周りは畑なども在ったりしていましたから、春の風や、秋から冬にかけての木枯らしは土埃と共にやって来ました。吉祥寺の店はよほど場所が良ければ別ですが、殆どの店はこの風と土埃に悩まされていたように、記憶しています。

東京オリンピックの翌年の写真ですが、今から見るともっと昔のように錯覚してしまいそうです。着ている洋服、酒場の名前を見ても、ずーっと昔のような気配に満ちています。この10年後には、この場所も、明るい空は視界から消えて、ビルの谷間となってしまいましたし、人間の生活感が一掃されて、空虚な空間だけが今も存在しています。

しかし、『駅を降りればもう其処は、男の楽天地・・・!』といわんばかりのニッカバー・マルゴの看板が、男性諸氏をなかなか自宅まで直帰させない、何か期待出来そうなお誘いのようで、嬉しいですね。

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2007年9月25日 (火)

満月に乾杯!『広重・月見の宴』

1801東都名所 道灌山虫聞之図」と題された、広重の楽しくも穏やかな情景の作品です。江戸時代も円熟期を迎え、今のように旅行が大トレンドとなって、その殆どの大義はお伊勢参りだったようですから、その道行きはさぞ楽しかったに違いありません。それほど遠くに出かけなくとも江戸には各所渋い景勝地が点在していたようで、この道灌山も、今の西日暮里四丁目3・4・5・6・7番地に存在したジモティー御用達の絶景な小山だったようです。この日、一仕事終えて、仲間と満月三昧、「満月を肴にとりあえず、まあ・・・一杯!」といった男のいい加減な気性を上手く表していて、この絵を見る度に、私も男の優柔不断さに納得してしまうのであります。

また、道灌山周辺は、秋の虫が鳴くところとしても有名だったようで、子供が虫篭に鈴虫と思しきものを入れて喜んでいます。今でもこの時期、地方に行きますとと、しーんとした山や、森・畑からきれいな秋の虫の声が聞こえてきますが、それはとても気持ちの安らぐひと時です。この画題は『道灌山虫聞之図』となっていますが、画面の奥でお月さんを肴にした宴の方を画題に採り上げて貰いたかったですね・・・。

既に、都心ではなかなか味わえなくなってしまった日本の四季の移ろいこそが、日本人の卓越した感性の元素であることを忘れてはならぬようにと、最近、頓に思うのであります。

というわけで、『今宵の満月を願って・・・まあ・・・一杯!!!。』

 『江戸時代、荒川周辺には景勝地が点在していました。』
http://www.arakawa-dream.com/index.files/newpage1.html

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2007年9月24日 (月)

松永安左エ門・バサラ経済人

Photo_18 撮影:杉山吉良

東邦電力社長として、また戦後の電力公社の分割民営化を政界・官界の反対を押し切り実現させた、日本の電力界のドン・松永安左エ門(1875-1971)は60歳のとき茶事に招かれ、ここから彼の数寄茶人の人生が始まります。後に鈍翁・益田孝(1848-1938)と三渓・原富太郎(1868-1939)と並び称されるほどの茶人となったものの、始めは周囲の冷たい視線を一堂に集めていたようであります。物怖じしないという点では空前絶後の器量の持ち主でしたが、それでも最初の茶会の頃は、逸話になるほどの愉快な失敗談もあるそうです。

1937年(昭和12年)有楽井戸・氏郷茶杓の二点をそれぞれ12万6000円、1万6000円で落札し(現在の価値で、それぞれ7億円、8000万円)、その後暫く昭和の茶界事件といわれていましたが、その後も大名物といわれるものに対する収集意欲に歯止めはなく、昭和18年頃までに今の価値で100億円を茶道具購入に使います。国宝の釈迦金棺出現図を入手した1961年(昭和36年)にそのピークに達しましたが、最後は東京国立博物館にあっさりと寄付してしまします。

天衣無縫の桃山・バサラ大名の茶事を系譜した松永さんの茶の世界こそ、男の茶会であり、松永流の破格の侘道(耳庵流)を独自に進化させるには、世間の価値とは無縁の独自の感性を総動員したのでしょう。茶会とは戦い抜いた戦士のみが許される戯れの場であるという認識がつよかったでしょうから、婦女子中心になりつつあった茶界とは一線を引いていたようですし、どうも大名茶会のような雰囲気は最後までお好きではなかったようです。

この写真は池田勇人首相が、電力事業再編成審議会を巡って松永さんの本心を聞こうと、築地で一席を設けたときの様子でありますが、時代がつくりあげた風貌には穏やかさも感じられます。(参考:芸術新潮)

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2007年9月22日 (土)

落水荘

75  Photo_17   2_84_2昨今の再開発の建物や住宅を観ていても、さほど感動することがなくなってしまったのは、建築物よりも、周囲の環境に魅力がないからかも知れません。個々の建築が如何に素晴らしくても、景観としてのスケールがそうでなければ、感動の度合いが変わってしまいます。

このフランク・ロイド・ライトによる名作・落水荘の写真を久しぶりに眺めていますと、すっかり忘れていた自然環境と人間の創造力との関係に襟を正してしまいます。西ペンシルバニアの森を流れるベア・ラン渓流をまたぐように建っているこの建築は1939年の竣工ですから、当時としてはそれまで建物の添え物的存在であったバルコニーを主役に引き上げた視点と、ガラスの多様な使い方の革新性が響き合って、建築史的にも画期的な住宅なのです。渓流を跨いで滝を眼下に望むという絶対環境は、写真からは聞こえてこない落水の響きも心地よいに違いなかったでしょう。ガラスを多用して内部と外部が一体化されているような気分にもなって、一層、自然との一体感が生まれています。

バブルの絶頂期にあたる1988年頃、売りに出されるという噂がたって、あろうことか日本人が買う寸前までいったという話を小耳にはさんだこともありましたが、結果的にはご破算となり、今は修復工事も終わり、ガイドツアーもあってhttp://www.paconserve.org/index-fw1.asp 観光名所として多くの建築と景観を愛する人々で、新緑と紅葉の時期はとくに混みあうようです。

試しにYou Tubeで検索しますと、やはり登場してくれましたので、臨場感溢れる渓流・滝の音とともに、この名作をご覧ください。一番最後に聴こえてくる、ハンク・ウィリアムスと思しき(?)、何方かのギター一本で歌うバラードがたまりません。http://www.youtube.com/watch?v=gSRXHl9RbbU

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2007年9月21日 (金)

町に溢れていました!

写真:沼田元気編著「ぼくの叔父さんの喫茶店百科大図鑑」より

101_36昭和30年代から町に喫茶店が溢れ出して、それと一緒に面白い看板が道路や建物に目立つようになりました。今から思えばずいぶんと稚拙な意匠のものばかりですが、このすぐあとにトリス・コカコーラなどの飲料メーカーの広告入りの看板が目立ってきて面白くなくなってしまいました。私が小学生から中学生の間には映画を観に父に連れて行ってもらった日比谷・渋谷の繁華街にもこのような看板が目立っていました。看板屋の職人技の看板もあれば、きっとお客の中のアーティストが頼まれてデザインしたと思われるものもあったり・・・と、それでも集合すれば昭和の匂いがするから不思議なものであります。今日のように、業者が注文を請けて無機的にパソコンでデザインできてしまう時代ではありませんし、きっと方眼用紙かなにかできちんと練り上げながら試行錯誤しつつ生まれた気配さえあります。それぞれの店の性格と店主の好みまでもが看板をとおして町に溢れていた頃の繁華街は、今のような殺伐さもなく平和でゆっくりと時間が流れていたように思います。

この、1970302 有楽町・スバル街の写真はもう高度成長期の成熟期ですからコカコーラのロゴも目立ちますが、それでも今からすると、懐かしい時代のように映ります。この写真の真ん中にみえる「ママ」はモダンジャズを聴かせるお店として有名だったところで、大学時代一度入ったことがありますが、昼間にもかかわらず深夜のような黴臭い・紫煙になびく雰囲気に馴染めず、この体験があったものですからその後JAZZに対して毛嫌いするきっかけとなってしまいました。「ママ」以外にも「OLEO」などジャズの名店が点在していたようで、この地域を青春の思い出とされている方は今や60歳代の半ば以上となられているのでしょう。また、大月書店などの左翼系出版社もあったのですから、往時の熱気はいかほどのものであったのか、想像もつきません。この界隈も今や、すっかりと健全化して、無菌のような消費街となってしまいました。写真:加藤嶺夫)

続きを読む "町に溢れていました!"

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2007年9月20日 (木)

おじいちゃんの封筒:紙の仕事

Img_6392 撮影:島 隆志

神前弘(1902~1997)さんは大工棟梁として活躍した後、引退して茶の間でのテレビ三昧に飽きたらず、家に届くちらし・新聞からティッシュの箱・振込用紙にいたるまで、手当たり次第、封筒製作に没頭しました。

お孫さんの藤井咲子さんがおじいさんの家の取壊しの際、荷物の引越を手伝って片付けの最中、偶然に箪笥の抽斗を開けると、凡そ5000枚もの封筒が詰まっていたということですからその執念たるや、普通の人でありながら、普通ではないのです。

作為のないただそこに美しい封筒があるだけなのですが、昨今のリサイクル・エコロジー・サスティナブルなどという難しい話との共通点があるものの、この神前弘さんの足跡の方が、一般の人には分かり易く伝わります。さらに、もったいないという意識以上に、アスリートのように毎日毎日同じことを繰り返した無心の念が、感動を呼ぶのでしょう。

この作為のない、ただひたすら作り続けた結果生まれた封筒を、千利休が唱えた侘び寂びの極意と無理やり結びつけようとする文化人の方もいて、その文化人と称する皆さんの観点は、世界からみれば摩訶不思議なもののひとつなのでしょうね・・・。

なお、現在千葉県のmuseum as it isで開かれている展覧会『おじいちゃんの封筒』に関して。 http://sakatakazumi.com/asitis/070316/

この展覧会を企画された小道具・坂田のサイトです。        http://sakatakazumi.com/

museum as it isの雰囲気を伝えるブログはこちらです。       http://blog.kahans.com/?eid=654082

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2007年9月19日 (水)

モネ、雪を描く!

18681869 陽を浴びた雪が光っている景色は、ご機嫌な一日を約束されたのも同じで、スキーに浸かっていた時代は、朝早くリフトの動かない前から、ゲレンデに飛び出して滑っていました。雪景色が晴天に恵まれた時ほど気持ちが向上することはありません。

この、モネが1868年に描かれた『かささぎ』も、雪のまぶしさで眼を細めたくなる、傑作です。さほど、テーマ的にも歴史的な典型となったわけでもありませんが、静かな時間が過ぎていることを思わせる全体の余韻に比べ、枝で作られた仮設のような門にとまっているかささぎの黒が絶妙なポジションにあって、この位置が全体の中で完璧な計算のもとで決めたかのようです。

遠くの景色をさらっと描いて、手前をかなりの混色によって光を捉えたりと、印象派の全ての技法の教典のような作品です。

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2007年9月17日 (月)

平川門から今を見る!

Rimg1840 Rimg1849 日曜日、沖縄方面は台風ということもあって、東京都心は朝から何となく南風が吹いてましたが、連休中日ということもあって、都心は予想以上に空いていました。週末の定例行動でもある皇居周辺サイクリングに向かいましたが、いつものようなジョギングの皆さまもまばらで、混雑嫌いの私としては、してやったりと、ご機嫌な日でありました。

いつも通り過ぎてしまっている平川橋を渡ってみましたが、外から観ていた以上に間口が広く、独特の曲面は剛性と加重分散のために生まれた結果なのでしょうが、「橋を渡る臨場感が倍加されて、時の推移をかたちにしたと考えた方が文化的である・・・」などと自画自賛し、浮き浮きした気分になります。日本橋も復活すれば正に日本晴れのような高揚した気分になるのかも・・・などと思い、初体験ながら爽やかな気分でありました。

さっさと渡りきって平川門から後ろを振り向けば、そこは『現在』!毎日新聞社が場違いのように壁を作っています。ビルのガラスに反射する太陽の光に迷惑そうな皇宮警察の皆さんも、そんな顔もせずに、穏やかさを振りまいていました。デザイン文脈的には『伝統と現在との出会い!!!』などと口を滑らしてしまいますが、比較しつつ観れば観るほど『現在』には何か忘れてきてしまったものが多々あることを感じざるを得ません・・・!。

台風の余波というか・・・、雲低く、その速度も三倍速のビデオのようで、のんびりした景観の中では、ひと際忙しなかった様子でした。

平川門

この門は平河門とも書く。また、大奥の女中が出入りしていたので「局門」とも云われていた。
 この辺りは,昔上平川,下平川などの村があり,江戸港町として交通,交易に重要な位置を占めていた。平川門は古くは平川口といって冠木門であった。
 この門も外枡形の構えであるが、他の門とは異なって帯曲輪が外の竹橋門に向けて長く延びており、また平川濠と天神濠に挟まれた通路はコの字に折れ曲がり、複雑な構造になっている。
 石垣は穴太積みで、築城の原則にのっとって巧妙な造りは、昔の面影をよく残している
 高麗門の前にかかる平川橋の欄干の疑宝珠は、昔の二重橋にあったのもを移したといわれ、慶長(築城時)と寛文の銘がある。
 復元とはいえ堂々とした渡櫓門もまた当時の雰囲気をよく伝えている。門の石垣は亀甲状の石切で、木柱の太さは60センチほどある。
 平川門の脇に小さな門がある。帯曲輪門で、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたので不浄門といわれている。 
 生きたままこの門を出たのは浅野内匠頭と絵島だけといわれている。
 平川門は、奥女中の通用門であったことからお局門(つぼねもん)とも呼ばれている。
 春日局は江戸城大奥の権力者で、息子の屋敷を訪ね、つい長話で夜になり、暮れ六つ(日の入)の閉門に遅れた。春日局といえども、規則は規則である。寒い夜を門前で明かさざるをえなかったという。
 ちなみに、開門は明け六つ(日の出)である。(江戸城史跡めぐり)

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2007年9月16日 (日)

1957年・庭の絵

19571502 小学校4年生の頃、マジックインキを使った絵の技法にも試行錯誤しつつ、ずいぶん慣れてきたのですが、強烈な臭いも相変わらずでしたから、部屋の中で描くよりも外の方が臭いが溜まらず少しは楽でしたし、眼も痛くならずに済みました。

家の北側にあった父のアトリエには世界の画家の画集があって、時々観ていましたが、この頃はゴッホの色使いに強烈なインパクトを受けた記憶があり、その雰囲気を真似て家の庭を描いたのがこの絵です。

左の家は1954年に家を建て替えたときの廃材を使った四畳半一間の小屋のような建物で、ここには私の従兄弟が二人、信州から上京、下宿していました。正面の緑色の樹は青桐で、小さい頃からずーっと緑色をしていたこの樹を「奇怪な樹だなあ!」、と思っていましたし、春になると青臭いにおいを発して、他の木にはない独特の雰囲気でした。

この絵を描いた頃は,丹下左膳・赤銅鈴の助の漫画やラジオ放送が人気でしたから、買って貰った木刀でこの樹を相手に剣道のまねごとをしてましたので、青桐の木肌は傷だらけとなっていました。4021955

実際の庭をやたらと濃いオレンジ色・ウルトラマリン色で描いているのはまさしくゴッホ風に仕立てた名残であります。

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2007年9月15日 (土)

本郷・1962

196211 本郷の堂々たるニッポン風景であります。

1962年といますから、日本の産業デザインが大きく新しい時代に向けて動き出し、経済も2年後の東京オリンピックに向けて動き出した頃ですし、ちょっと前には銀座松屋にグッド・デザイン・コーナーが出来て、ようやく生活にも先行きの明るさが見えてきた頃です。

この写真の中央に置かれている電話ボックスこそあのGK・インダストリアルデザイン研究所の金字塔ともいうべきもので、背景とのコントラストを見れば、いかに当時のデザイナーたちがモダンデザインに憧れていたかが一目瞭然であります。今ですと、「電信柱も一緒に変えなかったのは何故か」などと,環境デザインの観点からすれば「如何なものか・・・」という意見も出てしまいそうですが、この時代はモダニズムのモノこそが起爆剤だったのです。

きっとこんな電話ボックスを突然置かれたしまったこの界隈の長老などは、不機嫌な顔をして町内会のお歴々を従え、この中に入ればたいへん熱い不思議な箱物を囲んで、睨みつけていたに違いありません。

今はこの辺り、マンションの乱立で空など全く拝めません。

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2007年9月12日 (水)

昭和の観光絵葉書風・桜田門

1 早朝6時過ぎの皇居を周回する自転車に乗って風を楽しむのは下りで時速50キロ以上も出ることも手伝って、なかなか涼しいものです。皇居一周が凡そ5キロですから4周・20キロを38分弱で走ることを目標にしていますが、なかなか厳しいものがあります。

半蔵門から桜田門に下る途中に私が必ず一休みするお気軽な絶景ポイントがあって、その伸びやかなお濠と崖の穏やかさが響きあう世界は皇居周辺の中で、最も開放的な景色です。

この日は強烈な台風の過ぎた数日後でしたが、又、暑い夏に戻ってしまった陽気となりました。朝早くからジョギングの皆さんは勿論のこと、自転車快速団のご一行様も、お互い自分たちの場所を乱すことなく整然と走っていました。

さて、先月購入したRICOH Caplio GX100 http://www.ricoh.co.jp/dc/caplio/gx100/ はデジタル・カメラながらアナログの表現も堪能出来、あのライカのボケ具合Summi8021に近いニュアンスも 再現出来ますから、大人の道具としても充分満足出来そうです。その上、1:1のフレームも組み込まれているなど、プロフェッショナル向きの細かなスペックも数多く組み込まれているので、駆け出しの私としては、ひたすら撮影記録をしながら数多く撮るという学生時代に叩き込まれた古典的方法以外、このカメラを自由自在に操作する近道はないのです。

この日撮影した桜田門の風景を家に戻ってパソコンで再現してみると、デジタルカメラの長所であり欠点でもあるのでしょうが、綺麗過ぎ!・フラット過剰!・・・で、いまいちの雰囲気でしたから、画像処理ソフトで悪戯してみました。大正時代から昭和30年代前半にかけて観光地の名所・旧跡絵葉書に見られたような安っぽい極彩色を狙ってみたのですが・・・。

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2007年9月11日 (火)

元祖!FRESHNESS BURGER

Img_6638渋谷区富ヶ谷のそれこそ超一等地の入り口にあるFRESHNESS BURGER ( http://www.freshnessburger.co.jp/ )の一号店と呼ばれているお店であります。1992年にこの場所で創業したそうで、今ではすっかり町に馴染んでいます。今では、ビッグカンパニーとなって店舗デザインも様々でありますが、この古びたお店が好きなのか、それともハンバーガーおたくという輩も多いのか、週末には地方ナンバーの車も並んだりしています。

この左奥に続く道は都心裏道おたくには有名な抜け道で、それこそ名だたる大大名の末裔と思しき表札が軒並み連なっています。堂々たる邸宅の在る中、最近ではCasa Brutusに出てきそうなモダンな佇まいの住宅も増殖中でありますが、すべて安普請のお気軽モダンな意匠とは一線を画す、堂々たるモダン造形の物件ばかりであります。

超クラシックと超モダンな地域の環境に挟まれつつ、何故か、アメリカーナスタイルと呼ぶのでしょうか、今では安普請といっても問題ない、このFRESHNESS BURGERの場所が、この近辺のランド・マークとなっているのも、愉快であります。

Sdy01 週末、都心の自転車徘徊を終え、表参道から井の頭通り経由で戻るときには、山手通りを渡りすぐ斜め左折しますと、ここまでがちょっとした登り坂の連続であるため、この店がどうしても峠の茶屋的存在であり、ついつい一服せざるを得ない処でもあります。狭い店内にはいつも大勢のお客でひしめき合っていて、なかなかフレンドリーなお店であります。

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2007年9月 6日 (木)

銀座の顔役・しゃぶ通の若月さん

Rimg1457 1966年頃、銀座・交詢社ビル一階にあった「銀座・秀山荘」で19歳から二年ほどアルバイトをしていて、この経験があったものですから今でも銀座の殆どの位置関係を掌握していますが、最近は老舗も店を畳んだり、複合ビルにしたりなどと急に動きが活発化してきました。

銀座・秀山荘は銀座の老舗の旦那を多く顧客に持ってましたから、スキーのシーズンがピークともなると頼まれた小物などをこちらからきちんと届けねばならず、当時は大きなビルも危機管理などなくおおらかで自由に抜けられましたから、ある地点に行くにもビル内を通って斜めショートカットでバイト仲間と最速・最短を競っていました。シーズンは年間僅かでありましたがお客さんが集中しますから、目の回る忙しさで、昼休みなどもおちおち取れずに仲間と一緒に結構凹んでいたものです。

さて、この画像の方は、若月宇三郎さんというお名前の銀座のある面から「生き字引」なのです。今も交詢社ビルの向かいにある『銀座・しゃぶ通http://www.atparty.jp/store/detail.php?SHOP_CODE=001027で毎日現役として店を切り盛りしています。私は19歳の頃からの面識でありますが、当時は銀座・とん通というとんかつのお店で働いていらっしゃいました。秀山荘のオーナーは時々チップをはずんでくれて、大入り袋に千円札を数枚容れてくれたりするものですから、そんな時は勇んで銀座・とん通に直行してはしっかりととんかつを堪能しました。

若月さんは、優に80歳を越えてますが、記憶力・行動力ともにその反応がアスリートのごとく軽やかですから、私など、その話を聞くだけでもありがたく、銀座の昼はここと決めてしまってます。若月さんは、よくありがちな食事が終るや否やさっと来てお膳を片付けるなどという無礼なことなく、そっと来て余ったご飯やスープを混ぜて美味しいおじやを作ってくれますし、結果、若いお客にはご飯を残さない躾教育の役目もされています。ちょっとした銀座風俗の変遷会話の中にも豊富な記憶から的確な情報をフォローしてくれますから、それを愉しみに通い続けるのです。私には若月さんは正に風俗の生き字引であります。

銀座がただの街でないのは若月宇三郎さんのような方々が至る所に点在しているからです。

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2007年9月 5日 (水)

デュフィーの部屋

Dufy8_2 デュフィーお好みのアングルから、夏のニースの眺望です。ただひたすらに対象を自由に描いているものの、何という優雅な気分にさせてくれるのでしょうか。

日本の梅原龍三郎さんも、この世界を描いていますが、妙な民族意識が働いて純粋な絵画としての美しさに何か理屈が塗りこめられていて、私のような単純人間は、デュフィーのさっぱり感覚に軍配をあげてしまいます。

装飾絵師として、職人技も会得していましたから、このコートダジュールの空気感に見事当てはまった一枚には、暮らしぶりの優雅さとスノッブなティストが表現されています。また、遠くに見える海上の鯨のようにも見えてしまう波が、不思議な臨場感を以ってニースの優雅なリゾートライフを伝えてくれます。

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2007年9月 4日 (火)

HONDA CITY

Img_6548 Img_6553_1 HONDAがお得意の若い世代のカジュアルなライフスタイルに見合った『CITY』(http://www.honda.co.jp/factbook/auto/CITY/19820920/index.html) (http://www.honda.co.jp/pressroom/library/auto/CITY/index.html)

という車は、1981年に発売されましたが、その宣伝手法が、所謂、車屋さんのそれとはまったく違って、殆ど、音楽業界のキャンペーンの乗りでありました。

1981年は、バブルが一般化する前で、既にある方々や、ある業界の一部の方々にはその兆候が芽生えだした頃で、東京都心の土地に関するキナ臭い情報も、限られた方々の間では周知の事柄といった時代です。この車のTV コマーシャル ( http://www.youtube.com/watch?v=zE1iMcIDqb8)の音楽もビートとリズムに溢れ、酒場で酔った若い衆が体をくっつけてこのCMそっくりのパフォーマンスを繰り広げていました。

Img_6551 HONDAのコンパクトな車種は1960年代後半に発売され,私世代にもおおいに受けたのですが、それを更に進化させて、世に問うたのが1981年に発売されたこの車です。オプションで小さなミニバイクが用意されていて、絶妙に後部トランクに収まって、このあたりの感覚がやはり二輪出身のメーカー独特の拘りといったところでした。

車をモノでなくライフスタイル情報として世にメッセージとして発信した最初の車と記憶していますが、車は無くなっても「CITY PRESS」という情報誌だけは残っていました。

Img_6554今も変わらない健康志向のライフスタイルがちょっと古い印象ですが、当時は斬新だったのです・・・。

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2007年9月 3日 (月)

モネ・日陰のひと休み1868

186803 日本では大政奉還の末、明治維新となったその初年、1868年に描かれたモネの涼しい景色です。

印象派のエースとして日本では圧倒的な人気を誇るモネでありますが、私も若い血気盛んな頃はこの甘い画趣に興味など抱くわけがありませんでしたが、時が経てばそれなりに柔らかくもなり、今では結構な気分にさせてもらえるのは有難いと思ってしまう一枚であります。

ボートを自由に好きな場所で降りて、自由に過ごせることのできる場所が国内にあるかどうか知りませんが、あれば優雅な午後のひと時を過ごせること間違いありませんね。東京のボート場はどうしても都心ではお堀に近いこともあって迂闊に、自由にボートを置いて・・・というわけにもいきませんですし、このあたりのことも、都市を遊ぶ者としては、宜しくお願いしたいわけであります。

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2007年9月 2日 (日)

ビーチにもお洒落さが!

Holiday15 海水浴ともずいぶん疎遠となってしまいました。

あの夏のパワフルな陽をあびてサマースポーツにのめり込んでいた時期もありましたが、今や、せいぜい朝早く犬を連れて早朝の湘南・逗子辺りを散策するくらいであります。

このイラストレーションは何処を描いたのでしょうか。おそらくフランスの北部のリゾート地かドーヴィルといったお洒落な観光スポットかも知れません。

未だにこのような洒落たシェルターでさえ、海岸に並ぶこともない日本の海水浴場は、食事に関していえば、やきそば・おでんの類からようやく脱却してきたといえるでしょうが、そろそろ海岸の景観を含めたグレードの高さにも眼を配りたいものです。

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2007年9月 1日 (土)

神田あれこれ!

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Rimg1295_2 Rimg1300 Rimg1302 昨日、神田神保町に出かけ、すずらん通りの『文房堂』でDERWENTの水溶性色鉛筆10本とオリジナルのMOと呼ばれる和紙の溜漉き手法をベースにした水彩画用の紙を購入しました。この紙は50年以上も前から沖茂八さんによって漉き上げられた和紙独特の吸い込みと発色が独特で、お気に入りの紙です。普段の習作にはもったいなくて使えませんが、たまにこの紙で描くと画風が予想出来ないほど豊かになって、水彩画の特性である偶然性をいっそう引き出してくれます。

Rimg1393 『文房堂』は小学生の頃から父に連れられて来ているお店で、今もお元気な大番頭さんと雑談に花が咲き、最近の神保町の話などして、「200708102019561 気合の入りすぎた外観の 『神保町花月』が出来てから、若い人が増えた分、街にごみが増えた」など・・・、いろいろと界隈の豹変ぶり聞かせてもらいました。(神田花月に関してhttps://www.ics-inc.co.jp/cgi-bin/MeetingBusiness/MB.cgi?Page=MB_topics&SCBackNo=M:18 ) (http://www.fandango.co.jp/jimbocho/index.html

店を出てから、『ささま』に寄って、季節の和菓子を購入。この店独特の色調を控えめにした意匠は、京都のそれと違って雅さはないものの、江戸前のような粋と渋さが相まって、男性にも人気があり、この日、暑いにも関わらず、順番待ちで狭い店内は男の熱気が立ち込めて、女性客の多い他所の和菓子店と比較しても不思議な景色でありました。

間もなく秋の和菓子に切り替えられるようで、この日の和菓子もさわやかでありましたが、吉本興業が85年ぶりに神保町に返り咲いたのにも関わらず、この建物のパンチ力の残像がしばし消えませんでした。

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