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2007年9月24日 (月)

松永安左エ門・バサラ経済人

Photo_18 撮影:杉山吉良

東邦電力社長として、また戦後の電力公社の分割民営化を政界・官界の反対を押し切り実現させた、日本の電力界のドン・松永安左エ門(1875-1971)は60歳のとき茶事に招かれ、ここから彼の数寄茶人の人生が始まります。後に鈍翁・益田孝(1848-1938)と三渓・原富太郎(1868-1939)と並び称されるほどの茶人となったものの、始めは周囲の冷たい視線を一堂に集めていたようであります。物怖じしないという点では空前絶後の器量の持ち主でしたが、それでも最初の茶会の頃は、逸話になるほどの愉快な失敗談もあるそうです。

1937年(昭和12年)有楽井戸・氏郷茶杓の二点をそれぞれ12万6000円、1万6000円で落札し(現在の価値で、それぞれ7億円、8000万円)、その後暫く昭和の茶界事件といわれていましたが、その後も大名物といわれるものに対する収集意欲に歯止めはなく、昭和18年頃までに今の価値で100億円を茶道具購入に使います。国宝の釈迦金棺出現図を入手した1961年(昭和36年)にそのピークに達しましたが、最後は東京国立博物館にあっさりと寄付してしまします。

天衣無縫の桃山・バサラ大名の茶事を系譜した松永さんの茶の世界こそ、男の茶会であり、松永流の破格の侘道(耳庵流)を独自に進化させるには、世間の価値とは無縁の独自の感性を総動員したのでしょう。茶会とは戦い抜いた戦士のみが許される戯れの場であるという認識がつよかったでしょうから、婦女子中心になりつつあった茶界とは一線を引いていたようですし、どうも大名茶会のような雰囲気は最後までお好きではなかったようです。

この写真は池田勇人首相が、電力事業再編成審議会を巡って松永さんの本心を聞こうと、築地で一席を設けたときの様子でありますが、時代がつくりあげた風貌には穏やかさも感じられます。(参考:芸術新潮)

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