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2007年9月17日 (月)

平川門から今を見る!

Rimg1840 Rimg1849 日曜日、沖縄方面は台風ということもあって、東京都心は朝から何となく南風が吹いてましたが、連休中日ということもあって、都心は予想以上に空いていました。週末の定例行動でもある皇居周辺サイクリングに向かいましたが、いつものようなジョギングの皆さまもまばらで、混雑嫌いの私としては、してやったりと、ご機嫌な日でありました。

いつも通り過ぎてしまっている平川橋を渡ってみましたが、外から観ていた以上に間口が広く、独特の曲面は剛性と加重分散のために生まれた結果なのでしょうが、「橋を渡る臨場感が倍加されて、時の推移をかたちにしたと考えた方が文化的である・・・」などと自画自賛し、浮き浮きした気分になります。日本橋も復活すれば正に日本晴れのような高揚した気分になるのかも・・・などと思い、初体験ながら爽やかな気分でありました。

さっさと渡りきって平川門から後ろを振り向けば、そこは『現在』!毎日新聞社が場違いのように壁を作っています。ビルのガラスに反射する太陽の光に迷惑そうな皇宮警察の皆さんも、そんな顔もせずに、穏やかさを振りまいていました。デザイン文脈的には『伝統と現在との出会い!!!』などと口を滑らしてしまいますが、比較しつつ観れば観るほど『現在』には何か忘れてきてしまったものが多々あることを感じざるを得ません・・・!。

台風の余波というか・・・、雲低く、その速度も三倍速のビデオのようで、のんびりした景観の中では、ひと際忙しなかった様子でした。

平川門

この門は平河門とも書く。また、大奥の女中が出入りしていたので「局門」とも云われていた。
 この辺りは,昔上平川,下平川などの村があり,江戸港町として交通,交易に重要な位置を占めていた。平川門は古くは平川口といって冠木門であった。
 この門も外枡形の構えであるが、他の門とは異なって帯曲輪が外の竹橋門に向けて長く延びており、また平川濠と天神濠に挟まれた通路はコの字に折れ曲がり、複雑な構造になっている。
 石垣は穴太積みで、築城の原則にのっとって巧妙な造りは、昔の面影をよく残している
 高麗門の前にかかる平川橋の欄干の疑宝珠は、昔の二重橋にあったのもを移したといわれ、慶長(築城時)と寛文の銘がある。
 復元とはいえ堂々とした渡櫓門もまた当時の雰囲気をよく伝えている。門の石垣は亀甲状の石切で、木柱の太さは60センチほどある。
 平川門の脇に小さな門がある。帯曲輪門で、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたので不浄門といわれている。 
 生きたままこの門を出たのは浅野内匠頭と絵島だけといわれている。
 平川門は、奥女中の通用門であったことからお局門(つぼねもん)とも呼ばれている。
 春日局は江戸城大奥の権力者で、息子の屋敷を訪ね、つい長話で夜になり、暮れ六つ(日の入)の閉門に遅れた。春日局といえども、規則は規則である。寒い夜を門前で明かさざるをえなかったという。
 ちなみに、開門は明け六つ(日の出)である。(江戸城史跡めぐり)

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