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2007年11月24日 (土)

1956年・私の日記

305b_04 305a_04 1956年(昭和31年)の日記ですから、私が小学校3年生の時です。何か思いがあったのか定かではありませんが、急に詩人めいたような日記となり、前日の内容からうって変わり、びっくりです。絵も、なかなか、その時代の雰囲気が出ているように感じます。

この垣根のように見えるのは井の頭腺に沿って埋め込まれたコンクリート製のもので、学校の帰りは此処を通って、親に内緒で神田川の丸木橋(何の加工もしていない丸太を二本並べて荒縄でしばったという恐怖物でした)を渡って崖を登り家に帰るという、実に危険この上ないルートを選んでいました。今から思えば冷汗もので、よく一度も川に落ちなかったものだと思います。

久我山の町の照明の数は少なく明かりも暗い上に、このような木製の電柱に裸電球という江戸川乱歩の世界を彷彿させるようでしたし、この町は想像以上にに田舎で、自宅近辺などは電球がひとつも無く本当に真っ暗でした。

それにしても、担任の清水晴男先生が星印のわきに書き込まれた、「かく」とは何の意味だったのか、まったく記憶にありません・・・。

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