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2007年11月30日 (金)

山口敏孝さん・こっそりライブ

Rimg5147 Rimg5165 Rimg5167 1960年代にはフォークグループ『ブロードサイドフォー』http://www.barks.jp/listen/?id=52009964のメンバーとして活躍され、今もオリジナルメンバーの皆さんと年に何回かは曙橋・バックインタウンなどでコンサートを開催している、山口敏孝さんが、こっそりと町田市・鶴川にある『可喜庵』において、独りライブを開かれました。

可喜庵は私の高校時代の同級生・鈴木亨さんが経営される鈴木工務店http://www.suzuki-koumuten.co.jp/の一角にある、築・150年以上という素晴らしい民家で、鈴木さんのスタッフによって現代感覚にリフォームされ、床暖房も柔らかな温もりをともなって快適至極でありますし、椅子も北欧の巨匠のものと日本のものが上手く融合していて違和感の微塵もありません。

今回のライブは、麻田浩さんと組んで、大人が愉しめるアコースティック・バンドをお披露目する来月6日・池尻大橋のCHAD http://www16.ocn.ne.jp/~chad/MyPage/menu4.html ,そして来年1月18日・曙橋のBack In Town http://homepage3.nifty.com/backintown/ のライブコンサートに向け、調整をかねた山口さんのエンジンアイドリングの為に、急きょ企画しました。山口さんは1957年から音楽に目覚めて以来、今日までご自分の生活に音楽が十二分に浸み込んでらっしゃる方ですから、ただの音楽おたくにあらず、この日もそのオーラがワインを飲まれてから一気に全開となりました。今回は、縁あって鈴木工務店の設計スタッフの皆さんと数人のお知り合いの方々との温かなライブのみに終始しましたが、お若い皆さんはジャズ・フォーク・カントリー・ブルーグラスの音楽をギター一本で弾き語りする機会がはじめてだったようで、可喜庵の素晴らしい材木の空間によるマイクなしの美しい響きと共に、新鮮な感動を呼んだようでした。とくにギターという楽器が和音・リズム・メロディーを自由に紡ぐ楽器であることに感動していた様子でした。

山口さんも帰りの車の中で話されてましたが、鈴木工務店の皆さんの控えめで礼儀正しい立振舞いには、最近の若者には見られない節度があって、これは鈴木社長の躾もさることながら、お一人お一人の普段の仕事に対する情熱と志の高さの結果であると思い、私も嬉しい気分でいっぱいでした。

以前、山口さんは大病を患いましたがすっかりお元気になられ、この日も20曲以上、途中の休憩もほんの数分というフェニックスぶりを見せてくれました。又、来年、此処でのコンサートを誓って、5時半から8時半までの宴は終了しました。

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2007年11月29日 (木)

見事なシャッターチャンス!

200701 新聞は前日におきた万象を読み、写真を見るからこそ価値があるのでしょうが、二週間ほど雑用でどたばたが続き、開くことのない新聞がどっさりと溜まってしまいました。

今朝、一大決心をしてテレビの前のテーブル上に新聞を集め、そのちらし・折込広告の類の多さにも驚きながら、整理を始めました。その中に15日の朝日新聞朝刊があり、このような素晴らしい写真が掲載されていました。

アジア・チャンピオンズリーグの決勝で浦和レッズがイランのセパハンを破って優勝し、賞金6660万円を獲得した試合のワンショットで、後半26分に右ミッドフィルダー・阿部選手がヘディングでゴールを決めた瞬間です。

この写真、教科書にも載りそうな素晴らしい画面構成とバランスが見事で、当然、新聞社のカメラマンが凄まじい性能のデジタルカメラと月の表面も手に取るほど見える望遠レンズを駆使して撮影し、コンピューターでトリミング処理したのでしょうが、選手のボールに対する集中もよく分かります。特に、この画面の左上から右下に対角線を引いた線上に主役のモチーフが並び、まるで泰西名画を観るようです。

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2007年11月28日 (水)

KLEINの自転車

Qelite_xx1 Larger1 バイク・メッセンジャーの若い人たちが颯爽と東京都心を駆け抜ける姿には、すかっとした残像が残ります。最近はギアー無しのトラックレース仕様の自転車を乗りこなしているつわものが増えているようですが東京都心には意外と山あり・谷ありの地域も数多いでしょうから、ご苦労様と言いたくもなります。

さて、ロード用自転車の世界もハイテク素材やら、変速機に至っては油圧式まで登場するなどエスカレートの加速度に制止が効きません。さらに、勝手にすればというほど各社趣向をこらしたデザインで勝負していますが、私のような都心を疾走しつつも、街の風景に馴染む自転車ブランドを探すとなると、今のところ、KLEIN社( www.kleinjapan.com )の素晴らしい塗装技術のものにぐっと傾いてしまいます。シンプルでありながら全体のまとまりにエレガンスの薫りがたっぷりであります。お値段の方も、他のブランドが高価格帯へとエスカレートしていく中では、まあそこそこですから、二台目あたりをお考えの方には如何なものでしょう。

ただやみくもにロゴマークばかりが目立つレーシングマシン仕様の自転車が増えるだけでは街にハレーションが生じ、厳つい汗臭い男ばかりが増殖して街に華がなくなることを懸念し、願わくばシンプルで綺麗なロード自転車に乗った美しい女性が現れて、街を疾走する姿を・・・と、夢みているだけなのですが・・。

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2007年11月27日 (火)

銀座・中嶋

Rimg3839 1966年頃には、銀座・交詢社ビル一階のすずらん通りにあった『秀山荘』という山とスキーのショップでアルバイトに励んでいました。

この時代、銀座には『好日山荘』『ホルン』、など何故か山とスキーの名店があり、さらに『チロル』という、今でも私が最高のスポーツセレクトショップと信じて疑わない拘りの店もあり、夫々が独特の店の雰囲気をもっていました。

どの店も、何も買わずに永い時間を店主と戯言で時間を遊ぶゆとりと遊びのある紳士の皆さんがひっきりなしに訪れ、それを傍から観ているだけでも社会勉強であったのです。大手広告代理店・電通の皆さんから芸能界では加山雄三・伊丹十三さんのスキーを届けたり、おそらく日本で初めてのダウンジャケットを『チロル』でオーダーする三木のり平さんを目の前で見たことも、今では懐かしい思い出です。

さて、その頃から交詢社の向いにあった『中嶋』 http://www.ginza.jp/nakajima/ という割烹の由緒正しき店構えが気になっていました。なにしろ『秀山荘』の真向かいでしたし、全く畑違いのジャンルの店がどうなっているのだろう・・・などと気になっていました。さらに、あの魯山人直伝のオーラに満ちた店であることもお客から聞き込んだものですから、いずれは此処の暖簾をくぐってみたいものと思っていましたが、その格式の高そうな店にはその後40年以上近寄ることもなく、専らすぐ傍の『しゃぶ通』の値ごろ感と店内の元気よさが、大のお気に入りとなってしまいました。

そしてこの日、久しぶりの悪友となんのためらいもなく成り行きで『中嶋』の暖簾をくぐり、昼の限定30食という松花堂(3,150円)をいただきましたが、店内にある魯山人の手による看板や器が気になるばかりでありました。料理の中身を考えても良心的なお値段以上に、「薄れ掛けている銀座のなんたるかを、隅から隅まで一分の空きも無く堪能できたこと」が、納得でした。

経営権が移行した『バーニーズ』の空悲しい店舗の向かいで、連綿とした銀座のある種の典型を、毎日継承しています。

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2007年11月26日 (月)

冬の陽射し・皇居

Rimg5125 日曜日も暖かい一日で、皇居周回を自転車で快走するのに、うってつけでありました。

普段であれば10時前に、皇居に到着して、「お好きな方々」と自転車に関する戯言のひとときを楽しむのですが、この日は駒沢スタートが11時近くとなってしまい、汗だくの状態で青山通りを最短直行で抜けて、11時半頃に、桜田門に到着しました。もう既に18度近い気温とあって、皇居ジョギング・ウォーキングの皆様も、想定以上の数となっていて、スタートの遅れを悔やんでしまいました。

私は日曜日の皇居周回自転車快走団の一員となって4年ほど経ちますが、明らかに自転車愛好者の数は大幅に増えていて、場所柄とくに、外国人の自転車オタクもそれなりに増えています。

この数週間、あまり距離を走っていなかったことが原因なのでしょうが、右足のペダリングに異変を感じ、皇居を4周(20キロ)ほどで一服したくなり、普段休んだことのないランナー集団の休憩定位置でもある桜田門の土手側のベンチに陣取りました。12時過ぎの陽射しが樹木の陰影とのコントラストを生んで、この時期でなければ見られそうもない光景を演出していましたから、日曜日はこのような些細なことを発見して、独り喜んでいたのです。

のんびりしたひとときの後、昼飯は本郷・近江屋洋菓子店のスープランチとアップルパイと決め、重い腰を上げて、無風・快晴の道を飛ばして、店内に入って後ろのポケットを何となく触ると、もしかして・・・!、そうなのです!、財布を忘れてきてしまいました。幸いなことに、それほど距離を走っていませんから、ハンガーノックに陥る事はありませんでしたが、この失態は初めてであり、正直がっかりでありました。

すきっ腹で帰るほど哀しいものはありませんから、皆さんも気を付けましょう・・・。

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2007年11月25日 (日)

東京ミッドタウン土産!

Rimg5063 Rimg5061 Rimg5066 東京ミッドタウンのIDEEで人と待ち合わせをしたのですが、いつもの癖で早めに着いて徘徊しました。連休初日でもあり、ここには全国から、また台湾・韓国・中国などからも多くの団体さんがお越しのようで、うわべ的には盛況のようです。先月後半からこの近辺には出没していたのですが、改めて来街者としてこのエリアを観察すると、お買物に気の効いたアイテムが無いことに気付きます。けっこう真面目に「何か欲しいものがないか・・・」などと目を狙撃者のように、些細なものも見落とさずにうろつきました。

やっと見つけたのが、ファーバーカステルのショップにあったこの筆ペン仕様の筆記具です。この商品、全てミッドタウンだけでしか扱っていないそうですから、お好きな方々は・・・行くしかないのです。デリケートな色のトーンが優れ、とくにグレー系・ブルー、パープル系が優れもののように思います。

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2007年11月24日 (土)

1956年・私の日記

305b_04 305a_04 1956年(昭和31年)の日記ですから、私が小学校3年生の時です。何か思いがあったのか定かではありませんが、急に詩人めいたような日記となり、前日の内容からうって変わり、びっくりです。絵も、なかなか、その時代の雰囲気が出ているように感じます。

この垣根のように見えるのは井の頭腺に沿って埋め込まれたコンクリート製のもので、学校の帰りは此処を通って、親に内緒で神田川の丸木橋(何の加工もしていない丸太を二本並べて荒縄でしばったという恐怖物でした)を渡って崖を登り家に帰るという、実に危険この上ないルートを選んでいました。今から思えば冷汗もので、よく一度も川に落ちなかったものだと思います。

久我山の町の照明の数は少なく明かりも暗い上に、このような木製の電柱に裸電球という江戸川乱歩の世界を彷彿させるようでしたし、この町は想像以上にに田舎で、自宅近辺などは電球がひとつも無く本当に真っ暗でした。

それにしても、担任の清水晴男先生が星印のわきに書き込まれた、「かく」とは何の意味だったのか、まったく記憶にありません・・・。

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2007年11月23日 (金)

目黒通りは今の気分!

Img_7268 Img_7273 Img_7276 目黒通りにある時期から、いわゆる、インテリア関連の店が目立ち始めましたが、当初それほど話題にはならず、かえってそれが地味ながら生活のスパイスとしての道具や装飾品を主に扱っていたために、地元の比較的裕福な客層に支持を受け、今では全国に知られた、インテリア関連の一大ストリートとなってしまいました。中古の家具から雑貨まで、各店が独自のアンテナを元に仕入れているものには、この場所だからこそ輝いて見えるものが多く、私も時間を工面しながら散策します。どうやら今のトレンドは和のテーストのようで、それこそぴんからきりまで千差万別、何でもありの状況です。目黒通りは都心を東西の方向に走っていて、太陽にまともに向かっている側と一日中日陰の側とに分かれてますから、太陽を浴びる側のインテリア関連の店にとっては、劣化しやすいものが置きにくく、自ずから品揃えに限度があるようです。

Meguro この地域もある時期までは、どこの商店街と同じように活気のない瀕死状態の街でしたが、今や、スケール的にも立派なコンセプト・ストリートに成りかけていますから、今後の動向が気にかかります。

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2007年11月22日 (木)

1956年・私の日記より

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51年前の冬の朝の模様です。小学校3年生の冬ですが、木造校舎で教室のストーブは真っ赤に鋳鉄が焼けてその周りだけはたいへん熱いのですが、ちょっと離れるとたいへん寒かったのを記憶しています。今とは比べようのない寒い日も多く、日記からうかがえる様に、私と佐藤君はクラス当番として、一番早く登校して教室の環境を整えていました。この時代は下校の際もきちんと教室を整理整頓してから帰りましたから、翌朝、わざわざ早く来て、机をきちんと並べたりする必要などなかったのですが、そこは、まだまだ軍隊的鍛錬が幅を利かせていた時代でしたから、今のように父兄からクレームなど起こるわけもなく、粛々と毎日を担任の清水先生の指導通りに過ごしていました。

この清水先生の、微に入り細に入りの徹底した指導こそが、教わった全ての生徒に腑抜けな者が一人も出ていない事で証明済みですし、父兄にも半端でない信奉者が多かったのです。感情的にも厳しさと優しさのバランスに秀でておられ、身体を動かすことと、感性を豊かにする両面の指導が素晴らしかったように記憶しています。

この日の日記では寒い朝の感じをどう鉛筆で表現してよいものやら・・・といった試行錯誤が読み取れて、その当時を手に取るように思い出す事が出来ます。

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2007年11月21日 (水)

駒沢公園通り・IL GIOTTO

Rimg4425 Rimg4428 Rimg4432 Rimg4447 Rimg4448 イギリスから一時帰国され、毎日忙しいスケジュールを掻い潜った梶原健二さんと、、ご自宅のある桜新町近くの駒沢『IL GIOTTO』で家族と共にランチを過ごしました。

ロンドン郊外で世界を俯瞰に捉えながら、新規事業の構想を練りつつ過ごされているようですから、その一言には以前より一段とシャープさが増して、小気味よいほどです。梶原さんは本業のアロマ環境ビジネス以外に、オーガニックフードビジネスを軌道に乗せ、最近は車重視の町づくりから人・非電化非燃料交通手段(自転車など)を中心とした地域・町づくりに、時代の潮流を感じているようですから、いずれ何処かでその思いが開花することを願っています。

この店には一年ぶりにお邪魔しましたが、ボローニャで修業したマスターのしっかりした味付けのイタリアンは、可能な限り現地の味を再現されています。気取ったモダンなレストラン・トラットリアのひしめく港区界隈とは異なり、此処駒沢では、カジュアルでありながらきちんとした空気の流れている店は何処も繁盛しているようですが、このお店はその中でも飛びっきりの味・雰囲気を堪能できるお店です。お客さんも地元の方が多く落ち着いていますから、香水とヘアースプレーの過剰な臭いに惑わされる事もなく、料理の味を損なわずに美味しくいただけます。

● IL GiOTTO (イル ジオット)
東京都 世田谷区 駒沢4-11-12  tel. 03-3412-2547。

18時~22時30分。土曜・日曜はランチあり(12時~14時30分)。 火曜休。
交通:東急田園都市線駒沢大学駅から徒歩15分・。

土日はワンちゃん連れでにぎわう駒沢公園通りにある。小さな看板なので見逃し注意。料理はどれもボリュームあり。2人で、家族で、友達で、シェアするに最適。「5種類の貝が入ったリゾット」やら、「300g程度の小ぶりのお魚を、スープ煮にするかホイル焼きに。その時、まわりにムール貝などを添えまして……」と、ワインも料理もマダムのお薦めに従うとラクチンかも。どれも財布コンシャスなので、ご安心ください。 (BRUTUS)

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2007年11月20日 (火)

銀座・奥村書店が無くなる!

Rimg4471 Rimg4479 銀座の良心的な古書店『奥村書店』が年内を以って閉店するということを知り、銀座松屋に寄ったついでに伺いました。この場所で戦前から永い間歌舞伎・邦楽・日本料理・昭和の名文芸書を中心に商ってこられた店主の人柄はこの日も温和で豊かでありました。寡黙な人柄ですから、自ら話を切り出す方ではないのですが、こちらからお題を放つと、嬉しそうにこれまでの鮮明な記憶を元に銀座の枝葉末節を語ってくださり、いかにも銀座の旦那らしい一面を覗かせてくれます。再開発以降は一切商いから退いて、悠々自適の素晴らしい生活が待っているそうで羨ましいかぎりです。

その奥村書店の左隣の『銀座・十石』 http://www.jukkoku.com/ はもう8年ほど前から美味しいおにぎりと惣菜を商っていますが、小泉誠さん http://www.koizumi-studio.jp/設計の室内は木の香も優しく、明るく落ち着いた小さな店です。この店長さんも奥村さんと同様、温和な人柄でお客さんからも信頼されています。この店の今後の推移は聞いていませんが、奥村書店・十石と小さいながら銀座の良心が並んでいた姿の片方がまもなく消えることは、事実です。、店の設えも片や昭和の古典、片やナチュラルモダンと対極でありながら、古書店とおむすび屋さんが隣でしたから、「本を買ってちょっと隣でおむすびで一服・・・」という嬉しいひとときがなくなるのは、残念であります。

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2007年11月19日 (月)

銀座の昼飯駆け込み寺『はや満』

Rimg3806 銀座のプランタン界隈の再開発以降、周辺にも更地が目に付くようになり、至るところに飛び火しているようです。

銀座での昼飯は、もう新しい処を開拓するよりも昔馴染みの処で漂う方が安心・快適ですが、残念ながら今やせいぜい5軒ほどしかありません。

この『はや満』http://www.gaden.jp/info/2003a/030625/0625.htmという店も馴染むという意味では筆頭株のようなお店です。20年近く前から通っているお店で、何よりも大安心のお母さんのご飯的感覚が嬉しいのでありますし、おまけに早く・安いのであります。

ご他聞にもれず、この隣も取り壊しされ、建設中ですし、斜め向かいはドトールコーヒーですから、この店の佇まいは貴重であります。ここの女将さんは以前はよくお店に出ていましたが、今は築地にある『はや満』に集中されているようです。

暖簾を潜って、定食を頼んでから、配膳されるまで、最速ですと一分もかからずという曲芸レベルですから、毎日せっかちなサラリーマンで11時45分には一杯となってしまいます。

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2007年11月18日 (日)

1956年・ラグビー

1956802 1956年に世界一のラグビーチーム・オールブラックスが日本で親善試合をしましたが、当時仲の良かった友達のご両親と秩父宮ラグビー場に試合を見に行き、生まれて初めて本場の迫力を味わうこととなりました。

何しろ、体格の違いは歴然としているうえに、走るスピード・タックルの厳しさなど、まだまともにラグビーのルールさえ知らなかった私でさえもその怖くなるような迫力に、当時人気絶頂だったプロレスのような印象を受けたものです。

それでも、機敏な日本チームが相手の隙間を掻い潜って得点を入れた時には場内の大歓声の大きさにしばし唖然としていました。何しろ生まれて初めてのスポーツ観戦でしたから、この年、我家に来たテレビで観るラグビーとは迫力もぶつかりあう音も格段の違いがありました。

このラグビー観戦が導火線となり、父に強請って、週末を野球・プロレス・相撲と、生の迫力を体験したく、出かけるようになりました。

また、この年、私の通っていた小学校の先輩である高校の野球部が、どういう星の巡り会わせか奇跡的に勝ち抜いて、早稲田実業の王貞治率いる当時の高校生最強チームと甲子園出場を賭けた東京地区決勝戦が、神宮球場で行なうこととなりましたが、予想通りとはいえ惜しくも夢は消えたのでした。応援歌など無い学校でしたから、何かにつけ校歌しか歌うものがなく、早稲田実業の軽快な応援歌を羨ましく聴いていました。

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2007年11月17日 (土)

串田孫一さんの書斎というより工房

05_2 父が生前こまめに作っていたスクラップブックからこぼれ落ちてきた週間誌の切り抜きは、串田孫一さんの書斎の写真でした。

こういう写真をみてしまうと、昨今のデジタル書斎の無機的ながら何か貧相さばかりが目に浮んでしまい、やはり私などは、どちらかといえばアナログ的思考回路ですから、じっくりと隅から隅まで見回してしまいます。

きっと、執筆に行き詰れば、そっと足元あたりからシモンのピッケルなどを出してきて磨いたり、ダンヒルのパイプなどを手入れされていたかも知れません。

串田さんは文筆はもちろん、画業も達者で、その独特の画趣は多くの信奉者を従えています。アルプという雑誌に毎号描かれた絵には不思議なモダンテーストがあって、抽象的なのにも関わらず、心を和ませてくれました。

又、とびっきりの生まれ・育ちの良さから来る、『もったいない精神』は特に着る物に顕著で、素晴らしいハリス・ツイードのジャケットにエルボーパッチを付けて着ていらっしゃるのを、見たことがあります。周りを穏やかな空気でまとめてしまう串田さんの声とその風貌に生前、幾たびか接することが出来たのは、私にとって『時の宝物』であります。

串田孫一さん

1915年、東京都生まれ。東京帝国大学文学科哲学科を卒業。お茶の水幼稚園を出て、東大の哲学科出身。 13歳の時、吾妻山五色へ行き、吹雪の中を歩いてから、スキーを楽しむと同時に山の厳しさを初めて体験。以後、戦前・戦後を通じて、山歩きと思索の旅を続けています。上智大学・國學院大學、東京外語大学教授も務めました。哲学者・詩人という肩書きとは大変お堅い感じですが、写真などで拝見する限り、ご本人はとても優しそうな品格のあるお顔立ち。日常、忙しく働く人間たちが忘れてしまった空や雲など自然の美しい本当の姿を文章にし、詩となり、絵となり、哲学となり…そのそよ風のような文体に自然と心が柔らかになっていきます。その魅力はご存知ペイネ本の解説はもちろんの事、ご本人による落書きのような挿絵を発見。一見幼稚に見える氏の描いた挿絵も、なかなか味わい深く、辻まことさんとの名著『山のABC』を見たときはその色使いや、小鳥や草木など自然のモチーフがシンプルでかわいらしく、また『ギリシャ神話』の挿絵では和製ポール・ランドともいえる切り絵の作品など、グラフィックアート的楽しみかたを知ってからは、親近感を抱いてしまいまして、何でも愛称を付けたがるユトレヒト内では、”クシマゴ”あるいは”マゴ”との愛称で呼ぶようになりました。いつも身の回りの小さなことに興味を抱き、ゆっくり考えていく姿勢から、美しいあの芸術世界を築いているのでしょう。著書はパンセの翻訳書もなども含め、500冊以上に及びます。ご子息は、自由劇場の創立メンバーの一人、演出家で俳優の串田和美(かずよし)さん、グラフィックデザイナーの光弘さん。 2005年7月8日。老衰のため死去。享年89歳でした。

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2007年11月16日 (金)

サー・アレック・イシゴニス

132d1967小粋で機能的、階級社会の英国に11_2おいてもクラスレスで楽しい革新的英国車・ミニを設計した、サー・アレック・イシゴニス氏はエンジニアの教育を受けながらも、現場が大好きで工場に入り浸りの性格が幸いして、傑作な車を誕生させたのです。

12 何しろ、エンジンを横置きにするわ、10インチの小さなホイールにラバーサスペンション(技術協力があのアレックスモールトン自転車http://www.dynavector.co.jp/moulton/の発明者・アレックスモールトン氏)、といった自由奔放な発想・発明だらけの車はあっという間に世界の車好きを虜にしてしまいました。

ご覧のような(左側)紳士でありますが、この風貌に似たシニアの方々がミニに乗っている姿をロンドンで初めて見て私もこういう年をとりたいと思った1967年、この車でヨーロッパを15,000kmも走りまくりましたから、私も思い出深い一台です。何しろタフな車でしたし、小回りも効くし、田舎の石畳の振動にはかなり参りましたが、当時まだ免許を取得してませんでしたし、旅行中ほとんどナビゲーター役だった為、最後まで運転の楽しみを知らずに終わってしまいました。

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2007年11月15日 (木)

今日の駒沢公園

Rimg4581 Rimg4559 今日も朝早く犬に起こされ、窓の外を覗くと、雲ひとつない、無風・大快晴でしたから、早々に犬の食事を済ませて、駒沢公園へと向かいました。この一週間で気温もぐっと冷えて来ましたから、さぞ、紅葉もかなり進んだのでは・・・などと勇んで出かけましたが、場所によってその進行度合いがまちまちで、早朝の陽をあびた黄金色スポットはまだほんの一部といった状況でした。

この快晴ですから、走る皆さんも今週18日に開催される世田谷ハーフマラソンのトレーニングに励むグループから、単独走の好きなヘッドホーンを耳にした方まで、普段よりも一段と多く、しゃりしゃりと枯葉を踏みながらの音も心地よく、爽快な朝を楽しんでいました。

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2007年11月14日 (水)

やはりJ.M.WESTONは美しい

Rimg4536 Rimg4537 Rimg4538 水曜日にイギリスに帰られる梶原健二さんと夕方お会いした後、南青山・『ぼこい』で小石原耕作さんと20年ぶりの飲み会をささやかに開きました。

同じ学校の演劇部の後輩・自転車フリークの仲間でもあり、イギリスのラグジュアリーブランドを複数輸入している会社・BLBGの会長さんでもあり、そのマニアックと言われても仕方のない博学ぶりには、噂に聞いていたとはいえ、話が抱腹絶倒ばかりで、飽きないのであります。20 年前は、演劇部OB会の集まりで、たしか井の頭公園傍の昭和初期に建てられたであろう、木造のモダンなお店で会った以来です。この日はお互い好きな自動車・自転車のハードな話に始まり、英国人気質まで、かと思えば日本の現状のお粗末さまでが、すっかり板に付いた英国的ユーモアを交えての独演会でありました。

あっという間の3時間近くが経ち、小石原さんと別れて、骨董通りを表参道に向かうと、男の靴好きには垂涎のブランド『J.M..WESTON』のカジュアルなラインがディスプレーされていました。このブランド、高価な靴にも関わらず、30歳代・40歳代のビジネスマンを中心に人気と販売が右上がりに推移していて、私世代には考えられないラグジュアリーな客層というものが既に存在しているのです。ブリティッシュ・テーストの靴をイタリアらしくリファインされた『J.M.WESTON』の比類なきスタイリングには、誰しもが唸ってしまうほどの彫刻的造形美が在り、これを目の前にし一度でも足を通してしまえば、数多くの木型からジャスト・フィットした履き心地がよその靴とは別世界であることを知ってしまうのです。

この画像の三点は今風の小粋なカジュアルラインの靴で、どこから見ても手抜きのない作りの形であり、もうこのレベルともなると、『J.M..WESTON』のひとり勝ちなのです。お値段はご覧の通りですが、その抜群の履き心地を知ってしまうと、もう逃げられそうもありませんから、観るだけにしておきましょう。

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2007年11月13日 (火)

丸の内・LIPSETT

Rimg4301 Rimg4304 Rimg4320 Rimg4325 Rimg4327 株式会社ワールドが、村松周作さんをクリエーティブディレクターに招いて立ち上げた『LIPSETT』(名前の由来は豪華客船・ノルマンディー号の解体前のニックネーム)http://www.world.co.jp/news/brand/2007/0611.htmlの店舗が丸の内・日比谷通り沿いに出来て半年近く経ちましたが、ようやくこの日、訪れることが出来ました。村松さんはメンズファッション業界ではなかなかの剛毅な気質の人で、これまで影の人として多くのブランドのマスターピースを作り上げてきましたが、このLIPSETTは村松さんのこれまでの集大成・頂点とも思えるほどの、私世代にはとっておきの商品構成となっています。ラルフ・ローレン、ポール・スチュアート、パパス、などと同一線上のトラッド系カジュアルグループに属しますが、アイビー・トラッドを経験した世代を主対象に、さらに上等な素材とクラシックながらブリティッシュとフレンチの薫りを盛り込んだ『上質な男の日常着』のデザイン処理は、今一番の冴えを見せてくれます。日常着にも関わらず、旅を隠し味にしていますから、ちょっとしたディテールに親爺臭くない処理とパーツが加味されているので、この辺りも泣かせどころかも知れません。

男の定番アイテムとしてジャケット・スラックス・ニット・シャツから雑貨まで、店舗内はしっかり組み立てられた商品政策とヴィジュアル・マーチャンダイジングによって、イリュージョンがたっぷりです。店内中央にある1930年代の豪華客船・ノルマンディー号のみごとな模型を見るだけでも一見の価値ありですし、雑誌PENでもお馴染みの山口淳さんがアドバイザーとして参画してますから、ヴィンテージ雑誌から写真集、ポストカードに至るまで、さらに小さな小物までが手を抜かない完璧な拘りを貫き通しています。

平積みされていたLIPSETTOのコンセプトブック「LIPSETT BOOK A to Z for BON BOYAGE」 http://openers.jp/selection/004.html を買い、家で捲るとこれが又、しっかりとした一家言の持主ばかりによる『旅と海』にまつわる執筆が目白押しですし、写真・編集も秀逸で豪華なものです。これだけ時間とお金を掛けた本にもしばらくご無沙汰でしたから、大満足でありました。因みにこの本は、¥1,260という驚愕の安価でありました。

尚、11月15日から12月14日まで1960年代から70年代にかけての貴重なフランスのキーホルダーが展示・即売されますから、見逃すことはありません・・・。

村松周作(むらまつ・しゅうさく)1948年生まれ。神奈川県・横浜市出身

リプセットすべてのクリエイティブ面を統括する、クリエイティブディレクター。
3ライン「LIPSETT」、「T6B-S」、「COTE DE RUAN」の企画・デザイン、セレクト商材の買い付け、店舗企画まで、すべて自身で行っている。
メンズファッション学院卒業後、20才で渡仏。
パリでテキスタイルデザインの仕事を経て、フリーで有名ブランドにコレクション用のファッション画を提供する仕事をしながら各国を旅する生活を続ける。
75年帰国、「コゾーカンパニー」を立ち上げ人気を博する。
84年、コゾーカンパニーを解散、新たに「ワークス」を設立、DCブームを支える人気ブランドのひとつとして支持を集める。
同時期並行して国内多くのアパレル会社でアドバイザー、ディレクターとしても活動。
「ワークス」解散後、91年、(株)M16設立、デザイナー活動を休止、CF、映画、雑誌のファッションディレクターとして活躍する。

Book LIPSETT BOOK AtoZ for BON VOYA―旅と海をめぐる、26文字の冒険

販売元:東京美術
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2007年11月10日 (土)

銀座松屋がルイヴィトンに明け渡し!

Rimg4311 松屋銀座(中央区銀座3、TEL 03-3567-1211)は11月5日より、ルイ・ヴィトンジャパン(港区)とコラボレートしたアートイベント「スペシャル クリスマスデコレーション」を開始した。

 同イベントは同店の外壁をトランクに見立て、2003年に発表されたアーティスト・村上隆さんデザインによるカラフルな配色でルイ・ヴィトンのシンボル「モノグラム」をデザインした「モノグラム・マルチカラー」を配置、30分ごとにイルミネーションが変化し、青や紫などさまざまな色のモノグラムが浮かび上がるもの。アートイベントとしては同店初の試み。

 昨年9月、15億円を投じリニューアルを行った同店の外壁には17万6,400個の発光ダイオードが埋め込まれ、1,670万色の色彩を表現できる。イルミネーションの配色も村上さんが担当「実際に村上さんも見に来た」(同店広報担当者)という。

 同担当者は「クリスマスなので何かできないかと考え、ルイ・ヴィトンさんへお話しをしたところ今回のコラボレーションが実現した」と話している。

 実施時間は日没30分前~24時。12月25日まで。(銀座経済新聞・11月8日)

この銀座経済新聞記事は11月8日のものですが http://ginza.keizai.biz/ 、昨日銀座を歩いていて、はっきり言って唖然としたのであります。こともあろうに銀座、否、東京デパートを自認する松屋がその誇りを捨て去って、ブランドの力に全面降伏してその全てを明け渡してしまったとは・・・。ちょっと考えすぎと思われるでしょうが、このようなことはプライドのある百貨店ではあり得ないことで、間抜けなお姉さん相手の受けがよさそうであれば、何でも許されるのでしょうか?。自社の構想力・構築力が際立つ伊勢丹などでは考えられないことですから、今や銀座松屋の人材はトップから現場まで丸投げ体質が浸透してしまったことに他ならないと勘繰られても仕方ありません・・・。ちょっと、というか、まったく残念の極みであります。確かに松屋と伊勢丹は兄弟のように人・モノ・カネが流通していたものの、いよいよ来年4月には松屋にとって青天の霹靂であろう、実質的な伊勢丹の三越買収劇が現実となり、近々、銀座・三越も伊勢丹色となりましょうから、裏切られた嫉妬か断末魔のあがきの恥知らずのパフォーマンスと思われるのが、オチかも知れません・・・。

さて、百貨店が時代を映す鏡と言われたのも1980年代前半までで、それ以降は不動産業のリーシング発想が主流となって、場所貸し業が主流となり、残念ながらこのような状況では自分で考える優れた人材など育つわけがありません。今では、時代の先を読むとは・オリジナルとは・差別化とはどういうことかを熟知し交渉しリスクをもって実践できる、「伊勢丹の優秀な諸氏」のみが各界で大活躍しているのが現実ですし、更に伊勢丹の若い世代にも連綿としてこのDNAは引き継がれているのです。

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2007年11月 9日 (金)

イリア・カバコフ絵本と原画展 神奈川県立近代美術館葉山

Rimg4225 Rimg4221 Rimg4220 Rimg4224 Rimg4227 日本国内は秋の美術の季節に関係なく、一年中、素晴らしい展覧会が目白押しですから観るにも限界があって、うっかりすると見逃すことも多くなってきました。

11月11日まで神奈川近代美術館・葉山で開催されているイリア・カバコフ氏の『世界図鑑』と題された絵本と原画展も以前から行きたかった展覧会でしたが、世事のばたばたですっかり忘れかけていたところ、スクラップに貼ろうとしていた新聞記事から思い出し、何とか都合を着けて行って来ました。

比較的地味な作家で、いわゆる現代アートのカテゴリーであるインスタレーションの作家として名を成しています。今回は旧ソ連時代のイラストレーションと絵本の装丁が主ですが、会場には整然とジャンル分けされたテーマに基づき、ストーリーも添付されてますから、イリア・カバコフ氏の制作履歴が一目瞭然です。

会場は、学生を中心に程よい混み具合でしたからゆっくりと観て回ることができましたが、その画面構成と色彩設計・表現技法の多彩なことにびっくりしましたし、その仕事は旺盛ながら量と質の安定していることに感心しっぱなしでありました。この日はうっかりして、観賞用の眼鏡を忘れ、プラスティック製のものしかなく、細部をしっかりと観ることが出来なかったのが残念です。カタログは450ページにも亘るしっかりした造本で、いつもこの美術館のカタログには感心いたします。

Rimg4183 Rimg4198_2 閉館時間ちょっと前にカフェで一休みしましたが、薄曇の湘南もなかなかしっとりとしていて、乙なものでありました。

尚、この展覧会は来年の2月9日から世田谷美術館でも開催されるそうですから、見逃しそうな方もご安心を・・・。

 東京新聞・イリア・カバコフ展の記事から

今年のヴェネツィア・ビエンナーレを始め、ニューヨークを拠点として国際的に活躍しているイリヤ・カバコフ(1933-)は旧ソ連のドニエプロペトロフスク市に生まれ、現在は大規模な「トータルインスタレーション」*で知られる現代作家ですが、旧ソ連時代には「非公認」芸術家として活動する一方で、 1950年代から共産主義体制の中で絵本画家として生活していました。 今回の展覧会は、挿絵画家としてのカバコフの創作を約100冊の絵本と、その原画約900点によって、世界で初めて本格的に紹介するものです。絵本の多くは子ども向けで、カバコフが描き出した動物や乗り物、人々の暮らしなどは、本の内容から離れても、絵そのものとして十分に楽しむことができます。展覧会は、絵本の内容によって分けられたI. 生活、II. 科学と産業、III. イデオロギー、IV. 物語、V. 詩という5つの大きなセクションと、『オーシャと友達』というロシアに住むユダヤ人を扱った書籍のコーナー、そして、絵本に関連したドローイングのコーナーから構成されます。 5つの大きなセクションについては、会期の前半(10月14日まで)、後半(10月17日から)で多くの作品が入れ替わります。 ぜひとも親子で、あるいは子どもの頃に親しんだ絵本の世界を思い出しながら、海辺の美術館での1日をお楽しみ下さい。

* 見る人が天井、壁、床、オブジェ、光、色といったあらゆる要素が結合したインスタレーションの中を進んでいくにつれ、それぞれの空間が劇的な展開を見せるもの。

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2007年11月 8日 (木)

1967年・バルセロナ

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1967年、初めてのヨーロッパ旅行は、ブランズハッチの自動車レース・ジュネーブのモータースポーツショー・ミラノのMIASというスポーツ用品トレードショーの取材班に紛れ込んだ旅行でしたから、通常の観光旅行とは違い、毎日がスリルと度胸を試されるような出来事の連続で、今から思えば、どんな状況でも腹を決められる根性が養えたのも、この時の経験があったからこそではないかな・・・などと思っています。何しろ、45日間殆ど毎日が車の移動で、走行距離15,000キロという若さで乗り切った旅行でしたから・・・。

そんな中、この取材班で一番年上なのに一番静かなY田さんが、モナコのカジノで賭けた一発逆転の願いがもののみごとに当たって、途方もない大金を手にしました。普通ならば、ここで自分だけのものとするところを、さすが大人だったY田さん、皆でバルセロナまで大名旅行という事となってしまいました。モナコからバルセロナまで、あのコートダジュールを左に見ながら、これから待っているバルセロナのお楽しみを一人ひとり想像を高めつつ、当時はあまりにも遠い国、スペインまでやって来たのでした。

復活祭の時期とも重なっていて、毎晩深夜までバルセロナの町は人で溢れ、花火もあがって、という日本では体験した事のない、享楽好きな国民性にまず、びっくり!。翌日、ホテルのコンシェルジュにチップを渡して手に入れたチケットを手に、闘牛見物となりました。初めて見る闘牛には日本人では目を覆いたくなる場面も多く、あまり馴染めませんでしたが、私は、ニコンFの望遠レンズを通して観客の興奮状態を覗き見るのに精一杯でありました。当時、人気・実力ともに一番の闘牛士(エル・コルドベス)が登場して来ると最高潮となり、ご覧のような盛り上がりでした。

今や、スペインでも動物愛護の追風が吹き、闘牛士になる少年も激減のようですが、この時代は闘牛士がスペイン国内の花形職業の頂点でした。

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2007年11月 7日 (水)

1964年、初めての副業!

1964_1 昨年の暮れも迫った頃、東京サイクリング・センターで鳥山新一氏と40年以上の再会となりました。

この時は、自転車フリークスになったばかりの梶原建二さんがランドナーのオーダーをする為、私がアドバイザーとして同行したのですが、もしやと思い、鳥山氏に電話をかけたところ快諾して頂き、お店で待ち合わせとなり、梶原さんにも素晴らしいアドバイスをいただきました。

なにしろ、高校時代の殆どを自転車三昧の生活でしたから、よくサイクリングセンターの店でお会いした鳥山先生からもずいぶん自転車に関する情報を教えて戴きました。話が面白いものの、その内容などほとんど海外の、それも最先端の話ばかりで、私など分かる筈などなかったのですが、後になって点・線・面と繋がってきて、「そういうことだったのか!」などと理解できたことばかりでした。

鳥山新一氏は理論的な背景を日本の自転車産業に採り入れ、実用車からスポーツ車への転換を推奨し、東叡社に当時最先端のフレーム工作技術指導をされ、また、自ら各種自転車振興のカタログ・パンフレットの写真撮影もされました。

この画像は、1964年(昭和39年)の3月、まだ寒い頃の奥多摩・御岳方面で撮影したものです。私は左におりますが、早朝に吉祥寺を出発して、現場に行き、撮影に相応しいスポットを探しながら、夕方近くまでずいぶんと撮りまくった結果のベスト・ショットです。鳥山氏は、当時珍しかったベンツのワゴンのハッチを全開して、寝転びながらこのショットを撮影したのですが、なかなか思うようにいかず、NGの連続で、走る私も相当疲れましたがモデルの女性などは普段鍛えていませんから、もう半べそ状態で、鳥山氏がなだめながらの撮影でありました。すっかり冷え切った帰りの車中は、全員ただひたすら爆睡だったのであります。

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2007年11月 6日 (火)

日本橋・櫻川

Rimg4007 Rimg4045 Rimg3990 先日、ある集まりがあり、日本橋三井タワー二階の『櫻川』http://www.mitsuitower.jp/shop/saku/index.htmlに出向きました。

私はさほど日本料理に深い関心を持つ者でありませんが、この日は改めて日本の季節の豊かさと、美の表現の幅広さに感動しまくりました。

全てをブログに掲載するのも如何なものかと思い、ここは私の感心した二品を載せました。お造りは魚の刺身の控えめな量感が器の華やかさを助け、料理と器の絶妙なるバランスを以って、テーブルに登場しました。此処は畳敷ながらテーブル席でしたから、視線角度が座卓でいただく時よりも高くなりますから、一層美的レベルを要求されるのでしょう。

さらに、ご飯はまつたけ・ふかひれ・栗の混ぜご飯から選択できますが、ここはやはりマツタケに挙手が多く、お吸い物の風味絶雅とともに身体内にも秋の香りが浸み込みます。素っ気ないほどのシンプルさの中にも、しっかりとした味のご飯が大満足でありました。

この日は、何年に一度かの『日本の豊穣の恵み』を堪能した一日でありました。

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2007年11月 5日 (月)

CAPE COD の丘

6_1 Edward Hopperが1930年に描いたCape Cod界隈の丘陵は、今にも干草の薫りが届くほど、リアリティー豊かであります。

健全なアメリカを代表する画家として今もNorman Rockwellと人気を二分していますが、剛毅な感性ではEdward Hopperに軍配を挙げざるを得ないでしょう。

予備知識もなく、黙ってこの絵の前で静観していると、アメリカの中西部の風景を何のひねりも無く描いたそのストレートな感覚が気持ちよいのです。

カントリーミュージックが未だ、地方の娯楽の王座であった1950年代の片田舎の秋の夕暮れにも見て取れますし、絵画のもつ魅力とはあくまでも観る側の自由な想像を倍加させてくれるところにありそうです。

さて、この絵にぴったりのカントリーミュージックは、ずばり、ジミー・ロジャースの哀しげなトレイン・ソングか( http://www.youtube.com/watch?v=gbzc77Tz6PA )、アメリカの鉄道模型マニアの映像に載って、3曲も聴けるハンク・スノーのご機嫌なトレイン・ソング (http://www.youtube.com/watch?v=cw-4AAn1Nww )がお奨めであります。

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2007年11月 3日 (土)

薫る景観

Cibvc 自転車をただ我武者羅に走るだけの道具としてでなく、自分の生涯の徘徊の友として楽しむには、自分の漂っていたい景観イメージをしっかりと掌握しておくと、ぐっと楽しみ方に深みが生まれるというものです。

高校時代のほぼ毎週末、沼さん・有吉さんという東京サイクリング・センターで紹介していただいたお二人に、しょっちゅうお誘いいただき、若造の私はこのご両人の言うこと、為すこと、立ち振る舞いをしっかりと目に焼き付けながら、一時は兄弟のように一番後ろから必死にくっついていったのであります。

そして分かってきたことは、自転車を中心にその周り(工学・文化・風俗・趣味・地域性・・・)までも自分の守備範囲にしていかないと、たんなる自転車馬鹿でしかないという明快な事実でありました。

最近の私のブログにはFrank Pattersonさんの挿絵が頻繁に登場しますが、この挿絵のことをを教わったのも、確か有吉さんだと記憶しています。この挿絵の凄さは何といっても自転車の乗り手としても一流であったに違いないFrank Pattersonさんの、臨場感そのものであります。自転車部品その他ハードを描かせたらフランスのDaniel Rebour http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000661.htmlさんには一歩譲るものの、自転車と景観との関係がお互いに邪魔せずしっくりと収まっていますから、40年以上経っても私にとっては、色褪せないイラストレーションのマスター・ピースなのであります。

そして、英国人気質のむやみに新しさを求めない大人の腹の据え方こそ、自転車を通して知り得た人生観の収穫であったのです。

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2007年11月 2日 (金)

気になったら止まれ!

457 自転車ツーリングをしていて、何度も悩むのが、食事のタイミングです。仲間と走るときなどは、大体の様子で判断できますが、単独のときなどは、先に進む事に意識が集中し過ぎて、昔は所謂、食いっぱぐれにあったこともございました。

今や、どこに行ってもコンビニはありますし、食事に悩むことなど無くなってしまい、逆に云えば、町の風景に違いがなくなってしまったと思うのは、考え過ぎでしょうか。

40年以上前のサイクリング部・ツーリングではちょっとした弁当以外に、コッフェル、バーナー、嗜好食品をフロントバッグに容れ、先輩のご機嫌を損なうことなく事前準備を自発的に行うことを訓練されましたから、今でもその習癖がかすかにあって、気が付けばポケットに一杯ものを詰めていることもあります。当時の練習コースは多摩丘陵縦断がビッグ・イベントで、地図を大まかに見た後は磁石だけを頼りに二人チームで元に戻ってくるという他愛無いものでしたが、長閑な丘陵と穏やかな自然環境に囲まれた周辺を駆け巡っていると自分たちの位置が全く分からなくなること、度々でした。

棚田の連なる、細い畦道の脇を成り行きで上がっていけば其処は、農家の庭先で、親切なご夫婦にお茶とお稲荷さんをご馳走になったりと、普段の生活では知りえない温かさを味わうこともありましたから、ただ自転車を走らせるだけでなく、その時・その場・その人との偶然の出会いを大事にするようになりました。

このFrank Pattersonさんの挿絵のように、行き過ぎてからちょっと立ち止まり、自分の腹具合と相談して食事を採るか採るまいか悩む楽しさは、コンビニ登場以降いつでもOK!となってしまい、すっかり薄らいでしまいましたから、ちょっと残念ではあります。

何しろ、自転車の醍醐味はスピード以上に寄り道・脇道・戻り道と考えている人間ですから、東京都心でもおやっと思う場に出くわすと昔のDNAが瞬間的に復活して、どんどんと脇道に入っていってしまいます。残念ながら以前のような長閑な街並みに出会うことは少なくなりましたが、車中心の表通りには見られないそれなりの風土の名残が薫っている場所も僅かながら現存しています。

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2007年11月 1日 (木)

名残惜しい景色!

Chiso Illustration:Frank Patterson

英国の素晴らしい田園風景を始めて目にしたのは、1967年の取材旅行でしたが、20歳ということもあり、おまけに車のナビゲーターという大役を仰せつかったこともあって、車中は地図を追いかかるのに精一杯でしたから、まともに景色を楽しむことなど皆無でありました。それから18年ほど経過した1985年、百貨店の海外出張で英国の商品を買いつけに行った時にあらためて英国的眺望の素晴らしさに感動しました。なだらかな丘陵があくまでも優しく、こんなところだからこそ、ランドナーやライトウェイト・スポーツカーの文化が開花しるのだろう・・・などと納得しました。

1970年、会社に入ってからは自転車が少しずつ自分から遠のいていって、休日は音楽と専門図書に浸ることが多くなっていきました。おまけに日本の道路事情も自転車にとって劣悪になり、長閑な郊外の景色も分譲開発によって段々と消え失せていきましたから、自転車を楽しむ気分も薄れていったのであります。

このフランク・パターソンさんの挿絵のような風景は、東京オリンピックの始まる1964年以前には、東京の郊外でも見られた景色で、毎週末、天気が良ければ自転車で狭山・奥多摩・多摩丘陵近辺を走りまくっていました。多摩丘陵は今や一大ベッドタウンとなって分譲住宅のはしりとなりましたが、当時は見事なまでの丘陵が続きランドナーを駆って走る気分は独特の解放感を伴っていましたし、周辺は茅葺の立派な農家も多く、柿の木が多いこともよけい日本の秋の風情を感じとりました

当時、自転車に関する薀蓄を指導していただいた沼さん・有吉さんが、偶然にもカントリーミュージックがお好きなこともあり、意気投合し週末はよくツーリングにお誘いいただきました。

有吉さんのフロント・バッグの中のトランジスタ・ラジオを通して聴こえてくる、FEN放送のジム・リーブスhttp://www.youtube.com/watch?v=nECoA-uVGfw&mode=related&searchやファロン・ヤングhttp://www.youtube.com/watch?v=HMSWAUAKJn0&mode=related&searchといった甘い歌声が、秋の景色と空気に余りにも調和しすぎていました。

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