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2007年11月17日 (土)

串田孫一さんの書斎というより工房

05_2 父が生前こまめに作っていたスクラップブックからこぼれ落ちてきた週間誌の切り抜きは、串田孫一さんの書斎の写真でした。

こういう写真をみてしまうと、昨今のデジタル書斎の無機的ながら何か貧相さばかりが目に浮んでしまい、やはり私などは、どちらかといえばアナログ的思考回路ですから、じっくりと隅から隅まで見回してしまいます。

きっと、執筆に行き詰れば、そっと足元あたりからシモンのピッケルなどを出してきて磨いたり、ダンヒルのパイプなどを手入れされていたかも知れません。

串田さんは文筆はもちろん、画業も達者で、その独特の画趣は多くの信奉者を従えています。アルプという雑誌に毎号描かれた絵には不思議なモダンテーストがあって、抽象的なのにも関わらず、心を和ませてくれました。

又、とびっきりの生まれ・育ちの良さから来る、『もったいない精神』は特に着る物に顕著で、素晴らしいハリス・ツイードのジャケットにエルボーパッチを付けて着ていらっしゃるのを、見たことがあります。周りを穏やかな空気でまとめてしまう串田さんの声とその風貌に生前、幾たびか接することが出来たのは、私にとって『時の宝物』であります。

串田孫一さん

1915年、東京都生まれ。東京帝国大学文学科哲学科を卒業。お茶の水幼稚園を出て、東大の哲学科出身。 13歳の時、吾妻山五色へ行き、吹雪の中を歩いてから、スキーを楽しむと同時に山の厳しさを初めて体験。以後、戦前・戦後を通じて、山歩きと思索の旅を続けています。上智大学・國學院大學、東京外語大学教授も務めました。哲学者・詩人という肩書きとは大変お堅い感じですが、写真などで拝見する限り、ご本人はとても優しそうな品格のあるお顔立ち。日常、忙しく働く人間たちが忘れてしまった空や雲など自然の美しい本当の姿を文章にし、詩となり、絵となり、哲学となり…そのそよ風のような文体に自然と心が柔らかになっていきます。その魅力はご存知ペイネ本の解説はもちろんの事、ご本人による落書きのような挿絵を発見。一見幼稚に見える氏の描いた挿絵も、なかなか味わい深く、辻まことさんとの名著『山のABC』を見たときはその色使いや、小鳥や草木など自然のモチーフがシンプルでかわいらしく、また『ギリシャ神話』の挿絵では和製ポール・ランドともいえる切り絵の作品など、グラフィックアート的楽しみかたを知ってからは、親近感を抱いてしまいまして、何でも愛称を付けたがるユトレヒト内では、”クシマゴ”あるいは”マゴ”との愛称で呼ぶようになりました。いつも身の回りの小さなことに興味を抱き、ゆっくり考えていく姿勢から、美しいあの芸術世界を築いているのでしょう。著書はパンセの翻訳書もなども含め、500冊以上に及びます。ご子息は、自由劇場の創立メンバーの一人、演出家で俳優の串田和美(かずよし)さん、グラフィックデザイナーの光弘さん。 2005年7月8日。老衰のため死去。享年89歳でした。

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