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2007年12月30日 (日)

1955年・私の日記

204_1 1955年、小学校2年生の時の日記です。突然このような文体の日記が登場して思わず笑ってしまいます。父の影響などあるわけでもなし、きっと先生が授業で詠った詩かなにかのインパクトが強烈だったのか、家に戻ってその印象が薄れぬ前に書きとめたのではないでしょうか。これに似た視点の文体は後にも先にもこれっきりでありますが、さて、何の因果であったのか今もって不可解な文案ではあります。

担任の清水先生は根っからの先生塊のような方で、多くの素晴らしい卒業生を育てましたが、今時の間抜けな父兄でしたら「あまり子供に干渉しないで下さい!」と思わず叫んでもしょうがないほどの子供の躾には熱心な先生でありました。ある時はたいへん厳しく、又、ある時はたいへん優しく指導されたので、その片鱗は日記に書かれている先生のコメントにも良く表れています。

この頃、毎日学校の帰りに久我山駅傍にあった関口文具店に寄り道しては、大きな硝子鉢(昔の煎餅屋さんにあったタイプのもので、アルマイトの蓋が付いていました)に入った綺麗なプラスチックボディのボンナイフが子供には煌めくお宝のように見えていましたが、2年生では刃物など持てるわけがなく、早く高学年になりたいと思っていました。又、この頃の消しゴムはやたらと香りのする不思議なものが子供の間で流行っていて、友達同士で貸しっこ・交換ごっこなどという他愛無いことを楽しんでいた時代であります。

そして念願のボンナイフを学校に持っていける年齢となると、授業中ボンナイフで当時発売され出したプラスチック製のカラフルな消しゴムを削ったり、細工したりする事もあって段々授業が疎かになり始めました。

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