« カジュアル盆景 | トップページ | 1960年1月13日・マラソン大会 »

2008年1月24日 (木)

1956年・私の日記

30104 1956年、私の家にテレビが来ました。

父は観念的左翼派であり、中途半端なリベラリストでしたから、日本経済の推進力の象徴であったテレビを観念的に嫌ってましたが、周りの生活エンジョイ型親族に煽られ購入する次第となりました。ところが、テレビが来てからというもの、野球に相撲にと、嫌っていた本人が誰よりも毎日テレビ漬けとなってしまい、学校から戻ってくると食卓に陣取ってテレビを楽しんでいた父の様子が思い出されます。父が48歳頃の出来事でしたから、もし私が父と同じ状況にあれば、テレビの誘惑に勝てる筈もなく、同じ行動をしていたに違いありません。

ところで、この日の日記の「おち」が傑作で、この頃から父に感化された以外考えられない内容なのですが、こういう結論を強引に引き出す論法は今日まで私を引きずっていて、周りを引きずり回す事、多々ございます。

1956年ですから、千代の山( http://sumo.goo.ne.jp/kiroku_daicho/mei_yokozuna/chiyonoyama.html )・若乃花( http://sumo.goo.ne.jp/kiroku_daicho/mei_yokozuna/wakanohana1.html )の両力士とともに栃錦・鏡里・吉葉山の五横綱が相撲の黄金時代を作り始める頃の記録です。テレビを食い入るように見ていたのか、先生に褒められたカットがリアリティー充分です。

(「団塊の世代」と耐久消費財の普及)
「団塊の世代」前後の世代からは,その前の世代にはなかった消費生活の経験をしている。それは例えば耐久消費財の面で典型的である。「団塊の世代」が小学生となった時には1956年の「もはや戦後ではない」時期になっており,その頃から,テレビ,電気洗濯機,電気冷蔵庫といった当時「三種の神器」といわれた耐久消費財が家庭へ急速に普及していく変化を経験した。さらに,その後はカラーテレビ,クーラー,乗用車の「3C」と言われた耐久消費財の普及を経験している。このように,「団塊の世代」は,初めての本格的なテレビ世代,マイカー世代であったとも言える。「団塊の世代」が小学校の高学年から中学生となっていた61年にはテレビの普及率は6割を超え,その後,63年にはテレビアニメが,さらに65年にはテレビ空想特撮の放送が始まっている。(Dr.黒石の 最近思うこと)より

|

« カジュアル盆景 | トップページ | 1960年1月13日・マラソン大会 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/29019/5291653

この記事へのトラックバック一覧です: 1956年・私の日記:

« カジュアル盆景 | トップページ | 1960年1月13日・マラソン大会 »