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2008年1月30日 (水)

1956年・私の日記

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1956年の日記から、相変わらず『まっすぐ帰らないシリーズ』であります。

わんぱく盛りの始まりであった頃で、まだ、ローカルでほのぼのとしていた井の頭腺・久我山駅の、駅員さんの眼を盗んでは改札を通らずにホームから飛び降りては、南口に出ていました。今では危険極まりない行動などと、お叱りを受けるのでしょうが、この時代は大人も子供も、結構、こういうことをしていたものです。駅の前を流れる神田川の周辺は一面が水田で、秋ともなると稲作が始まり、駅から南南西の方角に見える久我山稲荷神社からは収穫祈願のお囃子が聴こえてくる、といった東京郊外の村のような所でした。まだ道路は舗装もされず、農家の牛でさえ人見街道をゆっくりと歩いていた、笑えるほどのカントリーだったのです。

南口を岩崎通信に向かう道はこの当時、切通しの赤土(関東ローム層)が露出していた細い急坂道で野趣に富んだ武蔵野風景が続いていました。車など通ることなど稀でしたから、石蹴りをしながら家までたどり着くのが面白かったのでしょう・・・。以前の日記にも出てきた竹薮に入って石を蹴ると竹にぶつかった反響音が軽快に鳴り渡り、その大きな音で、爽快感を味わうことができました。しかし、農家が点在していた環境もあって、家の傍にあった肥溜めだけは苦手で、小さい頃に「あそこを覗くと怖い生き物が中から出てくるぞ」などと近所のお兄さんにたき付けられましたから、低学年までは本当に恐る恐る通っていました。

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