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2008年1月13日 (日)

1956年・私の日記より

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1956年の日記からです。当時は野球と同じほど子供に人気のあった相撲ですが、最近のテレビ中継を観ても升席が空いていることが多く、一連の不祥事以前から週間文春や週刊現代などで相当昔から追いかけている八百長問題を含め、はっきりしない協会のスタンスなどが白日のもとに晒され、今はどうなんでしょうか・・・。

この頃、私は野球に目覚めだした頃ですが、待ちに待った新品のテレビに釘付けとなっていて、まだ数少ない番組から「日真名氏飛び出す」を筆頭に人気番組が始まると宿題も疎かになり、日記も少しずつ、手抜き状態の比率が上がってきました。

当時の力士のキャラクターも幅広く、今のような海外調達など考えられず、日本の農業と、天皇制を背景に堂々の日本主義を謳っていました。私は信夫山・鳴門海といったそっぷ型の力士が気に入っていましたが、それほど強いわけではなく、むしろ負けっぷりの美しさに魅かれていたような気がします。大多数は千代の山・若乃花といった優勝確立の高い力士を応援していて、それが尋常な精神なのでしょうが、もって生まれた我家の偏屈精神の宿命が、そんなものの見方をしてしまったのかも知れません。

担任の清水晴男先生の応援していた松登は、色黒の突貫小僧で、負けっぷりがお気の毒と言われても仕方がないほど哀しい姿だったのを、テレビを通しても感じていました。

栃若時代がすぐそばまで来ている時代の日記です。

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