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2008年1月25日 (金)

1960年1月13日・マラソン大会

1960_1136 今は立派な近代的校舎が林立する吉祥寺にあるこの学園も、1960年当時はまだ長閑なケヤキに囲まれ、野趣に富んだ雑木林やグラウンドもたっぷりあった、素晴らしい環境におかれていました。高度成長期のど真ん中、まわりの景観もどんどんと変化していく中、この学園だけは未だ、創立以来の質実剛健な気風が、その環境にも充分反映されていました。

この写真は小学校卒業の年、1960年1月13日に開催されたマラソン大会のスタートです。平均点がある一定以上であればエスカレーター式に中学の進学が約束されますが、この時期はまだそこがハッキリしていませんから、成績が平均点の上下を行ったり来たりしていた私は、落ち着かない日々でありました。また、都心よりは3度近く温度の低いこの場所で早朝からのマラソンは、子供にとっても厳しい鍛錬以外のなにものでもありませんから、ただひたすら走りながらも、中学進学のことが気がかりでありました。 

さて、濱 徳太郎さん(フランクロイドライト著『建築のために』訳者・日本クラシックカークラブ初代会長)というクラシックカー・コレクターの住いがこの学園の傍にあって、そこにはロールスロイスから、ブガッティ・ベントレーなどが簡素な木造の車庫に横一列に並んでいて、なぜかこの周りだけは、ブリティッシュ・カントリークラブのような趣きがありました。この簡素な車庫と同じような佇まいは、鶴川にある白州次郎・正子の住い、『武相荘』にも遺されています。7

さらにこの写真で、横に走る五日市街道の奥に見えるモダンな外観の建物がアントニン・レーモンド設計による赤星鉄馬邸  http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/001756.html   http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/001768.html の裏門側でありますし・・・、一時代、この学園の周囲は素晴らしいグレードを誇る、田園叙情的な環境であったことだけは間違いありません。

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