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2008年1月31日 (木)

銀座・AGNI

Rimg6370 Rimg6379 Rimg6381 先週は神田・神保町で強烈ボリュームのカツカレーを新世界菜館で戴きましたから、しばらくカレーに関わりたくないな・・・などと思っていたところ、この日は打合せの後、一緒に案内されたのが銀座2丁目・プランタンの傍にある、Velvia館http://www.midcity.jp/velviakan/8階のAGNI http://www.sitaara.com/agni/index.html というインド料理のお店でした。

神田界隈の店が発する「元気な昭和の薫り」と異なり、こちらは「新しいアジアン・テーストの息吹」とでも云いましょうか・・・、ぐっとセンスアップされたモダン・エスニックな環境です。店内の壁もわざわざインドから運んだ宝石の原石が採掘される場所の土をベースにしているそうで、たいへん和む柔らかい趣きを発しています。

ランチは¥1,200からですが、わたしはチキンカレーをお願いしました。わざわざルーをそのつど作るそうですから、ちょっと時間は掛かりますが、出てきた料理はこのように美しくまとまっていました。チキンはタンドリー・チキンで、香ばしい出来上がりをすぐ食べられるのは、嬉しいことであります。場所柄、女性をターゲットにしたやや甘口気味の薫りも、鮮度のある香辛料やハーブを駆使しているのか・・・、繊細な味覚を楽しめます。ライスはレモングラスというハーブを隠し味としていてインド米と上手く絡み合い、その軽い食感とともに胃ももたれず、すっきりといたします。

此処は日曜もランチはやっているそうで、このビルの持っている高級感とは裏腹に、8階にある他のレストランも場所とメニューの中身を考えれば、リーゾナブルでしょう。この界隈のお洒落で、値段がそこそこという店が増えたことで、銀座の伝統的レストランも早急に営業戦力を組み立て直す時代なのでしょう・・・。

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2008年1月30日 (水)

1956年・私の日記

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1956年の日記から、相変わらず『まっすぐ帰らないシリーズ』であります。

わんぱく盛りの始まりであった頃で、まだ、ローカルでほのぼのとしていた井の頭腺・久我山駅の、駅員さんの眼を盗んでは改札を通らずにホームから飛び降りては、南口に出ていました。今では危険極まりない行動などと、お叱りを受けるのでしょうが、この時代は大人も子供も、結構、こういうことをしていたものです。駅の前を流れる神田川の周辺は一面が水田で、秋ともなると稲作が始まり、駅から南南西の方角に見える久我山稲荷神社からは収穫祈願のお囃子が聴こえてくる、といった東京郊外の村のような所でした。まだ道路は舗装もされず、農家の牛でさえ人見街道をゆっくりと歩いていた、笑えるほどのカントリーだったのです。

南口を岩崎通信に向かう道はこの当時、切通しの赤土(関東ローム層)が露出していた細い急坂道で野趣に富んだ武蔵野風景が続いていました。車など通ることなど稀でしたから、石蹴りをしながら家までたどり着くのが面白かったのでしょう・・・。以前の日記にも出てきた竹薮に入って石を蹴ると竹にぶつかった反響音が軽快に鳴り渡り、その大きな音で、爽快感を味わうことができました。しかし、農家が点在していた環境もあって、家の傍にあった肥溜めだけは苦手で、小さい頃に「あそこを覗くと怖い生き物が中から出てくるぞ」などと近所のお兄さんにたき付けられましたから、低学年までは本当に恐る恐る通っていました。

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2008年1月29日 (火)

食品・蝋細工

Rimg6132 今日は朝から打合せで都心に居ましたが、昼時期に東京ミッドタウンのレストラン街を徘徊していると、現物と見まごうほどの出来栄えの蝋細工で出来た食品が、ある和系の飲食店のウィンドゥで展開していました。

この和系レストランはティクアウトコーナーも蝋細工の作品で埋め尽くされてましたが、一つ一つの造形感覚が冴えている様にも感じたので、この店主と思しき女性に聞いてみたところ、やはりこの方が浅草橋界隈の蝋細工業者に乗り込んで、直談判で細部に亘り細かい指示を、し続けた結果、このような美しく、シズル感に溢れた、サンプルが出来たというわけであります。お客の欲しくなるような臨場感で埋め尽くされたこの店のウィンドゥはなかなか見ごたえがあって、飽きることがありません。おそらく近場にある果物屋さんの素晴らしいショゥイングに触発されて、自分たちのできることを練り上げた結果なのでしょうが、この一角は良い意味で各店が競いあっています。

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2008年1月28日 (月)

スイス・ポスター 1916年

Swiss1314 Drawing:Emil Cadinaux

今では東京から軽井沢に車で向かうには、関越自動車道から藤岡経由で上信越自動車道を通るのが王道でありましょうが、1960年代から1970年代の中頃にかけては、川越街道から本宿に向かい和美峠を抜けて行くのが車好きの連中には渋滞を避けるルートでありました。

今のように、クーラーも完備していた時代ではありませんから、どうしても夕方涼しい頃に東京を出て、夜、軽井沢に着くという考えが普通でありました。夜の川越街道は漆黒のような闇夜でしたが、雲が無ければみごとな天の川も見えるというご機嫌な夜のドライブでありましたし、車も少なく、意地悪な覆面パトカーにも出会うことなく、飛ばしに飛ばして東京・軽井沢間を一時間半ほどで走破した兵も居た時代でした。本宿から軽井沢方面に向かう途中から一気に上りとなって、先の確認が難しい真っ暗な未舗装道路を走るのですが、和美峠の何箇所かは、このポスターそのままといった場所があって、調子に乗って運転した仲間には転落した者もいたのです。今ではすっかり快適な林道のようになっていますが、30年以上前はブルーグラスミュージック http://www.youtube.com/watch?v=BZL83wR9jTg の華やかなサウンドのカセットテープを大音量にして走らないと、後ろからお化けでも出るのでは!などと想像してしまうほど真っ暗で恐ろしいほどの静寂な抜け道でありました。

さて、このポスターは1916年に制作された石版刷りのものですが、スイス製の自動車・Martiniの性能がいかに素晴らしいかを訴求しています。車を控えめに表わしている点は、他社のポスターにもいえるのですが、商業臭さを表に出さないヴィジュアル指向のスイスポスターの典型でもあります。

このポスターにはフランス・イギリスをはじめ、徐々に国境を越えた自動車レースが盛んに開催された時代の薫りがしてまいります。

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2008年1月27日 (日)

『ノーサイド』という雑誌があった!

Img_7711 Img_7712 私世代を中心に先輩方をも守備範囲に想定した雑誌は過去、多く出版され、生き延びたものもあれば、創刊され、すぐに廃刊の憂き目に会うものもあり、なかなか複雑なようであります。

この雑誌、文芸春秋社から1991年頃に創刊された『ノーサイド』という雑誌です。当初は雑誌「文芸春秋」の土台にのった切り口の雑誌程度でしたが、1994年頃から旬の話題など全く登場せず、ひたすら懐かしきよき時代に浸ることを身上としたなかなか拘りすぎてしまった雑誌に路線が変化しました。競合誌・『サライ』のような物販の要素も絡めたカタログ的方向には見向きもせず、毎号のテーマに即したかなり深堀の事典的内容が満載されていましたので、読み物としても面白く、写真の選択も秀逸で、旅行の友として出張のパートナーとして、私もずいぶんお世話になりました。

残念なことに寿命は、1996年まで。購買数の伸びが少なかったのでしょうが、今ではその貴重な内容に躍起になってこの本を探している輩も多いと云われているようですが、ネットでも、内容と照合すれば、かなりの廉価で流通しているようです。

ノーサイド・タイトル

1994年・10月号◍戦後が似合う映画女優

1994年・11月号◍手仕事恋しや

1994年・12月号◍黄金の読書

1995年・01月号◍平成養生訓

1995年・02月号◍戦後が似合う映画俳優

1995年・03月号◍アメリカの贈り物

1995年・04月号◍近代日本 夢の旅人

1995年・05月号◍読書名人伝

1995年・06月号◍料理は男の一大事

1995年・07月号◍むかし戦争に行った

1995年・08月号◍永遠の少年のためのアウトドア

1995年・09月号◍キネマの美女

1995年・10月号◍日本酒を究める

1995年・11月号◍ビートルズ同時代

1995年・12月号◍知られざる京都

1996年・01月号◍「鬼平の世界」探訪

1996年・02月号◍懐かしのラジオ・ディズ

1996年・03月号◍ベストセラー再読

1996年・04月号◍おお、女優

1996年・05月号◍美食家列伝

1996年・06月号◍歌舞伎の新時代

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2008年1月26日 (土)

MORGAN AERO 8

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2000年にジュネーブ・オートショーで発表された、64年振りの新設計によるモーガン・エアロ8の美しい姿です。英国のハイランドを快走する気持ちよさをしっかりとマシーンにも、のり移っているこの車、日本でも1960年代から絶大な人気があって、オリンピックの始まる1964年頃には結構見かけた車でしたが、英国気質丸出しの性格が部品にも反映されて、ちょっと手を抜くと油漏れなども起きて、いつの間にか目立たなくなっていきました。

それでも、この美しい造形美と、手作り感たっぷりの車は今でも根強い固定客がいるそうで、大田区・目黒区・世田谷区の界隈で、早朝に疾走する姿を見ることがあります。今の車には見られない後姿の美しさといったら、何と例えればよいのか分かりませんが、自転車で信号待ちで隣に立ち止まりますと、お互い乗り物は異なるものの感性は一緒ですから、目配せなどしてしまうのです・・・。

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2008年1月25日 (金)

1960年1月13日・マラソン大会

1960_1136 今は立派な近代的校舎が林立する吉祥寺にあるこの学園も、1960年当時はまだ長閑なケヤキに囲まれ、野趣に富んだ雑木林やグラウンドもたっぷりあった、素晴らしい環境におかれていました。高度成長期のど真ん中、まわりの景観もどんどんと変化していく中、この学園だけは未だ、創立以来の質実剛健な気風が、その環境にも充分反映されていました。

この写真は小学校卒業の年、1960年1月13日に開催されたマラソン大会のスタートです。平均点がある一定以上であればエスカレーター式に中学の進学が約束されますが、この時期はまだそこがハッキリしていませんから、成績が平均点の上下を行ったり来たりしていた私は、落ち着かない日々でありました。また、都心よりは3度近く温度の低いこの場所で早朝からのマラソンは、子供にとっても厳しい鍛錬以外のなにものでもありませんから、ただひたすら走りながらも、中学進学のことが気がかりでありました。 

さて、濱 徳太郎さん(フランクロイドライト著『建築のために』訳者・日本クラシックカークラブ初代会長)というクラシックカー・コレクターの住いがこの学園の傍にあって、そこにはロールスロイスから、ブガッティ・ベントレーなどが簡素な木造の車庫に横一列に並んでいて、なぜかこの周りだけは、ブリティッシュ・カントリークラブのような趣きがありました。この簡素な車庫と同じような佇まいは、鶴川にある白州次郎・正子の住い、『武相荘』にも遺されています。7

さらにこの写真で、横に走る五日市街道の奥に見えるモダンな外観の建物がアントニン・レーモンド設計による赤星鉄馬邸  http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/001756.html   http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/001768.html の裏門側でありますし・・・、一時代、この学園の周囲は素晴らしいグレードを誇る、田園叙情的な環境であったことだけは間違いありません。

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2008年1月24日 (木)

1956年・私の日記

30104 1956年、私の家にテレビが来ました。

父は観念的左翼派であり、中途半端なリベラリストでしたから、日本経済の推進力の象徴であったテレビを観念的に嫌ってましたが、周りの生活エンジョイ型親族に煽られ購入する次第となりました。ところが、テレビが来てからというもの、野球に相撲にと、嫌っていた本人が誰よりも毎日テレビ漬けとなってしまい、学校から戻ってくると食卓に陣取ってテレビを楽しんでいた父の様子が思い出されます。父が48歳頃の出来事でしたから、もし私が父と同じ状況にあれば、テレビの誘惑に勝てる筈もなく、同じ行動をしていたに違いありません。

ところで、この日の日記の「おち」が傑作で、この頃から父に感化された以外考えられない内容なのですが、こういう結論を強引に引き出す論法は今日まで私を引きずっていて、周りを引きずり回す事、多々ございます。

1956年ですから、千代の山( http://sumo.goo.ne.jp/kiroku_daicho/mei_yokozuna/chiyonoyama.html )・若乃花( http://sumo.goo.ne.jp/kiroku_daicho/mei_yokozuna/wakanohana1.html )の両力士とともに栃錦・鏡里・吉葉山の五横綱が相撲の黄金時代を作り始める頃の記録です。テレビを食い入るように見ていたのか、先生に褒められたカットがリアリティー充分です。

(「団塊の世代」と耐久消費財の普及)
「団塊の世代」前後の世代からは,その前の世代にはなかった消費生活の経験をしている。それは例えば耐久消費財の面で典型的である。「団塊の世代」が小学生となった時には1956年の「もはや戦後ではない」時期になっており,その頃から,テレビ,電気洗濯機,電気冷蔵庫といった当時「三種の神器」といわれた耐久消費財が家庭へ急速に普及していく変化を経験した。さらに,その後はカラーテレビ,クーラー,乗用車の「3C」と言われた耐久消費財の普及を経験している。このように,「団塊の世代」は,初めての本格的なテレビ世代,マイカー世代であったとも言える。「団塊の世代」が小学校の高学年から中学生となっていた61年にはテレビの普及率は6割を超え,その後,63年にはテレビアニメが,さらに65年にはテレビ空想特撮の放送が始まっている。(Dr.黒石の 最近思うこと)より

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2008年1月23日 (水)

カジュアル盆景

Rimg6211 時代の上げ潮にのって癒される類の物象が頻繁に各メディアに掲載されていますが、そこにはぴんからきりまで、なんでもありといった様相を呈していて、受ける側はちっとも癒されないのが現状のようであります。

先日、日本橋丸善に永年使っていた万年筆の修理に出かけた帰り際、一階のスペースで可愛い盆栽展が開かれていました。若い世代の方がプロデュースしているようですが、その殆どが古典的なものとは一線を画した、軽い感覚のものばかりでありました。この意匠などは、どなたも手軽に組み合わせて作れるものですし、部屋の一角に癒されるミニチュア・ランドスケープがある生活というのも悪くなさそうであります。

クリエーティブな世界では、和の世界がこれまで何度となく浮上してましたが、あるときはジャパネスクといったくくりで大掛かりな仕掛けを某代理店の仕切りで発信されたり、ある時期は京都の若い世代の団体がしかけたりと、それは千差万別でありました。今は、そんな大声を上げずとも、そっと静かに佇んでいる和の発信の方が時代の気分のようであります。

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2008年1月22日 (火)

羽田にも男の熱中ゾーンが!

Rimg6141 Rimg6148 Rimg6152 Rimg6147 Rimg6144 昼間少し時間があり、家でだらだらしていてもあっという間に時間が過ぎ無駄なように思い、車を駆って羽田に行ってみました。環状8号が空いていれば駒沢から30分ほどですし、羽田は日中は比較的混雑していなくて、其の上、そこそこの老舗の物販もありますから、積極的暇つぶしとしては最適なスポットです。

食品以外の衣料品・雑貨に関わる物販は、ご承知のようにクラシックなテナントが大半を占め、ここで新しいトレンドを求めること自体が、場違いなのでしょうが、もう少しコンテンポラリー寄りに品揃えをシフトチェンジしないと、各店の売れ残りを寄せ集めたと思われても致し方ない状態です。其の上、暇な店内はベテランというよりも馴れ合い状態の店員ばかりで、お粗末この上なし!といったところでしょうか。ためしにワゴンにテンコ盛りになっている¥5,000均一の時計を見てますと横から「これは誰が見てもロレックスと思われますよ!」などと、これでは御徒町の商売・・・であります。

ちょっと嫌気がさしたので、3階の「北原照久エアポートギャラリー」にフラッと入ると外からは想像つかないほど、男のワンダーランドの薫りにむせかえっていました。ここはよけいな店員のアプローチもなく静かですから、息抜きには絶対お薦めであります。ギャラリーと称されていますが、入場無料であります。また、このギャラリーと隣接する「童心Juveniland TOKYO」のおもちゃも暇つぶしにはお手頃です。

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2008年1月21日 (月)

新世界菜館・カツカレー

Rimg6210 神保町・御茶ノ水界隈は以前、カントリー・ブルーグラス系の音楽を扱う店が、それもかなりマニアックな領域に踏み込んだ品揃えの店が何軒かあったのですが、その殆どが閉店したり、新宿に移転してからというもの、ただ古書を探すだけの町となったしまい、様々なジャンルにおけるマニアックな店の動向を考現学できる密かな楽しみは薄れてしまいました。

最近は、この界隈に残された魅力は食の領域だけと思わんばかりに、食欲が落ちていないうち、美味しいと言われている店に入ることを、古書探しと同レベルの目的にしています。

この日は上海料理の名店・『新世界菜館』 http://www.sinsekai.com/ に空いてそうな時間を狙って、午後4時過ぎに入りました。ここは、上海料理の老舗でありますが、隠れメニューとしてはカレー系の料理が、マニアの皆さんに評判のお店です。以前読んだ『東京人』の川本三郎さんのエッセイにこの店のカツカレーが絶品!、と言う記事が記憶にあったので、この日はそれを注文しました。

店内は私一人の貸切状態でしたから、立派な調度品に埋め尽くされた店内の意匠がこちらに降りかかってくるようで、なんとも落ち着かない状況でしたが、持ってきたカツカレーを見て、さらにびっくり!。カレールーは皿から溢れんばかりですし、カツ自体も長さ25センチはあろうかという、巨大なものでありました。事前に知っていれば「全体を少なめに・・・」などとお願いしたのでしょうが、この日は、空腹感もありましたので、この巨大なカツカレーと格闘いたしました。普段からメタボには気を遣うようになってますが、この日は気合を入れて食することとしました。ルーの味は中華スープをベースに円やかに品よくまとまっていて、刺すような辛さはありませんから、この私でも最後まで何とか完食することができました。

店を出て、苦しいお腹周りを馴染ませるためにすずらん通りを徘徊しているうちに、不思議なことに、あっという間にすっきりとしてきました。

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2008年1月20日 (日)

カジュアルな骨董

Photo_9 何となく脈絡もなく集めていたものが、ある時代を超えるとそれまでと違った見え方となるのは自分の心境が変化しただけの話であって、ものそのものは何も変わっていませんよね・・・。

骨董という妙な閉鎖世界に一時興味を持って、危ないところで深入り寸前を脱出したことがありました。

何しろ、世俗の輩とは人生観も処世術もまったく異なる方々の多い世界ですから、私のような世俗の代表のような人間にとって始めは知らぬことばかりで、周りの皆さんの物凄い物知りレベルに感動してのめり込んだのですが、徐々にある種の胡散臭さも見え隠れしてからというもの、二度とこの世界の敷居を跨ぐことはありませんでした。

気軽な日常品にも無作為の美のようなものがあって、ある団体などはこのことを『用の美』などとよんでいます。1970年代の中頃にはHIGH TECHという雑貨・家具・生活用品の流行もあって、工場で使用している照明・工場で使用している収納用品・プロの料理人が使用する調理器具などのトレンドが流行りました。そんな中にも、どきっとするほど安価で機能的なものが宝島のように埋蔵されていました。イギリスの薬瓶などはその頃大量に輸入され、根っからの雑貨フリーイクスの私などは下品なまとめ買いをしたものですが、今や、ひとつしか残っておらず、大いなる無駄遣いの遍歴を懺悔したのであります。

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2008年1月19日 (土)

チェスキー・クルムロフの絶景

11_1 NHK世界遺産『チェスキー・クルムロフ』より

ブルタバ川沿岸にたたずむ古都チェスキー・クルムロフは、13世紀に築かれた城を中心とした町です。14世紀から盛んになった手工業と商業とともに500年にわたって穏やかに発展したために、中世の美しい街並みがそのまま残されました。
「シリーズ世界遺産100」では、街の中心にあるチェスキー・クルムロフ城にスポットを当て、その歴史と、再建された城の姿を紹介します。13世紀に建てられた城は、さまざまな時代の様式に合わせて改築され、華麗に飾られてきました。しかし、ナチス・ドイツによる街の占領と、その後の共産党の独裁体制下で伝統文化が否定されたことから、城は荒れ果て、廃墟同然となってしまいました。チェコが民主化された後、城の責任者になったスラフコさんが指揮をとり、職人達たちが城の修復に取り組みました。特に貴重な文化施設といえるのが、城内にあるオペラ劇場です。17世紀の優美なバロック劇場はスラフコさん達の手によって、建物だけでなく、舞台裏の装置や数々の仕掛けに至るまで当時のままに復元されたのです。

私の仕事の大半は都市型生活に関する商品と消費の分野に関係するものが多く、東京を中心とした商業環境や各県の地域に関わるプロジェクトに参画していますが、何れも若い人の旺盛な消費力に頼る傾向が顕著ですし、いつの時代も起爆剤がそれしかないのも事実なのです。そんな反作用もあるのでしょうか、最近は音楽や文学、絵画でもこれまで興味の対象外であった、重厚感のある世界に吸い寄せられます。

このodebunekosanという方が撮影された、チェコの世界遺産の古都である、チェスキー・クルムロフの景観にも、ぐっと来てしまいます。以前には東欧という遠い地域印象がありましたが、今では少し距離も親近感も近づいて、中欧と呼んでるようですし、海外旅行をこれまで謳歌してきた若い世代は当たり前の海外旅行には興味を抱かないそうで、逆に、このような重厚感と可愛らしさの同居している古都が、人気のようです。

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2008年1月18日 (金)

松陰神社に松下村塾が!

Rimg5983 Rimg5972 Rimg5973_2 灯台下暗しとはよく言われることでありますが、まさかこれが自分にそのまま降りかかるとは、思ってもいなかったことです。

駒沢からほんの少し北に上ると松陰神社があります。此処は吉田松陰の功績を称えて明治の元勲等が創立した神社でその姿には凛とした清清しさを覚えます。都心の自転車徘徊を終えて帰るときの定番ルートとして神宮前・富ヶ谷・下北沢を経由して駒沢に戻る際、この松陰神社商店街を抜けますが、神社そのものには一度も立ち寄りませんでしたが、この日、成り行きで入ってみますと、お受験に関係していると見受けられる家族が多く参拝していましたが、私はそれよりも神社の右脇にある松下村塾のレプリカ版にビックリいたしました。

まさかこんな至近距離にあの歴史的な慎ましい建物があろうとは・・・。年甲斐もなく修学旅行気分にもなって、覗き込んでしまいました。もちろん実物ではありませんが、この僅かな空間の住いの中で当時の血気盛んな若者が世界の潮流を直視していたとは・・・。

まさしく、近場にある大穴場でありました。

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2008年1月17日 (木)

空也の和菓子

Rimg6159 『銀座・空也』は最中で有名ですが、季節の和菓子もなかなか侮れません。

一年を歳時記どうりに華やかな意匠を展開する京都系の和菓子とちがって、こちらは、「空也双紙・錬切・羊羹・饅頭・求肥・」を季節ごとに散りばめる、渋い江戸の粋筋とも言わんばかりの組み方を徹底していて、その上、組合せは店が決めてあるものしかありません。此処は天下の『空也』、あくまでも作り手がイニシャティブを握っているプロダクトアウトの店ですから、客には選択肢などあるわけなく、わけの分からない、というよりも空也の空気を読めない客が「これしかないのか!」などと喚かないよう、くれぐれも宜しくお願いいたします。

空也は初代が関東空也衆という念仏ダンシング・グループのメンバーだったそうで、念仏を唱えながら叩く瓢箪が、かなりデフォルメされていて名物・空也最中のカタチになっています。一方、手前の錬切瓢箪はなんのデフォルメもなく、瓢箪そのまんまの姿であります。

空也の和菓子は餡がさらりとしていて、濃いお茶と一緒にいただくとたいへん相性のよいコンビですから、疲れたときなどにはありがたいものですが、それよりも和菓子は午前11時過ぎから午後2時過ぎであれば、ほぼ確実に購入できることが、なによりであります。

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2008年1月16日 (水)

エコ商売・一軒家が店に!

Rimg5941 恵比寿・代官山が侮れないのは、住宅地と思っていた処にも、いつの間にやらショップが侵食している頻度の高いことでしょうか・・・。

恵比寿西一丁目の一角にあるこの店は、大阪のテキスタイルメーカーが東京の購買動向を直接知り、商品開発に反映させるために昨年出店した一軒ですhttp://www.cocca.ne.jp/。この物件からして、40年近くは経過していると思われますが、よくありがちな「壊して建てて商う」のではなく、「そのままを直して商う」という今の時代気分にぴったりの考えです。もともとは塀もあった御宅でしょうが、それを取っ払って開放感のある環境が誕生しました。

今、一般の住いでもこの『直して住む』というトレンドが大きな流れを生み出していて、今後もこのような都心の一軒家を上手く直して店にするといった潮流が、増えること間違いなし・・・と観ました。

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2008年1月15日 (火)

東京駅・八重洲は透け透け

Rimg6079 Rimg6084 日本橋・長門にお使い物の和菓子を取りに行った帰り、八重洲口の大丸を徘徊してきました。グランドフロアーにスイーツ・和菓子を中心とした配置はずいぶんと社内的稟議にも苦労されたのでしょうが、これまでの東京土産駆け込み寺の機能は見かけ上すっかり消えうせて、ぐっとお洒落な港区気分に満ちていました。残念なのは、各取引先に宛がわれた店員のレベルが何故かいまいちで、伊勢丹・高島屋とは天地の差とでも・・・申しましょうか。

それでも、どの店も大繁盛の様子、先ずはおめでたいことで・・・。私は噂のイノダ珈琲店を愉しみにエスカレーターを上りますが、普通のデパートの稼ぎ頭である婦人服はがら空きで、店長的には冷や汗ものでしょうから、今後は早急な対応策が必至であることは明らかです。イノダ珈琲店はメンズフロアーのポールスミスと菊池武男のブースの間というなかなか洒落たゾーニングにあって、嬉しい気分であります。此処は開店10時から軽い食事も出来、東京駅の胡散臭い飲食店よりは、目の前のパノラマも絶景ですからお得感が十二分であります。残念なことに、この日は何故か訳ありの哀しい女性と思われてもいたし方のない雰囲気の方で溢れていて、ちょっとがっかりでありました。さらに、京都本店のようなラウンドしたカウンターを期待していたのですが、懐かしい真っ赤なベルベット(別珍)の生地で出来たレトロ感たっぷりのソファーは、別の意味で中高年世代にはぐっと来るものがあります。

帰りに交差点で振り返ってみると八重洲の建物がシースルーなモノばかりとなって、重厚感に乏しいのが残念でありますが、このあたりは海外ファンドが絡んでいて、街並よりも投資効率で判断していて、いつ壊しても大丈夫なように造られたとも云われてますから、止むを得ないのでしょう。

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2008年1月14日 (月)

酒屋さんのトートバッグ

Monocle1 エコバッグと称して、新たな商売の機会を狙っている業者が跋扈しているこのニッポンでありますが、どうもよく分からないのが何がエコで、何処がエコなのかということなのであります。

たかがと言っては誤解を生じるのでしょうが、その全体像が掴み得ないのか、それともこの自分が、そんなこと関係ない!などと開き直っているのかさえも分からないので・・・あります。

最近、朝起きて最初にチェックするMonocleのサイト http://www.monoclemagazine.com/ は、新しい切り口の雑誌・Monocleを主宰する方の個人的嗜好をベースとしたもので、最新の情報が硬軟絡めて按配よく展開されています。エコも大きな時代のメガトレンドであることをこのサイトからも感じますが、このワインメーカーのトートバッグのしっかり感の画像が、エコとは・・・の一側面を象徴的に表わしてくれているようであります。

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2008年1月13日 (日)

1956年・私の日記より

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1956年の日記からです。当時は野球と同じほど子供に人気のあった相撲ですが、最近のテレビ中継を観ても升席が空いていることが多く、一連の不祥事以前から週間文春や週刊現代などで相当昔から追いかけている八百長問題を含め、はっきりしない協会のスタンスなどが白日のもとに晒され、今はどうなんでしょうか・・・。

この頃、私は野球に目覚めだした頃ですが、待ちに待った新品のテレビに釘付けとなっていて、まだ数少ない番組から「日真名氏飛び出す」を筆頭に人気番組が始まると宿題も疎かになり、日記も少しずつ、手抜き状態の比率が上がってきました。

当時の力士のキャラクターも幅広く、今のような海外調達など考えられず、日本の農業と、天皇制を背景に堂々の日本主義を謳っていました。私は信夫山・鳴門海といったそっぷ型の力士が気に入っていましたが、それほど強いわけではなく、むしろ負けっぷりの美しさに魅かれていたような気がします。大多数は千代の山・若乃花といった優勝確立の高い力士を応援していて、それが尋常な精神なのでしょうが、もって生まれた我家の偏屈精神の宿命が、そんなものの見方をしてしまったのかも知れません。

担任の清水晴男先生の応援していた松登は、色黒の突貫小僧で、負けっぷりがお気の毒と言われても仕方がないほど哀しい姿だったのを、テレビを通しても感じていました。

栃若時代がすぐそばまで来ている時代の日記です。

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2008年1月12日 (土)

お宝!三冊

Img_7709 1960年代後半から今日まで、気に入った海外の本を買い続けてますが、その中には正直、失敗したなあ!という本の数も少なくはないのです。

今はサンプル本があってその中身をプレビューできますが、30年ほど前まではそういうホスピタリティーに富んだ書店も極く僅かでしたから、勢いあまって買ってしまったことが性格上、多かったのです。今では、海外書籍といえども、中古であれば二束三文のご時勢ですから、失敗した本の後処理にも悩む事が多々あって、未だに室内の床から積み上げた状態が続いています。

さて、この画像の三冊はそのような中で私にとって珠玉の三冊といっては大袈裟ですが、今でも見開くことの多いもので、内容・アートディレクションすべてが郡を抜いています。夫々が今のようなD.T.Pで構成する時代でなく、人間の感性と理性をフル稼働して作り上げていった時代の産物ですから、その意図までもがこちらに飛び込んできて、気分の良いひと時を愉しませてくれます。

Img_7737Img_7738  ABITAREは1970年代初期ののデザイン業界のバイブルともいうべき雑誌で、とくにこの号はテキスタイル・陶磁器・ガラス・グラフィック・各種プロダクトデザインの新しい潮流をまるごと一冊に封じ込めた特集号でこの一冊で世界のデザイントレンドを掴むことが出来ました。

Img_7740Img_7739  QUALITESは1987年に出版された、フランスの優れて美しい傑作品を紹介したもので、ベレー帽からモンキースパナまでモノ寄りののクローズアップの写真にうっとりとしたものです。

MILTON GLASER GRAPHIC DESIGNは1960年代から世界のグラフィックデザインとImg_7741アートディレクションのImg_7745トレンドセッターであったミルトングレーサーさんの作品集で、表紙のボブ・ディランのインパクトに負けて中身も見ずに買ったものですが、やはり中身も間違いなく、私にとって今日までこの類の本の中での頂点であります。

それにしても、この三冊に掲載されているイラストレーション・マスターピース・デザイングッズ全てが、今日もその光彩を失っていないのが驚きでありますし、逆に昨今の情報消費に追いまくられている雑誌編集と、賞味期限の短い商品ばかり掲載されるその内容には首をかしげることが多くなってきました。

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2008年1月11日 (金)

カリジェのオリンピック・ポスター

Swiss514 スイスの画家、アロイス・カリジェの魔法にかかると1948年・冬季オリンピック・ポスターさえも、このような叙情性と逞しさを兼ね備えた傑作となります。

ご承知のように、1936年ベルリン・オリンピック http://www.youtube.com/watch?v=o1I30dCKZZY&feature=related を最大限、政治と自らのパフォーマンスに利用したヒットラーの功罪は計り知れないものがありますが、オリンピックのプレゼンテーションは無論のこと、その後のグラフィックデザインの表現の世界も、構成主義や写真を活かしたものへと、大きく変わっていった典型を創ったことも事実です。

さて、このポスターは戦後間もない頃のデザインですが、画家としての確かなデッサンはもとより、スイス民族の永世中立国としての誇りまでもが感じとられる、力強い素晴らしい作品です。

確かにベルリンオリンピック以前の絵本にみられる長閑な雰囲気に溢れた表現の奥には、ヒューマニズムの大将でもあったカリジェの反ナチスへの思いも込められているかのようですkらその反骨精神は筋金いりに違いありません。

0101 おそらく、滑降競技の選手が今からスタートする前に、ストックを捧げて神に祈っている模様でしょうが、太陽の表現もカリジェの絵本に度々登場するものより神々しく感じ、みごとに選手を勇気づけています。

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2008年1月10日 (木)

これは何の認定証?

809 古いスコットランドの家の壁に掛かっている、由緒ありそうな認定証か資格証なのですが、ずいぶんと、立派なものですね。

今、女性の中で人気のあるカリギュラフィーという特殊なペン先で書かれた独特の書体はグーデンベルグが印刷を発明する頃、もっとも流行したようですが、なかなかクラシックな趣があって、このような威厳のありそうな認定証の類に、ぴったりではありませんか。大きく描かれた装飾絵にも何らかの伝統的な意味もありそうですが、はっきりしたことは、解りません。中央下のエンボス加工の御印がさらに、この一枚の持つ威厳を高めています。カスタムメイドのこの一枚に秘められた意味は写真からでは解らないものの、相当エスタブリッシュ感に溢れたものに違いありませんね・・・。

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2008年1月 9日 (水)

バードハウス展

Rimg6020 Rimg6014_2 Rimg6008 Rimg6015 新年の状況を徘徊しに新橋から日本橋まで、中央通りを 真っ直ぐ歩きましたが、所謂海外メガブランド・ショップ以外は売れ残った福袋が哀しそうに陽射しを浴びておりました。

資生堂・虎屋・東京羊羹あたりはさすがに正月の銀座のなんたるかを心得ているかのように、きちんとして騒ぎもせず堂々とした商いぶりでしたが、尾張町交差点を過ぎ、松屋・伊東屋の店内をさらりと観たものの、何故か以前のような銀座の誇りが店内に消え失せていて、ただひたすら混雑する客の捌きをしているのに精一杯の様子でありました。

京橋を越えたときに、最近来ていなかったINAX ギャラリーに立ち寄ると、いかにも面白そうな企画展が開かれていました。

『バードハウス展』 http://www.inax.co.jp/gallery/user_exh/w_0706birdhouse.html と題された世界の鳥の巣箱を集積したものですが、INAX ギャラリーらしく建築としての視点から捉えたユニークな巣箱に圧倒されました。子供の頃、夏休みの自由課題で鳥の巣箱を作ったことがありましたが、庭先に飛んでくる鳥の餌場程度にしか考えませんでしたから、世界の鳥の巣箱のレベルと鳥を含めた自然環境との共生がこんなにも素晴らしい調和を奏でることとは思いもつかず、世界の自然保護を含めた感性にはこれだけ広いバリエーションがあることに・・・感心しました。

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2008年1月 8日 (火)

1956・久我山のモダン住宅

1 2 昨年末、西荻窪にお気に入りのソーセージ屋があって、そこへ買物に行ったついでに久しぶりに久我山の町を徘徊しました。生まれてから45年間を過ごしたところですが、ずいぶんと町の様子が変わって、とくに住宅街は新旧入れ替わっていて、正直びっくりしています。

偶然、通りかかったこの住いは、間もなく取壊されるような気配に満ちていましたが、私には子供の頃、強い印象のあった一軒です。

今から52年も前(1956)の話ですが、この近辺にはほんの数軒しか住宅が建っておらず、まわりは野菜を栽培する畑でありました。その頃、この住宅は周りの住居と比べて際立ったモダンな外観でしたから、よく覚えています。大きなガラスの窓も当時は斬新でしたし、何しろ赤い屋根が久我山では先端的な印象でありました。

それにしても、50年以上の年月が経ったにも関わらず、しっかりとした外観を保っています。きっと、オーナーがきちんと住いながらメンテナンスを続けてこられたからではないでしょうか。おそらく25坪ほどの広さでしょうが、今観てもそのスマートさはフルさを感じさせません。

さて、この家を壊した後にはどんな物件が誕生するのでしょうか。願わくば、この開放感を継承された明るいモノであることを祈るだけであります。

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2008年1月 7日 (月)

1956年・私の日記

318a_04

318b_04小学校3年生の一時期、何がそうさせたのかは 、定かではありませんが、突然、模型作りにのめり込んでいきました。

小学校の帰り、普通の良い子はまっすぐお家へ帰るのでしょうが、私は父の血をひく遊牧癖でもあったのでしょう!・・・、吉祥寺の街中をもうこの頃から徘徊しては町のもつ面白さを堪能していました。

とくに北口のマーケットは今もその面影が僅かながら残っておりますが、当時から独特の趣きがあって、子供ながらスリリングな感覚を覚えました。なにしろ、アメリカ軍基地の横流しモノから農家直売の卵売りまでと、その幅と懐の深さが尋常ではなかったのです。

そんな中にぎっしりと模型部品で埋まっていた『歌川模型』を見つけた時の、ドキドキ感は、それまで味わったことのない出来事でした。この戦艦武蔵を始め、一年間ほどで、20以上の戦艦・巡洋艦・駆逐艦、それも日本海軍のものばかりを作りました。歌川の親父さんも面白い人で、今から思えば実に江戸っ子らしい台詞回しのような調子で、模型の奥深い世界を講釈してくれたのです。

この店と、6年後に出会う『東京サイクリング・センター』の板倉修さんという、二つの店と店主の強烈な個性と神通力をまともに浴びてしまったことこそ、その後、私のこだわり癖と職人的感覚が身に浸み込んでしまった最大の要素かも知れません・・・。

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2008年1月 6日 (日)

イームズ夫妻の楽しさ!

Img_5394 Img_5393 チャールズ・イームズの素晴らしさは、現在も量産し続けられる家具は無論のこと、その他、映画・産業展示・雑貨など、遺していった多くが今もマスターピースとして燦然と輝いていますが、どの分野においても、仕事の精緻さ以外に、どうやらその時を愉しむ・楽しむという天性の資質があったからでは、ないでしょうか。ですから、量産家具にも他のデザイナーに見られないちょっとしたユーモアが隠し味となっていたりして、その天性の旧き佳きアメリカン・テーストが錆付いていないのであります。

さらに、前々から気になっていたのですが、ある時期(おそらく1950年代)の建築家・デザイナーに蝶ネクタイ姿が多く見受けられますが、誰かが火付け役だったのでしょう。その中でもだんとつに洒落ていたのが、イームズでした。私など、専攻した学科のバイブルのような存在であったイームズの仕事そのものより、その姿や着ているものが気になってばかりいた類の学生でしたが、ようやく今頃になって、仕事は既に及ばないものの、イームズのかもち出す雰囲気に近づいてきたかな・・・などと自己満足に陥っています。

ところで、イームズ夫妻が深く関わったハーマンミラーの家具を日本に導入したのが、伊勢丹の関連会社・(株)モダンファニチャー、ということを知らない方も多いでしょうから、面白いサイトがありますので、ご覧ください。日本でハーマンミラーの家具を広めていく様子が、時代の流れに沿って観ることが出来ます。http://www.wakuiworks.com/onlin-shopping/free_9_14.html

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2008年1月 5日 (土)

虎屋・東京ミッドタウン

Rimg5902 Rimg5903 Rimg5907 Rimg5922 今年も旧知の仲間と会う、お楽しみ会が、麻布十番で開かれるため、4日の午後、少し早めに家を出て六本木界隈を徘徊しました。昨日までは福袋争奪戦などでごったがえしたであろうこの街も、今日は本当に静かで、聴こえてくるの会話は中国語と韓国語の皆様が圧倒的でありました。

東京ミッドタウンに入り、先ずは虎屋の立派な暖簾をくぐると、左側のスペースでは『寿ぎ(ことほぎ)のかたち展』という和をテーマにした企画展が開かれていました。東京ミッドタウンは政策的に和の文化と次世代のデザインの融合を意図しているようですが、特に虎屋がその先陣の旗振り役を担っている気配が濃厚でありました。チョット目には銀座松屋もどきのようでもありますが、虎屋の水引を一手に引き受けている長野県飯田市の田中七郎商店が全面協力ということもあって、虎屋カラーをしっかり出したうえで、「包み」・「結ぶ」のテーマを重々しくなく軽やかなモダンセンスでまとめていました。

一般の人はこのような洒落た企画展よりも羊羹・饅頭・季節の生菓子に気をとられるのが当然でしょうから、幸いなことに静かにじっくりと観察でき、ニッポン伝統文化を知る豊かな徘徊となりました。

その余韻が覚めぬうちに虎屋を出て他店舗を見回すと、そこは一気に可愛い正月と桜爛漫展開が咲き誇っていました。

虎屋のシャープなモダンニッポンの世界から、いきなり、カワイイニッポンへと舞台が急転回するのも実に日本的な状況で、この混然一体・何でも在り、こそが日本の感性の源であることを、今年も年頭から教えていただきました。

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2008年1月 4日 (金)

昭和の薫り

Rimg5745 Rimg5742 多摩川堤を快晴・無風の絶好調状況下を自転車で疾走する快感は、他の乗り物では味わえない独特の体感であります。

最近は、駒沢から空いている裏道を抜け、上野毛から二子玉川に出て多摩川堤を羽田方面に向かうのが定番コースです。以前はただ走ることに専念してましたが最近は悪い癖が起きだして、途中、堤を降りて気になる町・街を徘徊し出す様になりました。

この日は以前より気になっていた大田区矢口にあるこのネジ(螺子)工場を外から覗いてみました。メインテナンスがしっかりとしているのでしょうか・・・、強い日中の日差しに眩く反射している塗り立ての外観が、周囲を圧倒しています。戦後間もなく造られたこの工場は日本でも有数の螺子工場で、世界にもその名を知られているそうです。ですから、敷地内に垣間見られる備品管理の状態に『整理整頓一糸乱れず』といった空気を感じ取ることが出来ます。

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2008年1月 3日 (木)

今年の御節は!

Rimg5866 Rimg5853 Rimg5854 Rimg5858 Rimg5875_2 昨年末は例年になく残務整理の段取りが遅れてしまい、そのあおりを受け、我家のおせち料理はシンプルなものとなりました。

百貨店をはじめ目敏い小売業は老舗やレストランと共働したオリジナルおせちに躍起となっていますが、その値段もさることながら、内容がさほどでないこともあって、ここ数年、我家では渋谷市場・築地で『少し買い』をしています。

それでもお雑煮だけは豪華でなくしっかりしたものを・・・ということで、ダイナミックなものとなりましたが、久しぶりの田舎仕立ての大ボリュームとなって、これだけでもう満腹であります。

しかしながら、今年はだいじなものを忘れていて、御屠蘇のことが頭になかったのであります。そんなわけで、我家もご他聞にもれず、徐々にアルツハイマーの兆候が年頭より始まりました。

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2008年1月 2日 (水)

1963年・自転車合宿

196314 写真:佐々山厚さん www.geocities.jp/aysasayama

1963年の夏に決行されたサイクリング部への昇格を意図した合宿は、思いもよらない場面に遭遇することも多々あって、都会生活の便宜性しか殆ど知らない私たちには驚きの連続でした。今では、全国津々浦々舗装が完備していますが、当時は舗装比率は相当低く、地方の一級国道でも泥道だったりしていました。

この場面は、長野原から菅平方面に向かっているところと思われますが、まもなく日も暮れようとしている状況下、未だにこの最悪の行軍であります(私は前から2番目)。今では、立派な自転車専用の靴なども売られていますが、この時代はロードレース以外のツーリング用の靴がひっくり返るほどの高価格で、高校生がおいそれと手の出せるものでなありませんでした。ですから、あの懐かしいリーガルのコインローファーで合宿に参加した者が殆どでしたが、私は度胸が良かったのか、ロードレース用の底の薄い靴で参加しました。そんな靴を履いて、この泥んこ道を自転車を押して登っていけば当然、足元をすくわれること度々で、この日の宿泊地に着くと、ばたっと倒れこむほどの疲労困憊でありました。

先頭に立つ山田隆男さん(現・サクマ製菓株式会社・社長)は当時からたいへんなスタミナの持ち主で、この合宿が終わった後も何度か関東近辺を一緒に走りましたが、私が持ちあわせてないパワフルながら寡黙な性格は、正にこの頃から親分肌そのものでありました。

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2008年1月 1日 (火)

正月 広重・霞ヶ関

038 日曜日の午後、自転車徘徊を済ませ家路に着くコースに、霞ヶ関から議事堂に向かうルートがあります。内幸町信号を財務省上信号に向かうと、自動車ではさほど感じませんが、自転車ですとかなり厳しい上り坂(潮見坂)があります。平日は黒塗りのハイヤーが飛ばしていますが、日曜日は独占した錯覚に陥るほど、開放感たっぷりの素晴らしい気分に変わります。

この版画は現在の首都高・霞ヶ関ランプの辺りから俯瞰したもので、下っていくと日比谷・銀座方面です。

この版画が刷られた1850年代、この場所は、今以上にさぞ気持ちのよい浜風というより、もっと強い風が吹き上がっていたでしょうから、土埃などで、この界隈の大名屋敷などは煮炊き・洗濯などにも気を遣っていたでしょうね・・・。

遠く、東方面の水平線が朱に染まっていますから、まだ明け方でしょうか。おそらく赤坂山王神社の参拝に往来する侍・職人の姿からして元日の風景のようです。

日比谷方向から上がってくる凧揚げには最高の風が吹いているようですから、正月の凧揚げには有名なスポットだったようですが、今日、こんな凧揚げなどしてしまえば、いかに正月元日とはいえ、瞬時に機動隊や私服刑事に取り押さえられ、連れて行かれてしまいそうです。Buio01 1 2 3

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