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2008年4月30日 (水)

1956年・私の日記より

308_04 今は、東京・井の頭沿線の中でも人気のある久我山ですが、52年前はこの日記に出てくるように「駅を降りればそこは村!」と云われてもおかしくないほどの、牧歌的な風景が展開される町でした。この竹やぶは自宅のちょっと前にあった、まるで京都の嵯峨野を思わせるような場所でした。今でも、新緑が出てから秋の落ち葉になる迄、竹やぶを通して拡散する光の感覚を妙に覚えていて、いつもキラキラしている竹やぶの中を、探検家になったような気分で横断して家に帰っていました。

194701_3又、久我山南口を降りると今でも急な狭い坂道になっていますが、この時代は赤土丸出しの切通しで雨が降るものならば、赤土の混ざった泥水が駅に向かって流れて来て、神田川に流れ落ちていたのを、よく覚えています。その切通しを登ると所謂武蔵野の雑木林が現れて、ここでよく遊んで、家に帰っていました。今ほど明るい町ではなく、冬場は夕方ともなれば真っ暗で、おまけに家まで街路灯などなく、ずいぶん子供にしてはスリルのある家路に至る道筋でありました。

1947年に米軍が撮影した久我山駅周辺の画像は、この日記を書いた1956年とさほど変わっておらず、真ん中の交差する辺りが久我山駅周辺ですし、蛇行している川が神田川です。「駅を降れがそこは村!」という意味がお分かりかと存じます・・・。私が寄り道しながら帰っていった道程も手に取るように鮮明であります。

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