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2008年4月30日 (水)

1956年・私の日記より

308_04 今は、東京・井の頭沿線の中でも人気のある久我山ですが、52年前はこの日記に出てくるように「駅を降りればそこは村!」と云われてもおかしくないほどの、牧歌的な風景が展開される町でした。この竹やぶは自宅のちょっと前にあった、まるで京都の嵯峨野を思わせるような場所でした。今でも、新緑が出てから秋の落ち葉になる迄、竹やぶを通して拡散する光の感覚を妙に覚えていて、いつもキラキラしている竹やぶの中を、探検家になったような気分で横断して家に帰っていました。

194701_3又、久我山南口を降りると今でも急な狭い坂道になっていますが、この時代は赤土丸出しの切通しで雨が降るものならば、赤土の混ざった泥水が駅に向かって流れて来て、神田川に流れ落ちていたのを、よく覚えています。その切通しを登ると所謂武蔵野の雑木林が現れて、ここでよく遊んで、家に帰っていました。今ほど明るい町ではなく、冬場は夕方ともなれば真っ暗で、おまけに家まで街路灯などなく、ずいぶん子供にしてはスリルのある家路に至る道筋でありました。

1947年に米軍が撮影した久我山駅周辺の画像は、この日記を書いた1956年とさほど変わっておらず、真ん中の交差する辺りが久我山駅周辺ですし、蛇行している川が神田川です。「駅を降れがそこは村!」という意味がお分かりかと存じます・・・。私が寄り道しながら帰っていった道程も手に取るように鮮明であります。

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2008年4月29日 (火)

街・町に馴染む店

Rimg1593 Rimg1595 Rimg1606 004 006 そのお店が街・町に馴染んでいる姿は、正にその店が街・町を形作るのに大きな影響を与えるほどの何かを持っているからなのでしょう・・・。これから馴染んでいこうとしている店・だいぶ馴染んできた店・充分に馴染みすぎてしまった店・・・など、夫々の街・町には粒よりの店というものがランドマークを兼ねて存在しているのです。

どの店も、肩の凝らない環境と、ほどほどの距離をおいて接してくれる店主・季節のメリハリを営業の運営にきちんと落とし込んでいる・・・など、自分たちのできる範囲の努力を連綿と継続していますから、いつ行っても同じようなスタイルで迎えてくれ、こちらも気が楽なのでありますし、時代変化の急激な加速に耐え切れない私には、都市の穏やかなオアシスを確保することが、自転車徘徊を含めて、楽しみの切り札なのです。

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2008年4月28日 (月)

世田谷区・等々力の町

Img_8158 Img_8156 春麗のこの日、いつものように、多摩川堤を登戸から川崎大師に下り、門前でざるそばを頂いて、やや強くなった向かい風を気にしながら、帰路につきました。

世田谷区内には様々な抜け道がありますが、この日は九品仏境内を通り、等々力五丁目の住宅街を抜けようとしたところ、南に面した渋いお住いの玄関には、『ナニワイバラ』(難波薔薇・別名 チェロキーローズ・・・アメリカ・ジョージア州の洲花)が咲き誇っていて、中国中南部・台湾・北アメリカの原産ながら、和花風の可憐な美しさが目に入りました。

南に面した植栽は全面、夏椿で埋め尽くされてましたが、ちょっと、玄関脇を見ると、このような、いかにもうれしくなってしまう添え書きと、小道具が置かれていました。確かなことは言えませんが、この佇まいからして、華道あるいは茶道の師範と思しき方の御住いと思われ、その地域に気配りされた、プレゼンテーションにしばし、見とれていました。

この界隈は、落ち着いた住いが並び、植栽もどちらかというと、洋花よりも和花傾向に軍配があがるほどですし、みなさん、ご近所との交流も長きに亘る気配が、濃厚であります。

落ち着いた町に相応しい住人の、季節の気配りに、ひどく感じ入った一瞬でありました。

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2008年4月27日 (日)

北青山・山陽堂書店

Rimg7741 表参道と青山通り信号傍にある『山陽堂書店』は、場所柄ファッション・デザイン・風俗情報誌の品揃えとその棚分類・陳列がおみごとで、ぱっと店内に飛び込んでも、迷わず目的の雑誌・本を探せます。決して広くもなく、おまけにスキップフロアー状態ですから、うっかりするとつまずきそうになりますが、女将さんとお嬢さんの笑顔を見るとにっこりしてしまうのです。今時、女性の仕切る本屋さんも稀少ですが、この店はいつ来ても本が綺麗に輝いていて、普通の本屋にありがちな埃っぽさが、全く観られないのです。

創業は明治24年(1891)という長い歴史をお持ちで、その間には、昭和20年5月25日の東京・山手大空襲で多くの人を店内に招き入れて助けたことや、今もこの界隈のランドマークとなっている外壁の谷内六郎さんも手伝った、タイルの壁画も現存している・・・など、じっと昭和史とともに生きてきたお店なのです。残念なのは1964年の東京オリンピックの際、青山通りの拡張工事で、お店の南側から三分の二ほどが、縮小されて、その堂々たる建物の名残が観られないことです。Sanyodo21_2

限られた空間にもかかわらず、海外情報誌の品揃えも侮れず、あの Monocle もきちんと置かれています。限られたスペースで最新・最上の書籍・雑誌を展開するのは神業的感性と在庫管理の理性がものをいう世界ですが、このお二人はそれをいとも簡単にさらり・・・と処理してしまうのです。

神田・神保町の本屋さんとはどうやら本・雑誌に対する捉え方が異なるようで、山陽堂書店はまさに情報としての紙媒体が大好きなようでありますし、その情報としての寿命・鮮度なども街を観ながら日々切磋琢磨して判断しているのです。ですからこの界隈のクリエーティブ界の皆さんの信頼も段違いなのです。

山陽堂書店  東京都港区北青山3丁目5-22   03-3401-1309

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2008年4月26日 (土)

根津神社の錦模様

Rimg9102 Rimg9114 昨年、初めて訪れた根津神社のつつじは、あまりにも満開過ぎて、色の氾濫となってしまい、さらに混雑も半端でなかったため、今年は早めに出かけました。この画像は今週月曜日の様子でありますが、私のブログ操作のミスで今日の掲載となってしまいました。土曜・日曜はより一層艶やかさが増していること、間違いなし・・・です。

花の色はそれだけで美しいわけでなく、つつじの新緑の葉と花の色とのバランスと比率が命だけに、神社境内のパノラマも、その進行具合で印象がずいぶんと違うものですから、幾たびか訪ねないといけないのかも知れません。

この日は、花曇でしたが、それが幸いして、花の鮮やかさが強調され、品の良いパノラマが展開されてました。運の良いことに、週明けの午前中ということもあって、入場者もちらほらといったところでしたから、人間の頭ばかりが邪魔になった昨年とは大違いの、静かなひとときを堪能しました。

蛇足ですが、この日、気付いたのですが、神社に隣接する個人住宅の屋根が今風のもので、普段はさほど気にならないのでしょうが、この時季だけは、なんともはや・・・といった印象を受けます。

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2008年4月25日 (金)

ささまの春

Rimg9042 お菓子の世界にとっては、洋菓子・和菓子の区別なく春の時季こそが、夫々の店の感受性を存分に発揮でき、店格を含め最も競争厳しい頃でもあります。

最近は、無理やりといってもよいほど奇をてらったり、連綿と繋がる和の歳時記を無視したり・・・、普遍的な美しさを無視したエセ・アバンギャルド派といえそうなグループも台頭しています。

それでも神田・神保町のささまクラスともなれば、軽薄な受け狙いなど関係なく江戸・ニッポンの美しさを、堂々と表現していて、その姿には迷いも衒いもありません。ましてや、京都系の和菓子に代表される、呉服・小間物分野からの意匠にも似たような雅さなど、さほどなく、粋一筋の直球勝負のような清清しさです。

この日、花筏・菜種・都の春・花の宴・春霞、と名付けられたシンプルな五品に合いそうな器として、かれこれ40年程前から使っているフィンランド・アラビア製陶の皿を選びました。この皿は今日も生産し続けられる、ロングセラー商品ですが、1960年代に作られた彩色の方がはるかに深みがあって、落ち着いています。

そのミッドナイトブルーの皿に映えた夫々の菓子との相乗効果が、和的という観念を超え、ひとつのオブジェとして、美しさが更にインターナショナルなグレードへと、ジャンプしてしまいます。

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2008年4月24日 (木)

福澤幸雄さん・1967年

411967 421967   黙っていれば、映画 のワンシーンのような写真ですが、れっきとした私の手によるものです。

1967年の2月26日から4月13日にかけて、ヨーロッパのモータースポーツレース・国際スポーツ見本市に何とか潜り込んでスタッフという形で同行したときのスナップです。

お若い皆さんは、あまりご存知ないでしょうが、当時国内でもダントツのレーシングドライバーであり、トレンドリーダー的存在の福澤幸雄さん(1943~1969)の「お姿」であります。

当時私はプロダクトデザインを専攻する学生で、父に懇願してこの旅行に同行させてもらい、おかげでヨーロッパの生活そのものから商品・建築に至るまで、イギリスをスタートにベルギー・ドイツ・フランス・スイス・イタリア・スペイン・そしてモロッコと、夢のような一ヶ月半の経験をしました。

福澤さんは当時パリにいらして、途中から私たちと合流してくれました。その流暢な英語・仏語のうえ更に、駄洒落も半端でなく、ただでさえ疲れ気味の私たちを楽しませてくれました。さらに海外生活で身につけた体験からのモノに対する洞察力も厳しいものでしたから、一番若い私にもよく基本から教えて下さり、この旅行を通してその後の自分の生活観からモノの選択嗜好性が決定付けられたと思っています。

さて、この写真に写っているトレンチコートこそ、今でもマニアの中で垂涎の幻ブランド・『銀座チロル』でオーダーされた逸品です。高山次郎さんという銀座でもダントツの洒落者が作る服・小物の類は何処にも真似出来ないオリジナルの工夫があって、このコートで言えば、首の部分とポケットの部分に細かい生活の裏打ちから発想された仕掛けが為されていました。とびっきりの高価格でしたが、市川昆さん・高倉健さん・三木のり平さんら黄金時代の映画関係者でひと際狭い店内は週末ともなると大混雑でした。また、支払いも今では考えられませんが、まるで江戸時代のように年末一括払い掛売りでしたから、よけい映画関連の皆さんには都合よかったのかも知れませんが、大辻司郎さんのように支払いをせずに亡くなった方もいらっしゃいました。

話が横滑りしましたが、この福澤幸雄さんも、この写真を撮ってから2年後の1969年2月12日に静岡県袋井市・ヤマハテストコースでトヨタ-7を運転中、不慮の事故に巻き込まれ亡くなります。この事故後のトヨタの対応が余りに機密保持の大義名分の下、情報公開を拒絶したために、その後1980年代まで法廷で争うこととなるのですが、今やトヨタ内部でもこの事件の真相を掌握されている方も居なくなったも同然・・・などと聞いています。

福澤幸雄さんに関して http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E5%B9%B8%E9%9B%84

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2008年4月23日 (水)

T.shirtsが捨てられません!。

Rimg1443 Rimg1446 永い間、気に入って着続けているT.shirtsは今年で26年目を向かえました。今でこそすっかり貫禄の付いてしまった体形となってますが、これを買った年はまだ60キロ程度の体重でしたから、スリムな体形だったのです。

渋谷のBack Dropというアメリカン・ヘビーデューティー専門店が出来たばかりの頃、店先のLIFE誌をきれいにディスプレーした感覚に感心して、そのまま店内に入って買ったものです。この雑誌LIFEの展開は何故か、今もそのまま継続しています。この店は北向きにあって一日中日陰ですから、太陽でLIFE誌の表紙も退色もせず、レトロな中にもアメリカンフレーバーが溢れています。

このT.shirts、26年も着続けていますから、それなりのくたびれた感じがスリムでなくなってしまった体形をぴったりと、ほどよく馴染ませてくれますから、仕事で地方に行く際は必ず持参して、パジャマ代わりにしています。

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2008年4月22日 (火)

網代町の看板

1 熱海市網代の1950年頃の写真ですが、この時代から全国にハイスピードで拡散していったパチンコ屋の勢力の様子もこの看板にも窺えます。

それにしても、この案内看板のトータルなまとまりはみごとなものです。セルリアンブルー・オレンジ・オリーブグリーンの三色相のハーモニーと黒・白のモノトーンも完璧ですし、うっかりすると下品になってしまうこの三色を巧みに配置していますから、この業者はなかなかのアートディレクター的感覚の持ち主とおみうけいたします。さらに手書きと思える独特の書体も統一感に優れ、美しさと全体調和に秀でた地元の職人の仕事ぶりであります。

ついでではありますが、真中に見える網代の町の案内図も、町を縦横する通りのダイアグラムが明快で、誰でも読み取れる秀作であります。

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2008年4月21日 (月)

向風も味方なり!

Vxzuiixt 朝から風が強いと、予定していたツーリングを楽しむ意欲も萎えて、やる気縮小に陥ってしまいます。

これまで45年ほど飽きもせずに自転車を乗ってきて、嫌になるほどの向風に遭遇したのは、意外と東京都心の晴海埠頭近辺でした。

まだ自転車が楽しくてしようのない高校生の頃、春になってやっと自転車に快適そうな日を選んで出かけたのですが、所謂、春一番の季節でもあり、築地近辺はイエロー・オーカーのような濁黄色の空となり、風も強くおまけに砂の粒子が眼に入り、まっすぐ前を見て走ることも間々ならず、しんどい思いでありました。それでも若い勢いに乗って晴海から豊洲方面を駆け抜け、へとへとになって、永大通りを日本橋方面に向かいました。この辺りも海風の強さをまともに受ける場所ですから、ビルの谷間の問屋街を抜けながら、一目散で自宅のあった久我山に戻ったのでした。それ以来、自転車にはサングラスが紫外線よけ以外にも、埃や虫が眼に入るのを防ぐことに必要なことを知り、忘れないようにしました。

今更何を・・・と思われるでしょうが、自転車を楽しむのに大敵なのは、気温や湿度もありますが、何といっても向風が・・・なのであります・・・。

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2008年4月20日 (日)

南青山・PAPASの窓

Rimg8850 Rimg8855 南青山・骨董通りにある、PAPASは汗臭くなければ、自転車の恰好で入っても、笑顔で迎えてくれるお店で、その畏まらない、程よい親近感が、独りで入っても嬉しいひとときを過ごせます。主体はカジュアルファッションの店ですが、併設するカフェが、何といっても気に入っています。

このブランドを創業した荒牧太郎さんは、その昔、原宿セントラルアパートの小さな店でマドモアゼルノンノという大人気の店を切り盛りしてましたが、いつの間にか大手のアパレルと協同でPAPASを始めました。今では縮小されがちな国産ブランドにあって、大健闘してますし、年二回のカタログも、読み応えぎっしりの貫禄です。

この日、ウインドーに飾られていた藁製のうさぎは、その表情とプロポーションが抜群でしたから、いけないことを承知でスナップさせてもらいました。

この店のある骨董通りは、関西アパレルの雄、ワールドが席捲して、かなりのj自社ブランドがこの通りに並んでますから、今や、ワールド通りという輩もちらほらですが、残念なことにどのショップもショーイングがモノの陳列に終始していて、PAPASのような、思わず微笑んでしまいたくなる余裕と洒落っ気さえ、なさそうであります。

優雅な一時代を築いたこの通りも、関西のワールドに牛耳られるとは、業界の誰も考えが及ばなかったようです。

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2008年4月19日 (土)

鈴木信太郎の『北大構内』・1933年

28 鈴木信太郎の描く風景画のなかで、とびっきり色彩・構成・デフォルメの三拍子揃った画趣の作品です。この年、北海道を訪れた鈴木新太郎は数多くの作品を遺し「どこか北欧らしい透明な光が流れて、目が覚めたような複雑な緑の色が冷たく肌に触れてきた」と語っているように、北海道の風土・風景をたいへん気に入ったようであります。

この絵はご存知、北海道大学を描いたものですが、鈴木の独壇場である緑色の配色と空の色とのコントラストが一層冴えわたっています。日本画壇の中ではさほどの評価を得なかった鈴木でありますが、今の時代だからこそ、もっと再評価されて然るべきかと、独り思うのであります。

鈴木の身体的ハンディキャップから、この絵も車椅子のままか、芝生に座って描かれたか定かではありませんが、その視点の低さが鈴木独自の構成へと繋がって観る者に安定感を与えてくれますし、木々の力強い在り様が画面全体の柔らかさを強引に引き締めています。

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2008年4月18日 (金)

頑固親爺のいる街

Oyaji03 写真:筒井義昭

小学生の頃、生前の父にくっついて行った街は神田・銀座・日本橋などに限られてましたが、絵描きの父は普通の店など寄らずに画材であれば神保町の文房堂、本であれば誠志堂、文房具であれば銀座の伊東屋・日本橋のはいばら・・・などといつも好みの店が決まっていて、子供の私は何でいつも同じ店にしか通わないのかなどと思いつつも、一番最後の食事位が楽しみなだけに、辛抱して後を付いて歩いていました。

父が何故こんな老舗ばかりを贔屓にしていたのかは、やがて私が商業に関係する仕事に携わるようになって、それもずいぶんと年を重ねてから、その理由のようなものに気付いたのです。

結局は、夫々の店にどすんと存在している生き字引のような職人的番頭さんやご主人との語らいによって、物品交換だけではない、夫々の世界のもつ特殊性を嗅いでいた模様です。今は、POS管理によってちょっとした訓練を受ければ誰でも受発注出来うる時代でありますが、父の通う店にはそのような単純な発注で済まされる類の店は殆どなくて、どの店も主張する感性・同時代性に独特のひねりとストレートなメッセージを店内から発信していたように思います。今では代替わりしてこれらの店の何店かはその以前の発信力を放棄してしまったところもありますが、街が面白いということは面白い人間のいる街だから成立すると断言できます。

京都が面白いのはこの写真の『三月書房』 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sangatu/ のように、ジャンルを超えたセレクト・ショップのエッセンスに浸れる店が、まだ其処彼処に一流の審美眼を以って点在しているからです。

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2008年4月17日 (木)

シナトラの時代はもう帰って来ない!

Iuhgcx BS日本映画専門チャンネルの定番『社長漫遊記』『続・社長漫遊記』を最初から最後まで笑いこけながら鑑賞していると、この昭和30年代の森繁久弥・三木のり平・小林桂樹・加藤大介の4人組の台本どおりとアドリブが入り混じった台詞回しに感心しつつも、つい今の役者と比較してしまうと、粒の小ささが気になってしまいます。

この映画に登場する飛行機はもちろんPAN AMで、私世代を含め上の皆さんにとっても憧れの飛行機でありましたし、あの航空バッグのセルリアンブルーの色彩に白抜きのロゴマークは今でも新鮮であります。Snowycynimg600x4501187662191rimg062

高校時代には、クラスの友達の父君が海外出張するなどということを小耳にはさんだりすれば、バッグを何とか・・・などと無理な願いを何人かで頼んだりしましたが、その律儀な大正生まれの父君は息子の友達のために、どうやって頼んだか判りませんが、相当な数のバッグを手に入れ、お土産として賜りました・・・。

さて、フランクシナトラの『Come fly with me』を久しぶりに聴きますと、飛行機旅行が憧れの頂点であった1950年代の薫りを振り撒いてくれます。Billy Mayオーケストラのビッグバンドサウンドが秀逸で、豪華さ・明るい未来を楽器に託して、普通の人々のゆとりと遊びの欲望をがんがん後押ししています。さらにシナトラのボーカルは大人のオーラが飛び散り・・・、など、この時代は大人のよい趣味が主導権を握っていた最後の頃でもあります。

Flypanda1 Sweet1 D02_95751 それにひきかえ、今やダンピング競争の結果、大衆化にすっかり染まってしまった日本の航空会社各社は、何とかせねばと躍起になり、止せば良いのに某代理店提案に全面降伏してしまい、人寄せに安易なキャラクター・タイアップか、もしくはあってはならない日本のお約束・『黒は不吉』のタブーをもとうとう破り、こともあろうに離着陸の不安心理を逆撫でするような真っ黒けキャラクターで勝負するなど、節操のないことおびただしいデザインの軽はずみ様相を呈しています。

ともかく、いつの間にやらキャラだらけといった様相がこの日本の隅から隅まで覆いつくされ、気が付いてみれば、静かさを求める大人には辛い毎日でありますね・・・。

私はそんな巷を無視して、アームチェアートラベラーとなってGoogle Earth を遊ぶのが、ほどほどの良い趣味とでも思っているのでありますが・・・。

それでは今はもういない・・・PAN AMへの感謝、そしてPAN AMの歴史をYouTubeで!。

http://www.youtube.com/watch?v=Tp_jwmwg7AE&mode=related&search

http://www.youtube.com/watch?v=9UkcqviVH3g&mode=related&search

Come Fly with Me Music Come Fly with Me

アーティスト:Frank Sinatra
販売元:Capitol
発売日:1998/09/08
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2008年4月16日 (水)

ご機嫌な宿まで、もう少し

Yhgkickiytrij_2 08650u1 フランク・パターソンさんのイラストレーションの魅力は、あたかも観る者がそこを一緒に走っているかのような、臨場感に満ちていますから、いつ観ていても飽きないどころか、最近はますます惚れこんでしまった感があります。一番シンプルなジロットペンにインクをその都度付けては描くという、最も古典的な技法で一本一本の線を疎かにしないで描かれた紀行画にはその場の空気感がしっかりと浸み込んでいますから、同じ場所を撮影した写真よりも何故かぐっと迫ってくるものがあります。

それにしても、この絵に登場しているランドナー乗りの紳士の後姿、とくに肩の線などは自転車乗りでなければ捉えられないみごとな丸みを帯びていますし、「もう今日の宿Malmshead Innまでもう少しだ・・・」という安堵の気持ちまでもが伝わってきます。

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2008年4月15日 (火)

広重・駿河町

035 もうこうなってしまうと、日本一の呉服店・越後屋(三越)の元旦の縁起物のような広告かと思ってしまいますが、れっきとした安藤(歌川)広重の手による安政三年(1856年)の刷物です。

もう見事としかいえないワンブロックを一店舗で占拠したランドスケープは、広告の典型のようなものです。通りの左が現・三越、右が現・三井タワーでマンダリンオリエンタル東京がそびえています。

さらに奥でそびえる富士山はあまりにも至近距離で、正に駿河の国の駿河町・・・観光振興のポスターといっても問題なしといわれるでしょうが、実は画面中央を貫いている通りが日本橋通りでして、正確に富士山の方向を示しているところから駿河町と呼ばれたとか・・・。富士山をグッと引き寄せて、雲で時空を越えるところなど、嬉しくなるような技を大サービスで駆使しています。

広重はなかなかの才覚者で、算盤勘定もセンスがよかったそうですから、この画面など正に越後屋さんから、たんまりと・・・を・・・などと勘繰ってしまいますね。

そして152年後、今やこの越後屋・現三越も、ずっと新参者の伊勢丹の傘下に降り、多くのOBの皆さんもこれまでの栄光の歴史を、思い出として封じ込めねばならなくなってしまいましたが・・・。

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2008年4月14日 (月)

時計あれこれ

Watches 男の時計も最近はボリュームが大きくなってきて、うっかりするとシャツのボタンが留まらないという事態になることもあって、それはシャツの方に問題がある!などというとんでもない発言が飛び出しそうな形勢であります。

一時代を築いたSWATCHは今や、跡形も無いといってよいほど業界のトレンド先導役を放棄し、その分、各メーカーが自由自在な発想を元に、勝手気ままに遊んでいます。男性誌が時計特集を組むと、その売れ行きも好調なようですから、男にとって身に着ける道具の中で唯一、メカニカルな時計というものは、侮れないモノなのでしょう。

いずれ欲しい時計の究極はPATIC PHILIPPEPatic_philippe02 と決め付けてますが、多趣味のため自Skagen転車についついお金が流れ勝ちで、この夢は叶いそうにありません。先週、雑誌で見たSKAGEN( http://www.skagen.jp/product/index.html ) のデザインが飛びぬけてシンプリシティーなスタイルですし、その価格もネットを介すれば店頭価格よりも飛びっきりのお安さでありますから、壊れてしまったSWATCHの代替として、今一番の候補であります。

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2008年4月13日 (日)

ケアンテリア通信・1

Rimg8752 最近の、都心の商環境は、メッセージ性より売上重視のゾーニングのマンネリ化・ブランドの先行きの見通しがグレーゾーンに突入してきた・・・などの状況下、新しい切り口と活路を見出せないようであります。

例えば、自由が丘の街もご他聞にもれず、以前にも増して店舗の入替が頻繁となってきましたが、どこも、品揃えから販売員の立振舞いにいたるまで、新鮮味に欠けた、もどかしい店ばかりであります。

そんな中、先月末、自由が丘にIDEE Shopがオープンしました。http://www.idee.co.jp/shop/jiyugaoka/ 自由が丘店は、これまでのような、IDEEらしい、ちょっと引っ込んだ場所でなく、渋滞する道路の信号角ですから、客足の途絶える事がありません。以前、玉川高島屋・ガーデンアイランドにあった頃のコンセプトと、青山本店の感性を引き継ぎ、ライフスタイルショップの魁に恥ずかしくない佇まいを振りまいています。

最上階のカフェには外階段もありますが、やはりエレベーターを使う方ばかりで、この日、犬連れで、ちょっと気が引けましたが、相乗りさせてもらいました。4階のカフェはモダンな空間となっていて、私の好みではありませんし、犬連れの訳もあって、外のテラスで一服しました。テーブル・椅子ともに、此処だけは、IDEEらしい感性の野趣な仕上げとなっていて、犬をテーブル上に乗せても、店の方にひとこと言われることもなさそうです。

今年で、13歳になるケアーンテリアの雌犬・プリンは、私に似て、出かけることが大好きで、車の中に数時間放置しても、まったくおとなしくしていますから、殆ど、何処に出かけるにも一緒で、都合で家に置いていかねばならない時も、じっと玄関で帰ってくるまで、待っています。

私は、玉川高島屋・ガーデンアイランドのペットショップ、JOKERの店長・丹下さんの指導を受け、見よう見まねでグルーミングを自分でやります。最初はハサミを使ったカット主体でしたが、どうも上手く行かず、ある時期から、毛抜き主体に方針変更してから、毛艶もよくなってきました。

最近のペットショップには犬専用の多種多様な道具やフーズも増えてまいりましたが、この傾向は少し過剰な状況であること、間違いなさそうです。

願わくば、IDEE Shopにも、他所とは一味違った、それでいて、下品でない首輪やリードが、さりげなく置いてあれば・・・と、思った次第です。

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2008年4月12日 (土)

スイスポスター・スイス国鉄1928年

02 Drawing : Emil Cardinaux

写真では表現しきれない、人間の手の表現を十二分に熟知していた職人と、絵画性の持つ普遍的な美を、スイスという国のブランディングに昇華し続けた一連の観光ポスターには、今も惹きつけられる美しさがあります。

1928年(昭和3年)のこの作品は、レマン湖を疾走するスイス国鉄の宣伝とはいえ、切手にでもしたくなるような構図が見事な出来栄えです。シヨン城から遠くに望むモンブランのバイオレットを混ぜたブルーの色相が、氷の塊でも思わせるほどの冷たい感じを、一層引き立てますが、湖畔はもう温かい春模様のようで、この寒暖の差をシンプルな表現で際立てています。

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2008年4月11日 (金)

自転車徘徊・谷中 上野

Photo_3 1956 5月3日の筑波8時間耐久自転車レースに向けて、何とアロマ業界の雄、株式会社ニールズヤード・レメディーズ http://www.nealsyard.co.jp/ が総勢6名の選手をノミネートして出場することとなりました。一昨年より梶原社長が自転車にすっかりのめりこんで以来、この構想はあったものの、こんなに直ぐ、実行されるとは・・・、いやはや・・・であります。

そのあおりをくったというか、社長命令に従ったのか、たいへんなのがレースの監督、常務・井口明氏ですが、普段からランニングなどのトレーニングを怠らず、鍛えられた無駄の無い体形から観て、あっという間に自転車ライディングフォームを会得されんこと、間違いなしです。

先週、ロンドンに移住された梶原さんから譲り受けたフルカーボンのPINARELLOの自転車で、皇居から少し脚を伸ばし、神田・本郷・谷中・上野の山あり谷ありのショートコースをご案内して、東京都心に遺された江戸情緒も一緒に味わうことが出来ました。どうやら京都ご出身の井口さんは、深川・富岡八幡界隈にお住いということからも推測して、仕事内容とは相反する、渋い世界がお好きなようであります。

さて、上の写真は、言問通り・上野桜木信号脇にある、移築された旧吉田屋酒店で、現在は上野・谷中・日暮里界隈の観光振興の基地・「下町風俗資料館付設展示場」となっています。かたや下の写真は、その吉田屋酒店が旧谷中茶屋町にあった頃の写真で、立派な江戸商家の姿を佇ませています。

ここ「下町風俗資料館付設展示場」は、一服するのに具合のよいロケーションにあり、特に、早朝の一休みに絶好なスポットですが、中は明治・大正・昭和の商いに関わる物品が展示されているものの、あまりの整然とした感じがリアリティを欠き、まるで、浅草橋の店舗装飾店のような趣きとなっています。

この前の信号を芸大方向に向かえば、そこは上野の尾根道。朝の新鮮な空気に満ちた中、スピードを上げて疾走すると、開放的な空間がパノラマとして展開します。

こと左様に、早朝時間の優雅な過ごし方こそ、自転車徘徊の真骨頂なのであります。

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2008年4月10日 (木)

富士見町の洋館

Rimg7901 千代田区富士見町にあるこの洋館は、この風格からして、曰く因縁の一つや二つもありそうで、おそらく、近代史の断片を刻んでいる様子が、ありそうです。

靖国神社・暁星中・高校の傍、坂の頂上附近にある、絶景立地に佇んでいますが、この門の素晴らしさに頭が下がります。とりあえず、日本と南欧の融合とでも言っておきましょう・・・、石の素材と瓦のコンビネーションも独特の調和があって、柔らかい印象を受けます。

日本の烈士・勇士を祭る神社の傍にこのような洋館があったことを偶然、自転車で通り抜けて気付いたのですが、この近辺は神楽坂に抜ける道でもあり、日本的なものと西欧的なものとの組合せが、他にも点在しています。この洋館に限らず、都心に現存している立派な洋館は、昨今の陳腐な様式住宅と比較すれば、その格式と意匠の緻密さは歴然としていて、此処に限らず、明治・大正・昭和の物件がいとも簡単に取壊されている現状を知ると、何でも記録せざるを得ないのであります。

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2008年4月 9日 (水)

鈴木信太郎の港風景

24 1961年(昭和36年)の房総半島の港町を描いた、鈴木信太郎の作品です。

力強いタッチの筆勢が、色の重なりに更なる相乗効果を生み、鈴木信太郎独特の深い色調に仕上がっています。抽象化された港の一軒一軒が整然として並ぶ中に、これも面白いような造形の雲が流れ、空の色と上品な補色関係を生みだしています。

又、山の稜線もニッポンの山らしい柔らかい表現でまとめていますから、家・雲の幾何学的形態と程よいバランスを生み、ここでも鈴木信太郎の独自なデザインセンスの世界がそっと顔を出しています。

この絵にも鈴木信太郎が独自の色を模索している過程が見え隠れしているようで、薄く溶いた油絵具を少しずつ重ねた下地があるからこそ、独特の深みと広がりを感じとれるのでしょう・・・。

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2008年4月 8日 (火)

広重・千駄木 団子坂 花屋敷

016 此処がその昔は江戸市内でも、なかなかの絶景スポットであった・・・などとは自転車で通過しても全く気付きませんでした。

1850年代の中頃に刷られたこの版画には、今、その面影の微塵も無いのですが、素晴らしい風景が記録されています。奥に見える立派な建物は『紫泉亭』と呼ばれていた眺望絶佳の、今で言えばカフェ・レストランであります。この『紫泉亭』は1852年にこの土地の旧家・植木屋宇平次が開いた梅・櫻の庭園の崖上にあり、噂を聞きつけた庶民から札差までが遊覧に興じ、たいへんな繁盛であったようです。

画面真中を源氏雲 (雲文の1つで、絵画や文様の中を洲浜形に仕切って、雲がたなびいた感じを表わしたものです。「源氏物語絵巻」に使われたことから源氏雲と呼ばれるようになりました。雲に隠れた部分で時間や空間の推移を想像させ、さらに装飾的効果も与えています) で省略していますが、崖であった様子を雲の途切れた辺りにほんの僅か垣間見ることが出来ます。

手前に見える川、あるいは池と思われる場所はいろいろな先生が、藍染川やら根津権現の池など諸説を唱えていましたが、今では古文書から、植木屋宇平次が造った花菖蒲の池というのが決定的であります。

今日では、この近辺、上野から入谷・本郷にかけて、水辺を楽しむ眺望の素晴らしい場所が其処彼処にあったなど気付きもしませんが、この版画を通して、この時代、江戸の皆さんが身近なところで素晴らしい環境に囲まれていたということを、垣間観ることができます。

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2008年4月 7日 (月)

広重・日暮里 諏訪の台

015_2 都心の公園や商業施設環境に置かれた、無機的か悪趣味のどちらかしか無いようなベンチに座っていても、目の前は美しい景観など望めなく、せかせかと小走りに急ぐ皆様ばかりが、目立つばかりです。

広重・名所江戸百景の内、幕末の日暮里・諏訪の台から筑波山・日光連山を望んで桜三昧している町人衆には、今の花見のような先陣争いにはじまり、酒・バカ騒ぎ三昧の微塵もなく、静かな空気が流れています。これだけの絶景パノラマを独り占め出来るのですから、もう何も要らなくて構いません・・・と言いたげな在り様です。

下の写真は広重の版画を元に同じアングルから撮影されたものですが、現存する諏訪明神社の境内とはいえ、もうがっかりする情景が目の前にあるのみですから、此処も広重の版画を観て往時の豊かさを偲ぶしかありませんね・・・。Higurashi241_2

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2008年4月 6日 (日)

もうすぐ絶景?

Lkicdru 晴れた週末であればその殆どを自転車ツーリングで明け暮れていた1965年頃、杉並区の久我山から狭山湖方面に初めて向かってみました。

今となってはさほどの距離も無いのですが、高校生の頃はとても遠くに感じましたし、狭山湖という響きがとにかく遠い世界のような印象をもっていました。久我山から西荻・吉祥寺を抜け、田無から東村山辺りに来るとなんとなく不安な気持ちもしてきました。季節は新緑も眩しい4月下旬でしたから気分も爽快でぐんぐん飛ばし、気が付けば今、自分がどの辺りなのかも分からず不安が増長していきました。そしてこのFrank Pattersonさんの挿絵のような場所に出たのですが、その先がどういうところなのか分からず、かなり心配になってきましたが、自転車を押して上りきると嘘のように展望が広がり、近くの路傍にひっそりと佇む曰くありげな石碑を見ると『将軍塚』と書かれていました。由緒もまともに分かる筈もなく、そのまま尾根道を快適に下ると西武園駅近辺に出る事ができました。この経験があって自転車に最適な自分の道として度々単独で走ったり、隣のクラスメート・中村浩二君を誘って出かけたりしました。途中の茶畑など今やその名残もないのでしょうが、1965年頃はまだまだ長閑で牧歌的な景観にあふれた眺望を見渡せる場所が其処彼処に存在していました。Bgo 下の写真は将軍塚の下に降りて撮影したもので、中Sitdrt 村浩二君の撮影によるナイス・ショットであります。

さてこの場所ですが、宮崎駿監督の映画『となりのトトロ』で登場する「七国山」のモデルとなったところで、八国山緑地 http://www.tachikawaonline.jp/walk/higashimurayama.htm と呼ばれています(何故八国かといえば、上野・下野・常盤・安房・相模・駿河・信濃・甲斐が一望に見渡せたからだそうです。)又、将軍塚は鎌倉幕府追討のため、鎌倉街道を南下して久米川の戦い(1333年)に勝利した新田義貞が陣を張ったところだそうです。

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2008年4月 5日 (土)

富士山のオンパレード・大屋書房

Rimg7912_2 Rimg7914_2 Rimg7915_2 Rimg7916_2 神保町は大屋書房 http://www.ohya-shobo.com/ を通り過ぎようとしましたが、ウインドウ越しに展開されている富士山のオンパレードに、脚が止まってしまいました。

広重・北斎など大衆性のある人気作家の手に拠るものではなさそうですが、夫々に、職人のクリエーティヴィティが感じとれます。見開きをわざわざ二つの枠に分けて、尚、右枠を飛び出して富士山のてっぺんが突き破っているなど、こればかりは富士山の壮大さを体感しているからこその、アドリブというか、即興アレンジの極意のようであります。日本橋河岸の作品など、広重の俯瞰の雄大さはないものの、築地に働く町人の風俗がいきいきと描かれていて、風俗画として、毎日眺めていたいものです。その他の二点もこの時季に相応しいモチーフで、気分晴れ晴れとなります。

「大屋書房」は古地図・浮世絵・古文書の専門店として、老舗に相応しい品揃えで定評がありますが、街往く人々にも楽しんでもらおうと、ウインドゥの歳時記展開に趣向を凝らしていて、見逃せないのであります。この店の少し先にある、和菓子の「ささま」も江戸和菓子の伝統を頑なに受け継いでいて、この二店舗は神田でも少なくなり始めた、日本の歳時記を商いを通して、視覚的にきちんと反映させている店です。

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2008年4月 4日 (金)

小林泰彦・東京自転車小旅行

Rimg7774 イギリスのフランク・パターソンさんが描く、精密な線描法による自転車ツーリングの紀行スケッチは、そのみごとな空気感・風景の捉え方を通して人気ですが、日本においてはこの小林泰彦さん http://home.b01.itscom.net/yasuhiko/ の抜群のデッサン力と、(兄・小林信彦ばりの)洒脱な文体によるこの一冊がとどめでしょうか・・・。

1975年に登場した『POPEYE』の雑誌に、ライフスタイルのトレンドとして、数多く登場した小林さんの海外取材としてのイラストルポを、ご記憶の方も多いと思いますが、小林さん自身が無類のアウトドア・スポーツの達人でもありましたから、POPEYEに初めて登場したアメリカ西海岸の新しいスポーツに関する、ご自身のコラムと挿絵には、毎号わくわくしていましたし、『山と渓谷』に連載のコラム・エッセイも、視点が山ばかりでなく、周辺のちょっと洒落た内容にまでふくらみ、小林泰彦さんが、無粋な山男ではない気配を、雑誌を通して感じていました。

Rimg7777Rimg7793さて、1979年に文芸春秋社から刊行された『東京自転車小旅行』には、自転車で気軽に散策する愉しみが盛りだくさんで、ピックアップされた東京の見どころの選択センスも素晴らしく、今では既に消え去ってしまった光景も多々ありますから、比較しながら読みますと、この30数年で相当入れ替わってしまった東京の環境の変遷も理解でき、資料としてもありがたい存在です。

この本も神保町の店先のダンボールに入っていて、ハンバーガー一個ほどのお値段に飛びついてしまいました。どうやら古書店にも世代交代というか、時代の流れを知らない輩が商いはじめたのか・・・、私世代には思い出の宝庫である1960年代から70年代の雑誌・単行本が放出し始めた有様のようです。

因みにアマゾンで検索しますと、『東京自転車小旅行』は、私の買った値段の10倍の価格でした・・・。

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2008年4月 3日 (木)

広重・品川御殿山

007 広重が好んで描いた品川周辺のモチーフの中でも、この『品川御殿山』と題されたものほど、安政の黒船来襲以降の幕府の海上防備に、ここの土をお台場整備に掘削したことを解り易く表わしているものはありません。

それ以前は徳川吉宗お手植えの桜が江戸の名所となっていて、このような惨めな状況ではなかったのでしょうが、海側から望んだアングルの絵は少なく、葛飾北斎の描いた御殿山のお花見の様子が往時の華やかさを伝えてくれます。Photo

01_2 03 03_2 03_3 この辺り、明治以降は益田家・日比谷家邸宅となり現在は東海道線がど真ん中を縦断しています。手前は善福寺あたりでしょうか。橋の辺りは国道15号線・第一京浜と呼ばれる大動脈でありますから、今ではこのような風雅な景観は何処にも遺っていませんが、ちょっと奥に入ると僅かながら江戸の薫りが微かに薫ってくるような気配があります。

この広重の描いた崖に似たような景観の写真が残っていて、これは横浜根岸(レストラン・ドルフィンを下った辺り)のものですが、雰囲気だけでも感じて戴ければ・・・。401

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2008年4月 2日 (水)

桜祭り・熱海 1949年

5 1949年(昭和24年)、熱海駅前の土産物店の様子です。装飾に桜の花が満開ですからこの年の『熱海温泉桜祭り』の頃でしょう。この翌年、熱海は大火に遭って、海岸通りの木造建築の旅館は姿を消してしまい、やがて来る大衆化に路線を変更して高層ホテルの観光地となって今日に至っています。

戦後間もない頃の、まだ其処彼処に長閑な温泉町といった風情に溢れたこの写真もGHQ報道局カメラマンによるものです。

販売員というよりも売り子さんといった風情の店員さんは、ずいぶんきちんとした感じですから、きっとこの店の社長のお嬢さんか、あるいはご親戚が総動員といったところかも知れません。散策する観光客の男性陣もスーツにソフト帽と紳士そのまんまで、なんとなく微笑ましい感じさえします。この店で扱う品物には何故かタオルがいっぱい重なって置かれてますから、当時はこれが売れ筋商品の筆頭グループだったのでしょう。タオル柄の人気キャラクターとしては先ず「貫一・お宮」か、当時、勢いのあった「熱海芸者のお姐さん」といったところでしょうか・・・。この写真からは窺えませんが、当時の熱海土産で人気だったのが椿油で、私の子供の頃、家の洗面所に置いてあったのを覚えています。黒檀・紫壇で出来ているかと思われる什器の中には饅頭の類が陳列してますが、たとえ見本ともいえども春の日差しを浴びて、汗ばんでいたことでしょう・・・。

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2008年4月 1日 (火)

三宅一生ディレクション・21世紀人

Rimg8435 Rimg8433 Rimg8436 2007年3月に三宅一生・佐藤卓・深澤直人という現在の日本を代表するデザイナーが夫々ディレクターとなり、「21_21 DESIGN SIGHT」http://www.tokyo-midtown.com/jp/design/21_21.htmlがオープンして早や一年。ありきたりの展示場所に留まることなく、デザイナー・企業・職人・ユーザーを一つに繋いだ場をつくり、デザインのあり方・将来像を相互に構築していこうとする目論見は着々と成果を挙げ、一年たらずで入場者は20万人を越えるに至り、益々その期待と可能性が高まってきました。

そして、いよいよ3月30日より、火付け役・三宅一生氏のディレクションによる『21世紀人』と題するアート・デザインの展覧会が始まりました。あまりに大きなテーマですから分かりづらいとは思いますが、イサム・ノグチ、ティム・ホーキンス、デュイ・セイド、ロン・アラッド、ベン・ウィルソン、三宅一生、nendo、ISSEY MIYAKE Creative Room、関口光太郎、鈴木康広、による日本初公開となる作品が「これからの時代のものづくりと人間のありよう」を示唆しているようで、久しぶりの緊張感に満ちた展覧会です。盛況に満ちた会場の終わりに近づくと、これまでと違う異様なインスタレーションのゾーンが現れました。「THE WIND」とタイトル化された会場の作品から構成までを指揮された、ISSEY MIYAKE Creative Roomの藤原大さん http://mainichi.jp/life/fashion/mode/archive/news/2007/20070126ddm010100053000c.htmlのスタッフに聞くと、イギリスの掃除機、ダイソン・クリーナー http://www.dysonjapan.jp/index.html の部品を分解・再構成して、ボディを作られ、そこに三宅一生氏がかかわるA-POCの素材をコラボレートしたそうで、その相乗効果はハードな中にファンタスティックな存在感を誕生させました。さてそこで、何故ダイソンの掃除機だったのか、ということですが、現在の世界のプロダクツにおいて、ダイソンクリーナーほど小さな部品一つひとつまでが単なる工業生産物でなく、研ぎ澄まされた美のレベルにまで昇華し、さらに現在21世紀の時代表現のレベルまで達しているものは、他に存在していません。ましてや、重要な機能を司るパーツにおいては、さらにその美的造形性と色彩がラテンの元気の薫りさえ窺え、ここに三宅一生さん・藤原大さんのインスピレーションがスパークしたのかも知れません。『デザインに深さ・アートに楽しさ・ファッションに思想』が求められる次代の到来を見据えているかのようで、私はこの展示に釘付けとなってしまいました。

会場は、まるで役者のような気配で今にも動き出しそうな(ダイソンパーツとA-POCのコラボレーションによる)創造物で、充満していました。スタッフのご了承を得て、特別に撮影させていただきましたが、画像を通しても、迫力ある存在感が衰えていないのに、二度びっくりであります。

尚、この展覧会の全貌は、今発売中の雑誌 Pen別冊『三宅一生ディレクションによるアート&デザイン展 XXIc.-21世紀人-完全ガイドブック』に詳細に載っています。

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