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2008年6月30日 (月)

信州便り・上林温泉 せきや

Rimg10450 Rimg10458_2 志賀高原からの帰り道、ふとあたまを横切ったのが、「温泉に行こう!!!」、ということでした。昼間の間、いくら高原とはいえ、犬の追廻しなどで、汗も半端なくかいてしまい、ジーンズに脚がぴったりくっついてしまうのも運転に支障ありと感じ、さあ、何処へ行くかと車を止めて考えました。

思い出したのは、渋温泉・湯田中温泉でしたが、確か源泉・地獄谷に近いのは、上林温泉だということを思いだし、早速、現地に向かいました。土曜日だというのに、車もがらがらですから、下りを一気に駆け下り、あっという間に到着しました。いわゆる観光地としての温泉というよりも、相当立派な外観の温泉旅館が軒を並べていますから、日帰り入浴を営業しているところが少なく、ようやく『せきや』http://www.yuyadosekiya.com/という温泉旅館が日帰り入浴オーケーということで、入りました。入口から一家のロビーまで懐かしい籐椅子が並び、そこを抜けて、新緑が前面に展開する露天風呂目指し、一目散のような気分で、誰も居ない貸し切りのお湯に飛び込みました。その瞬間、「あっちっち!!!」という声が思わず出てしまい、又、外に飛び出してはシャワーで水を掛け冷却しました。後で知ったのですが、此処のお湯は源泉の直ぐ傍だけに48度以上になるときもあるそうですから、気をつけねばなりません。脇にある蛇口から水を放出してしばらく待ちの状態でしたが、適温となり身体を沈めました。最近はぬるい湯にゆっくり入るのが身体に良いとのことですが、わたしは無類の「熱い湯派」ですから、ここのお湯はぴりっとメリハリが利いて、私の性格にうってつけです。

すっかり熱くなった身体を冷ましに、ロビーで定番の牛乳をいただき、すっかり気を取り戻して、小布施に戻りました。

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2008年6月29日 (日)

信州便り・旧 志賀高原ホテル

Rimg10387 Rimg10381 石の湯ロッジに別れを告げて、小布施の帰路につきました。土曜日でしたが、全くと云って良いほど、車に遭遇せず、下りの慣れない運転の車に前をふさがれることもなく、快適に丸池まで下って行きました。丸池ゲレンデが過ぎ、ふと、右手を観ると、何と懐かしい志賀高原ホテルがまだ、その存在振りを堂々と誇っていました。

1930年から1999年まで、多くの著名日本人をはじめ、海外要人も訪れ、高原の社交場として、特に、戦後の数年がその絶頂であったと聞いています。戦前は旧華族・財閥を中心とした避暑や冬のスキー場として、その揺ぎ無いステータスは、1970年代までは不動でした。その後、スキー人口の大幅な減少、高速道路の完備により志賀高原も日帰りコースとなり、滞在型リゾートとしての意味が薄れてしまう・・・など、紆余曲折の後、現在の姿となってしまいました。

私が志賀高原のベースキャンプにしていた石の湯ロッジは、こことは正反対のキャビンのような風情でしたから、湯田中から上ってきて、この三角屋根が見えると、その整然とした建物に襟を正したものでした。

藤森照信さんを中心とした旧志賀高原ホテル復興プロジェクトは一段落したようで、この日、周囲の芝生や造園も完成していた様子ですから、いずれ、何らかのかたちで、この素晴らしい建築を再び利用できる日も間もない、と思うのですが・・・。

今では作りたくても、消防法の絡みでこのような美しい建物は、作ること自体が不可能な時代ですから、よくこの物件を保存した「和合会」という志賀高原の財団に、感謝であります。

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2008年6月28日 (土)

信州便り・志賀高原 石の湯ロッジ

01_2 Rimg10419 Rimg10429 Rimg10444 Rimg10523 小布施から志賀高原までは国道403号を使えば、45分ほどで到着します。この日は家人とのスケジュール調整のため、5時間ほど自由時間となったので、石の湯ロッジhttp://www.ishinoyu.com/に向かいました。例年ですと梅雨の真っ最中なのですが、この日も、日中から陽射しの強い状況となって、高原の強い日差しが、もう盛夏のようでした。高度が上るたびに新緑の輝きが増して、石の湯ロッジの前も、やや雲に見え隠れするのが功を奏して、フィルターを通したような柔らかい新緑の輝きとなりました。石の湯ロッジを管理する内田昇次さんに挨拶してから、連れてきた犬のプリン(ケアンテリア)を自由に放すと、ここぞとばかり駆け巡り、追いかけるのに容易ではありません。内田さんには採れたばかりの筍をいただき、おかげで帰ってから晩のおかずに旬の彩りが増えました。

さて、石の湯の近くには喜兵衛地蔵尊が建っていて(このお地蔵さんは1779年に須坂の中嶋喜兵衛が造立したもので、木戸池の温水を使い、高冷地稲作に成功した記念のものです)、10代の頃、辻まことさんに連れられ、このお地蔵さんの前をスキーとリュックを背負って横手山まで歩いた頃を思い出しました。積雪が多いと、この地蔵さんとの距離が近くなりますから、横手山で十二分に滑り、暗くなってロッジに戻る時、月夜に照らされた青くきらきらと光る雪の中、この地蔵さんの不気味なことといったらありませんでした。

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2008年6月27日 (金)

信州便り・小布施 モダンコントラスト

Rimg10255 Rimg10260 Rimg10285_2 花や新緑、そして光に恵まれた小布施の魅力は、古いものを再生しながら、決して回顧趣味に陥ることなく、インターナショナルなセンスによって、極めて、モダンにまとまっている場所が多いことにもあります。漆喰と黒板の対比も眩しい、酒蔵を改造したこの場所(大きな写真)は、小布施堂が運営する宿泊施設『枡一客殿』http://www.kyakuden.jp/の書斎型ルームとなっていて、お値段の高いにも関わらず、室内意匠の審美性と施設の先進性が、人気であります。

又、修復しながらも、昔の土壁の様子を可能な限り遺している場所では、ローズとの相性も抜群に素晴らしく、背景の色がローズの趣きを引き出していました。モダンな感性といっても幅広いものがありますが、小布施には、ナチュラルモダンなものからハードモダンまで、その振幅は一定のセンスを保ちながらも、夫々の場所で領海侵犯しないように、上手く存在しているからこそ異なった感性が被さることも少なく、目にも優しいのです。

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2008年6月26日 (木)

信州便り・小布施 花と緑の町

Rimg1024201Rimg10365Rimg10494官民一体となった花のまちづくりへの取り組みは、ヨーロッパ花の研修などを通じ、全町的広まりを見せる中、個人の趣味のガーデニングがまちづくりにもたらす効果を明確にし、目的と参加意欲をもって取り組みが行えるよう、花によるまちづくりの理念を定めました。これは、”外はみんなのもの、内は自分のもの”という概念から、住民と行政の役割を明確にし、「1、美しいまちづくり 2、心の文化を育てる 3、町の資源を有効活用する」の三つの基本方針を掲げています。そして、この方針の一番目に掲げる美しいまちづくりに花をもって取り組むため、①花によって町を装いましょう。②花によって福祉の心を育てましょう。③花を町の産業に育てましょう。 の三つの目標を定め、花によるまちづくりの基本方針を明確にしました。(小布施オープンガーデンブック・花のまちづくりの三つのコンセプト)

長野県・小布施町は四方4キロほどのコンパクトな町ながら、此処に暮らす皆さんが、生活環境を自然の花や緑の力を借り、美しく磨き上げています。その上、独自の観点から捉えた小売・飲食店舗も多く、いつ来ても飽きることのない、国内では稀有な町といえます。外国人にとって京都に次いで人気のあるこの町には、この時季は花が咲き乱れ、それも洋も和もうまく溶け込んでいます。疎かになりがちな道の隅にもきちんと花・植栽が造作され、さらに、庭園所有者のボランティアによる、オープンガーデンも私の好きな和系の花・植栽から、少し郊外に出ると、イングリッシュ・ガーデンありと、そのバラエティの広さが嬉しくなります。よくぞ、ここまで行政と住民が同じ志のもと、美しい町にされたものと、感心する以外、何にもないのです。誰が指導されたか計り知らぬことですが、この町は、環境における細部の重要性を熟知してますから、とにかく、何処に居ても快適なのです。

早朝からいたるところで掃除をしている皆さんの姿を観ているだけでも、都市では遠い昔に消え去った住民同志の日々の生活文化に対する意識の高さと、訪れる皆さんへの気持ちよく過ごしてもらいたいという心得が、此処にはきちんと残っていることを嬉しく感じるのです。

小布施郊外にはフラワーセンターという場所があって、此処では、地元で栽培した花を鉢で販売しています。仕入れの花は一切なく、ここにも小布施町の気合の入れようが、マーケットを意識しながらも、誇り高い、地元プロダクトアウトの気構えを失っていないのです。Rimg10370

   

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2008年6月25日 (水)

信州便り・小布施 早朝の小径

Photo Rimg10324_2 Rimg10237 小布施の魅力は、この時季、早朝の町を歩くと新緑が露に光り、モノトーンとのコントラストが、独特の美しい風景を一層、輝かせてくれます。

昨夜の雨もあがり、この日、早朝から陽が差したので、居ても立ってもいられず、散策しました。栗の木や石を敷き詰めた小道はしっとりとして、歩きたくなる気持ちが高まりますし、連れて行ったプリン(ケアンテリア)でさえも、普段の舗装道よりは気に入ったようすです。

さて、小布施には「潤いのある美しいまちづくり」という考え方のもと、庭を開放して訪れる観光客を楽しませてくれる、『小布施オープンガーデン』http://www.town.obuse.nagano.jp/open-garden/open-garden.htmという庭園所有者によるボランティアにより、訪れた人は百件ほどの御宅のお庭を自由に拝見することが出来ます。

あまりにも早朝からお邪魔するのも気が引けましたが、この個人主義の跋扈する時代に、この町の皆さんの大きなうつわに感動しました。

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2008年6月24日 (火)

信州便り・小布施 『傘風楼』

Photo Rimg10485 Rimg10482 松本市の飛曇荘をじっくりこの目に焼き付けてから、長野道・上信越自動車道を経由して、小布施町に向かいました。

さて、小布施町http://www.town.obuse.nagano.jp/の名産、栗を使った和菓子は『竹風堂』http://www.e-obuse.com/shop/chi/ 『小布施堂』http://www.obusedo.com/が質・内容ともに双璧です。竹風堂が比較的伝統的世界を守旧して、事業の拡大路線をさほど取らないのに対し、小布施堂は伝統的世界以外にも進出し、レストラン・ホテルなどの総合地域文化・産業の発展に寄与しています。

この日の夕方、それまでぽつぽつしていた雨も止んで、西日が落ちる頃、陽射しが差し込み、木々に溜まった水滴が反射して、小布施町は、どこもみずみずしい情景をつくりはじめました。

家人は友人等と、別行動でしたから、独りのお洒落な時間を満喫すべく、『傘風楼』http://www.obusedo.com/ajiwai/sanpooloh.htmlという小布施堂が運営するイタリアレストランに入りました。中を案内されましたが私は敢えて、外に出て夕日で輝く小布施の街を観たいと思いました。この日、昼間より極めて少量の食事を何回かしてましたが、此処、傘風楼は何となく、面白そうな趣きのプレゼンテーションに則った食事が出そうな予感がしましたから、メニューからシーザースサラダとマルゲリータピザというシンプルこの上ないオーダーをしました。出てきたサラダはモッツアレーラチーズの覆い方、ピザ生地をつかった器が絶妙な、洒落たセンスで登場!。これを感心しながら観ているうちに、ピザの撮影を忘れてしまいましたが、ピザも自慢の釜から、あつあつで登場!。味も濃くなく、シンプルな爽やかさの残る出来栄えでありました。このモダンなテラスは、脇に、昔からの小径が抜けていて、その対比構成もみごとですし、思わず目が合って挨拶してしまうほど、歩く人との距離感も嬉しい雰囲気を醸し出しています。

Photo_2 西日も清清しいこの場所では、何の変哲もないボトルに入った水と細脚グラスさえ、周りの環境と絶妙に溶け合い、普段暮らす東京の事務的な町と違う、生活を楽しむ豊かな町の磨かれた美しさを象徴的に表わしていました。

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2008年6月23日 (月)

信州便り・飛曇荘

Rimg10175_2 Rimg10176 Rimg10160 一昨年来、Daniel Rebourさんの自転車メカニカル・イラストレーションhttp://sohske.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/daniel_rebour_e419.html#commentsを通して、ブログにお近づき戴いた秋山東一さんhttp://landship.sub.jp/stocktaking/の設計による飛曇荘(HIZUMISOU)・・・騨と安野を組み合わせた屋号・・・を観に行くチャンスが降って沸いたので、限られた時間を捻出して、信州・松本に出かけました。現在お住いの宗亭さんご夫妻http://hizumisoh.citrohan.sub.jp/は、仕事のご都合上不在でしたが、秋山さんのお気遣いのお陰で、玄関脇には、『歓迎・alpshima様ご一行さま』と、恐縮してしまうメッセージも貼られ、犬連れの私としては、のんびり外側から拝見する程度しか頭になかったものですから、ただ不在のご夫妻のいらっしゃるであろう、上高地方向にお礼をいたすしかありませんでした。

建築には、全くの門外漢である私が、おいそれと口を挟むものではありませんが、秋山さんが、永年ライフワークとされてきたスタンダードな道具としての住いを、この目でしっかりと観てきたつもりです。軒先の樋隠しの伝統的処理を、現在感覚で処理しているだけを観ても、さらに内部の生活設備などは、吉村順三以上の、ワクワクしてしまいそうな、アイディアに溢れた仕掛けがあるように思えて仕方ありません。この物件は松本市郊外の住宅団地の地域内にあって、際立ってモダンな意匠と、快適生活の窺える存在となっています。宗亭さんが今、植栽と庭の造作の準備をされているようですから、樹木植栽がこの住いに根付く頃となれば、一層、優しさも兼ね備え、さらに際立った存在となるでしょう。

飛曇荘を観ていると、ドイツ車に顕著な操作性・認知性の具合の良さを信奉される秋山東一さんならではの、外観から即座に『洒落た具合の良い住い』であることが、ピンと来るのです。

昨今の記号的様式建築の蔓延る中、飛曇荘のような良識と見識に裏打ちされた住いが、良識あるリベラルな施主さんを中心に徐々ではありますが、増えていることも事実で、アノニマス性(匿名性)をデザインの第一義性と捉える私など、まだこの世の中、見捨てたものではないな・・・などと、帰り際、独りで納得しました。

次回、機会がありますれば、秋山さんご同行で、室内の詳細な説明と、その後の、美味しい酒盛りを愉しみとしています。

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2008年6月22日 (日)

多摩川のお休み処

3 多摩川の土手も週末は散歩する人・ジョギングする人・自転車の人が右往左往するようになってきて、今では早朝の空いている内に自転車を駆り出さないといけない状況となってきました。

いつの間にやら、土手周辺の植栽や養生も行き届き始めましたが、ちょっとしたお休み処のないのが普通の人にとっては不満な点なのでしょう。

私は却って何も無い、シンプルな景観を喜ぶタイプの者ですから、このような見目麗しき立ち姿の木があるものなら、スーッと吸い寄せられてしまいます。

二子橋から登戸に向かってしばらく走りますと現われるこの木の姿は、丁度、汗が拭きだし、一休みしたくなる絶対位置にあるうえ、周囲の環境とよく馴染んでいて、浮世絵に観る一里塚のような趣きさえあります。

しかし、夏場の炎天下には、この下に涼を求める多くの人が集まって来て、却って人だかりでむさ苦しいうえ、汗臭く蒸し暑いのであります。

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2008年6月21日 (土)

御茶ノ水・文化学院

Rimg9929 Rimg9930 Rimg9932 Rimg9937 Rimg9941 御茶ノ水・マロニエ通りは、何といっても文化学院の素晴らしい建物があったからこそ、独特の落ち着いた街並みを形成していましたが、此処も、取壊されて、新しい環境に変わりました。多くの学院関係者の努力で、象徴としてのアーチは保存されましたが、以前の中庭を見通すことのできた、優雅なアプローチ景観はなくなってしまいました。

それでも、何とか以前の雰囲気を可能な限りで遺そうとされた関係者の努力は、各細部の素材や形状にも表れていて、嬉しい気持ちになります。

以前の環境ですと、自転車で此処を通りかかって、ちょっとアーチをお借りして、中庭を望みながら涼を求めましたが、今は、その風は抜けにくくなっていますから、そこだけが残念なのであります。

それでも、よくぞ小さいながら、以前の優雅なモダン昭和の残像を守ってくれたものです。

あとはまだ養生中の植栽が元気になって、入口界隈に爽やかな緑の一角が誕生すれば、経営が変わったとしても、文化学院の育んだ多岐に亘る人財(人材)とともに、この環境の大正・昭和の余韻は、消すことができないのです。

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2008年6月20日 (金)

虎屋・滋賀の里

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滋賀の里 

天智天皇が667年に都を移した近江大津宮は、滋賀里と呼ばれる琵琶湖の南西部に位置したともいわれます。黄色のそぼろに白色のそぼろを散らして、日差しのもと、きらきらと輝く琵琶湖を表わしました。 (虎屋)

虎屋の生菓子は、おいそれと複数買えるものではありませんから、慎重に吟味して、絶対単品としての品格を見据えたうえでの、一品買いを愉しんでいます。滋賀の里と命名されたこの美しいイエローの逸品も、小豆の粒ぞろいといい、和三盆の甘味といい、他所では到達することのできない、虎屋の牙城であります。この滋賀の里の意匠ですが、陽射しを黄色、反射して輝く琵琶湖の水面を白で表現する感性はもうシュールリアリズムのスタンスです。

さて、ここの生菓子も、銀座・空也、神保町・ささま、と同じように、華美に走ることなく、正々堂々たる、伝統和菓子の継承の啓蒙と啓発のリードオフマンの役目を担っています。さらに、狭い和の世界に留まることなく、インターナショナル・モダンとしての和菓子の可能性を、新しい業態に挑戦しながら、今も時代に迎合することなく高感度な領域を模索しています。六本木ヒルズから始まったこの分野(トラヤカフェなど)も、既にそっくりさんが凌ぎを削りはじめ、常に追われる立場にある虎屋の陣頭指揮官の手腕がここに来て、さらに高いものを求められています。この虎屋の、時代に対する対応力・適応力・表現力こそが、真の老舗に相応しいスタンスであって、護りばかりの老舗は、よほどの寺社・法人などと将来に亘り確固たる連帯のない限り、この先あっという間に淘汰され出すに違いないのです。

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2008年6月19日 (木)

衝動買い!ガラス瓶

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ガラスにもクリスタルに代表される、高品質で精緻な美しさを誇るグループもあれば、何の用途であるかさっぱり分からないような、専門の道具に近いものもあって、夫々に愛好家もいたりして、だからこそ、趣味の世界は奥深いのです。

最近は、ファッションも然りですが、ピカピカで着飾ることはダサいと同意語のようで、そうなると、時代の追風は、ラギッドな世界、つまり、ちょっと汚れていたり、わざわざ傷だらけのような、昔では考えられないテーストに傾いています。かといって、むりやりそのようなトレンドに普通の皆さんが首を突っ込んだところで、住いの環境が真っ白であったり、極めてシンプルであればこそ際立つ感覚なわけですから、日常の延長でラギッドな世界を持ち込んだところで、洒落にもならないのが、関の山といったところでしょう。

さて、先日、自由が丘を徘徊していると、すずかけ通り沿いに、Mieux http://www.mie-ux.com/ というショップがありました。いわゆる、雑貨のお店で、このジャンルは自由が丘の代名詞でありますが、何処も、女性好みのものばかりで、いささか、僻々していたところでしたが、入ってみると、イギリス・フランスのスーベニールのものも、揃っていて、ようやく、男好みの店を見つけました。灰皿・キーホルダーなどもマニアックな感性に溢れ、このあたりは若い店主の感性に脱帽です。フランスの田舎にありそうな外観も、入りやすい雰囲気となっています。かなり、趣味性の高いお店ですから、ゆっくり店主と話をしながら時間を過ごすと、知らないことも教えてくれたりと、勉強にもなりますよ。

この日、つい衝動買いしてしまったイギリスのガラス瓶(元々は薬を容れた瓶)を包んでいただいて、自由が丘の坂道を自転車のハンドルをふらつかせさせながら、慎重に自宅まで辿りつきました。

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2008年6月18日 (水)

ロイヤルホスト・カシミールカレーの時季

Rimg10108 ロイヤルホストのカシミールカレーに出会ったのは、1993年頃だったかと思います。

カレーといえば、せいぜい新宿中村屋のインドカレー程度しか興味もなかったのですが、初めてこのカレーを食べた時、あまりのストレートな辛さに瞬時に汗が噴出しました。それでも、さらりとしたルーと茄子・ジャガイモ・牛バラのバランスもよく、湯島のカレー名店・デリーをも凌ぐ味わいに、それ以来、虜となってしまいました。1990年代は年間を通したメニューになっていたように思いますが、最近は期間限定メニューの一番人気となっているようです。

というわけで、今日、6月17日より、カシミールカレーの期間限定メニューが始まりました。

駒沢の隣駅、桜新町にはロイヤルホストが二軒もありますが、そのうち玉川通りにある店は、株式会社ロイヤルの本部の一階でもあるので、私は、比較したことはないものの、どうしても、こちらの店の方が、安心できそうなので、専ら、カシミールカレーのある期間ばかり、こちらばかりを利用します。

本部の一階ですから、年中、研修生などが、まだ慣れない動きで店を必死で動き回っていて、時々、トレーナーの先輩に注意・検証などを受けてますから、その様子を観ているだけでも、時代の流れさえ読めて、商売の考現学も一緒に得とく出来たり・・・と、一石二鳥なのです。

このカシミールカレーですが、具やルーはおそらく全国どこのロイヤルホストでもさほど味に変わりはないでしょうが、ライスの按配はどうも店舗によって違うようで、できれば、やや硬めのライスを出す店に出会えれば、大正解!。抜群の相性となりますし、その風味絶佳は倍増いたします。

あと出来ることならば、以前のような、洒落た薬味の小皿揃いを復活してくれることと、使いにくい素焼きの壺に代えて、これも以前のような普通のカレールーを入れる金属製チューリンにしていただくと、高級感が倍加するのでしょうに・・・。

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2008年6月17日 (火)

鈴木信太郎の北海道大学構内

27_2 鈴木信太郎の札幌訪問は1958年8月に始まり、北海道大学の構内の光が透明感に富んでいたのを、よほど気に入ったのか、他の作品よりも明るく透明感に溢れた画趣に仕上がっています。

この作品も地面に座って描いた視線からの構図が、落ち着きを含んでいて、樹木の活き活きした生命力が伝わって来ます。

早朝の朝日を浴びながら、トレーニングに励んでいるのか、もしくは合唱の練習をしているのかは定かでありませんが、森林浴のオゾンを浴びた健康な学生の生活を描いていて、鈴木信太郎にしては珍しいほど、日常感に根ざした表現をしています。

さて、大学構内に限らず、自然環境に満ちた公園のある生活というのはたいへんありがたいもので、其処に行けば森の中で充分な英気を養えますし、なにしろ暮らしている人々から健全な笑顔が絶えませんから、町自体がヘルシー・ビューティーなのです。

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2008年6月16日 (月)

多摩川の風物詩・少年野球大会

Rimg10079_2 Rimg10077 今や、少年スポーツの世界でもサッカーの人気が台頭して、此処、多摩川河川敷のグランドも、数年前からサッカーグラウンドが増えつつあります。それでも、多摩川といえば読売巨人軍というDNAは、少しも消えうせることなく、連綿として、このように、今日も朝早くから、各野球グラウンドは、試合数も多く、すし詰め状態であります。

毎年、この時季ともなると、全国少年野球の地区ブロックの大会が盛んとなって、此処、多摩川はその中でも、聖地のように、多くのチームの憧れとなります。

こういう私も、小学校時代は野球にのめり込んで、武蔵野地区では健闘していたのですが、今では、炎天下、父兄の作るハッカ水の涼しい飲料の喉越しの冷たさしか記憶にない・・・という、ていたらくぶりであります。それでも、お昼のお弁当は、昔も今もやはり、おにぎりと変わらないのには、嬉しい気分でありますし、中の具もおかか・梅干・昆布・鮭・・・と定番の序列も変わらず、野球を取り巻く世界は、タイムトリップのようなリバース気分が満載でありました。

さて、この下の写真の多摩川対岸に観えるクレーン類の林立するあたりが、二子玉川再開発 http://www.nikotama-kun.jp/0s5.htm のメッカであります。小高い丘の森は瀬田・上野毛界隈で、此処にお住みの皆様は、迫り来る高層ビルラッシュを目前に控えて、どのような気分なのでありましょうか。いずれにしても、東京側、川崎側ともに、所々、高層化の波は怒涛のように押し寄せていて、こうなると、多摩川の川風の爽やかな恩恵はいつまで受けられるのでしょうか・・・。

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2008年6月15日 (日)

1911・ヘンドン航空ショー

1911 ライト兄弟が初めて飛行成功した1903年から僅か8年後の1911年にはもうイギリスでは飛行機のショーが開催され、入場券のない者はこのような覗き見をしていたのであります。

私なぞ、どちらかといえば飛行機よりも、脚立代わりの自転車の方に興味がありますけど、この光景はどうやら、噂を聞きつけた連中が仕事の途中に立ち寄っている状況のようにも観てとれます。この時代、まだ飛行機も大きなリスクと背中合わせのような頃で、危険を顧みない冒険野郎たちが一攫千金を夢見ていた頃であります。

フェンス越しの連中もその帽子の様子で職業も分かってしまうのでしょうが、なかには山高帽のジェントルマンと思しき方もいらっしゃいますから、この航空ショーは当時、イギリスでは階級を超えて、大変な人気であったことが窺えます。

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2008年6月14日 (土)

広重・赤坂桐畑雨中夕景 1859

119 日本らしい夕方の雨模様ですが、観る側にその湿気がたっぷりと含まれた様子まで伝わってきます。極めてシンプルな版画手法でここまでの濃淡による遠近感を表現できるとは・・・、歌川広重の名所江戸百景の中でも、私の最も好きな中の一枚です。

奥に見える森は徳川慶福・井伊直弼の屋敷のもので、赤坂プリンスホテルの場所ですし、画面を飛び越えた左手には紀伊徳川家の屋敷(現在の赤坂御用地・迎賓館の場所)が展開します。確かに維新後、世界の大国との親睦という大義名分により、バッキンガム宮殿・ベルサイユ宮殿そっくりさんといわれても笑ってごまかすしかないほど屈辱的に日本の過去を捨てきった赤坂離宮ですが、江戸の大大名屋敷、とくに徳川御三家の堂々たる武家屋敷をいとも簡単にヨーロピアン・ゴージャスに変換してしまうセンスは薩長の「いなずれ」だからこそ出来たわけで、ちょっとした史観のある指導者であればこんな大失態はなかったでしょうに・・・。ようやく昨年、「日本らしいもてなしを行うための迎賓施設」のコンペで安藤忠雄建築研究所・安井建築設計事務所共同体が勝ち、この赤坂御用地内に近代的和の世界が誕生しますから、これも愉しみであります。

この画面中ほどの、雨に煙る坂道は赤坂御門に向かう場所で、この坂と濃く刷られた森の間の眼下に現在の弁慶堀が広がるという、いわゆる馬の背台地として、なかなかの絶景ポイントであったに違いありません。さらに、この画面の左には紀伊坂が控えているといったロケーションですから想像以上に雄大なスケールであったに違いありません。

Xho02  現在、この絵にみられる場所は立体交差となり、ただ通過するだけの場となってしまい、このような優雅な景観のひとかけらもない有様ですが、こんな風景が毎日眺めることができたのですから、出来るのならばこの時代に生まれてみたかった・・・などと思ってしまいます。

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2008年6月13日 (金)

目黒・MEISTER

Rimg9988 Rimg9994 新品の眩いばかりのインテリアはカッシーナあたりに任せておいて、今の時代気分は、目黒通りに密集するリサイクルでありながら、上質な生活関連のお店を徘徊するのが、当世の若い世代には当たりかも知れません。とはいうものの、店の幅にはピンからキリまで千差万別ですから、それなりの目利きのお仲間とご一緒されませんと、道具につきものの不良品・故障品などを手にしてしまうこともなきにしもあらず・・・であります。

MEISTER http://www.meister-mag.co.jp/ というお店は、この目黒・インテリアストリートの中でも古株の店で品揃えが異彩を放っていて、自分のスタンスに見合うモノを通して、独自のコンセプトスタイルしか展開していません。そのスタンスとはズバリ!、新日本様式・・・なのです。

1950年代中頃から、銀座・松屋、新宿・伊勢丹、日本橋・丸善などはいちはやく、戦後の復興から脱皮した時代の気配を感じて、「デザイン」を小売ビジネスの中核に位置づけ、とくに伊勢丹は今日も、連綿と、その遺伝子は商品の買付けから店舗計画・広告宣伝まで繋がっていますが、このMEISTERにも同様な遺伝子が拡散されたごとく、その品揃えには、他店にない、独自の編集力が輝いています。きちんとした、デザインのお勉強をされたのが、ひとつひとつの商品にあいまいさが、これっぽっちもないという潔さに表れ、その週末の混雑振りは昔の業界人相手のデザインショップには見られなかった様相を呈しています。

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2008年6月12日 (木)

シアサッカーのジャケット

Jpeterman_company 45年ほど前、ヴァンジャケットのシアサッカーのジャケットを初めて見た時、その清清しいスタイルに虜となったご同輩は多く、一時期の銀座や黎明期の原宿は、このジャケットと黒のニットタイを締めた学生で溢れていました。このジャケットに合わせるスラックスは殆どの学生がチノクロスのものを穿いていましたが、モダンな感性の輩はグレーのサマーウールのスラックスを穿いていたりと、今の学生と比較するのは申し訳ありませんが、随分と、身なりがきちんとしていました。その後、1970年代に入ると、このタイプの風俗は一気に下火となりだして、ヒッピーカルチュアが主導権を握り、町中にベルボトムジーンズに厚底ブーツという、奇妙な風俗に席捲されました。

さて、今もわざわざ手描きのイラストレーション・カタログが秀逸な、J.Peterman Companyの今年の夏のカタログhttp://jpeterman.com/に、この清清しいシアサッカー・ジャケットがセルリアンブルーの色彩で登場しています。J.Peterman Companyはかなり正統的服装を売りとしているブランドですから、中には、ちょっと古臭さを感じざるを得ないアイテムもありますが、そのシーズンごとにスポットとなるようなアイテムが、比較的今風の趣きを以って、登場します。このジャケットなども、今風のパターンが両脇あたりのシェープされた雰囲気に表れています。

このカタログで表現されるアイテムはほぼ全てが、不透明水彩で描かれていて、その画趣は不動の調子を守りきっていますし、ファッションを知り尽くしているであろう、このイラストレーターに、敬意を表したいほどの、美しさであります。

さて、今年の夏のセレクトショップを見ていると、しばらく続いたストリート系の煩雑なファッションから、トラッド・アイビーをベースにした、きちんとしたスタイルのファッションを一捻りして、コンテンポラリーにアレンジしたブランドばかりですから、時代の方向も、お気楽な様相から一変して、一気に生真面目な方向に変わりだしたのかも知れません。Csgji 02

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2008年6月11日 (水)

これも紫陽花ですか?。

Rimg9999 Rimg10009 Rimg10010 この一週間、家人が運んできた風邪のおかげで、すっかり家に居る事ばかりでしたが、ようやく、すっきりしたので久しぶりに散策に、自転車で出かけました。梅雨の間のつかの間の快晴でしたし、湿気もさほどなく、体調も回復し、気分も爽やかな昼間を堪能しました。

駒沢から奥沢・自由が丘界隈はどこの御宅も紫陽花が咲き誇っていましたが、目黒通りの南側にあるこの御宅の紫陽花は、何と云う品種なのか、分かりませんが、はじめて見る種類のような気がいたします。詳しいことは分かりませんが、この花の雰囲気からして、日本のものではなさそうですし、かといって、何処の国からやって来たのかと言われても・・・、さっぱりであります。逆光を通して透ける薄紫色の微細な色調は、きわめて日本的なのですが、花の雰囲気からして、ヨーロッパからやって来たようでもあり、何方か、お分かりの方はいらっしゃいますか・・・。

額紫陽花も日本の梅雨時期には、相性のよい定番でありますが、群生していると少々、食傷気味でもあり、その点、この紫陽花などは、実に可憐な趣きで、こっそりと咲いているところなど、なかなかの、姿なのであります。

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2008年6月10日 (火)

表参道の輝き!。

Rimg9866夏も近づくと、 早朝の涼しい表参道を自転車で走りぬけることが多くなります。その醍醐味は何といっても、時速40キロを越える高速で、車の通らない参道を独り占めできるのに尽きます。運が良ければ、朝靄が、交差点界隈に溜まっているという幽玄な世界を通ることも出来ますから、そんなときは、やはり此処が明治神宮の表参道であるということを、再認識するのです。

さて、聖域としての神殿・俗域としての市は寺社町の決まりのパッケージですが、ここ表参道は各商店街の結束が固く、風俗・遊興の類の侵入するのを、それは諜報部員の如く、きびしくチェックしているからこそ、歓楽街に陥ることなく、一定のグレードレベルを保っているのです。

新旧の入れ替わりの激しい大手のテナントビルにも、栄枯盛衰のドラマが数多くありますが、この3年ほどの間に、裏原宿にも陰りが出始め、黎明期のような、エネルギーとトレンドに溢れたゾーンは皆無となりつつあります。いよいよ、絶頂期を過ぎ次の段階に入りだした原宿界隈の町内会も、さぞ、頭を悩ましているに違いないのです。

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2008年6月 9日 (月)

丸子橋の姿。

Img_8187 Img_8149 中原街道にある丸子橋は、いつも自転車で多摩川堤を走るときに、見慣れているのですが、見る角度によってその印象が全く違い、不思議な感じさえ覚えます。遠くから見ると、そのセルリアンブルーの色が天気次第で粋にも野暮にも見えますし、近くに寄って見れば、そのリベットの迫力にも感心してしまうのであります。

以前よりも、歩道が拡張され、安全面からも改善されましたが、歩道のタイル意匠と欄干の鋳物の意匠が何ともいえない野暮臭さと、統一感のなさを発揮していて、このあたりにも大田区の業者選定が随時契約制度から入札制度に変わり、おまけに役所内でディレクションも無いことが裏目に出て、丸子橋以外にも、最近の公共環境にはトータル観・全体観が欠落してしまった物件が至るところに、目立ち始めました。さらに、町内の感性の微塵もない有力者で固めた「まちづくり委員会」などが決定した、どきっとするようなネーミングの商店街になったりと、役所の暴走は単に金銭管理に留まらない、感性の欠落さも恐ろしいのであります。

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2008年6月 8日 (日)

広重・古川橋

021広尾界隈といえば今も昔もお洒落スポットでありますが、江戸時代はこの景観の示すとおり、町民にとっては気軽な行楽地であったようです。今も都心環状線を麻布十番方面に向かうと左右の崖地が僅かな名残を示していますが、残念なことに首都高速道路が出しゃばっていて、今では此処がその昔、一大行楽地であるなどと思いもよらないでしょう。橋の袂に見えるお店は当時人気の鰻屋『尾張屋』 で名物の狐鰻がどういうレシピか分かりませんが、江戸の名物であったそうです。

ベアトが幕末に撮影した古川橋から三の橋を望んだ一枚は、この広重の版画をよりリアリティを以って、伝えています。

もし、今もこの環境が維持されていたとすれば、それは最高に美しい都心のスポットとなったに違いありません。遠くのなだらかな丘などは犬の放し飼いのスポットとして早朝から賑わったでしょうし、勿論、ジョギング・ウォーキングの大集団も集まって来て、朝から健康なトレンドスポットになったでしょうし、東京湾からの風もご機嫌だったでしょうね・・・。

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2008年6月 7日 (土)

SKAGENのCHRONOなのだが

Rimg5796 以前に購入したSKAGENのシンプルな腕時計は、そのデザイン完成度の高さと価格のバランスに感激して愛用してますが、その殆どが自転車ツーリングの佳き友としての役目に終始しています。

そこで又、調子に乗ってCHRONOGRAPHの顔つきをしたチタン製のものをネットを介して何と¥13,000台で購入できましたが、この価格は店頭のほぼ半額であります。

ネットで購入すると翌日午後には到着し、早速装着してみましたが、たいへん軽量で、むしろこちらの方が識時性を含めて、自転車には最適であります。

しかしうっかりしていたのですが、クロノグラフとばかり思い込んでいた部分が曜・日と時刻であったのに気付き、残念ながら失敗でありました。ネットを介した買物にはこのような自らの勝手な思い込みから来る早とちりの失敗がつきものですから、くれぐれも実物を店頭で確認してからに、いたしましょう・・・。

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2008年6月 6日 (金)

アルフレッド・ウォリス『干潮』

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アルフレッド・ウォリス(1855~1942)は、イギリス、コーンウォールの港町、セント・アイヴスで船具商を営み、七十歳になってから独学で絵を描き始めた異色の画家です。その登場のきっかけは、1928年、セント・アイヴスを訪れた画家ベン・ニコルソン、クリストファー・ウッドが偶然ウォリスの家の前を通りかかり、壁に掛かった彼の絵を目にしたことによります。その作品は、船乗り、船具商としての前半生を反映するように、荒海を航行する帆船や、汽船、灯台、セント・アイヴスの港や街の情景などを、ボール紙の切れ端や板に船舶用のペンキや油彩で描いたもので、現代の美術が失った素朴な味わいに満ちています。ウォリスのイギリス美術界への登場は衝撃的で、ニコルソン、ウッドは一時期ウォリスに影響されプリミティヴな風景画を描いていたほどです。

アルフレッド・ウォリスが描いた(制作年不詳)『干潮』と題されたこの絵は 『陸に上がったカッパ』の例え通り、環境が変われば本来の力が発揮できないような場面を描いています。漁夫・船員・船具商と海にかかわる職業を経たウォリスの絵には、なまじっか美術の専門教育を受けずとも、迫力のある構図・実学で学んだ距離感・独特のバナキューラ(その地域にみられる特異性)に満ちた色感がありますから、見ごたえがありますし、そこには読み取る愉しささえ見出すことが出来ます。

この干潮時の輸送船も動くわけではないですが、きっとウォリスの船に関わる記憶の中にこの場面が何か意味を持っていた出来事でもあったのかも知れません。いかにもイギリス的なグリーンはまるで、昔のMGなどのライトウエイト・スポーツカーの塗装色と同一色相ともいえ、ひと目でイギリスの絵だ・・・と判ってしまうところも、なかなかなのであります。

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2008年6月 5日 (木)

愛宕山・頂上の猫

Rimg9705 Rimg9715 この日は、早朝から陽射しが強く、じりじりと刺すような紫外線に、閉口しつつ自転車を走らせてました。週末の定番コースとして、都心の日比谷通りはその舗装の品質が上等で、自転車に、たいへん心地よい振動が伝わって来るのですが、この日は、暑さしのぎに愛宕通りに入り、NHK放送博物館の坂から愛宕神社に向かいました。暑さしのぎというものの、山頂までは、ローギアでしっかりと踏み込みませんとこの急勾配は厳しいものがありますが、かといって自転車を担いで石段を駆け上がるなどということは、愚の骨頂でもあります。

頂上は、忘れ去ったような静けさで、此処が江戸の名所だったなどとは到底思えませんし、あのベアトが撮影した此処からのパノラマなどの面影など周囲の高層ビルで、まったく、目隠し状態です。

私と同じような、涼を求めに来た猫が、悠々とこちらを見ていますが、その落ち着きぶりに、犬とはちがう、優雅さを感じたのです。此処に居ついているのでしょうが、ずいぶんと綺麗な毛並みからして、神社のお猫さま・・・かも知れません。501

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2008年6月 4日 (水)

広重・山王祭り

025 その昔、江戸・赤坂日枝神社 山王祭りhttp://www.hiejinja.net/jinja/hie/gyoji/sanno_matsuri/index.html は、神田明神例大祭と並ぶ江戸の大祭でこの二つの祭りだけが江戸城への入城・巡行を許されていた、格式のあるお祭りだったそうで、その行列は江戸の風物として定着していたそうです。

広重もこのお祭りを描いていて、半蔵門に入城する荘厳な花笠行列と、手前・大伝馬町、奥・小伝馬町の山車が天高くたなびいているようすが圧巻です。

江戸時代は、祭りに限らず様々な催しのあるたびに、市中を着飾った町人から旗指物に代表される飾り物に至るまで、渋い町並を背景に鮮やかに彩っていたかと思うと、ずいぶん高度なトータルアートセンスに満ちた都市であったことは間違いありません。宴が終ればまた、元の自然素材で造られたナチュラルトーンに近いシックな建物と、渋い着物の町人のうごめく町に戻るわけですから、その都市環境の美しさとハレとケというめりはりのある生活環境は、今のように年中勝手な色と光、そして騒音に溢れた東京では、考えもつかないほどの洒落た光景を紡いでいたことでしょう。

知らず知らずのうちに、勝手し放題の商業環境に洗脳されて、町の誇りが消え去ってしまった今の東京でありますが、願わくば、四季の歳時記に則った生活の見える町並が都心でも復活することを・・・と、思わんばかりであります。

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2008年6月 3日 (火)

中目黒 Rismk

Rimg9686 Rimg9684_2 Rimg9685 中目黒を自転車で通過中に、ふと目に入ったRismkという意味不明のお店は、近寄ってみると、どうやらミシンを使って靴・鞄など革製品を中心に補修・修理してくれるようです。あいにくのお休みでしたから、何とも言えませんが、ショップディスプレーのこだわり加減から想像しても只の修理屋さんにあらず・・・といった感があります。店主はリペアショップの魁・福禄壽http://www.hukurokuju.com/で修業されたキャリアをおもちの方だそうで、現在も大手・某セレクトショップから委託されたリペアもなさっています。休みでしたから店内はよく見えませんが、拘った道具や修理依頼の靴や鞄が見え隠れしていますから、商売の方も順調のようです。

さて、時代の流れが「もったいない」方向へと一気に動き出し、永く続いた使い捨て生活が大きく見直されていて、だいじなモノを永く使っていこうとする指向が、とくに若い世代を中心に顕著のようですから、このようなお店も忙しいのでしょう。このお店に持ち込まれるモノは、おそらく手作り中心の、価格も高額な部類に入るモノばかりでしょうが、生涯を共にする道具を愛着を以って使い続けるのであれば、結果的には安いモノなのでしょう。大多数の町の修理屋さんとは一線を画すグレードのお店ですが、今後はもっと増えていくに違いありません。

Rismk(リズムク) 電話:03-3713-1257 水曜・祝祭日が休み

お店は目黒通り・多摩大学目黒高校の向いにあります。

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2008年6月 2日 (月)

多摩川堤もひたひたと・・・。

Rimg9857 Rimg9852 暑い日の多摩川堤は、無風であったりすると、その蒸し暑さで、やる気喪失・・・といった気分に陥ります。涼を求めたいと思っても、それらしい日陰の場所は少なく、ましてや、グロッキー気味で座りたい場所を探しても、ベンチさえ、少ないのであります。多摩川堤は東京都と川崎市、その他の市制に管理が分けられていて、それぞれの縄張りによって、いわゆるデザインマネージメントがばらばらですから、うっかりベンチが増えるものなら、様々なキャラがこの美しい堤を遊園地化してしまうでしょうから、無い方がまだましなのかも知れません。

とくに、川崎市は、法人税をたっぷりと吸収していますから、最近は徐々にこのような高層化が顕著で、対岸の美しい稜線は消えうせつつあります。東京側から望む大山・丹沢・富士山もいずれ、見えなくなるかも知れませんから、走れるうちは、ここに通うつもりです。それにしても、最近の高層ビルなどの施工の速度には唖然とするばかりです・・・。

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2008年6月 1日 (日)

packhorse bridge

Mdsji 自転車で軽いツーリング中に、古い橋にお目にかかることなどなくなってしまった東京ですから、せめて濠の上に乗っけてしまった高速道路を何とかしろと言いたくなります。

地方に行けばまだ古い橋は残っているのかと思えば、こちらも最近の洪水の多発化の影響もあって、頑丈な橋に切り替えているようですから、この日本からどんどん情緒のある景観が消えうせるばかりであります。

Packhorse_bridgeFrank Pattersonさんのペン画で描かれたPackhorse  Bridge (荷揚げ橋)は今も人気のある橋のひとつのようで、こんな美しい橋をきちんと維持管理している英国が羨ましい限りであります。Foot Passをはじめ個人の土地の一部ながらも一般に開放するコモンセンスのある英国では、祖先の遺した景観を可能な限りそのままにしようとするDNAがあって、決して短絡的判断で祖先から受け継いだ環境を変化させようなどと思っていないところが大人の国たる所以でしょうか・・・。

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