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2008年7月12日 (土)

高岡出張便り・その一

Rimg10687 Rimg10691普段の仕事は東京都心の車で移動できる範囲が多いのですが、9日・10日と富山県高岡にあるタカタ・レムノス http://www.lemnos.jp/ にほぼ十年ぶりの時計デザインの仕事と新規プロジェクト方向付けのため、マックス・ときを乗り継いで出かけました。

久しぶりの東京発・新幹線マックスは早朝からなかなかの混み様で、5号車二階席は一睡の余地なく、肩の狭い思いで一時間半ほど越後湯沢まで寝ていました。越後湯沢でときに乗り換え、高岡までは、一転して空いている快適なひとときを堪能しました。

がらがらの車内で、最近すっかりごぶさたの週間文春・7月10日号を捲っていると、佐藤卓さん http://www.tsdo.jp/ の連載が目に留まり、さらりと斜め読みすると、その内容が、これから高岡で話しすべきポイントと同じ方向が、正にドンピシャといったタイミングで載っていました。要は、個人の作為と自分を押し出した商品ばかりが溢れていいる状況下、元来、デザイナーの役割とは商品と顧客・時代性・社会性をつなぐ匿名性の役割である・・・、と言い切っていましたから、私の持論とみごとに一致し、気持ちも晴れ晴れとして、にわかに怪しくなってきた雲行きなど関係なく、独り合点をして安堵感に浸っていました。

さて、コンピューターコントロールにより多品種少量・イメージにほぼ忠実な製造もほぼ問題ない時代ですから、アートとデザインの境界など曖昧となり、もはやそこには何の躊躇いもない状況です。そんな時代だからこそ、自分の直感を自由奔放に操るアーティスティックな感性のプロダクトが席捲しているものの、商品寿命のはかなさ・市場の飽きっぽさも視野に入れておきませんと、誰しもハッピーにはならないのが、現状です。

時代の軸が、静かで安堵感を求める方向にシフトし出しても、まだまだ勝手気ままな未消化の商品に溢れかえっている市場に、どうくさびを打てるかが課題なのです。(続く)

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