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2008年7月31日 (木)

久我山の坂道 昭和30年代前半

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写真提供:杉並区高井戸第二小学校

7月6日のブログと同じ本の中に登場する写真です。

生まれてから45年間お世話になった、井の頭線・久我山駅の南口を出て、人見街道を横断すると間もなく、狭く急な蛇行した登り坂道が現れます。

今では左右に多くの商店が立ち並んでいますが、昭和30年代前半はご覧のような田舎風の雰囲気でありました。只でさえ狭いのですから、此処を岩崎通信機のサラリーマン・国学院久我山高校の生徒が上ってくると、久我山駅に向かう下りの人とが混ざり合って、この辺りで渋滞したりしたものです。

この写真では既に簡易舗装化していますが、これは毎年、台風の大雨で右の土手から坂道に滝のように泥水が流れ、足元がすくわれ大変危険な状態になったからです。小学校低学年の頃はこの坂道が土でしたから、雪が降ればスキー場となって、この時代特有の竹スキーに乗ったお兄さんたちが遊んでいたことを思い出します。

電柱に表示されている「カメラの店 リヒト」は当時としてはたいへん洒落た建物の写真屋さんで、店主の林さんの腕も良かったものですから、この界隈には多くの得意先を持っていて大繁盛していました。

右手に見える赤土の土手のさらに右には広大な雑木林が広がっていて、延々と富士見が丘までつながっていました。この雑木林を下ると神田川に降りることが出来ましたが場所によっては雑木の根がからまっていたり、伐採した枝の鋭利な切り口が上を向いていたり・・・などと危険極まりないところもあって、よくこどもが怪我をしていた記憶があります。この雑木林を横断すると家まで早く帰ることが出来ましたし、春となれば自然の草花が咲き誇っていましたから、ほぼ毎日、この自然の宝庫を楽しめる場所を目指して、土手を登っては帰っていました。

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