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2008年7月 6日 (日)

神田川・久我山付近 昭和初期

1 74b3195603 写真提供:杉並区立高井戸第二小学校

神田の古書店で、段ボールに投げ込まれていたお買い得コーナーの中に、生まれてから45年間もお世話になった井の頭線沿線の風俗をまとめた『井の頭線沿線の一世紀』という一冊を見つけました。渋谷駅から吉祥寺駅までを結び、今も郊外の長閑な雰囲気・景色を残す電車ですが残念ながら神田川周辺の野趣に富んだ景色は30年以上前に護岸工事のため、その優雅な流れとともに消滅してしまいました。

この本に掲載されている久我山は私の生まれ育った町ですが、上の写真はさらにずーっと昔の高井戸第二小学校の生徒の皆さんの記念写真です。おそらく、神田川を整備した江戸時代の話を実地教育を兼ねて現場で先生からお話を聞いた際の写真でしょうか。1920年代後半辺りの時代と想定されますが、皆さんずいぶんきちんとした良い子ばかりです。この写真の奥に臨むなだらかな丘辺りが私の住んでいた場所ではなかろうかと思います。

下の写真はほぼ30年後、1956年に父が撮影した神田川の脇にあった田圃で遊んでいる私です。家の北側の土手を下ると,、細い二本の丸太を荒縄で縛りつけたシンプルこの上ない神田川を跨ぐ丸木橋があって、怖いながらも此処を渡れば子供にとって面白くて、為になる自然の宝庫が待ち受けていました。神田川の北には田圃の治水の為に小さ支流が流れ、昆虫からザリガニ・フナ・亀などが棲息していて、いつもにわかファーブルになれたのです。初春には神田川沿いの北斜面の土手に片栗の花が群生していて、地元では有名なスポットでありましたが、1980年代に大蔵省印刷局グラウンドの管理地となり何かの記事となって以来、勝手に忍び込むことが出来なくなりましたが、それでも度胸の良い自然愛好家と称する輩がそっと押しかけては乱獲したものですから、すっかり荒れてしまいました。今はどうなっているのかは分かりませんが、再生していることを祈るのみです。

当時、小学校の同級生も此処で遊ぶことを楽しみとしていたらしく、一時期の週末は我家に集まっては、勇んで田圃に出かけましたが、神田川を渡る丸木橋はそう簡単に渡れるものではなかったのに、誰も落ちたことなくこれは奇跡のようでした。温かい陽射しの下で皆で田圃の傍で食べる弁当の味は学校のそれとはちがって、実に楽しいものでした。

この時代、生徒の父兄、とくに母親などはおおらかな方が多く、余程の心配性の母親でなければ、多少の冒険・怪我は男の成長の通過点として割り切り、子供を自由に送り出したようですから、いまだに私世代は、平気で何処にも飛び込んでいく性癖が残っているのかも知れません。

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