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2008年8月17日 (日)

包装にも時代の波。

Rimg11685 所謂、世界経済の変動にも微動だにしない、世界の富裕層を相手にすることが、自動車会社からファッションブランドに至るまでの生き残り・金科玉条となっているようですが、最近の情勢は、日本の若年層の生活意欲・欲望・探究心の欠如からくる購買意欲の激減が、深刻となっているようです。若い世代がエネルギーを発散しきれずに、爆発していたのは1970年代前半までで、とっくに消滅していたのですから・・・。今や、逍遥三昧の若者に、公園も占拠され出した気配さえあって、極めて、日常の環境にしか興味ないパワーレスな状況に成りかけているようです・・・。

一方、自前の食生活さえ覚束なくなってしまった日本では、真剣に都市の農業をビルで可能にする方法などを検討しているようですが・・・、どうなることやら・・・と、相変わらずの、つぶやき・ぼやきでありますが、最近の日本橋・三越の地下・食品売場を散策していると、この老舗にも『背伸びしない普段がだいじ』とでも言いたげな時代の流れを遅ればせながら察知した気配の、日常食品が並んでいました。

あの・・・無印良品が近代インダストリアルデザインの大理念でもある、アノニマス性(無名性・匿名性)を日用品からファッションまで取り込み、当初、田中一光氏をデザイン棟梁としてはじまった健全なデザインの生活総合化は、今や、事業としても大成功を成し遂げ、日本はもとより世界にまで、その思想・意匠・展開までがひとつのブランド・ストーリーの古典として、成功例の物差しとなってしまいました。無印の雰囲気たるや、今や日用品ブランドのみならず、ハイエンドなブランドの知性を象徴する表現としても、無印そっくりさんが世界の至る所に浸透しています。

まあ・・・、言ってしまえば、さんざ投資した厚化粧と強い香りの方よりも、隣のすっぴんと石鹸の香りの方にグッ!と来てしまった、遊び人の金さん(遠山金四郎)のような、感じなのでしょうか・・・。

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