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2008年9月 3日 (水)

野球三昧・1955

4621955 45歳まで暮らしていた久我山の住いの傍にある大蔵省印刷局・グラウンドは、太平洋戦争末期、久我山にあったレーダーの生産工場・岩崎通信機や武蔵野市にあった中島飛行機武蔵野製作所(現在は都立武蔵野中央公園 http://parkandcats.hp.infoseek.co.jp/toritumusasinotyuoukouen.html を防御するための高射砲陣地があったこともあって、終戦近くになるとB-29の爆撃も激しく、この界隈でも多くの犠牲者が出たそうです。確かに神田川沿いの土手には撃ち落されたB-29と思しき残骸が落ちていたのを記憶しています。ジュラルミンや網入りガラスの不思議な塊は近くの子供たちにとってもたいへんなお宝で、周りのどこの家に遊びに行ってもその破片がサイドボードや茶箪笥などに飾ってあったのです。

この写真は1955年、私が野球に目覚め始めた頃、毎週日曜日に開かれる大蔵省印刷局の対抗試合が何よりの楽しみで、大人に混じって観戦しているスナップです。まだルールもまともに理解できず、ただ試合を観ながら、流れや駆け引きなどを覚えていった頃で、小学校3年生の年です。この翌年から、野球熱が更にヒートアップして、小学校の野球大会ではピッチャー役を授かり、武蔵野少年野球大会にも参加するようになりました。

此処、大蔵省印刷局グラウンドの野球は大人の野球ばかりでしたから、当時は今よりも、もっと下品な野次が飛び交っていて、私はまだ意味も解らないのに耳から入ってしまった覚えたての刷り込みを,家で叫んだりして父のひんしゅくをかったりしました。それと、いつも自転車でベルを鳴らしながらやって来るアイスキャンディー屋さんが楽しみで、今のような食品衛生上、あまり好ましくない製造環境で作られていたアイスキャンディーを買って貰うことも、野球観戦の大きな要素でありました。

Dgbn

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