« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月30日 (火)

高岡・日和

Rimg12830 Rimg12822 Rimg12826 Rimg12823 Rimg12833 約、一ヶ月ぶりの富山県高岡です。この日は、朝から一気に冷え込み、東京駅7時48分発・とき307号に乗り込み、11時33分高岡着の定番列車に乗り込みました。タカタレムノスの、企画・ディレクションを決め込む打合せでしたから、往きの車内で頭を整理しようと思ってましたが、車内はぎっしり!、そんな余裕などなさそうで、見回すとこれも定番の中高年伯母様軍団に占拠されていて、車内は元気印の笑いにどっぷりと浸かり、こちらは肩身の狭い気分で、越後湯沢まで辛抱・辛抱!!!、なのです。

この日の夜は、愉しみにしていた『日和』での宴でしたから、往きの車内の喧騒の不愉快さも消し飛び、静かなひとときを、シンプルにして温かみのある料理を通して、堪能いたしました。

この日の献立は

●先付 夏鰯牛蒡酢入り 青ねぎ・糸唐辛子

●お凌ぎ 紅ずわい蟹にぎり鮨 蟹味噌・がり生姜

●小鉢 里芋美味煮 針柚子

●お造り 平目 鰆 あおり鳥賊 あしらい一式

●温物 湯松茸 ほうれん草 半月レモン

●焼物 赤鯥 染下し 酢取り茗荷 酸橘

●強肴 とらふぐ唐揚 皮(猪口入り)ちり酢

●酢物 牛肉 焼き松茸 ポン酢和え

●食事 きのこ 玉子雑炊

銘柄は忘れましたが、九州の麦焼酎は絶品でした・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月29日 (月)

エドワード・ホッパー・Tables for Ladies,1930

Ed19 今ではこんなクラシックな雰囲気を持つレストランも少なくなりましたが、それでも神田・本郷界隈や根岸辺りの永く続いているお店には、似た雰囲気があったりします。

1930年http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1930.htmlに描かれたこの絵はニューヨークの、それもイタリア人の多い地域のさほど高級ではないトラットリアのようなレストランを描いたと云われていますが、確かな根拠がある訳でもありません。おそらく僅かに見える床の市松格子が、そういう憶測を呼んだのでしょうが、私は、この床だけ観ればフレンチ・ビストロのように思えないわけでもありません。

この前年、歴史的な大不況に陥ったわけですから、描かれた登場人物にも明るさなど微塵もなく、奥の二人の会話も、暗い世間話などに終始しているようです。レジの女性はこの時代に大流行した髪形ですが、ディスプレィに一生懸命な彼女は、髪にお金を掛ける余裕もなさそうで、ひたすら、果物とステーキというたいへん難しそうな組合せに孤軍奮闘している最中のようです。

ホッパーにしては珍しい街の働く女性を採り上げた一枚ですが、此処にも彼独特の都会の中のロンサム・フィーリングが際立っています。

さてこの時代、世相は暗いのですが、音楽はやたらとロマンチック路線をひた走りしますが、その中でも人気だったのが、Paul Whiteman &his Orchestraです。http://www.youtube.com/watch?v=dqc9iNSTrmQ&mode=related&search

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月28日 (日)

スイスポスター・野生公園125周年

Swiss114 Design: Angelika Wey-Bomhard

1994年に制作された、ランゲンベルグ野生公園・設立125周年のポスターは、だまし絵のオンパレードのようでありながら、格調高く、ここにもスイスのデザイン立国としての権威と品格が保たれています。原初的な手法を使いながらピンボケ感を導入して、画面に奥行きが生まれて、平面でありながら立体感がたっぷりであります。

大人の鑑賞に堪える構成と動物の捉え方が、アニメ・コミック・キャラクター的テーストに陥ることなく、堂々としたひとつの作品として出来上がっています。

このニッポンですと、ライセンス契約したプロダクションとのコラボレーションに拠って、この作品とは相容れない趣きになってしまう可能性が大きいと申せましょう。今や、ニッポン全体を覆っているカワイイ文化が世界の主要国を席捲し始めているご時世ですから・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月27日 (土)

HEE HAW Gospel Quartet

Rimg12572 音楽の嗜好とは勝手なもので、私もこの10年以上を殆ど、ブルーグラスミュージックというマニアックな世界と、ご一緒してましたが、最近は、この棚に載っているHEE HAW Gospel Quartet http://jp.youtube.com/watch?v=Lu6lLtI0g1Y の、これ以上ないシンプルなピアノ・ギター・ベースのバックで謳うゴスペルコーラスにはまっています。

きらびやかなブルーグラスとは違い、あまりにも渋すぎるのですが、GRANDPA JONES・BACK OWENS・ROY CLARK・KENNY PRICEというカントリーミュージックの一時代を築いた歌手の歌心には、今や消えかかろうとさえしているアメリカの良心が伝わり、野太い男衆のコーラスは、訪れる秋の夜長にも、どんぴしゃりなのです。

考えてみれば、日本に紹介されるアメリカの風俗・文化の殆どは東海岸・西海岸周辺に偏っていて、このカントリーミュージックに代表される内陸の風俗・文化はないがしろにされていたか、コチコチの守旧派の巣窟としか、観られなかったのかも知れません。せいぜい大統領選の勝敗を左右する一部の代議員の州が紹介されるか、竜巻被害のニュースで登場する程度なのですから・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月26日 (金)

旅とクラシックスポーツ・丸の内 LIPSETT

Rimg12761 Rimg12759 Rimg12763 昨年開店した、丸の内LIPSETTは、頑なに男の旅とクラシックスポーツをインスピレーションに、トラッドファッションをこよなく愛する、頑固な洒落者の共感を呼んで、地味ながら人気のメンズショップです。

永い間、メンズの世界もイタリアンジゴロのような、ファッションばかりでしたが、時代の流れが穏やかなクラシックな流れにシフトし出したようですし、あの、伊勢丹の地下2階も、母親連れの十代の女性客層を今後の伊勢丹の顧客予備軍として捉え、大幅にリニューアルし、東急109的センスのファッションも多いながら、伊勢丹らしい、上品な色使い、柄のコンビネーションを前面に出し、百貨店の上得意の客層を狙い撃ちするような気配が店頭から溢れています。

ここ、LIPSETTは業界の頑固者・村松周作さんがディレクターとして、服の細部に至るまできちんと眼を通していて、そのこだわりは定番のトレンチコートに如実に表れています。

広い店内には、ノルマンディ号の模型が鎮座していて、20世紀初頭の船旅の優雅な楽しみが伝わって来ますし、古書でさえ、この店のコンセプトに合わせた品揃えですから、ただの物売り的ショップでないところが、丸の内を散策する者にとって、絶好のスポットなのです。小さな小物の類に至るまで、吟味した様子が伝わってきて、ここはまるで、船の博物館ショップといってもおかしくありません。マリンスポーツ・フィールドスポーツの薫りを街中で楽しむには、この店は一押しであります。Rimg12765 Rimg12764 Rimg12755_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月25日 (木)

美しいということ!。

Rimg3316 Rimg3318 キャンプ場ならずとも、多摩川河川敷の週末は、早朝からバーべキューの荷物を運ぶ団体で混雑し、自転車でその間をすり抜けるにも神経を遣います。コンビニエンス・ストア、自動販売機も比較的至近にあるため、何でもかんでも出来るだけ運ぶことなどなくなったものの、何となく、余暇をエンジョイしている気配の微塵も無く、むしろ、一日中、喰ったり飲んだり歌ったり・・・という三点セットの集団でしかありません。

さて、このKAMPKOLDというアルミ製のクーラーボックスは、1950年代の栄光のアメリカの側面が垣間見れます。ピクニックが大衆に浸透し、各州のWeek Endはこのクーラーボックスを運ぶ平均的アメリカ人で、公園中を席捲したとさえ、云われています。(下の写真はKAMPKOLDではありません)コカコーラ・ビールな どが戸外で、いつでも冷えたまま飲めるというご機嫌な体験は、さぞ、驚きであったに相違ありません。Rimg12782

たった一枚のアルミ板が実にエレガントなスタイリングになり、そのネーミングたるや、アメリカにしては、洒落過ぎではないか・・・と、云われてもおかしくありませんね。その、ロゴのバランスの取り方などはシンプルすぎてアメリカ製とは思えないほどの繊細さです、この時代のアルミ製品をはじめジェラルミン製品は、KAMPKOLDに限らず、Samsonite・ZERO HALLBURTONなどエレガントなデザインが集中し、その殆どが旅・旅行に関わるものばかり・・・、というのも、時代の象徴であります。僅か前まで、戦争で進化し続けたアルミですから、時代変われば、品変わる・・・とは、言いえて妙ですね・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月24日 (水)

安井曽太郎・錦の山

Photo_21 安井曽太郎(1899~1955)

京都市中京区に生まれ、神奈川県湯河原町にて歿。木綿問屋を営む安井商店の五男として出生する。京都市立商業学校を中退し、1904年聖護院洋画研究所に入り浅井忠に学び、引続き関西芸術院に進む。1907年津田春楓とともに渡仏。パリのアカデミー・ジュリアンにてジャン・ポール・ローランスに師事し、のちに自由制作へ移行。ミレー・ピサロ・セザンヌらの画法を研究する。1914年に帰国、二科会会員に迎えられ、翌年の第2回二科展に滞欧作を展示して大きな話題を呼んだ。その後は日本の風土に立脚した独自の作風を求め、伸びやかな筆致、鮮やかな色彩、シンプルで落ち着きのある構図を確立させ、梅原龍三郎とともに並び称された。1935年帝国美術院会員になり、二科会を辞し、翌36年一水会を創立させる。1944年帝室技芸員、東京美術学校教授。1952年文化勲章受章。1955年12月14日逝去。歿後、1956年の遺作展における収益金をもとに、翌年新人の登龍門として定評があった安井賞が設定された。

安井曽太郎の絵画には巨匠としての風格が堂々としていて、観る者に大きな衝撃や感性を揺さぶられることは少ないものの、構図と色彩の美しさともに秀でて、いつまでも飽きられない画家です。この一枚も安井 の故郷である京都の錦絵を観るような趣きがあって、以前はこのような傾向の絵画には見向きもしませんでしたが、最近は悪くないなあ・・・と思うようになりました。鈴木信太郎のような軽快感やカジュアルセンスは持ち合わせていませんが、そこは巨匠ですから、堂々たる具象と抽象の狭間を駆け抜けるセンスはおみごとであります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月23日 (火)

散歩と葉書

Rimg12685 最近のメンズシューズは、気合の入り過ぎと言っても言い過ぎではないほど、細部に至るまで、神経が行き届き過ぎ、メンズ・ワードローブの大法則である全体とのバランスなど、お構いなし・・・、といった様相を呈しています。片や、発砲樹脂で成形された、きのこのようなサンダルのお化けのようなものも、子供ならばまだしも、男性にも浸透していて、その両極端が町に溢れ、風景を猥雑にしている・・・、というのは、考え過ぎであります。

先週、久しぶりに、神田の古書店でダンボール入りの安売り雑誌から、1980年代のESQUIRE誌を一冊80円という『哀しくて嬉しい価格』で数冊買い求めて、ほったらかしにしてましたが、この日、朝からページをめくっていると、実にきちんとした、メンズの持ち物の特集がありました。中でも、連綿として職人が作り続ける、作意の無い造形と仕立てのローファーシューズを見ているだけで、男の衣装計画がいかに複雑ながら合理的なものか、分かるのです。ジャケットのシルエットとシャツの出具合・スラックスの裾幅とダブルの高さ・靴と靴下の約束ごと・・・など、複雑怪奇な相対的関係のバランスのポイントさえ、得とくすれば、それで何十年も、同じアイテムをリピートすればよいのですから・・・。 と、思うのは、大間違い!。昨今のバサラファッションの跋扈(ばっこ)で、合理的な組み合わせは消し飛んでしまい、その方程式がすっかり狂ってしまいました。

懐かしい雑誌を観つつ、水彩画で描いたローファーの葉書を出しに行く、雨の合間のひとときであります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月22日 (月)

銀座松屋・センスアップされた紙の器展

Rimg12636 Rimg12635 銀座松屋7階・デザインギャラリーで10月6日まで開催されている『WASARA こころを潤す紙の器展』http://www.matsuya.com/ginza/topics/081006e_wasara/index.html会場に入ると、そこは真っ白な世界で、隣の催事会場との落差が何とも早・・・、であります。

さて、時の勢いが一気呵成に「もったいない」エコ風潮に変わったものの、実感はさほど無いのが実態かも知れませんし、例えば我家では冷蔵庫のストックを控えめにしたぐらいです。ましてや、割り箸はついコンビニでも、貰ってしまいますし、キッチンの棚奥には、紙食器の類も白無地あり、キャラクターありと、もったいないから捨てずに、曲がったまま棚の隅にはりついています。

絶好の秋の行楽時期ともなれば全国の景勝地は紅葉見物は勿論のこと、人を自宅に招いての宴も頻繁となる時季であります。一般には100円ショップで紙食器を準備するのが妥当な線でしょうが、そんな時に、ちょっとした感性の紙食器が登場するだけでも、ぐっとセンスアップされた場面となって、盛られる食材や料理の類もコンビニで間に合わせたものでさえ、テンコ盛りでなく、控えめな盛り付けの感性が試され、それに伴い、お酒・飲料の類も、ホスト役の家庭なり、会社の担当者の時代感性さえ、問われそうです。ということは・・・、これからは、ちょっとした集まりにも間に合わせの食材でなく、宴そのものの企画力が試されるのですよ!。この紙の器が脇役の宴においては、缶ビールがテーブルを埋め尽くすなどということはあってはならない!!!、景色なのです。

この小さな紙メーカー http://www.wasara.jp/ が使い捨て風潮に対し一石を投じたのですから、今後も「喰いすぎ文化への警鐘」のみならず、広い観点での「センスアップされたエコ催事」を松屋サイドでプロデュースされんことを、願っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月21日 (日)

自転車は磨きながら覚えろ!

196332 1963年の春、合格すれすれ、無事に高校に進学することが出来、何とか父との約束も果たせ、念願の東叡社のツーリング仕様の自転車を購入してもらいました。まだ高校一年生なのに、父もずいぶんと奮発してくれたものです。

中学3年生頃からほぼ毎日ブリジストンのブルーの自転車で学校に通い、帰りには東京サイクリングセンターに立ち寄るのが日課でしたから、物覚えのよい年頃でもあったので、この店でうろうろしているだけで、店主の板倉修さんの客とのやりとりを通し、自転車のイロハを吸収して、買うならばこれだな・・・と、決めていたのです。

この自転車は、当時たいへん目立った出来具合でしたし、何しろパールホワイトという光輝くような塗装には、これまで観たこともなかった世界が展開されていくようでもあり、毎日毎日、ただひたすら玄関脇や庭先で磨き込んでいたのです。それも、板倉修さんの「自転車は磨きながら、構造・部品・機構を自分で覚えていくのだ!」などと説教されましたから、それをそのまま実施していただけなのですが・・・。

1963年の春の長閑な昼時、ひたすら自転車を磨くことに専念している姿からは、この年の夏に、自転車で渋川・長野原・草津・小諸・清里・韮崎・甲府を走りきったことなど、想像すら出来ません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月20日 (土)

この秋も目白押し・・・。

Rimg12655 東京に一点集中と、云われますが、その殆どが経済に関わる分野というのが相場でしたが、文化の世界でも、全くその通りであります。それでも最近は公正・公平の大義名分の下、全国巡回展の比率も以前に比べれば、ずうっと増えたのは結構な話ではあります。

さて、今年の秋は例年に劣らず、素晴らしい企画展が矢継ぎ早でありますから、タイムマネージメントをきちんと組み立てておきませんと、全て、見逃してしまうかも知れません。小学館が運営する神保町シアターで開催される『松竹の女優たち』http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/calendar/index.html#movie01は、映画フアンは無論のこと、昭和の建物・街並・景観を好きな方には見逃せないイベントです。清水宏・小津安二郎・川島雄三・木下恵介・吉村公三郎・・・、などの監督が描く、今となっては貴重な東京・奈良・秋田などの戦前・戦後の美しい風景が、最新の映画館というスケールで見られる愉悦なひとときは、そうざらにあるものではありませんから・・・。

さらに、琳派・浮世絵・禅の美術など、正統派の勢ぞろいです。とりわけ、『ボストン美術館・浮世絵コレクション』には歌川国政の日本初公開が、何といっても話題の筆頭でしょう。そのデフォルメとコントラストのウルトラセンスには、ちまちました現代アートなど、無用の長物とさえ、思えてきます。この歌川国政については、先だって、BSでも放送されてましたから、ご存知の方もいらっしゃるかと存じます。

さて、洋風一辺倒からエコロジーにたどり着き始めた、ファッション業界からリビング関連業界のデザイントレンドが、この国政の公開によりインスパイアされ、一転してモダン・ニッポンとなってしまう予感さえあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月19日 (金)

たむらしげるさん。

Rimg12386 絵本が地味ながら根強いフアンを獲得し、どこの本屋に行っても、子供よりむしろ、大人が絵本コーナーを占拠している状況のようですし、ちょっとした雑貨セレクトショップに至るまで、絵本が写真集に変わって、その店のセンスのバロメーターとなっているようです。。

これも、静かな時代の象徴的現象かも知れませんし、それよりも、絵そのものの楽しさ・美しさ、簡潔な文のもつ、さっぱりとした感覚が疲れ切っている都市型の生活者にはうってつけの癒し療法のひとつなのでしょうか・・・。

この画像の作者、たむらしげるさんの絵には、独特なシャープな構成・コントラストを意識した色彩設計がふんだんに一冊の中に盛り込まれ、大人を中心に根強い人気があります。

さて、20年以上も前、最終的には却下されましたが、たむらさんのイラストを使った包装紙を、郊外百貨店の新業態店舗に採用しようと目論みました。都心の百貨店では出来ない店舗コンセプトをグランドデザインとして立ち上げ、多くのクリエーターや新感覚の取引先の洗い出しを手始めに、新しいくくりの店作りの下準備をストックしていた頃の話です。優秀で新しいことに貪欲な、若さとバイタリティに溢れた若手社員同士、前例など無視した企画が飛び交い、その会議たるや、ほとんど笑いと感心の連続で、毎日その日の予定さえ分からないほど、多くの売りこみが殺到したのです。

今でも新鮮な、たむらさんの絵本をめくるたびに、その時代の、活力と体力にあふれ出ていた百貨店の、人材の素晴らしさを思いだします。今では、新規な取り組みに及び腰となっていて、せいぜい、商売の中心である、婦人服・雑貨の範疇でしか、変化を求めない経営環境のようでは、おのずと勉強・見聞範囲も狭くなり、結果、視野の狭い人材ばかり育ってしまうという悪循環でしょうから、昔の資料などを探して、あの時代のエネルギーにあふれた、新店舗企画書を再読してもらいたいものです・・・。

a piece of PHANTASMAGORIA【劇場版】 DVD a piece of PHANTASMAGORIA【劇場版】

販売元:バンダイビジュアル
発売日:1999/03/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月18日 (木)

ライカ・父の遺したもの

Rimg1012 Rimg1014 Rimg1013 しばらく手をつけていなかった父の遺していった本や葉書の類を整理していると、岩井葛篭店製の小さな箱に入ったライカが出てきました。

私が小学校に上がる時ですから1954年に購入したもので、何処に行くにも持ち歩いていたのを思い出します。このカメラは戦前からの友人でカメラマン田村茂氏から何かの件で譲ってもらった曰くのあるもので、1980年代後半まで使っていました。五年に一度は必ずオーバーホールを頼まれて、仕事を通して紹介していただいたライトパブリシティーのカメラマンの伝手で銀座・LEMONでお願いしてましたが、父の死後は全くメインテナンスが皆無でしたから少し陰干しでもしてから、又、レンズのカビなどの調整をお願いしにいかねばならない状態です。

ライカは実物が極めてコンパクトで、その重量感と手にしっくりと馴染む感触は他のカメラでは決して味わえないひとつのテイストなのです。今やRICOH GX100ばかりを使って正に被写体と対峙することなく、消耗品を使い切るごとく数多く撮ってしまい、多少の失敗でもパソコンの画像処理でまったく問題ないという時代ですが、たまにはこのような真剣勝負せねばならぬカメラを扱わないと、何か大切なものごとが目の前から急激に消え去って行くようでなりません・・・。

Rimg1003 Rimg1005 Rimg1006 Rimg1007 Rimg1008 さて、一緒に遺してあったレンズフードも嬉しくなるばかりのメカニズムですし、パンフレットに至っては、そのメカニカルイラストレーションが秀逸であります。とくに被写界深度のヴィジュアル説明など一目瞭然で、さらに難しいフィルムパトローネの入れ方も懇切丁寧と、今日の消耗品的事務機器のようなデジタルカメラでは味わえない、機械・機構のエッセンスに満ち溢れたカメラの王様は、しばらく私を虜にしそうであります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月17日 (水)

フランス・JAZの目覚し時計

Njhfdrytu_2 1985年頃、どこから観てもすきのないプロポーション、こういう姿をもつ日用品の数が多いほど、その国の民度も低いわけがない・・・、などといわれて、日本プロダクトデザインの世界にも、きちんとした商品が登場する気配が台頭したかと思ったのもつかの間、あっさりと、ガジェットばかりの雑貨に世間の目が移ってしまいました。

バブルの時代。丁度1985年から1992年の間、百貨店をはじめ専門店が雑貨に力をいれ、それまでの服飾雑貨と趣味雑貨の垣根を越えた、複合的品揃えが台頭しました。デザインは先ず、イタリアからと、ばかり・・・、当時、センスに抜群の取引先を数社厳選して、他店より早く、トレンドを分析しては半年後のシーズンプランに自社の品揃えの優位性を企てていました。しかし、所詮はトレンドというものの、顧客の支持を得なければ、成果も生まれず、自己満足の集積ばかりが目立つこともありました。小売のしごと、それも自主編成の組み立てと差別化が金科玉条のデパートにあって、人間関係が親密でなければ、何の成果も生まれないことも分かり、通り一遍のオリエンテーションで取引先が動く事など皆無。毎晩が、新しい方向を模索するために、宴会三昧の毎日となり、ついには、現在の代官山アドレスの一角にあった畳屋さんを、ごく限られた会員が出入り自由な店として提供した取引先もあったのでした。今の時代であれば、三面記事の恰好のネタであったでしょうが、こんな美しい目覚し時計を見ていては、あの、空虚なバブル時期が反作用のように蘇るのであります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月16日 (火)

西伊豆ツーリング・1964

19642 19644 1963年に実行した渋川・清里間の自転車ツーリングのデモンストレーションが功を奏し、自転車部がワンゲル部から独立することが出来ました。とは云うものの、学内の部活動は限られますから、日々の通学で脚力を維持することが地道な一歩でありました。

この写真は翌年の1964年、伊豆方面をツーリングした時のスナップです。オリンピック東京大会を10月に控え、都心は勿論、関東近隣も大型ダンプがかっ飛ばす状況の中、春まだ寒い2月に決行しました。舗装などまだろくにもされておらず、しょっちゅうパンクはするし、硬いサドルがお尻にぶつかり、という状態でありましたが、脚力自慢のグループでしたから、そんなことをなんとも思わず、ぐいぐいと峠を上って行きました。

今からみればたいしたパワーのある自転車でありませんでしたが、長閑な環境を背景に、のんびりと進んで行きました。パンク修理を得意とする先輩は、頻繁に起きるパンクで大忙しでしたが、その処理の早さが自慢なこともあって、まんざらではなかったのでした・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月15日 (月)

築地場外市場・1952

1950 築地といえば今や、グルメスポットとしての話題が多く、市場に関わる話などは、さほど世間の話題にもならぬとばかり無視されています。

戦後から7年ほど経った年に撮影された当時の築地場外市場のスナップには、木と藁に包まれた鮮魚か水産加工品を荷解きしている様子が写っています。農林水産といわれる意味を無理やり解読するとなれば、このような絵柄がうってつけといえそうな一枚です。

当時は冷凍保存技術・物流も稚拙なものでしたでしょうから、この長閑な様子を観ていても、時代の推移が明らかといえますね・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月14日 (日)

銀座・1900年

1900 1900年 http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1900.htmlの奉祝ムードいっぱいの写真ですから、きっと後の大正天皇になられるお方の結婚を祝っているのでしょうか・・・。

まだまだ長閑な銀座の様子は明治33年、近代化に拍車が掛かっている時代ですが、いたるところからカメラを見ている男衆の人相は紛れもなく江戸時代の町人のそれであります。銀座の煉瓦街は明治7年(1974年)には、ほぼ出来上がってますからこの撮影の時期は既に立派な街並みとなっていたでしょうが、この写真からはその様子が見受けられませんから、きっと銀座でも少し外れた所なのでしょうか。銀座も1923年の関東大震災ではこてんぱに壊されましたが、辛うじて煉瓦街は僅かな損傷で済んだようで、逆にこの後から銀座の復興計画が立ち上がって、世界に冠たる銀座のグランド・デザインが出来上がったと云われています。

銀座ストーリー   http://www.ginza.jp/story/index.html

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年9月13日 (土)

多摩川・早朝の透明感

Rimg12533 Rimg12527 9月に入ってから、8月の鬱陶しい天気が嘘のように変わり、早朝の自転車徘徊が快適そのものです。午前6時頃ですと気温も20度程度ですから、真夏のようなジャージ一枚というわけにもいかず、最先端の素材を使ったインナーを一枚着込みます。吹く風も秋の気配十分ですし、草むらから薫ってくる芳ばしい香りも、間もなく、冷たい風の吹く季節の到来を予告しているかのようです。

この日は、みごとな快晴となり、その上、奇跡的というほど、サイクリングロードに人も見当たらず、スカッとした気分を堪能することが出来ました。ススキも朝日の逆光を浴び、黄金色の穂を揺らし始めていますから、あと一週間も経てば、背もぐっと高くなり、サイクリングロードも最高の季節を迎えます。

この一週間ばかり、部屋に閉じこもっては、企画作成三昧でしたから、早朝の多摩川の快晴パノラマは、何にも変えがたい、リフレッシュメントの薬です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月12日 (金)

三井記念美術館の鉄の威厳

Rimg12487Rimg12483_2  Rimg12490_4   三井記念美術館 http://www.mitsui-museum.jp/exhibition_01.html で開催されている 『NIPPONの夏
 応挙・歌麿・北斎から「きもの」まで』
を観て、多岐にわたる品々に表れた、日本の季節感のもつ繊細さに酔いしれたあと、出口のすぐ傍を見ると、重厚そのまんまな、軍艦の艦橋の入口のような姿が登場しました。三井文庫の立派な書庫の入口はこのような凄まじい安全対策を以って、そのお陰で、今日まで素晴らしい収蔵が連綿として一般に公開され続けているのです。戦前の團琢磨による「壮麗・品位・簡素」をコンセプトとした三井本館の名残の一部でありますが、その存在感に圧倒されました。三井銀行の金庫は現在も使われていて、一説によると、この鉄の塊を搬入する際、重量の凄さに日本橋の万が一を考慮して、濠を使い常盤橋から納入されたそうです。

時代の推移とはいえ、今や、こんな立派な存在感のあるモノを観ることもないですから、ここでしばらく、部品の絡み具合を観察していました。こういう構造丸出し、金属だらけ・・・というものに男性諸氏は弱いものですから、美術館の帰り、此処を眺めているのは男性だけで、ご同伴の女性は、間違いなく、立ち止まらず先を歩いているのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月11日 (木)

銀座らしさが戻ってきた。

Rimg12479_4Rimg12476Rimg12477   すっかり海外のメガブランドに席捲され、世界どこでも標準化された品揃えとイメージ展開に僻々していた皆さんも、多かろうかと存知ますが、ようやく銀座にも、品位と簡素、そして日本独自のカワイイを組み入れた、所謂、トラッドなファッションがこの秋、目立つようになりました。

このファッションの世界は、同じトレンド(傾向)でも各メーカーによって、味付けが千差万別ですから、当然、大当たりもあれば大外れもあり、その格差たるや、喜劇・悲劇なんてものではありません。以前ですと大手小売業の担当者の販売企画の方向を探るべく、各メーカーは情報収集に金に糸目をつけないことがありましたが、今や誰しも清廉潔白を求められ、逆にどの店も、代わり映えのない、無難な物販業と成り果ててしまいました。

銀座二丁目のこの店は、品の良いクラシックな中に、今、業界のメガトレンドである、Girlishを隠し味にしています。手づくりのよさも見え隠れしていて、いかにも、ちょっと昔の銀座で観られた、きちんとした親子連れのお客に受けそうな趣きです。

いわゆる渋谷109系のファッションが渋谷のみならず、全国の若い女性のハートをくすぐり、朝の通勤ラッシュ時から車内が妙にキラキラした、派手な環境となってしまい、おじさんたちは目のやり場に困っていたことでしょうから、このような、落ちついたファッションが戻ってくると、ほっとするのであります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月10日 (水)

明るい醸造所・アイルランド

Photo_2 Copy Rights:Pen

ウイスキー工場といえばずいぶん昔のテレビコマーシャルで見たニッカウイスキー余市工場の印象が強く、北の寒い印象が刷り込みとして今日まであります。昨年末に雑誌の整理をしていて捲ったところにアイルランドのウイスキー工場の写真がありました。黙っていれば、アメリカのニューイングランド地方のような、エドワードホッパー好みのような写真ですが、ずいぶんと明るい工場に・・・ビックリであります。

最近は自転車三昧・健康志向となって以前のようにお酒をいただく機会も激減してしまいましたが、こんな写真を観るとアイリッシュウイスキーのスモーキー・フレーバーが漂ってきそうです。さて、アイリッシュ・ミュージックもずいぶんとモダンな楽曲が増え、その独特なリズムと共に一度聴くと病みつきになってしまいますから、たまにはグラス片手に静かなアイリッシュミュージックに浸りたいものです。

さて、静かな音楽ではありませんが、アイリッシュミュージックを世界に広めたThe Chieftainsとブルーグラスの牽引者Ricky SkaggsとのパワフルなアコースティックサウンドがYou Tubeで見つかりましたので・・・http://jp.youtube.com/watch?v=7QZ0eZ196SM&feature=related

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 9日 (火)

藤森照信さんの表現。

Rimg12306 Rimg12307_3 専門的なことは分かりませんが、建築、それも住居分野においては、方やラグジャリーな表層様式物件・方や永遠の夢である住宅のスタンダード化に向けて良質・適性価格http://www.bionet.jp/standardhouse/・・・など、この分野もファッション業界同様、二極分化の傾向になりつつあるようですが、例えば、この茶室『一夜亭』などはそのどちらにも属さないもので、首相を務めた後、ご先祖さまのDNAが降って沸いたように作陶に目覚めた、細川護煕さんの住まいの一角にあるものです。住宅ではありませんが、この写真からも、その魅力たるや、スタジオジブリの映画に登場しそうな、おとぎの国の物件のようです。

設計は藤森照信氏。 藤森さんはこの世の森羅万象の研究家でもあり、世界の民俗学から道端の考現学までが発想の源流ですから、吸収する幅と奥行の記録は想像を絶するようなデータベースとして脳内にインプットされ、依頼された地勢・風土・風景に実にぴったりとした風貌をアウトプットとして登場させます。元来が真面目な建築史の学究肌ですが、赤瀬川原平氏の自宅を設計して以来、その感性に驚愕した仲間から口コミで設計依頼の話が、拡充していったようです。

楽しくなる造形と素材のあしらい、さらに太古の動物としての感性を呼び戻してくれそうな、空間処理・・・など、藤森ワールドにはまだまだ玉手箱の中のように、アイデアという金貨がザクザク・・・といったところでしょうか。

細川さんが目論む、現代の形式化と組織化の茶道に対するアンチテーゼを、このような楽しい茶室を以って表現したことは、藤森さん、さすがの策略家とお見受けしました。世が世であれば、アンチテーゼなどを管理する側の細川さんですから、見ようによっては、政治では達成できなかった変革を、お茶の世界を通して楽しく成し遂げんとしているのかも知れませんね・・・。

そんなことですが、さて、スタンダードな住宅設計にも、勿論、施主の揺るぎない暮らしの羅針が明快なことが条件ですが、遊びとゆとりの溜まりの一角を生み出すことこそ、日々の楽しむひとときを演出するのに、欠かせないのは確かですね・・・。それこそが、建築家の力量のフォーカスポイントかも知れません・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 8日 (月)

サンフランシスコ平和条約調印式に臨む

Photo

日本国との平和条約(にほんこくとのへいわじょうやく、(Treaty of Peace with Japan)は、第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国をはじめとする連合国の諸国と日本国との間の戦争状態を終結させるため、両者の間で締結された平和条約である。アメリカ合衆国のサンフランシスコ市において署名されたことから、サンフランシスコ条約サンフランシスコ平和条約サンフランシスコ講和条約SF条約対日平和条約対日講和条約などともいう。

この条約の後文には、「千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で、ひとしく正文である英語、フランス語及びスペイン語により、並びに日本語により作成した」との一文があり、日本語版は正文に準じる扱いとなっている。これは当時国連公用語だった英語・フランス語・スペイン語・ロシア語・中国語の五カ国語のうち、ソビエト連邦と中華民国がこの条約には加わらなかったことからロシア語版と中国語版が作成されなかったことによるもので、また日本語が加えられているのは当事国であるからにほかならない。日本では外務省に英文を和訳させ、これを正文に準ずるものとして締約国の承認を得たうえで、条約に調印した。現在条約締結国に保管されている条約認証謄本は日本語版を含む四カ国語のものである。

1951年(昭和26年)9月8日に全権委員によって署名され、その後国会承認と内閣批准を経て、翌年の1952年(昭和27年)4月28日に発効した。

この条約によって正式に、連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認した。なお、第1条にあるように、国際法上では、この条約の発効により、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」は終結したものとされポツダム宣言の受諾を表明した1945年(昭和20年)8月14日、国民向けラジオ放送を実施した8月15日や、降伏文書に署名をした1945年(昭和20年)9月2日以降にも戦争状態は継続していたものとして扱われている。

明治維新(徳川瓦解)以降、初めての敗戦国としてサンフランシスコ空港に降り立ち、平和条約調印式に望む日本の首脳陣の様子です。吉田茂首相をはじめとする各人の風貌が穏やかというよりむしろリラックスしているようにも観えて、この歴史的イベントに向かう一行の在り様としては相応しくないのでは・・・などと言われても仕方ありません。それでも昨今の格落ちした政治家の風貌よりは相当レベルの高い教養が顔つきにも出ていますし、吉田茂の後ろに見える池田勇人や日銀総裁・一万田尚登のような、欧米人にも見劣りしない堂々たる体格の持主も一緒です。全員がきちんとしたダブルのスーツが多い中、なぜか吉田茂だけは、わざと着崩したようにもみえる麻のスーツを着ています。このあたりも人を喰ったような彼の性格が如実に出ていると思うのですが・・・。

ところで、残念ながら当時、事務局次長の任にあたった白州次郎氏が見当たらないのが・・・ちょっと不思議な感じがいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 7日 (日)

スイス・ポスター ユングフラウ山岳鉄道

1501 1932年に描かれた、ユングフラウ山岳鉄道のポスターです。誰しもが、納得してしまうほどの表現を以ってユングフラウの山塊が迫って来ます。写真の力が台頭し出したこの時代ですが、敢えてローテクな筆の表現でここまでの迫力を見せてくれるのは、心地よいものです。

鉄道会社のポスターなのに、その鉄道を表わさずに、スフィンクス展望台を一番の売りとして表わしているところなど、他のポスターにも共通するスイス・グラフィックデザインの格の高さを示しています。

日本ではアルプスの山名をいただいた店名が業種を問わず幾つかあり、その起源は何処だったのか分かりませんが、いかにも清潔感のある発想であることは間違いないですね・・・。

YouTubeでは、この展望台からの景観を僅かですが楽しめます。http://www.youtube.com/watch?v=-Sd9mycUGOo&feature=relatedPhoto021

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 6日 (土)

神田・「さゝま」 の季節感性

Rimg12403 Rimg12405 Rimg12408 Rimg12409 ようやく酷暑の時期も過ぎ去ったような日が続くと思えば、連日の大雨が続き、つい車で都心に出かけようと思えば、例の首都高のタンクローリーの炎上で、首都高は当然、一般道まで大渋滞となっていて、地下鉄が最も安定した交通インフラであることを実感しました。というわけで、田園都市線・地下鉄(東京メトロなどとは決して言いません!)半蔵門線で神田にデザイン・彫刻の古書を探しに出かけました。

というものの、先ずは、四季の感性を戴きに駿河台下「さゝま」に寄って、今月の生菓子を購入しました。相変わらずの渋いながらも陰影のメリハリの効いた職人技に、感服しつつ見とれているうち、あっという間にお客さんが後ろに並び始めたので六品を決め、そそくさと店を出ました。

本が先か、和菓子が先かと言われれば、勿論、本が目的で来たわけですが、そこは優柔不断な発想で、欲しい銘の和菓子が売り切れていれば、それはそれで、気持ち的には不愉快ですから、すーっと「ささま」に来てしまうのです。目的のデザイン関連・彫刻の本は見当たらず、この日も、突然の暗雲垂れ込む上空に不安を感じ、さっさと帰宅しました。

家に戻り、包装を解き箱を開けようとしたとき、なぜか、これまでと違う箱の触感でした。これはどうやら、箱の職人さんが代わったのか、箱屋さんそのものが代わったのか、わかりませんが、これまでのしっかりとした手作りの真っ白な箱から、柔らかい素材のものに代わったのですから、何かこの世界にも、跡継ぎ絡みの問題か、コストの絡みが起きたのかも知れません。以前の「さゝま」・自家使い用の白い箱は本当に優れもので、いかにも、江戸前の気風のよさを、すっぴんで表現してくれてましたから、私には、残念の極みなのであります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 5日 (金)

インターナショナルギフトショーのピカイチ!

Rimg12445 Rimg12448 東京ビッグサイトで9月2・3・4と開催されたインターナショナルギフトショーは、そのトレンドがデザインにかかわる多領域に亘り、一時ほどの影響力は無くなったものの、数多くの出品者の中から一社でも、輝いているものがあれば、当たりなのです。訪れる関係者もバイヤーからブローカー、デザイナーからばった屋さんまでと、百花繚乱・跳梁跋扈といった状況で、夫々、背負っている世界が異なりますから、同じ商品を観ていても、隣のひそひそ話に思わず傍耳を立て、「こんなに価値観が違うのか」と思うことが度々です。要は、この会場で、即戦力となる商品を買う立場も居れば、アイディアをいただいて、価格で勝ちに出る競合も居たり・・・と、このギフトショーは、会場の華やかな様子とは裏腹に、海千山千の巣窟でもあります。

今年は、会場をざっと観ても、不安を解消する癒し系・エコロジー関連・和、ニッポンのセンスをアレンジしたもの・などが多く、この世界も、ようやく、西欧キャラクター離れといったところです・・・。

その中で、輝いていたメーカーが岐阜の家田紙工株式会社 http://www.iedashikou.com/の和紙の手漉きを応用した商品群です。今年の夏は家田紙工で作られた水うちわが、大手百貨店から、セレクトショップに至るまで席捲して、そのモダンなセンスはきちんとした裏づけのある加工を元に、世界に通用する品格を持っていました。この会場には、水うちわも当然多く展開されてましたが、私はこの画像の、ガラス窓に水、又は水糊でつける、和紙の装飾品にみとれていました。家田紙工の商品は和紙に一切の添加物を含んでいないので、黄ばんだりすることなく、永遠に、純白を保つことができるそうです。

この感覚ならば、素晴らしいクリスマスカードも出来ますし、その応用範囲に歯止めがなさそうです。

周りの業者は、時流に乗ったエコばかりですが、家田紙工の商品はエコなどと、叫ばなくても、自然と還元されるものづくりだけなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 4日 (木)

村の長老は話好き!

Kjzer 1964年頃は、天気が良ければほぼ毎週末、久我山の家を早朝飛び出しては長閑な田園風景が残されていた武蔵野方面や、ちょっと遠出気分の調布・矢野口方面を経由した読売カントリークラブ方面を自転車で駆け巡っていました。東京オリンピックの前後の時代でしたから、そこいらじゅうを大型ダンプカーが疾走していて、よほどの物好き以外は、自転車で走ることなど怖くて出来なかった状況でした。

それでも、読売カントリークラブ周辺の丘陵地帯に入り、柔らかな稜線を走りながらのヒルクライムは、イギリスのクラブマンレースもどきが味わえるため、『お好きな方々』が集まっていて、今と比較すればずいぶんとお洒落な人ばかりでありました。又、この時代はタンデムで走ることも許されていましたから、その美しいパールホワイトの輝く塗装がみごとな東叡社のフレームを観るだけでも、一見の価値がありました。当時は50000分の1の地図を見ながら、知らない道を入っていくとほとんどといってよいほど、地元の農家の庭先に迷い込んでしまうのですが、この時代、皆さん親切なお年寄りが多く、珍しい自転車を見ながら雑談をして、採れ立ての野菜の漬物とお茶でご馳走などしてくれたものでした。話はその地域の昔の話から急激に変わりだした周辺の環境までと、止め処も無く実に社会勉強としても有意義なひとときでした。今のハイテク自転車であれば久我山から多摩丘陵までたいした時間も掛からないのですが、この頃はせいぜい8段ギアでさえも最先端でしたし、トークリップに革靴といった足回りでしたからペダリング効率も最悪で、ずいぶんと途中の山坂で苦しい思いもしたのです。

今や、ひたすらタイムトライアル指向の方々ばかりとお見受けする自転車界でありますが、私をはじめポタリング志向の皆さんは、この時代に受けた町や村の長老の他愛無い日常の雑談内容が、貴重な一時代の東京郊外の景観と共に、ひとつの風俗証言ともなっていて、その話の内容がいまだに焼きついて忘れられないのでありますし、頑なにクロモリのオールディズ感覚の自転車をきちんときれいにして乗っているのです。

さて、You Tubeでカーターファミリーを検索していると、その中に、多摩丘陵を自転車で駆け回っていた頃を彷彿とさせる名曲「Keep on The Sunny Side」が出てきました・・・。http://jp.youtube.com/watch?v=ZbmQQ4RfzVE&feature=related

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 3日 (水)

野球三昧・1955

4621955 45歳まで暮らしていた久我山の住いの傍にある大蔵省印刷局・グラウンドは、太平洋戦争末期、久我山にあったレーダーの生産工場・岩崎通信機や武蔵野市にあった中島飛行機武蔵野製作所(現在は都立武蔵野中央公園 http://parkandcats.hp.infoseek.co.jp/toritumusasinotyuoukouen.html を防御するための高射砲陣地があったこともあって、終戦近くになるとB-29の爆撃も激しく、この界隈でも多くの犠牲者が出たそうです。確かに神田川沿いの土手には撃ち落されたB-29と思しき残骸が落ちていたのを記憶しています。ジュラルミンや網入りガラスの不思議な塊は近くの子供たちにとってもたいへんなお宝で、周りのどこの家に遊びに行ってもその破片がサイドボードや茶箪笥などに飾ってあったのです。

この写真は1955年、私が野球に目覚め始めた頃、毎週日曜日に開かれる大蔵省印刷局の対抗試合が何よりの楽しみで、大人に混じって観戦しているスナップです。まだルールもまともに理解できず、ただ試合を観ながら、流れや駆け引きなどを覚えていった頃で、小学校3年生の年です。この翌年から、野球熱が更にヒートアップして、小学校の野球大会ではピッチャー役を授かり、武蔵野少年野球大会にも参加するようになりました。

此処、大蔵省印刷局グラウンドの野球は大人の野球ばかりでしたから、当時は今よりも、もっと下品な野次が飛び交っていて、私はまだ意味も解らないのに耳から入ってしまった覚えたての刷り込みを,家で叫んだりして父のひんしゅくをかったりしました。それと、いつも自転車でベルを鳴らしながらやって来るアイスキャンディー屋さんが楽しみで、今のような食品衛生上、あまり好ましくない製造環境で作られていたアイスキャンディーを買って貰うことも、野球観戦の大きな要素でありました。

Dgbn

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 2日 (火)

1967年・モンテカルロ

29b1967 まだ自動車免許証を持っていなかった1967年の春、降って沸いたようなヨーロッパ・スポーツ関連の取材旅行のスタッフに潜り込んだのはよかったのですが、ほぼ毎日300キロ近いドライブの連続でへとへとになりそうな状況でした。

車はロンドンのBMCで借りたMGと、当時スイス・ローザンヌでホテルマンの修業をしていた吉田一政さん(写真・右)の持っていたミニクーパーという小型車の2台でしたから、そこに大人が五人と荷物をぶち込んでの窮屈な、珍道中まがいの毎日でした。ツアーは2月23日から4月6日までというロングな日程でしたが、様々な初見聞を堪能できた私は、若さもあって全く疲れを見せずに、毎日ナビゲーター役に徹したのです。そんなことを言っても、ミシェランのマップだけを見せられてのナビゲーターは相当にしんどいもので、少しでもルートを外れるとお叱りの嵐が後方左右の座席から吹くのでした。

この写真は、モナコでのスナップです。右の吉田さんはホテルマンの修業をしつつ、当時、三船敏郎さんの主演?による『グランプリ』という映画にも出演したほどのドライビングテクニックの上手な方で、モナコに到着する前に越えて来たイタリア・ドロミテ地方の崖をラリードライバーのようにドリフトしながら疾走したスリリングな記憶は、今もって消えないどころか、あれほどの恐ろしさをよく隣で耐えていたものだと、今でも妙に感心してしまうのです。

モナコにはグランプリレースの取材を含め4日ほど滞在し、最後の夜にカジノに正装して出かけ、スタッフの一人がブラックジャックで当時の初任給の二年分という大金を当て、そのおかげで全員旅行を延長してスペインまで足を延ばす事となりました。

この写真はその奇跡の起こる当日のお昼頃です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 1日 (月)

朝の用賀駅

Rimg11247 Rimg11246 Rimg11249 雨の日の犬の散歩には、犬用のレインコートを着せればわけないのでしょうが、あのちぐはぐとした犬の動きが気の毒でありません。

田園都市線・用賀駅上の世田谷ビジネス・スクェアは雨でも散策できる場所のスペースが広く取られ、スキップフロアの躯体のおかげで、風通しも良すぎるほどよく、ビル風とのシンクロによってはゴーゴーと唸る風音で、不気味な雰囲気さえも演出します。

雨の日は、よほどのことがなければ犬連れの散歩を兼ねて、この用賀駅に行き、独特の空間を楽しんでいます。既に、15年ほど経ったのでしょうが、今ではこのようなしっかりした素材をふんだんに使った建築にもお目にかかることもなく、ラスティックな素材感のもつ温かみを堪能しています。全体がモノトーンなお陰で、四季折々の自然環境との調和も美しく、花そのものの美しさを効果的に見せてくれます。また、オフィス棟のもつ華麗でシンプルな造形は朝の光を受け、独特の品格を保っていますし、ここを抜け、環状8号線沿いにある京セラ・住友3Mのオフィスに通う皆さんも、この環境に、まんざらでもなさそうです。

バブル時期に決定されたからこその、モダン贅沢環境ではありますが、浮ついた建築家の、独りよがりの貧相造形とは格の違いを見せ付けた、アーキテクトファイブhttp://www.architect5.co.jp/に、感謝・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »