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2008年9月 8日 (月)

サンフランシスコ平和条約調印式に臨む

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日本国との平和条約(にほんこくとのへいわじょうやく、(Treaty of Peace with Japan)は、第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国をはじめとする連合国の諸国と日本国との間の戦争状態を終結させるため、両者の間で締結された平和条約である。アメリカ合衆国のサンフランシスコ市において署名されたことから、サンフランシスコ条約サンフランシスコ平和条約サンフランシスコ講和条約SF条約対日平和条約対日講和条約などともいう。

この条約の後文には、「千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で、ひとしく正文である英語、フランス語及びスペイン語により、並びに日本語により作成した」との一文があり、日本語版は正文に準じる扱いとなっている。これは当時国連公用語だった英語・フランス語・スペイン語・ロシア語・中国語の五カ国語のうち、ソビエト連邦と中華民国がこの条約には加わらなかったことからロシア語版と中国語版が作成されなかったことによるもので、また日本語が加えられているのは当事国であるからにほかならない。日本では外務省に英文を和訳させ、これを正文に準ずるものとして締約国の承認を得たうえで、条約に調印した。現在条約締結国に保管されている条約認証謄本は日本語版を含む四カ国語のものである。

1951年(昭和26年)9月8日に全権委員によって署名され、その後国会承認と内閣批准を経て、翌年の1952年(昭和27年)4月28日に発効した。

この条約によって正式に、連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認した。なお、第1条にあるように、国際法上では、この条約の発効により、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」は終結したものとされポツダム宣言の受諾を表明した1945年(昭和20年)8月14日、国民向けラジオ放送を実施した8月15日や、降伏文書に署名をした1945年(昭和20年)9月2日以降にも戦争状態は継続していたものとして扱われている。

明治維新(徳川瓦解)以降、初めての敗戦国としてサンフランシスコ空港に降り立ち、平和条約調印式に望む日本の首脳陣の様子です。吉田茂首相をはじめとする各人の風貌が穏やかというよりむしろリラックスしているようにも観えて、この歴史的イベントに向かう一行の在り様としては相応しくないのでは・・・などと言われても仕方ありません。それでも昨今の格落ちした政治家の風貌よりは相当レベルの高い教養が顔つきにも出ていますし、吉田茂の後ろに見える池田勇人や日銀総裁・一万田尚登のような、欧米人にも見劣りしない堂々たる体格の持主も一緒です。全員がきちんとしたダブルのスーツが多い中、なぜか吉田茂だけは、わざと着崩したようにもみえる麻のスーツを着ています。このあたりも人を喰ったような彼の性格が如実に出ていると思うのですが・・・。

ところで、残念ながら当時、事務局次長の任にあたった白州次郎氏が見当たらないのが・・・ちょっと不思議な感じがいたします。

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