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2008年10月 3日 (金)

自由が丘 1952年頃

Photo_2 自由が丘という町に初めて行ったのは1965年頃で、ライブ目的に伺った店名は『にんじん』だったような覚えがありますが、確かではありません。

この店で毎週土曜日にブルーグラスバンドのライブがあって、当時人気だった慶應大学のバンドともうひとつ、全く関東のバンドとリズムもサウンドの趣きも異なった神戸出身の山口兄弟率いるバンドが出演していました。当時、フォークソング・カントリー・ブルーグラスは、ちょっと元気で洒落た若者には人気のジャンルで、イケ面が揃っていた時代です。

しかし、モダンで洒落た店内の雰囲気とブルーグラスの野趣に溢れた音色がかなりミスマッチでありましたが、超満員の店内には此処自由が丘らしく、美しい女性も多かったので、音楽を愉しむ目的以外の男性客も多かったろうと思います。既にこの頃、自由が丘は東京都内でも今以上にお洒落スポットの筆頭的存在でしたから、各お店の優雅な雰囲気が相乗効果で、ソフトでモダンな印象が町中から溢れていたように思います。

この写真は1952年頃の自由が丘商店街の様子ですが、少し後、石坂洋次郎の『坂のある町』『自由が丘夫人』が小説になり、後に映画化された1950年代後半から1960年代初期にかけて全国的に自由が丘がスポットを浴び、一気にお洒落な輩の注目を集めるようになりました。

しかし戦時中には、軍部の勧告で自由が丘という戦意向上に反する軟弱な町名が変わりそうになったのを、住民の反対でこの素晴らしい町名を守り通したのですから、この町はソフトな印象があるわりには、実は、気骨のあるハードな意志を持つ町なのであります。

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