1958年・杉並公会堂
野球漬けになってしまった小学校4年生の年、父は文化系の血筋からか学校に勝手に交渉して、突然私にフルートを習うようにしてしまいました。まだ反抗期ではありませんでしたから、素直にこの理不尽な父の指示通り、その後3年間は野球と音楽の二股生活が始まりました。
何しろフルートは、吹けば音の鳴る類の楽器ではありませんから、一応の音階がきちんと吹くことが出来るまで、それなりの時間が掛かったのです。一番辛かったのは、フルートを練習する場所が廊下の各クラスの真中にあたる処でしたから、私が下手な音しか出せない練習していると、外で生徒が聴いている物音がして、それは恥ずかしかったものです。それと一週間の内3日は放課後フルートの練習でしたから、仲のよい友達とそれまで楽しみだった野球の出来なくなったことは、ショックでしたし、暫くは父とも話をしなくなりました。
そんな状態が一年半ほど経った5年生の時、杉並公会堂でコンサートが開かれました。まだろくに譜面も読めない頃でしたし、フルートは二人だけでしたから、失敗すれば目だってしまうし、水泳大会以上にプレッシャーのかかる一日でした。大きな会場でそれも大勢の聴衆の前で演奏するのは、初めてでしたから、そうとうに上擦ってしまい、自分の音がまったく聴こえず、トホホといった境地で終了・・・、この演奏会がきっかけで、いわゆるクラシックの世界とは、さっさと決別しました。
もうこの時代には、アメリカの新しいリズムとメロディのポップスがテレビ・ラジオから聴こえてきて、子供なりにそちらの方に、新鮮・魅力という誘惑の軸足が傾いていたのも、決別の要因だったかも知れませんが・・・。
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