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2008年10月31日 (金)

エッセィの宝庫・アルプ 特集 串田孫一

Rimg13828 Rimg13834 まったく気付かずに一年以上経っていたとは・・・。

2005年に亡くなられた串田孫一さんの追悼本 『アルプ 特集 串田孫一』が昨年刊行されていたのです。亡くなられる前に既に『アルプ』は廃刊となってしまい、存続していれば当然ながら串田さんの特集号は創文社から刊行されてたのでしょうが、時代はそう思うようにならず、有志の情熱により昨年山と渓谷社から、出版されたのです。そのタイトルも『アルプ 特集 串田孫一』とオマージュらしく洒落ています。この創文社による『アルプ』こそ、1958年から1983年まで串田さんが主幹として心血を注ぎ、山・旅に関わる珠玉の随筆・写真・スケッチなどを編みこんだ、実に優雅で剛毅な一面をも併せ持った、真の大人の雑誌でありました。父がこの雑誌の常連執筆人だった辻まことさんと知己であったことから、1960年代から父の書斎の片隅に、この雑誌がきちんと並んでいました。まだ若い頃でしたからさほど気にもせずパラパラと捲っていた程度でしたが、独特の余白をもった贅沢な構成と差し込まれる山の写真に、大人の知的な薫りを感じ取っていました。

生前の串田さんを識る63人のアンソロジーでまとめられたこの特集号は、昨今の醜い時代状況の中で少し心の洗濯をしたいというう方にこそ相応しい一冊ですし、ある時代の素晴らしい文体のみごとさも見逃せません。その中に、辻まことが串田さんの文学について、「多くの人には理解できないことかも知れないが、串田さんの文学は、戦争の文学であって、戦場の荒廃した焼跡の死から新しい生を証明した一輪の花なのだ。」と言いきっています。人が考えもしなかった切口を発見する達人・辻まことさんならではの、感性の鋭さをこの一冊から新たに認識しただけでも、私には嬉しい一冊です。

アルプ特集串田孫一 Book アルプ特集串田孫一

販売元:山と溪谷社
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2008年10月30日 (木)

志賀高原の晩秋

Rimg13731 Rimg13745 志賀高原・石の湯ホテルに集まりがあり、25日に一泊してきました。普段ですと、関越から軽井沢・草津白根を経て、横手山から下って行くのですが、抜道に詳しい仲間のアドバイスに従って、今回は関越で渋川に向かい、吾妻街道を通り、中之条から草津中之条線というローカルルートを通ってみました。高校一年の夏、自転車で走ったルートを45年ぶりに通り、懐かしさでいっぱいでしたが、途中の景観は一変していて、産業道路の様相です。それでも、途中から、ローカルルートに入ると、まだまだ、懐かしい里山風景がふんだんに観られ、標高的にも美しい紅葉の中を走りぬけました。残念なことに、陽射しが弱く、逆光で輝く錦の波を堪能することは出来ません。

石の湯ホテルに到着しましたが、既に紅葉のピークは終わり、ややモノトーンの風景に近づいてましたが、ゲレンデ方面を観れば、所々、紅葉の名残もちらほらとしていて、これはこれで、渋い趣きなのであります。今、このゲレンデは営業してませんから、青春時代の冬の殆どを、ここで居候のように過ごしてましたから、感慨無量です。石の湯ホテルで前原治さんが1961年の秋に描いた石の湯ロッジの水彩画を観て、終ってしまった紅葉絶景の気分を愉しむことが出来ました。

実は、この日、6月末に亡くなられた前原治さんの偲ぶ会が開かれ、16人ほどの皆さんが集まりました。美味しい料理と、石の湯に関わる話で盛り上がり、アルコールピッチも進み、久しぶりの開放感でおおいに楽しむことが出来ました。

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2008年10月29日 (水)

赤坂 塩野 『秋姿』

Rimg13338 秋の和菓子は全国の名店がその季節感覚・職人さんの手わざを競う合う、あたかも、競技会の様相でもあります。年々、ベテランの職人さんが現役を降り、若い世代にバトンタッチされていきますが、その人選ひとつで店のセンスが決まってしまいますから、なおざりにはいきません。

赤坂・塩野の季節和菓子は、周囲が現代風になりカジュアル指向な商業環境といえども、一切関係なく、伝統の技、花町の艶やかさを連綿をして紡いでいます。

栗を餡であしらった『山の幸きんとん』の姿は他所の店では見られないものですし、短絡的感性の店ですときんとんの部分を秋の紅葉に見立て、黄・橙・赤などであしらってしまうところ、塩野はみごとな萌黄色です。餡の色と絶妙な補色関係を保っていて、下品になりがちな補色のトーンを江戸前に粋に仕立てています。こと左様に、意固地な伝統ではなく、少しずつモダンな要素を差し込んでいる赤坂塩野の和菓子のディテールには、業界を越えて、伝統産業が殻に閉じこまずに脱皮するヒントが隠れているようでもあります。

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2008年10月28日 (火)

JAZZの缶詰

Rimg6345_2 渋谷・セルリアンタワー東急ホテル内にあるIn Touchは洒落た小物を探すには欠かせないスポットで、渋谷に出向く時は必ず立ち寄るお店です。

この店を運営している後藤陽次郎氏はコンランショップのスーパーバイザーをはじめ、各種のデザインプロデュースに並外れた手腕を発揮しています。又、その優れてティストフルな品揃えには、これまで様々なショップを通して定評がありました。

以前は、メンズの小物にグッド・センスなものがたいへん多かったのですが、その感性はコンランショップに移行してしまい、此処In Touchでは比較的女性向の品揃えが豊富です。

この日は缶に容れられたJAZZのコンパクト・ディスクが気に入ってしまいました。最近のプロパーなCDは環境を意識しているのか、ジャケットが年々チープな傾向になり、事務用品的な感覚に近いものがあるな・・・などと思ってましたから、ちょっと人に差し上げるにはこの位の遊びがあってもよろしいのでは・・・などと感じ入ったのであります。

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2008年10月27日 (月)

戦中楽あり!

Photo_25 太平洋戦争が始まった頃、まだまだのほほんとした日本帝国軍人の姿でありますが、この中央にいる女優が宮城千賀子さんです。昭和16年頃の撮影と思われますが、きっと何処かへの慰問に訪れたときの記念写真でしょうか・・・。

当時の女優の中でも際立ってモダンな容姿の持ち主で、その細面の瓜実顔は黎明期のテレビ番組にもちょくちょく顔を出してましたから、よく記憶にございます。この子息は、確か日本テレビに勤務されていて、スキーが得意な方でしたから、一度、友人の紹介で八方尾根でご一緒したことがあります。お母さんに瓜二つの顔で、まるで歌舞伎役者のような大見得を切るような顔付きでゲレンデをかっ飛ばしていました。『11PM』の番組にも時々、釣りの服部名人などと顔を出していましたが、その後いかがされているのでしょうか・・・。

それにしても、この写真の軍人さんは顔が緩んでしまって、おまけに姿勢がリラックスし過ぎて、これでは上官から大目玉でも食らってもおかしくない様子です。この翌年から負け戦となって地獄のような結末となることなど思ってもいなかった在り様が窺える、記念の写真ですね・・・。

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2008年10月26日 (日)

モネの機関車

1872 1872年にモネの描いた『アルジャントゥイユ駅』というタイトルの絵は、モネにもこんなモチーフがあったのか!と思わせるほど力強い駅の風景です。

まるで朝の始発を待つような時間帯を思わせる色のトーンが見事で、ややもすれば、重厚感に溢れてしまいがちなハードな世界を、モネらしくソフトな印象に昇華しています。ドイツのプロレタリア・アーティストが好みそうな舞台を、筆勢も大胆に表していますが、ここもモネらしい色のコントラストで柔らかく抑えています。

汽車の煙と雲との混ざり具合にも独特の構成力を感じますし、よくもこれだけの平凡な舞台を自分なりにドラマティックに、ソフトに表現したものであります。

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2008年10月25日 (土)

広重・目黒 爺々が茶屋

064 落語『目黒のさんま』のモデルは3代将軍家光という説もある。家光が鷹狩に出た折に目黒の一軒茶屋に休憩し、そこで供された秋刀魚に舌鼓を打ったというのである。

 事実、家光や8代将軍吉宗は鷹狩を好んだらしい。鷹狩は軍事演習と民情視察を兼ねた殿様のスポーツである。江戸周辺の鷹場には、葛西、岩淵、目黒などが選ばれ、重要な行事の一つになっていた。目黒には駒場野(現在の東京大学教養学部を中心とする一帯)という野趣に富んだ山林があって、家光時代の寛永から正保にかけて碑文谷へ一回、目黒辺の放鷹が6回も記録されているという。

 だから、家光にまつわる伝説も多い。『江戸名所図会』には、行方知らずになった鷹が目黒不動尊の実栄上人の祈念で忽ち舞い戻ったというエピソードが紹介されている。家光の目黒不動尊崇のきっかけだが、家光が中目黒の一軒茶屋に立ち寄ったのも鷹狩に出た折のことである。

 茶屋の主人、彦四郎は農業の片手間に茶屋を営んでいたが、その朴訥さが家光の気に入り「爺、爺」と呼ばれたため、茶屋の名も「爺々が茶屋」と呼ばれるようになったというのである。茶屋の西には豊かな田園が広がり、遥かに富士を望む絶景は西郊の名所として知られるようになり、安藤広重も『名所江戸百景』のなかに「目黒爺々が茶屋」を描いている。

 読売新聞社会部編『東京今昔探偵』(中公新書ラクレ)によると、彦四郎の子孫は目黒に健在で、家光から12代家慶までの「御成之節記録覚」と題された文書を伝えているが、将軍が秋刀魚を食べたかどうかはわからないそうだ。

 現在の目黒区三田2丁目と中目黒2丁目の間が茶屋坂で、目黒川の中里橋から恵比寿方向へ登る坂道の途中に「茶屋坂」バス停がある。

ちょっとこの広重の版画を出すには時季が遅かったのですが、豊穣の秋に相応しい、正しいNIPPONのあるべき美しさそのもの・・・といったところでしょうか。黄金色の錦が風にたなびく様子は新幹線でも、その美しさに感動するくらいですから、ましてこの絵柄そのものが目の前に展開していたならば、一服してしばし至福の時を遊んでしまいますね。

『夕日の岡』と同一崖線上にあるこの絶景処は今、どのような状況なのかが気になっていましたが、先日訪れてみると風流の微塵もない、ただの生活道路でありました。

こと左様に、NIPPONの四季の移ろいを享受できる光景は広重の版画で想像するしか風流を味わえないのでありますから、経済効率・土地本位至上主義の結果、生活にゆとりと遊びを放棄してしまった故の、情けないはなしであることは間違いありません。Rimg6538

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2008年10月24日 (金)

東海林さだおに大笑い!

Rimg13507 上越新幹線に危うく乗り遅れるのではないかと、はらはらしながらも、何とか発車一分前に駆け込みました。

普段、週刊誌は読まないのですが、この日、買った週刊文春の、東海林さだおの連載には思わず、笑ってしまいました。あと二ヶ月ほどで連載も2000回になりますから、はや38年ほど、毎週笑いのレベルをキープすることは、たいへんな仕事であるに間違いありません。

今週はカツサンドを買ったタンマ君の、カツの食べ方バラエティ展開ですが、私も昔、同じことを考えてましたので、懐かしさが噴出したと同時に、東海林さん独特の孤独で慎ましいサラリーマンの哀愁が肩を過ぎります。

さて、だいぶ前になりますが、東海林さんが絶妙な線画で笑いを表現すれば、方やエドワードホッパーは、都市の働く人々の哀愁を天下一品の独自の色調で描き、この二人、全く相反するジャンル・画趣であるものの、根っこの部分は一緒であることに気付いて以来、類似点を見つけることを密かな愉しみとしてきましたが、東海林さだおの視点はいわゆる平均的サラリーマンの象徴であるのに対し、エドワードホッパーはアッパーミドルクラスのサラリーマンの象徴であることが分かりました。

多くの漫画家がマンネリに陥る中、ひょうひょうとしたタンマ君同様、東海林さんも都市生活環境の詳細な場面・部分と、組織の一員の悲哀を上手く紡いでいるからこそ、週刊文春を愛する勤勉な皆さんの圧倒的な支持を受け、色褪せない身近な笑いの連載が来週も続くのです。

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2008年10月23日 (木)

1958年・運動会

1205195801_1 同じクラスにちょっとおませな兄貴のいる男子がいると、休み時間ともなれば兄貴から聞きかじった小学生らしからぬ話が飛び交って、色気づき始めた小学校5年生にとっては未知への遭遇状態でありました。兄貴を持たない男子、一人っ子の男子にとってこの休憩時間こそが社会勉強の導入口であり早道だったのです。

毎年、秋の運動会が近づいてくると、予行練習が始まり、フォークダンスの練習もすることとなります。事前に「どこの組の誰それさんが・・・誰のことを・・・」などという空情報が飛び交ってましたから練習といえども胸ドキドキなのであります。

なにしろひとクラスの女子はクラス全員の一割程度という共学にしてはそうとうバランスをかいた小学校でしたから、当然女子と手の繋げる確率は低く、男子同士で手を握る情けない時間が圧倒的に占めるのですから、この間、またしても噂のチャンネル状態となって流言飛語が飛び交うのです。

ですから・・・、噂の美少女が目前に現われたと同時にフォークダンスの曲が終わってしまいおあずけ状態となり、ましてや、次の曲が始まるまで目線でも合おうものなら、もうその日から暫くはお得な気分となって、一日中ハッピーなのでありました。

まだまだ、純情な一時代の出来事であります・・・。

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2008年10月22日 (水)

ペーパーウエィトですが・・・。

Rimg6355 今やP.Cのおかげで机上は素っ気ないほど整理され、紙の類も増えずに済むかと思いきや、却ってプリントアウトした紙が以前より増えてしまい、その整理・分類が容易でないこととなってまいりましたから、ペーパーウェイトはありがたい道具であり、机上の微笑ましいオーナメントでもあります。

以前、ある雑誌に書いたコラムのお礼に戴いたペーパーウェイトには、オスカーワイルドの薀蓄が印刷されていて、否が応でも日々、目に触れることとなり、英文ですから記号と割り切れば何も気になりませんが、意味を知ってしまうと逆に気がかりに成りがちであります。

この意味は日本人で例えるならば、さしずめ武者小路実篤の『仲良き事は美しき哉』と似通っていると言えるでしょうし、四字熟語で、思い切り飛躍した捉え方をすれば『天下泰平』と同意語でしょうか・・・。

このペーパーウェイトは日々の机上の友として、仕事に降りかかるイライラ感を覚ますのになかなか優れた文案の選択をしたものでありますね・・・。

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2008年10月21日 (火)

桐生・『芭蕉』 棟方志功 幻の壁画現る。 

Rimg13365 Rimg13389 Rimg13392 Rimg13370 Rimg13387 18日に所用で出かけた群馬県桐生市で、今、全国的話題といえば、『芭蕉』という洋食屋さんから55年ぶりに出てきた、棟方志功の壁画でしょう。このお店は小池魚心さんが1937年に開店した料理の店ですが、この画像の通り、物凄いレベルのセルフビルドな建物で、棟梁・大工とのすったもんだの結果生まれた、世紀の不思議空間です。これまで多くの文人墨客も押し寄せ、今もそうですが、なかなかの繁盛店であります。店内はいわゆる民芸品、それも今では絶滅してしまった道具が大小、処かまわず置かれていて、この世界の数寄者の関係者には知られた存在でもあります。

さて、創業者の小池魚心さんが、縁あって、棟方志功の壁画を入口を入った場所に間口約3メートル、高さ約2メートルの大きさで描いてもらうことになったのが、1953年5月11日。志功絶頂期の頃でもあり、描かれた馬と天女には勢いと優雅さが絡み合っていました。しかし、小池さんが棟方さんに依頼したテーマは馬だけで、天女など、全く範疇にはなかったのです。馬だけかと思いながら描く棟方さんを観ていると、天女らしきものが馬の周りを踊り始め、もうここまで来ると、小池さんといえども、ストップをかけるわけにもいかず、棟方さんの罠にはまってしまったのでした。記念写真をみても穏やかな関係者の風貌ばかりですが、棟方さんが帰ったあと、激怒した小池さん(左から2番目)は何とこの壁画を砂漆喰で覆ってしまい、その後、今年8月まで55年間封印されてしまいましたが、周囲の後押しもあって、小池一正さんが公開の英断を決めました。この店の剛毅な雰囲気からして、この天女の艶やかさは、全く対極にあったものでしょうが、55年という年月が艶っぽさを通り越し、原色であれば鮮やかなルビーピンク・ターコイズグリーンであったであろう色調にも落ち着きが生まれ、今ではみごとに店に馴染んでいます。

一般公開は11月に入ってからということですから、店も改修中でお休みです。今回は小池魚心さんのご子息・小池一正さんに無理やりお願いして、潜入させていただきました。モノクロの2枚の写真も小池さんのお陰で見せていただくこととなったのです。

さて、『芭蕉』は洋食全般を扱ってますし、不思議空間での夜の一献は、この店以外では体験できないほどのイリュージョンとともに、至福のときを満喫できます。もちろん、昼間の営業もしています。

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2008年10月20日 (月)

1958年・杉並公会堂

19585 野球漬けになってしまった小学校4年生の年、父は文化系の血筋からか学校に勝手に交渉して、突然私にフルートを習うようにしてしまいました。まだ反抗期ではありませんでしたから、素直にこの理不尽な父の指示通り、その後3年間は野球と音楽の二股生活が始まりました。

何しろフルートは、吹けば音の鳴る類の楽器ではありませんから、一応の音階がきちんと吹くことが出来るまで、それなりの時間が掛かったのです。一番辛かったのは、フルートを練習する場所が廊下の各クラスの真中にあたる処でしたから、私が下手な音しか出せない練習していると、外で生徒が聴いている物音がして、それは恥ずかしかったものです。それと一週間の内3日は放課後フルートの練習でしたから、仲のよい友達とそれまで楽しみだった野球の出来なくなったことは、ショックでしたし、暫くは父とも話をしなくなりました。

そんな状態が一年半ほど経った5年生の時、杉並公会堂でコンサートが開かれました。まだろくに譜面も読めない頃でしたし、フルートは二人だけでしたから、失敗すれば目だってしまうし、水泳大会以上にプレッシャーのかかる一日でした。大きな会場でそれも大勢の聴衆の前で演奏するのは、初めてでしたから、そうとうに上擦ってしまい、自分の音がまったく聴こえず、トホホといった境地で終了・・・、この演奏会がきっかけで、いわゆるクラシックの世界とは、さっさと決別しました。

もうこの時代には、アメリカの新しいリズムとメロディのポップスがテレビ・ラジオから聴こえてきて、子供なりにそちらの方に、新鮮・魅力という誘惑の軸足が傾いていたのも、決別の要因だったかも知れませんが・・・。

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2008年10月19日 (日)

広重・箱根湖水図

Photo 箱根・二子山の山肌がまるで岩盤の塊にも、錦の紅葉にも観えて、さらに極端ともいえる斜度のデフォルメの迫力が、尋常ではありません。大名行列は下っているのか上っているのかも分かりにくいのですが馬上の2名の姿勢から推測すれば下っているようであります。編笠だけを並べ人の顔を誰一人として見せないなど・・・、このあたりのセンスは広重の天下でしょう・・・。

小学生の夏の学校で初めて芦ノ湖・湖畔から望んだ双子山は確かにこの位の迫力があったように記憶してますが、きっと広重も芦ノ湖に船を浮かべ、見上げるような双子山のそそり立つ印象が頭に焼きついてしまい、視点を変えた位置の画面でも、その残像を引きずってしまったのかも知れませんね。山頂あり、坂道あり、湖面ありと風光明媚の三点セットはまるで箱庭の定石のようであります。

左奥に見える雪化粧の富士山を脇役に仕立てるなど、いつ観ても画面の構成力とデフォルメ感覚に脱帽の広重の傑作です。

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2008年10月18日 (土)

荒ぶるアラカン(アラウンド還暦)

Rimg13190 Rimg13166 Rimg13193 Rimg13203 アラサー・アラフォーなどとマスコミが30歳・40歳の上下世代を含めて呼んでますから、それでは還暦の上下世代は何と呼べば良いのか・・・、などと考えましたが、やはり歩調を合わせ、アラウンド還暦をまとめて、アラカン世代と勝手に決めてしまいました。この世代、人数の多さに比例して、趣味の多様化も半端でないですし、元気・冒険心も格差があって、その状況を一番実感するのが同窓会であります。

さて、ちょっと遅くなりましたが、12日の日曜日、深沢にあるプロバイクショップ・BIKE&HIKEが主催する宮ケ瀬湖往復100キロ以上のツーリングに参加しました。当日7時半に二子玉川・二子橋川崎側に集合、総勢40人という大集団にいささか圧倒されましたし、ぎんぎんのスピード指向のグループも参加され、果たしてクロモリのやや街乗り系の私の自転車でどこまで付き合えるか、疑心暗鬼でありました。この日は絶好のツーリング日和で、徐々に陽射しも強くなり、快適な気分満点でありましたが、聖蹟桜ヶ丘の手前の厳しい上り坂には、ギア比の関係もあり、ほとんど喘ぎっぱなしでありました。悔しいことに、女性のサイクリストに抜かれること複数で、以前であれば、気合を入れて追いかけたのでしょうが、無理をすることの危なさを弁えている年でもありますから、ゆっくりと抜かれていっても動じなくなりました。普段はソロでの走行が主ですから自由に休憩を取りますが、この日は40人を経験・実力別のフィルターを通し4グループに分け走行しましたから、バラバラにならぬよう休憩場所も事前に確認済みで、楽しい遠足気分も満喫です。

宮ケ瀬湖を目の前にして、又、厳しい上り坂が続き、さすがに、ちょっとバテ気味となり、若い諸君に抜かれつつ、何とか最後尾のグループで到着しました。昔、来た時はこれほどきついとは思いませんが、既に還暦を過ぎた身・・・、少々哀しいものがあります。

全員が予約してあった蕎麦屋に集合。一人ひとりの自己紹介を聞いていると、アラカン世代がちらほらしているのに気付き、少し安堵しましたが、この皆さん、半端なパワーの持主でなく、例えば上の写真で赤のジャージを着ている松原さんは、年間18,000キロ以上走破するパワーですし、そのほかの方も、私とは違う世界の長距離マニアの皆さんです。

この日、朝7時半からスタートし、二子橋に戻ったのが午後4時半という大走行でしたから、しばらく筋肉痛で悩まされ、ストレッチも普段以上の時間を掛けましたが、三日間は身体が自由にならず、普段の自転車走行の生半可さを痛感しました。

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2008年10月17日 (金)

エドワード・ホッパー・Roofs,Washington Square.1926

Ed10 屋根に上ることは、ある時代までの男の子にとってかなりの冒険でありました。私も親のいない隙を狙っては、こっそりと二階の畳部屋から、足の汚れの証拠を消すための雑巾も用意してはだしで恐る恐る屋根に出たものでした。今と違って、東京都心でも杉並・世田谷あたりですと屋根に上って初めて見える世界が地上のそれとは全く違い、あたかも征服者のような気分にもなれましたから一度癖になると、又行動を起こしてみたくなってしまいました。

エドワード・ホッパーが描いたマンハッタン・ワシントンスクェアのアパートメントの屋根を描いた一枚には、そんな気配は見られず、あくまでもハード面を対象にして描いた結果、都会の静寂さが聞こえてきそうです。空には彩色を施さず、白の余白を活かした結果、眩しさが眼を痛めそうでもあります。

整然とした煙突とセピア色の全体の調子が相まって、ニューヨークの喧騒を象徴的に表現した傑作と私は気に入っているのですが・・・。

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2008年10月16日 (木)

豪徳寺・ほど良い距離感

Rimg12969 Rimg12973_2 偶然通りがかった小田急線・豪徳寺の商店街は、日常生活にまったく便利そうな、程よいスケールです。その上、街道筋ではないのでアーケードなどなく、一日中明るい太陽があたり、健康的な生活を保障してくれそうな姿をしています。長くこの街で商いしている方が大半のようですから、家賃を価格に被せることなどなく、どの店も嬉しい価格帯です。

この果物屋さんの向かいにある鮨屋さんもきちんとした応対と鮮度自慢ながら、驚愕のランチプライスであります。

街中には昔の店の佇まいが良好に残されていて、この感じは松陰神社商店街と双璧です。

街を愛して止まない店主の多い和やかな街は、知らずにいきなり飛び込んでも、瞬間にその気配を察知できるものです。

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2008年10月15日 (水)

銀色の器夫々。

Rimg13147 Rimg13148 某リビングショップを覗くと、以前にも増して、モダンニッポンの気配が濃厚になっていて、その商品の広がりは器系から家具にいたるまで、粛々と進行しています。ここの持ち味は同じ形状で素材別展開されるので、例えば、磁器とガラスの組合せも具合よく、比較的価格も適正で構成されています。

そのような中に、いきなり、手作り感覚充分な錫素材の丸皿が周りを圧倒するような気合で鎮座していました。背の高い女性に聞いてみると、硬めの紙をしわくちゃにして、型取りしたということです。まるで中国の山水画のような景色で、ちょっと観た感じは古臭いのですが、料理などを載せるとなかなかの雰囲気に化けそうであります。

下の写真は磁器に銀彩を施したもので、楕円皿・角皿と揃い、このデザインには白、織部緑などの釉薬を掛けた磁器も揃い、シンプルな中に温かみを溶け込ませたこの店の生活感の考えを明快に出しています。

10月13日から11月30日までルーブル美術館内・パリ装飾美術館において、この店のプロダクツの展覧会が開催されます。その店とは『TIME & STYLE』です http://timeandstyle.com 。

最近は日本の感性と技術を融合した独自ブランドが急に台頭しています。その先鞭はもちろん『MUJI』なのでしょうが、最近はこの店のような半歩先を行くシンプルセンスのブランドが多いようです。私などは、所謂、民芸調のものをシンプルな環境で控えめに展開する感性に共感するタイプですから、馴染めないと思っていましたが、MUJI同様、先進的外国人の日本観の象徴が、この店のプロダクツに表れているのかも知れません。

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2008年10月14日 (火)

英国風景を観ると思いだす。

19 イギリスの田園風景に顕著なフラットなパノラマを眺めていると、この環境なら、自転車三昧の極上なひとときを味わえるな・・・、と思いますね。晩夏なのか早秋なのか、分かりませんが、落ちついた時季の姿です。ガードレールなどおいう野暮ったいものも見えず、この道をひたすら真っ直ぐ歩いていくと何処に行ってしまうのだろうと思いつつ、吸い込まれるように、どんどん行ってしまいそうです。

まだ小学校に入学前、近所のお兄さんに連れられ、久我山から調布の米軍基地まで、自転車の後ろに乗って行ったことがあり、あの時のスリリングで、未知の世界に行く感じは今も鮮明に覚えています。途中の新川・三鷹界隈の藁葺き屋根ばかりの街道筋は、全くの江戸そのままでしたし、子供にとっては何の興味もない、死んだ村でした。少しずつ基地に近づくと、見慣れない車や、横文字の看板も見え出し、それまでとは違う、明るい異次元世界に突入し出した雰囲気でした。

この、写真を観ると、ふとその頃(昭和28年)の埃っぽい人見街道・天神山通りの気配が眼に浮びます。

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2008年10月13日 (月)

表参道の絶景?

Rimg13121 某会社は、表参道駅から地下を通り、A2出口を上ればほとんど雨にも濡れず到着できる、ビルの7階にあります。

このビルは最新設備の整った軽めのハイテクビルではなく、30年以上は経つ、がっちりした躯体の普通のビルですが、極上な立地のよさから、周囲は人の波に洗われています。

この日、写真資料の確認のため訪れ、CDをいただくのに時間があったので、外を眺めていました。空は雲流のラッシュで、秋らしいというよりも、夏の残照がいまだ終らず・・・、といった雰囲気でありました。このビルは信号の傍にあり、上から覗くとひっきりなしの人の動きが面白く、飽きもせず見入ってしまいました。

渋谷方面を観ると、ちょっと前に出来たTOD'S http://www.tods.com/home.html?region=eu&lang=enのビルが輪ゴムをまいた箱のように出しゃばっていましたし、その手前には、あの懐かしい秀和レジデンスの南仏もどきの外観をもう少しシンプルにしたような建物も長年しぶとくあり、普段の地上から観える景色と違うものの、最上階から観ても、この街をはじめとする、都心の勝手な様式のビルの林立が気になります。

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2008年10月12日 (日)

1956 遠足・高幡不動

793195603_2 783195602 春と秋の遠足は小学生のお楽しみでしたから、その行き先しだいで、歓喜を挙げたり、落胆したりと子供ながらの正直な反応がありました。小学校3年生の春は高幡不動がその行先でしたから、正直、其の場所もよく分からない生徒が大多数を占めました。

今ではこの近辺も住宅にあふれた処となりましたが、52年前は多摩川を望む平地の広がる絶景パノラマが全面展開する景色が、春爛漫なポカポカ陽気と共に、長閑な多摩地域の豊かな地勢というものを、脳裏に焼きつかせてしまいました。しかし、この8年後には、5万分の一の地図を頼りにドロップハンドルの自転車で多摩地区を走りまわって、偶然、農家迷い込んでは、若さの特権か、お昼を縁側でご馳走になるのでした。

昼を終えてからの写生大会では、この年あたりから大流行したマジックインキをクレヨンと同様に持参した生徒が多く、マジックインキ独特の強いアンモニアの様なにおいが、自然豊かな環境の中でミスマッチなほど周囲に立ち込めました。Photo

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2008年10月11日 (土)

朝からお絵かき!。

Rimg13077 パソコンは便利至極なツールではあるものの、あまり深い関係になると、そのお返しとして、効き目に負担がきたり・・・、と、一筋縄ではいかないのであります。その上、パソコンでレンダリングを検討していても、そのスーパーフラットな表情は所詮データデザインとしての目安としかならず、これだ!と実感できるのは、ひたすら手と脳でスケッチを試行錯誤するに限るのです。

仕事上、スケッチを描く頻度が高く、絞り込む判断も優柔不断となり、その枚数も半端でなくなり勝ちですが、今朝のように、早朝からストレートな陽射しがデスクに反射しだせば、もう気分良く、お絵かきに集中できるのです。

只今、トリプルブッキングのような仕事の状況ですから、異業種混交・同時進行的な頭の使い分けをせねばならず、これがストレスにもなり、逆に老化防止の役目にもなります。最近は、池尻のライブハウスの営業方針が変わり、ブルーグラスミュージックとも疎遠になって、仲間とのコミュニケーションも減り、自転車疾走が専らの趣味となってますから、その効果もあるのか、意外と、ばてることなく、粛々とさばいています。方や企画書、方や写真の選択、そしてスケッチと同時進行にも限度があり、日々の時間の経つ速度が光陰矢のごとく・・・、といったところです。

20年以上前から数セット買い足していった、英国のREXEL CUMBERLANDの色鉛筆・Derwent Studioはスケッチに欠かせない道具で残り少なくなり、そろそろリピートしたいのですが、某メーカーの商標に抵触し輸入禁止となり、その上、顔料・色数ともに、変わったという話ですから、だいじに使わねば・・・、と思っていますが、色鉛筆の減る度合いが速いのには、月光荘のスケッチブックの紙の表面が思いのほか粗めで、そのせいもあるのでしょう。

今朝の秋涼の空気は、気分最高でありましたが、自転車に乗れず、ひたすらお絵かき三昧の自分に、いらだつのでした。

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2008年10月10日 (金)

広重・金杉橋を通る法華宗

076 広重の『名所江戸百景』の中でもひと際、幕末の町人風俗の勢いが分かるような一枚です。

今も毎年10月13日、池上本門寺で開かれる『お会式』に向かう法華宗の信徒の混雑ぶりを、傘で表現しているという洒落っ気が嬉しいですね。

今の金杉橋は上を首都高速道路が走っていて情緒の欠片もありませんから、せめてこんな刷物を眺めては、ゆとりと遊びのあった150年前を想像するだけです。

Honmonjioeshiki0421 Honmonjioeshiki0461 それにしてもこの手拭いや旗を吊るした竹竿といい、南無妙法蓮華経と染め抜いた玄題旗といわれる旗指物といい、その派手さ加減をこの目で見たかったものですが、ここまでは及ばないものの、今もなかなかのイリュージョンを闇夜を背景に演出しています。

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2008年10月 9日 (木)

誂え靴

Shoes02 Photography:Ralph Dalvax

最近の勘違いな洒落者が挙って履いているイタリア系のブランド靴が妙に先が尖っていて、おまけに最近のスーツのズボンが細身ときていますから、背のさほど高くない者がこのコーディネーションですと外国人に見られないプロポーションと相まって、なかなかユーモラスであります。

ちょっといいなと思う靴の値段もどんどんとエスカレートしてしまい、聞くところによると、独身男性の履いている靴の価格も4万円が中心ということですから、時代の趨勢を感じえません。丸の内や六本木を昼間歩けば、さらに20万円ほどするような靴を履いているビジネスマンもちらほら目に入ります。靴の色に関しても、デリケートな色調をおびた独特な色味も増えて、ずいぶんと変化して来ています。

この写真は手縫いの誂え靴ですが、今から見ると楽しいデザインです。おそらく30年以上前の靴ばかりと思われますが、ちょっといかしたミュージシャンが挙って履いていたような雰囲気がたっぷりであります。

裏原宿や、南青山の裏にある一軒家の店にも、このタイプのビンテージ・シューズがちらほら見かけるようになってますから、サイズがぴったりでしたら、今では見られない職人のこだわりを履いてみるのも如何なものか・・・などと思います。

でも、しっかり出来た革製アウトドアブランドのトレッキングシューズをジーンズに組み合わせて、闊歩する人もっちらほら見受け、この秋は、靴に関しては今までより一層、何でもありの勢いであることは、間違いなしのようです。

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2008年10月 8日 (水)

空也・秋涼の候・・・。

Rimg13099 春の時季とは異なり、秋の和菓子は比較的地味になりがちで、せいぜい、紅葉の色模様をあしらうのが、どの老舗も常套手段のようです。

しかし、銀座・空也の生菓子には、秋の錦色など我関せず・・・といった境地の潔さが表れ、小手先の技巧に溺れず、地味ながらその素材の配色、造形のバランスなど、ほぼ完璧といってもよいほどみごとな姿を魅せてくれます。

梨園・花柳界・のお使い物としては、定番中の横綱でありますから、粋な姿は無論のこと、夫々の異なった衣装を着付けた役者が6人揃った簡素な姿は、渋い出し物の舞台同様であります。

和洋を問わず、奇抜性と受け狙いが飛び交う昨今のスイーツ界の中で、空也の和菓子のもつ粋筋一本道は、一つの流れを護っているという視点からして、揺るぎない銀座の商いの手本であり、One&Only・・・、真の一流なのです。

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2008年10月 7日 (火)

The Kngston Trio ニックさん死去

03reynoldsinline15001 The Kingston Trio のNick Raynoldsさんが10月1日、75歳で亡くなられました。

青春時代の思い出の中でも、ひときわ、その音楽、ライフスタイル自体に、多大な影響を受け、いわゆる、IVY LOOKと称される、一連のキャンパスファッションの隆盛は彼らがあってこそ、日本中に拡散していったのですから・・・。あの、コットンパンツ・白いスニーカー・ボーダーストライプシャツ・・・、当時、キングストントリオの健康的な姿は他の音楽ジャンルには見られないもので、その新鮮さは、あっという間に町中に広まったのでした。

1958年のTom Doolyの大ヒットにより、世界中にそのシンプルで知的で力強い演奏は知れ渡り、やがて1961年に来日し(一般的にキングストントリオの来日は1965年とされてます。1961年は米軍基地のみの公演で、一回だけテレビ中継がありました。)、テレビ中継された時には、私も学校から走るように帰り、画面を食い入るように見入っていました。初めて見るギター・バンジョー・ベースというシンプルな構成は無論のこと、トリオの中で、ニックさんのかすれた高音の歌いっぷりと、陽気なキャラクターに惹き込まれ、その後、同級生の中でも、キングストントリオがダントツの人気だったのです。同時期にベンチャーズ・ビートルズも登場してきますが、リベラルなインテリ層を含め、大半の学生は圧倒的にキングストントリオ支持派が多く、高校時代は、ブラザースフォーと共に、フォークソングの人気を二分していました。ほかにPPMというグループもありましたが、ちょっとヨーロッパの香りがして敷居が高すぎるのと、サウンドがお洒落すぎていて、比較的、文武両道であった輩の大半は、キングストントリオ・ブラザースフォーに傾いていたのです。キングストントリオはブルーグラスサウンド・カゥボーイソング・カリビアンミュージック・・・と、アメリカン・エスニックミュージックの殆どを独自の味付けとして昇華し、静かな曲趣、元気な曲趣ともに、人間の発する音楽として最小の構成ながら、聴き応え十分でありました。

今でも、i Podに70曲ほどのキングストントリオの曲を収録してありますが、自転車で快走するときは、加速を後押しするBGMとして欠かせないグループであります。そのドライブのかかったサウンドは、40年以上経っても古くなく、むしろ、元気をいただくという意味において、アリナミン同様、益々、私世代の永遠の私的常備薬なのであります。

You Tubeでニックさんを偲んでいただければ・・・。http://jp.youtube.com/watch?v=3VMSGrY-IlU

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2008年10月 6日 (月)

Pt.Alfred 正しい店の姿。

Rimg13098 本当に久しぶりに訪れた恵比寿・Pt Alfred http://www.ptalfred.com/ は、秋物の充実で、店内は、店主・本江浩二さんの拘りによるオリジナル商品で、期待感・探索感が一杯でした。

もう、26年以上前にもなりますが、当時、一部の剛毅なメンズクロージング愛好家のなかで飛びっきりの人気だったナイジェル・ケボーン http://www.cabourn.jp/ に関わっていた本江さんですから、そのセレクトコンセプトもさることながら、1970年代から連綿として繋がっているHeavy Dutyの信奉者としての、アウトドアショップの空気感が店内に満ちていることが、嬉しいのです。昨今の胡散臭い店とは全く対極にある、ほのぼのとしたこの店の気配こそ、あの、昭和40年代までたくさんあった、銀座のスポーツショップの遺伝子が乗り移った在り様です。

本江さんが手にする、コンパクトな傘ひとつとっても、洒落っ気とひねりのスパイスが上手く絡み合って、ぱっと開くだけで、すっかり和んでしまいます。アウトドアは勿論、きちんとしたスーツで迷彩柄の傘をさしているなど、いい景色が眼に浮びます。

今年の秋冬は、どのメンズショップも、アウトドアテイストが鍵を握っていて、ここ暫く続いたイタリアンから、アメリカ西海岸の1970年代のアーバン・トレッキング気分が主役となり、店主もまんざらではない・・・、といった様子でした。

長居をしていても、失礼と思い、店を出て、代官山アドレスを抜け、蛇崩経由で駒沢まで帰りましたが、途中、にわかに雲行きが怪しくなり、続いていた快晴の日々も今日でおしまいのようです。

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2008年10月 5日 (日)

東山魁夷の表現に隠し味あり!。

03 東山魁夷さんの『青響』と題された代表作(東京国立近代美術館蔵)の部分を拡大したものです。

東山さん独特の青緑色の濃淡のハーモニーが、画面に吸い込まれていきそうで、その静かななかに力強いエネルギーが満ちています。

樹木の表現を何故、このように角ばった意匠にしたのかは、定かではありませんが、芸術新潮のコメントに、中国古代の青銅器に誘発されたと記述されてますが、もしかすると、東山さんは、先にこの青緑色の色の探求に精を出していたときに、ハッと気付いて青緑=青銅器というシンプルな図式が頭をよぎったのかもしれませんね・・・。日本画家としての頂点を極めたにも関わらず、想像力・編集力に長けていた東山さんならではの、トリッキーな発想だったとすれば、まだ他の作品にもこのような隠し味が潜んでいる可能性がありそうです・・・。

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2008年10月 4日 (土)

高岡・瑞龍寺

Rimg12898 Rimg12885 Rimg12891 Rimg12900 富山県高岡市にある、瑞龍寺 http://www.zuiryuji.jp/ は、加賀二代藩主・前田利長公の菩提をとむらうため、三代藩主・利常公によって建立された、曹洞宗の寺です。詳しいことは、ホームページでご覧いただくとして、その素晴らしいカタチとダイナミックなスケールを浴びると、訪ねる度に、新鮮な気持ちになります。総門・山門・仏殿・法堂が真っ直ぐに並び、その左右に禅堂と大庫裏を置き、その全ては回廊で結ばれ、全体の整然さからは、厳粛と自律を求める天の声が聞こえてきそうです。仏殿の瓦は全て鉛製で、徳川に対して抵抗勢力と位置づけられていたため、いざという時の火縄銃の鉄砲玉の材料備蓄を兼ねていたそうですから、なかなかのものです。因みに、鉛の総重量は47トンで鉄砲玉にすると250万発ということです。鉛製ですから凡そ40年ごとに葺き替えられ、現在も連綿として継続されています。もちろん、法堂の銅葺・その他の門のこけら葺(サワラの木)も葺き替えされるわけですから、継続性の凄さを垣間見ることができます。周囲には余計な建物が見えず、ただ空が在るのみ。開放感と厳粛な気持ちが一度に味わえるこの名刹は、華やかさの微塵も無い、禅寺の傑作でもあります。

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2008年10月 3日 (金)

自由が丘 1952年頃

Photo_2 自由が丘という町に初めて行ったのは1965年頃で、ライブ目的に伺った店名は『にんじん』だったような覚えがありますが、確かではありません。

この店で毎週土曜日にブルーグラスバンドのライブがあって、当時人気だった慶應大学のバンドともうひとつ、全く関東のバンドとリズムもサウンドの趣きも異なった神戸出身の山口兄弟率いるバンドが出演していました。当時、フォークソング・カントリー・ブルーグラスは、ちょっと元気で洒落た若者には人気のジャンルで、イケ面が揃っていた時代です。

しかし、モダンで洒落た店内の雰囲気とブルーグラスの野趣に溢れた音色がかなりミスマッチでありましたが、超満員の店内には此処自由が丘らしく、美しい女性も多かったので、音楽を愉しむ目的以外の男性客も多かったろうと思います。既にこの頃、自由が丘は東京都内でも今以上にお洒落スポットの筆頭的存在でしたから、各お店の優雅な雰囲気が相乗効果で、ソフトでモダンな印象が町中から溢れていたように思います。

この写真は1952年頃の自由が丘商店街の様子ですが、少し後、石坂洋次郎の『坂のある町』『自由が丘夫人』が小説になり、後に映画化された1950年代後半から1960年代初期にかけて全国的に自由が丘がスポットを浴び、一気にお洒落な輩の注目を集めるようになりました。

しかし戦時中には、軍部の勧告で自由が丘という戦意向上に反する軟弱な町名が変わりそうになったのを、住民の反対でこの素晴らしい町名を守り通したのですから、この町はソフトな印象があるわりには、実は、気骨のあるハードな意志を持つ町なのであります。

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2008年10月 2日 (木)

鈴木信太郎・相模湖風景 1970 

14 鈴木信太郎さんの風景画はややもすると描きこみ過ぎる懸念がありがちなのですが、この相模湖を描いた一枚は、一軒一軒のお家をかなりキュービックに捉え、山の具象的表現、お得意な雲の遊び感覚などこれ一枚で鈴木信太郎さんの全てがテンコ盛りといったお得な景色なのです。

さて、画面からして秋の季節と思われますが、高校時代に自転車トレーニングに何度となく訪れたこの時期の相模湖は寒さが厳しく、当時は肌着なども綿素材の重ね着でしたから汗も充満し、快晴の天気とは裏腹に身体に染み込む冷気が辛いものでした。八王子から大垂水峠を越えると、前面の視界が一気に開け、それは気分が晴れ晴れしましたが、山あり谷ありと、息つく間もないコースには正直、閉口したものです。

それでも、この絵のような都心に近くても素晴らしい紅葉を高校時代に経験できたことは、今となってはもう戻って来ない俗化する以前の長閑な景観を目に焼き付けたことと共に、有り難い経験でした。

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2008年10月 1日 (水)

池田弥三郎・『ふるさと日本』 1972

Rimg4711 残念なことに昨年いっぱいで銀座・奥村書店が無くなって、銀座の散策の大きな愉しみが忽然と消えてしまいました。私にとって銀座の聖域、いや、オアシスの方が相応しいスポットでありましたが、今その跡を見ると悲しい限りです。

昨年ぎりぎりに古書を求めに伺い、この池田弥三郎著『ふるさと日本』を買い求めました。

生粋の江戸っ子である池田さんの語るような流れで書かれた文体は、久しく書物から離れていた私にとって新鮮で豊かなひとときを愉しめる、絶好のエッセイばかりです。

「ふるさと日本」「ふるさと東京」「旅の文化史」「季節そのおりおり」と四編に分かれていますが、なかでも、この本を購入した奥村書店との因縁というか、「ふるさと東京」の内、(ふるさと銀座)が池田さんの祖父が営んでいた銀座『天金』というてんぷらやと、夫々の時代の推移とを掛け合わせた珠玉のエッセイばかりで秀逸です。幕末の彰義隊を匿う話から「東京」を昔の江戸っ子は「トウケイ」と読んでいたことなどまで、文章の詳細な部分に江戸の名残が散りばめられ、今日との比較も分かりやすく、嬉しい買物でありました。

1967年に鹿島研究所出版会から刊行されたこの本の内容は、江戸っ子らしく当時の高度成長を牽引した建設業界を皮肉っている文章も多く、発行者も辛い立場であったであろうことは想像がつきます。

尚、著者・池田弥三郎さんの甥子さんが池田雅彦さんで、学生時代は慶應大学ブルーグラスバンドの名バンジョー・プレィヤーとして活躍され、今はユニバーサルミュージックの音楽プロデューサーとして、あの『WaT』 http://www.youtube.com/watch?v=imeKI07eZCk をプロデュースされています。彼らの音楽に、何やら懐かしいフレーズを感じれば、それは間違いなく池田さんの感性が織りこめられているからです。

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