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2008年10月25日 (土)

広重・目黒 爺々が茶屋

064 落語『目黒のさんま』のモデルは3代将軍家光という説もある。家光が鷹狩に出た折に目黒の一軒茶屋に休憩し、そこで供された秋刀魚に舌鼓を打ったというのである。

 事実、家光や8代将軍吉宗は鷹狩を好んだらしい。鷹狩は軍事演習と民情視察を兼ねた殿様のスポーツである。江戸周辺の鷹場には、葛西、岩淵、目黒などが選ばれ、重要な行事の一つになっていた。目黒には駒場野(現在の東京大学教養学部を中心とする一帯)という野趣に富んだ山林があって、家光時代の寛永から正保にかけて碑文谷へ一回、目黒辺の放鷹が6回も記録されているという。

 だから、家光にまつわる伝説も多い。『江戸名所図会』には、行方知らずになった鷹が目黒不動尊の実栄上人の祈念で忽ち舞い戻ったというエピソードが紹介されている。家光の目黒不動尊崇のきっかけだが、家光が中目黒の一軒茶屋に立ち寄ったのも鷹狩に出た折のことである。

 茶屋の主人、彦四郎は農業の片手間に茶屋を営んでいたが、その朴訥さが家光の気に入り「爺、爺」と呼ばれたため、茶屋の名も「爺々が茶屋」と呼ばれるようになったというのである。茶屋の西には豊かな田園が広がり、遥かに富士を望む絶景は西郊の名所として知られるようになり、安藤広重も『名所江戸百景』のなかに「目黒爺々が茶屋」を描いている。

 読売新聞社会部編『東京今昔探偵』(中公新書ラクレ)によると、彦四郎の子孫は目黒に健在で、家光から12代家慶までの「御成之節記録覚」と題された文書を伝えているが、将軍が秋刀魚を食べたかどうかはわからないそうだ。

 現在の目黒区三田2丁目と中目黒2丁目の間が茶屋坂で、目黒川の中里橋から恵比寿方向へ登る坂道の途中に「茶屋坂」バス停がある。

ちょっとこの広重の版画を出すには時季が遅かったのですが、豊穣の秋に相応しい、正しいNIPPONのあるべき美しさそのもの・・・といったところでしょうか。黄金色の錦が風にたなびく様子は新幹線でも、その美しさに感動するくらいですから、ましてこの絵柄そのものが目の前に展開していたならば、一服してしばし至福の時を遊んでしまいますね。

『夕日の岡』と同一崖線上にあるこの絶景処は今、どのような状況なのかが気になっていましたが、先日訪れてみると風流の微塵もない、ただの生活道路でありました。

こと左様に、NIPPONの四季の移ろいを享受できる光景は広重の版画で想像するしか風流を味わえないのでありますから、経済効率・土地本位至上主義の結果、生活にゆとりと遊びを放棄してしまった故の、情けないはなしであることは間違いありません。Rimg6538

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