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2008年12月31日 (水)

景色にも『綺麗寂び』あり!。

Rimg15576 春の日差しも嬉しいものですが、今の陽射しもストレートな強さがあって、無風などというおまけがつけば、この時季の転寝もけっこうなものであります。

駒沢の隣町である深沢一帯はその昔、東京から身近な別荘地として発展し、駒沢ゴルフ場(現・駒沢公園)との相乗効果でこの近辺が素晴らしい牧歌的景観であったそうです。今ではその名残も本の僅かとなった保護樹林の様子ぐらいしかありませんから、その時代の光景を観たかったものです。

それでも、深沢6・7・8丁目には今も樹木に覆われた一角が点在していて、立派な造園業を営む会社も何社かあります。この辺りは比較的地勢的にも恵まれていて、その上、水脈も這うように地下で広がっているそうですから、枯れることなく樹木の生育も育まれているのでしょう・・・。

穏やかな年末のひと時、散歩がてら深沢6丁目の辺りを歩いていると、塀に映る枝葉の影が、何ともいえない『綺麗寂び』http://blog.goo.ne.jp/sawara_2005/e/bfcc0179d7813d6520219e6fb82ed7e1 の気配を演じてくれました。この塀の素材感と色合いでなければ、単なる日陰なのですが、そのちょっとした違いこそが、この国独特の、繊細でうつろな感性を育んだのですから・・・。

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2008年12月30日 (火)

喫茶店は永遠!

Rimg8499 何時でも・誰でも・何処でも・・・と言いたくなるように、均一な工業製品のようなカフェが、町の一等地を占めるようになってしまいましたが、世の中の定説どおり、時計の振り子のように相反するものを求める輩も多く、ましてや、私世代が現役から解きはなれ、自由な時間を謳歌しようとすると、それに相応しい、静かで品の良いカフェ・喫茶店が少ないのに驚かせられます。

確かに、一杯、高くてせいぜい500円ほどの商売だけで、店の維持が出来るほど、この世間はあまくないでしょうから、夫々、珈琲教室・ギャラリーの併設などは当たり前、最近は拘りの本をまるで図書館のように貸し出す店なども登場して、効率一辺倒のマーケティングでは拾えきれない客筋を、地元の運命共同体のように、頑張っている店が、誕生しています。

私は、珈琲を自分で挽いて入れるのを朝の儀式のように過ごしていますから、こればかりは、家人に頼むわけにもいかず、早朝の静かな時間を、独りで愉しんでいます。

さて、久しぶりに本棚から出したこの三冊、どれもお気に入りの時間を過ごす愉しみとしての、カフェ・喫茶店をこよなく愛する人の著作ですから、微にいり細にいり・・・、とことん、自分の至福の時間に関わるエッセイで満載です。たとえ、この世からカフェ文化が消え去ってしまっても、この本の中に凝縮された、百科事典のような『正しいカフェ・喫茶店のありよう』が、いつでも、自分を、素晴らしき愉悦空間に誘き寄せてくれます。

三冊とも絶版ですから、美味しい珈琲でも頂いた後、古書店などでお探しください。

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2008年12月29日 (月)

伊勢地方の正月飾り

Rimg15457Rimg15562 都市環境の手狭なこともあって、正月の松飾もクリスマスリースと同じように、玄関扉にぶら下げるタイプのものに人気が出てきたようです。

さりとて、最近はフランチャイズのように、どこの駅前でも地元の鳶・植木職人さんらが年末のお小遣い稼ぎも兼ねて、デザインの割りに高値な正月飾りをそれらしい小屋とともに商ってるのを、さほど年末の風物詩などと有難がる素直な性格を持ち合わせているわけでもありません。

というわけで、例年、年の瀬になると「行こう 行こう」と思いつつ果たせなかった、青山・べにや民芸店 http://beniya.m78.com/ で、ようやく、日本全国の正月飾りを選びに行くこととなりました。

店内を入ると、左の壁一面に全国の正月飾りが展開されていて、どれも、日本独特の豊穣と神国を象徴した意匠に圧倒されます。

此処に展示されている諸国の飾りには必ずといってよいほど注連縄(雲)と御幣(稲妻)が意匠として遣われていて、この二つが揃った状況に実り多い作物がもたされるという象徴の元に豊作祈願・生活安定という意味が生まれ、この国の諸文化が稲作文化、しいては農耕文化の賜物であることを象徴しています。

以前、『日本の伝統パッケージ』という本を観たとき、全国の食材・酒・菓子にいたるまで、この農耕を背景とした文化に対する畏敬の念がきちんとカタチとして表されてましたが、それから30年以上経つと、食品衛生管理上、思わしくないという観点からもずいぶんとその意匠が途絶えてしまったようですが、確かに昔は地産地消であったものが、物流文明の急速な発展で「いつでも・どこでも・だれでも」入手可能となってしまえば、途絶えるものも出てきてしょうがないのでしょう。

せめて、正月だけでも、この狂いまくった2008年を総ざらいしながら、この素晴らしい飾りの隠された意味を教訓に、箱根往復駅伝に歓喜したいと思います。

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2008年12月28日 (日)

表参道三昧

Rimg15424 Rimg15448 Rimg15440 Rimg15443 25日に活気づく前の時間帯、表参道に打ち合わせのため出向きました。ある会社の環境を写真などを使いリフレッシュするための最終確認でしたが、スムーズに終り、そのあと、クリスマスの風物詩として何かありそうかな・・・、などと詮索しながら参道を下って行くとラルフローレンショップの入口に利口な犬が三匹、きちんとしていました。真中のいぬは雌で、やんちゃな動きをしてましたが、両脇のしっかりものにたしなめられ、ようやくおとなしくさせられました。このショップの雰囲気に合っているような犬の姿に一枚・・・。

脇に入ると、通称、キャットストリート界隈ですが、此処は他のエリアより開店時間が早く、今では地方の中高生の修学旅行の買物定番場所で、逆に、竹下通りは以前の勢いなく、露天商のような業態ばかりが目につきます。中には公開空地に品物をせり出してしまう間抜けなショップもあって、このような風景からして、商店組合に係わり合いのない不動産管理会社がしのぎを削る様子が窺われます。それでも、私が30代から世話になっている店も元気で、相変わらずのビンテージトラッド一辺倒でありますが、きちんとディスプレーも成され、この辺りが、格の違いなのであります。

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2008年12月27日 (土)

入ってみないと分からない!。

Rimg15169 Rimg15149_2 Rimg15153 Rimg15155 Rimg15164 都心から駒沢に自転車で戻るときは、東大裏を抜け、下北沢経由のルートが車の往来も少なく、私の定番ルートのひとつです。

下北沢にある静岡茶の店・つきまさの前を通り、淡島通りにぶつかると前から気になっていた店が、周囲の昭和商店街の店構えと趣きが異なり、はっきりいって、浮きまくって存在しています。この店、何か、アメリカのサンタフェにありそうなメキシコの薫りのしそうな外観で、きっとアメリカのビンテージウエアか雑貨を扱っていそうな気配があったのですが、この日、はじめて入ってみると、いやはや、アメリカンテーストのリビングに関わるハードウエアの店でした http://www.thegallup.com/。最近の店舗や一般住宅でもちょっとしたアクセントとして、ラギッドな素材感を組み込むのが潮流で、それも和の感性としての侘び寂びの様子が好まれていますから、この店のようなアメリカンエスニックの薫りの古材・廃材・建材はちょっと時代遅れなのかと思ってましたら、このての雰囲気を好む層も根強いそうで、商売もしっかりしてそうです。三階まである素材から塗料・ハードウエアまで、まるで汗臭いマルボロカントリー男のリビング・男の書斎をインスパイアしてくれるものがゴロゴロしていて、けっこう愉しめます。特に、額に使用できる材木は半完成品の状態で販売されてますから、これに自由な表面仕上げを各人で遊ぶことも出来るという、かなり趣味的要素の深い店です。

都心のいわゆる旧来・銘木店も材木だけに限らず、この店のように、生活上のソフトを含めた趣きのはっきりした品揃えをしていけば、楽しい街並に貢献できるのでしょうが、業者相手の商売にしみこんでしまった習慣を切り替えて、余計な品物・サービスなどを展開することなど、考えるべくもないのでしょう・・・。

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2008年12月26日 (金)

愛鷹山と富士山 1951年

1951 盛り土した東海道線の線路付近にある静岡県三島市川原ケ谷と思われる村落を1951年に撮影した一枚です。

きーんと張り詰めたような冷たさが伝わるような光景で、住居もまだ日本の景色をド派手に一変させたカラートタン屋根に変わる以前の風景ですから、自然景観と住居材料に違和感もなく、ここには日本のやさしい調和のある景色があります。当然、夜ともなれば厳しく冷え込む場所でしょうが、その寸隙を縫ってひなたぼっこに興じる子供と蒲団干しの様子が、平和を取り戻した穏やかさを象徴しています。

三島市辺りの当時の積雪はいかほどなのか分かりませんが、場所は変わって1960年代に父が撮影した木曾・中仙道の写真を観ると、現在よりも相当積雪量は多かったようです。しかし、静岡・木曾ともに屋根の勾配が雪に対する配慮もないようですし、雪に対しては無頓着でも問題なしだったようです。01

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2008年12月25日 (木)

あいまいな距離

Img_5506 日本の文化を語るうえでしばしば登場するキーワードに『あいまい性』という言葉が、あります。たしかに日常生活の挨拶から仕事の用語、又、空間・距離の認識に至るまで、其処・彼処にこの概念が跋扈しております。

以前から気になっていたのですが、電車を待つ横三列の並び方などはその典型なのではないでしょうか。絶妙な距離を保って、となりの方との不可侵・他人関係を認知させる、その寸法採りなどはこの国のみごとな空間認知学の代表といえるでしょう。私などはこの写真の距離でしたら「すみません!」などと割って入るタイプの人間ですが、周りの人は全く平然として後ろに2列で静かに次の電車を待っています。まあ、以前よりこの距離感が狭くなってきたようなのですが、それでも、3列横並びのパターンになかなかお目にかかれないのは、どうしてなのでしょうか・・・。

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2008年12月24日 (水)

駒沢の洋館

19271 駒沢カントリー倶楽部の跡地が現在の駒沢公園であることなど、誰も知る由がありませんが、1927年(昭和2年)の写真を見る限り、今では想像もつかないほどの田園であります。確かにお隣の深沢は当時、政・官・軍・学・実の別荘地であったそうですから、おそらく、このゴルフ場などは社交場として優雅な時代もあったわけですね・・・。1964年、東京オリンピックの競技場建設によって往時の名残はどこにも残すことなく消し飛ばされ、今となっては砧公園(旧・砧カントリークラブ跡地)とは対極の姿となってしまいました。

この住居は築・75年ほど経ったものですが、かなり傷んでいるとはいえ、駒沢の優雅な時代の証のような物件です。今は何方も住んでいませんが、広い敷地内にある別棟の品の良い方が時々、窓を開け放ち、空気の入れ替えをされています。この建物が普通の住居なのか、計り知れませんが、世田谷の郊外建築の典型のように思えて仕方ありません。

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2008年12月23日 (火)

目黒川にぴったりのランドマーク

Rimg15129 Rimg15130 10月中頃の陽気に戻ってしまったようなこの日、自転車で都心の散策を愉しみました。繁華街を避け、恵比寿・広尾方面に向かう途中、目黒川沿いを抜けて、眩しいばかりの陽射しを正面に浴びつつ、うろうろしていると、このような掛時計がぶら下がっていました。

この目黒川界隈はアパレル密集ゾーンが其処彼処に点在し、そうなるとお決まりの美容室もコバンザメのように張り付きだし、今や、週末ともなると、偏屈な洒落者が今風ながらしっかりしたリアルクロージングを求めて、賑います。なのに、此処の時計の一角だけは妙な渋さと剛毅な気配があって、人気のCow Booksなどは、神田・神保町とは一味違う本の分類展開があって、気になるエリアであります。川向こうにはギャラリーも2年ほど前に出来、お花見シーズンはコンパクトながら、華やかですし、今風のトレンドを掴むには、どんな商業施設よりも、確かな時の流れを察知できる場所です。

というわけで、この時計、アメリカはSimplex(?)社製で、おそらく何処かの鉄道の駅にあったものが、時の推移で廃駅となって、流れ流れて、目黒川に辿りついたのでしょうが、美しいですね。アメリカのある種の道具にはスタイリングに甘えない、ヘビーデューティな志が根を張っていて、日本の民芸思想にも相通ずることもあり、私などはかなりの信奉者を自負しています。このところ、Oily Boyなど、雑誌編集の黄金時代だった1975年前後の雑誌をアップトゥデートした試みがあり、書店で捲ると、小林泰彦さんの挿絵とコラムの剛毅な内容のページが懐かしく飛び込んできて、この時代、質実剛健な生活感に溢れた特集の比率が高かったからこそ、薀蓄ばかりのモノ志向にぞっこんとなり今も当時の記憶が蘇りますし、キャラクターばかりが目立つ昨今のモノ志向に首を捻るのであります。

さて、すっかり落ち込んでしまった商況の中で、自転車屋とリアルクロージングの店だけはやたら繁盛して、この二つのもっているモノのコンセプトにこそ、今後の生活感覚の芽生えのヒントが宝のようにあるのかも知れません。

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2008年12月22日 (月)

コロッケパンは美味なのだ!。

Rimg8217 パン屋さんは、大きなチェーン店から夫婦できりもりする地元密着店まで、それこそ、たいへんな数がありますが、必ずといってよいほどあるのが、コロッケパンでしょう。店の数だけ味も違うと言われるだけあって、なかなか奥深いアイテムの横綱かも知れません。

気に入ったパン屋を見つけることは、日々の生活を過ごすうえにおいて、けっこうだいじなポイントと思っているのですが、どうやら、最近の傾向として、和魂洋才とでも言うのでしょうか・・・、日本の風土・習慣にあった食感・触感・風味、などを考慮した小さな店が増えてきたようです。

いわゆるオーガニックフーズの潮流も後押しされているのか、日本の小麦を原料にする傾向も多いようです。確かに、食べてみると、すっかり忘れてしまっていた柔らかい食感は、子供時代のコッペパンを思い出させてくれます。コロッケ自体も油でギトギトしたものから、さらり・からりと揚げたものに移行してきたようですから、自分のお腹周りを気にして遠ざけてきたこのコロッケパンを、気兼ねなく頂く事が出来そうです。さらに、マッチングする野菜もキャベツ一辺倒が殆どな中で、サラダ菜・レタスを二種類差し込むなどの小技を利かせたりと・・・、世田谷通り松陰神社商店街入口傍にある Fortuna のコロッケパンは素敵な出来栄えです。

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2008年12月21日 (日)

モネ・水辺の絵

1874『アルジャントゥイユの船着場』と題されたクロード・モネの描く美しい一枚です。1874年に制作されたものですが、これもどこか日本的絵画の印象さえも残る作風です。全体をさらっと描いた軽いタッチに日本人の多くのファンを惹きつけるのでしょうが、大胆な筆勢の中に刻々と移り変わる時の推移がみごとに捉えられていますし、雲の間から西日が輝いていて水面に反射している様が。素晴らしい瞬間を掴んでいます。

1871年から1878年まで、モネはセーヌ川沿いのアルジャントゥイユという町で暮らしていましたから、この町をモチーフにした作品が多い訳です。

この画面いっぱいに広がる水辺を海と勘違いされる方も多いようですが、れっきとしたセーヌ川であります。また、画面手前にある正方形のような形をした船は、モネが自ら改造してアトリエとして使っていたもので、ここで寝泊りしながら水辺を凝視していたからこそ、晩年の睡蓮シリーズのみごとな作品に繋がっていったのでしょう。日暮れ時のけだるい気分までもを描ききったモネの手腕に、ただただ感服するのみであります。

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2008年12月20日 (土)

広重・岐阜 中津川

Photo_5Img_5116恵那峡の奥に恵那山を望む夕闇の雨景でありますが、この雨もそうとう冷たそうで、旅人もこの先行こうか、それとも今日はここで一泊するかと思案しながら歩いている雰囲気に溢れています。

この絵の、現実にはありえないコントラストの付け方がまるで舞台照明のようでもあり、ここにも広重のドラマティックなアートディレクションが冴え渡っています。ターコイズ・グリーンの合羽を羽織った三人はどうやら美味しい料理が準備されている旅籠に引き返しそうな様子ですし・・・、中津川の名産、栗おこわの香ばしい香りが雨にも負けず、届いているようであります。

此処、中津川には『すや』 http://www.suya-honke.co.jp/ という和菓子の銘店があって、ここの栗きんとんは勿論のこと、生菓子・羊羹の類も絶品であります。

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2008年12月19日 (金)

アルフレッド・ウォリス『船』

16 さほど恵まれた画材は無かったものの、そんなの関係ない!・・・などとあざ笑うように自由奔放に描いたアルフレッド・ウォリスの船をテーマにした絵には、永い間航海をしてきて経験した様々な出来事が頭に焼き付いていて、その記憶を50年以上経ってから描き始めました。

この絵には何となく暗い印象があって、何か事故を起こしたのか、あるいは座礁したのか・・・直感ですが、きっとそんな記憶を元に描かれたものかも知れません。部屋の中にあった適当な厚紙に向けて一気に描きあげたようですが、白い油絵具を塗り手繰った海が印象的です。

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2008年12月18日 (木)

町に生活があった頃!1950年頃

Photo

撮影:ディミトリー・ボリア

町に生活があった・・・とはこの様な場面をいうのでしょうね。

大田区緑ヶ丘・東工大の北側路上では、使い捨て社会の到来する以前の、エコライフが展開されています。

私の記憶はさほど確かでありませんが、住んでいた杉並区でも日曜日ともなれば、生活道具を補修する職人さんたちが、一軒一軒訪ねながら、商売していたように覚えています。

荒物・金物と呼ばれた分野の生活用品は毎日使うものでしたから傷みも激しく、それだからこそ、この様な職人さんの需要も少なからずあったわけです。

靴屋・鋳掛屋・桶屋さんが並んで修理の百貨店状態ですが、この手前の大きな桶は何に使っていたのでしょうか?。普通の家庭ではなく、漬物屋さんの依頼で修理しているのでしょうか?。覗き込む旦那の様子に迷惑そうな職人も、今の時代のようにすぐキレルわけでもなく、穏やかに応対しているようですし、暖かい陽射しの元で、長閑な時代でありました・・・。

後ろに見え隠れする映画のポスターを観ると、、荏原町・旗の台町・自由が丘町にも映画館があったようで、間もなく映画の黄金期が到来する寸前の風俗です。

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2008年12月17日 (水)

広重・日本橋の雪景色

もし、014 この美しい景観を当時の国土省や東京都の官僚が見ていたら、1950年代後半から1960年辺りの悪しき首都高速道路の発想など出てくる筈などなかったのに・・・などと思うのは、いささか情緒に走りすぎと笑われてしまいそうですが・・・、こと左様に、日本橋は東海道の振り出しに相応しい天下一の橋であったのですから、今となっては後の祭りであります・・・。

今の学生と話をしていても、昭和10年まで、ここに魚河岸などあったことを知らない若者ばかりですが、何故今でも日本橋界隈に海産物に関係する老舗が多いのかを説明すると、誰もが納得なのです。

現在、この近辺の日当たりの悪さは悲しいもので、おまけに自転車で駆け抜けると、ビル風で思わぬ方向から風に巻き込まれることがあります。

昭和30年代初めまでは、比較的高層ビルもなく、明るい日差しに溢れていた日本橋は1964年を以って、今日の姿となってしまいましたが、『美しい水の都』と言っても良かったこの時代の景観を戻そうという動きが顕著となり、都庁内に諮問委員会も設置され、検討段階に入ってきたようですから、この動きがやがて全ての首都高速道路に波及してくれれば、豊かな水の景観の東京が蘇りそうであります。

いよいよ自転車で徘徊するのに最高の『水と風と薫り豊かな東京』が復活することを期待し、その実現を願うばかりであります。私は全てにおいて攘夷思想など持ち合わせてはおりませんが、ことが街づくりともなると形相が一変して、水戸浪士となってしまいがちであります。

さて、広重の『日本橋の雪晴』と題された商売繁盛のご利益がありそうな版画は手前の賑わう商いの様子が色彩豊かで人の動きも具体的で風俗画としても素晴らしい作品です。一転、奥に進むにつれ、白銀の世界であります。絵画の色彩構成の手本のような作品ですが、こんな版画を掛けていると、気持ちが良さそうであります。

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2008年12月16日 (火)

魚藍坂・1955年

1955 Rimg8228 魚藍坂上、1955年(昭和30年)の風景であります。遠くに観えるこんもりとした山は南麻布方面の山です。

路面電車・オート三輪車・日野ノーと昭和の進化も教えてくれる写真でありますが、電信柱の配線の複雑さがこの時代のエネルギーを一層盛り上げてくれています。この坂を手前に上りきった所が高輪商店街のある二本榎通りと呼ばれる尾根道で左に向かえば慶応義塾方面、右に向かえば柘榴坂で、私の自転車徘徊の定番ルートであります。

この近辺、山手でありながら、下町的景観もありましたし、今もこの頃の名残が僅かながら残されています。しかし、六本木ヒルズが真正面に見えるとは思いもよりませんでした。

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2008年12月15日 (月)

池田弥三郎・『ふるさと日本』より

034 池田弥三郎・『ふるさと日本』より「ふるさと東京・東京を返せ‐堀と地名」より・・・。

 江戸の下町は、一見、ベニスのように、水に恵まれていた。銀座八丁の町々でさえ、その外へ出るのには、どちらに行っても橋があった。江戸の下町の形成は、実は、水を整理することから始まったのである。

 この掘割が、ほとんど全部、完全に埋められてしまった。その埋めたあとに出来た土地の利権にからんでのいまわしい話には、今は耳をつぶり、口をつぐむとしても、戦災の瓦礫のてっとり早い捨て場所にしたことは、いかにも、はやかろう、わるかろうの政治だった。水のなくなった下町は、ただ、どこまでも、しまりなく続く町になってしまった。東京の町に、きりっとした、角帯をしめたような味をつけていた区切りというものを、うばい去ってしまった。

 下町が、戦後ひどくほこりっぽくなったのは、たしかに堀を埋めた影響だ。そのうえ、堀が道路になったところでは、屋並みの上にも下にも、砂ぼこりの供給源をもっていることになった。高速道路から舞い上がる砂ぼこりは、遠慮会釈なく、下町の家々におそいかかるのである。

 仏造って魂いれずという。仏だけでも造ったのならまだいいが、お役所しごとのバラバラ作業は、造ったのが仏どころか、悪鬼のたぐいで、しかもそれが、不ぞろいに立ったりころんだりしている。東京ほど、何の統一した気分もない町は少ないのではないか。

 しかも、町名ばかりが統一されていく。

 銀座がそれほどにいい名とも、ほこらしき町名とも思わないのに、町名としての銀座は、銀座・銀座西・銀座東とひろがった。銀座東より木挽町の方が、よっぽどいいではないか。それが、今度は新橋という町名の拡張で、港区の中のもとの芝区の下町よりの方は、新橋と、その東・西といった町名に統一されてしまう。上野でも浅草でもそうなっていくらしい。

 郵便配達の便利でやるなら、いっそ、町名は全部符ちょう化して、自動車式にしたらどうだろう。「銀・ぬ・8・57-63」としてしまうのだ。ホテルや旅館が気取って、日本趣味のつもりで、クラシックの知識をひねりまわして部屋の名をつけるのはいや味だが、どうも、地名が符ちょう化されるのを歓迎するまでには、わたし個人は、便宜主義になりきれない。かりに伝記を考えてみたまえ。彼は東京の、銀・ぬ・8で生まれ、世・は・6で没した、などと書かれるのはたまらないではないか。

 人間の文化は、ただ、便宜だけを目標としたものではない。堀を埋め、地名を統一し、交通を便利にし、訪問をわかりやすくしても、それは、人間の求める文化ではない。文化とはもっと複雑で、ぜいたくなものだ。

 今の東京がわざわいされているのは、このおあてがいの便宜主義のおかげである。しかもその立案者が、東京に愛着を持たない役人風情では、東京のめいわく、これにすぎるものはない。

池田弥三郎さんのみごとな文体であり、見識であります。今、東京に求められているエッセンスが凝縮されていて、しかも江戸文化を正統に引き継いでもいます。江戸っ子らしく文体の句読点も多く、オフビートのようなリズム感が心地いい響きが読む側に伝わりますし、やはり原稿用紙を机上に置いて推敲する文体から生まれる珠玉のメッセージからは、キーボード主流の時代の現在にはない、格別のぜいたくなひとときと、大人の批評を愉しむことができます。

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2008年12月14日 (日)

鈴木信太郎・コスチューム 1953年

8 ちょっと一昔前、いわゆる中流家庭のリビングルームに在ったチーク材の横長サイドボード上には、このような民俗衣装を纏った人形が飾られていることが多く、きっと奥さんに頼まれたご主人が海外出張の折り、寸暇を惜しんで買い求めた証のようでもあり、微笑ましいものでありました。

今や巨大なテレビがモダンな仏壇のようにリビングスペースを占拠してしまいましたから、このような民俗色の濃いキャラクターの居座る場所もなく、多くの皆さんは新聞紙などに包んで、そっと納戸の奥の方に追いやられてしまった、家庭が多いような気がいたします。

私の家でも母がこのような趣きの置物が好きで、家中、百貨店の海外催事の度に買い込んでくる置物で溢れ、まるで催事売場のようになってしまい、さらに置かれているものが各国ばらばら状態ですから、若い頃などは、シンプル・イズ・ベストのバウハウスの呪文に金縛りのデザイン少年としては、堪らない気分でした。

鈴木信太郎さんはこの画に描かれた人形が余程の他、お気に入りの様子で、度々他の画面にも登場いたしますし、キャンバスを飛び越えて都内の洋菓子店の包装紙にも登場しています。

まだ海外旅行が叶わぬ夢であったこの時代には、何処のご家庭でもガラス扉付きのサイドボードに世界の置物などを飾っては、家の中で世界旅行を楽しんでいたのでしょう・・・。海外旅行が日常茶飯事となった今では、こういう光景は見られなくなりましたね・・・。

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2008年12月13日 (土)

虎屋・冬籠(ふゆごもり)

Rimg15062 和菓子の意匠には、万人にも分かりやすい具体的形もあれば、その飛躍した感性の凄さについて行くことの出来ないシュールリアリズムのような形もあって、そのいずれも、NIPPONが誇るべき、日常の芸術と呼んでしまっても、言い過ぎではないでしょう。

京都・東京の老舗と呼ばれる和菓子屋さんは、殆どが毎月二回生菓子の販売展開が替わり、各店独自のネーミングと造形・彩りを競っていて、同じモチーフでも全く意表をつく老舗もあって、一年中、その想像力のせめぎ合いがデパ地下で楽しめます。

さて、今月15日まで虎屋では冬の到来を告げるテーマの生菓子が六種類販売されていますが、白眉はこの『冬籠』と呼ばれる一品でしょう。何しろ最初に作られたのが1773年以前という遠いお話ですから、由来自体がもう幻のようなものです。「長い冬の寒さに耐える草木のさまを紅色の羊羹製で、降り積む雪を山芋のそぼろで表しました。雪の下でじっと春を待つ生命を感じさせます。」という解説にあるように、草木の部分を紅色と見立て、そこに、集中力のある限りを入魂したかのような繊細な雪模様がちらついて、凡人には捉えきれないアバンギャルドなセンスでありますし、紅色自体が春の兆しを象徴し、季節推移までひとつの生菓子に取り込むなど、強烈な歳時記遊びの感性としか云いようがないのです。

西陣織のような繊細な感覚さえうかがえるこの逸品を、新宿伊勢丹の地下・虎屋カフェにて抹茶と一緒にいただきました。

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2008年12月12日 (金)

師走の銀座

Rimg14984 Rimg14982 一段と寒さが厳しくなったうえ、インフルエンザの大流行の兆しあり・・・、などとメディアがあおれば、ただでさえ静かな平日の都心はもっと人の気配が減るのでは・・・、と思いたくなるほど、この年末の銀座は静かであります。

尾張町交差点の和光が戻ってきて、華やかなウインドーが街の気配を高揚させてくれますが、なにしろこの人の少なさは、秋口からの急激なカウンターパンチによるものなのでしょうか。

例年にない寂しい感じを受けるものの、そこは天下の銀座ですし、不景気を直撃され申し訳なさそうな値下げしか頭にないブランドショップを尻目に、和光・ミキモトと恒例のクリスマスに向けた大人の視覚表現には、銀座の老舗、まだまだ健在というメッセージを伝えているようです。この十年ほどで外人投資の対象となってしまった銀座界隈のビルの多くは、その行く末がどうなることかと懸念されますが、少なくとも尾張町交差点だけは攘夷思想を以っていただきたいものです。

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2008年12月11日 (木)

エッフェル塔の美しさ

Rimg14472 Rimg14473 Rimg14475 Rimg14476 Rimg14477 ブログの自転車ネタを通してお知り合いになった秋山東一さんのお仲間の中で話題になった、エッフェル塔の洋書がアマゾンから届きました。縦42.5cm横30cmという大きさにもびっくりしましたが、開けてみて、その詳細部分の一時始終が図面を通して感動的に伝わってきました。フランス人は、先天的に芸術・工学・科学を瞬時に統合的に掴む天才の数が、世界のどの国と比較しても抜きん出ていますが、エッフェル塔を建てたこの方も、図面を通して素晴らしい技術と意匠の結晶を遺してくれました。

この塔を支えるインフラ設備から、リベット一つに至るまで、プラモデルの組み立て説明図を見ているような錯覚さえ覚えてしまいますが、ただひたすら熟視しているだけでも、昨今の事務的な塔とは雲泥の差は明瞭であります。当時はその先端的造形に非難ごうごうであったといわれるエッフェル塔ですが、この図面を見ている限り、随分と古典様式の意匠をちりばめていることが分かります。

実は先だって急に、パリをテーマにした企画の話があり、この本から役に立ちそうなネタがこぼれ落ちることを願っているだけのことなのですが・・・。

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2008年12月10日 (水)

お並びするのが、お好き!

Rimg7046_2 正月の福袋に始まり、一年中イベント的販売手法のからくりに上手く乗せられた消費力旺盛な皆さんの姿に、外国人は今も理解に苦しむ・・・といった顔をしがちであります。

私も思い出せば、1965年頃の吉祥寺春木屋・VAN JACKETのセールに始まり、口コミで広がった1970年頃のarflexの家具セールにも早朝から南青山にあったショップに並んだこともよく覚えています。皆さんなどは子供さんの受験の若い番号を貰うために徹夜をされた方もいらしゃるに違いありません・・・。

それでも今の若い人・特に男性は、車に興味がなくなりつつあるのと関係あるかは図り知りませんが、何か自分をときめかせてくれることや、新しい体験に向かって積極的に挑むなどということにもさめているようですから、やはり日本の牽引は、これまで以上に『何でも見てやろう精神旺盛な若い女性』に限られてきた感さえある、昨今であります。

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2008年12月 9日 (火)

東京會舘 Pietro展

Rimg15018 Rimg15007 Rimg15033 Rimg15030 Rimg15029 丸の内、東京會舘ギャラリーでPietroさんこと、菊池仁志さんの個展が13日まで開催されています。2006年・2007年は赤坂のギャラリーサカで開催され、私もお手伝いさせていただきましたがhttp://sohske.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_743f.html、取壊しとなり、新しい建物群が登場するまで、お預け状態ということで、この場を選ばれたようです。

雑誌『料理王国』http://www.cuisine-kingdom.com/new.htmlのヤンミー食堂という連載を愉しみにされているご同輩も多かろうと存じますが、東京會舘という場所柄なのか、今回は銀座・築地界隈の老舗の旨いものが勢ぞろいしていて、それでも菊池さんのセンスマジックにかかるとモダンな気配が漂っています。水彩材料から日本画顔料まで駆使して描かれた今回は、ぐっと彩りも鮮やかとなり、繊細さも尋常ではありません。私も仕事柄、詳細な絵やスケッチを描くことがありますが、菊池さんの集中力には正直、驚きであります。

菊池さんはダッチオーブン料理http://www.jdos.com/の楽しさを広められたご本人ですから、アウトドアーフレーバーにあふれた野趣な画趣もあるのではと思いきや、元広告マンの血が騒いだのか、東京會舘に敬意を表した作品もあり、一年ぶりとはいえ、銀座・築地で培った街っこ遊びの栄養が会場に行き渡っておりました。

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2008年12月 8日 (月)

屋根裏派ですか?

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COPY RIGHTS :Pen

貴方は仕事をするならば屋根裏派ですか、それともスタジオ派ですか?・・・などと禅問答のような問いかけをされたら、私は迷うことなく「屋根裏派」と応えてしまうでしょう。

自分の理想の隠れ処を考えるのは愉しいもので、それも机上で想像力だけを頼りに夢想するのは頭の体操にもなって、叶わぬ夢とは云えセンスアップとボケ防止からも一挙両得!・・・といったところでしょうか。

都心のクリエーターと称する皆さんは、ほぼ例外なくスタジオのようなシンプルで整然とした環境の中に身を置いていられますが、私は、子供の頃から多くの書物や雑然としたものに囲まれていた父のアトリエに出入りしていたこともあって、その居心地よさが忘れられず、今も油絵具や洋書のインクの臭いまでも、しかりと記憶しています。そこは狭いながらも急な階段があり、上ると屋根裏部屋になっていて、天井は低いものの採光は具合よく日常生活には不便でしたが、実に落ち着く場所でした。ですから今もその快適な隠れ処を手にいれようと、夢に見ているのであります。

さて、最近の建築雑誌を観ていると、直して住む傾向が如実に増えていて、それも地方のきちんと作られた旧い住いをリフォームして、最新の設備を導入しながら進化させている事例が顕著のようですから、羨ましい次第であります。

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2008年12月 7日 (日)

銀座四丁目交差点・1947年

Photo この写真、どう観ても演出した不自然さがあって、きっと何かの指図か意図があったのでしょう。人力車に乗った占領軍の兵士がいっぱい三越のクリスマス・プレゼントを抱え、銀座四丁目交差点を通り抜けようとしていますが何となくわざとらしさが頭を掠めます。

1947年 (http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1947.html )は、私の生まれた年でありますが、この交差点を占領軍はタイムズ・スクエアと呼んでいて、交差点の交通整理にはMPと警察が一緒に任に当たっていた様子が写っています。

現在の松屋はこの写真ではPX施設となっていますから、当時は占領軍に完全制覇されていた様子がカラー写真なだけに生々しく伝わります。ずーっと遠くに見えるレンガの荘厳なビルは京橋にある第一生命相互館ですが、残念なことに1970年頃に壊されモダンな建物に変身してしまいましたが、今もその重厚な姿を懐かしむお歴々も多いそうです。現在、このビルは京橋再開発計画の中心となってしまい、まもなく取壊しとなります。

銀座の歴史http://www.ginza.jp/ginzagaku/story/index.html

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2008年12月 6日 (土)

参宮橋・新日鉄研修所

Photo 東京都心に蔓延してしまったペラペラな表情のビルに見慣れてしまった昨今ですが、先日、久しぶりに車で北参道から参宮橋に抜ける途中、懐かしい建物が未だ健在でありました。

新日鉄の研修所でもあるこの建物はその名のごとく徹底的に鉄を意匠として表現しています。1960年代のモダニズムの斬新さはいまだに錆びることなく、ますます磨きもかかって、そのコントラストは一層美しさと強さを周囲に発信しています。

それにしても、このようなきちんとしたモダニズムの物件は一掃されてしまい、昨今の作家主義か、工期短縮主義に代表されるつまらない物件ばかりの東京とは・・・、いやはや・・・、であります。

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2008年12月 5日 (金)

ケアンテリア便り

Rimg12916 8月から商品開発やら商業企画やらが重なり合い、ただでさえひとつのことしかできない単細胞型としては、頼れるのは、ケアンテリアの目線なのであります・・・。

朝早く起き、即、デスクに座り午前中に企画案を考える習慣が自分の性格に合っていると気付いて以来、ケアンテリアのプリンもデスクに乗って一緒に試行錯誤するがごとく付き合いよくしてくれます。朝日がスコーンと窓を通して入ってくる頃にはその眩しさに耐え切れなくなり、乗っていたデスクから降りますが、陽射しが柔らかくなる午後には又、上らせろと言わんがばかりです。時々、私の顔色を窺うような目線をしたりと、すっかり自分が人間と思ってしまったようなケアンテリアは、最初飼い始めた頃、その性格のきつさから先が思いやられましたが、既に14歳となった今、老いてますます、そのテリアらしい老獪さが可愛らしいのであります。

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2008年12月 4日 (木)

軽井沢・1930年

193008 昭和の時代の中でも、結果的には最悪の時代の黎明期であった1930年 http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1930.htmlの軽井沢の夏模様です。世界恐慌は1929年に始まり、巷は不景気の真っ只中でありましたが此処軽井沢はそんなこと関係なく、優雅なひとときを過ごす皆様で大混雑の様相です。何処かの小学生と思しき皆さんは、物珍しそうに街を散策しているようですし、荷物を運ぶ馬の様子はもう殆ど追分馬子歌といった長閑な気分です。

この少し前までは浅間根腰三宿(軽井沢・沓掛・追分)のひとつの宿場であった軽井沢も、明治維新以降すっかり廃れたものの、国道旧18号線の建設・碓氷新鉄道開通などと並行して、超スピードで洋風化の変身をいとも簡単に成し遂げるのであります。そこには勿論、軽井沢を故郷・スコットランドの風光と見立てた、宣教師ショウや建築家ボーリスの影響力もありましたが、それよりも地元村民の西欧の文化を採りいれる柔軟力に因るところが、大きかったようであります。

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2008年12月 3日 (水)

ソットサス・ヴァレンタイン

1680201 Rimg6509 昨年12月31日に亡くなったイタNbbftuyリアデザインの旗頭、エットーレ・ソットサスはその戦後のクラシック・モダンデザインから1980年代のポスト・モダンデザインに至るまで、その足跡はデザイナーというよりも表現者としての自己改革の変遷といったニュアンスが強かった方です。

1969年に発表された真っ赤なタイプライター・ヴァレンタインは、寺山修司の『書を捨てよ 町に出よう』のごとく、タイプライターという事務の定番用品をカジュアルで活動的な時代に相応しい若い世代のモノに変換させました。当時のポップカルチャーの影響が反映されたこの商品は、大人気となって世界を席捲するのですが、今では覚えている諸氏も少なかろうと存知ます。

当時既に私は、国産のタイプライターを使「ってアメリカンミュージックの歌詞を英書体で写していましたから、銀座・伊東屋で目にして、こんな真っ赤なモノを目の前にしていたならば、目の疲れが直ぐ来てしまうだろう・・・」などと思っていたほどで、コンセプトには感心したものの、あえて・・・といった認識程度でした。

その後、このタイプライターを生んだオリベッティーという会社は「企業こそ美と時代性を取り入れていくべき・・・」というが如く、次々とイタリアンデザインの牽引となり、1971年10月8日から11月7日までに芝・東京プリンスホテル前庭で開催された『Ollivetti concept and form』という今でも語り草になっている展覧会で、一気にそのパワーを日本人に見せ付けてくれました。もうぼろぼろになってしまったその時のカタログには、斬新で完璧なレイアウトを通して、今も『新しい企業像に向けた模索の息吹』が伝わってきます。

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2008年12月 2日 (火)

エドワード・ホッパー、街並み

Ed9 1927年(昭和2年)にニューヨークの町を描いた一連のシリーズの中の作品です。彼にしては珍しいほどの構図で、建物に人の気配は感じられないものの、窓の奥を多色で描いていますから、温かい生活感が伝わってくるようです。

季節はもう秋から冬といった感じですし、散策する人たちも何となく寂しく感じます。エドワード・ホッパーは都市の孤独と静寂を描かせたら、絶対ですから、この不思議なアングルから見える都会の光景にも不思議な気配を佇ませてくれます。とくに、手前の窓から見える紅白ストライプのルーバーのような設えが、まるでヒッチコックの映画『裏窓』 http://www.youtube.com/watch?v=-qedeINAX3A&feature=related のシーンを想像したくなるほど、何か事件が起きるようでもあり暗示的であります。

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2008年12月 1日 (月)

下町カフェ・神田錦町

Photo 「喫茶店は憩いの発明品である・・・」と言ったのは東京喫茶店研究所所長・沼田元気氏ですが、最近は時間を愉しむ気配のある店も壊滅状態で、町に根付いた店そのものが喫茶界の護るべき永久の遺産なのです。ゆとりのある穏やかな時の流れを静かな雰囲気で嗜むには、それなりの業界が固まっているところならば、まだ存在価値があるのでしょうが、こうもせかせかした状況では、生き延びることそのものが奇跡なのでしょう。

神田錦町二丁目にある、この喫茶店は、高校時代の先輩が居るビルの傍でひっそりと営業していますが、場所柄、紙・印刷業界が軒を連ね、早朝の一仕事を終えた初老の皆さんが、毎日お約束のごとく、自分の居場所を求め、10時には集まって来ます。路上で朝の陽射しを浴びている、鉢植えの並ぶ様子も下町そのままですし、店内から香ってくる珈琲の香りは、正統なお店そのものであることを保証しています。しかし、周りは虫食い状態の更地も目立ち、じわりじわりと空虚な風が、広がっています。

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