金子至先生・赤坂砂場の新年会

火曜日、 私の関わりある桑沢学園の新年会を終えたあと、恒例になっている金子至先生を囲んでの二次会を赤坂・砂場(室町砂場・赤坂店)にて4時半から開きました。
金子先生(左から二人目)は大正9年(1920年)生まれでありますが、その細身で機敏な動きは全然変わらずで、指導を受けた一同、感激でありました。
私は1966年から四年間、公私ともに、いろいろとご指導いただきましたが、デザインの枝葉末節なことよりも、日本のもっている優雅さの文化について、江戸っ子訛りで先生の語る幅広いレクチャーは知らぬことばかりで、アメリカ一辺倒であった私には影響が大きかったのです。
金子先生は波乱万丈な人生行路を経て、日本のデザイン界の先達として、とくに、インダストリアルデザインにおいて、ひとつの良識の道筋を創られました。1950年代に設立したKAKというデザイン事務所は秋岡芳男氏とのコンビによって、日本の産業デザインの礎を築かれ、ライラックオートバイ・セコニック露出計・ミノルタカメラなどの傑作を発表。その頃の話は昨年刊行された『工芸からインダストリアルデザインへ』に詳しく書かれています。
一番客としての礼儀、いや、蕎麦好きの流儀として長居も出来ず、「さっと盛り上がり、すーっと引く」という日本橋生まれの金子先生の生活流儀のかたちに合わせ、我々も、普段忘れがちな粋な振る舞いに追従したのです。続々と入ってくるお客さんに迷惑をかけぬよう、一時間ちょいとで、ひきあげましたが、此処の、菊正はどうして美味しいのでしょうか。
金子 至先生 大正9年3月8日、東京市日本橋生まれ。昭和6年、染織技術習得。昭和11年、東京府立工芸学校卒(木材工芸科)。同校助手。昭和12年、アントニン・レイモンド建築設計事務所勤務(家具・インテリア及び建築設計アシスタント)。昭和14年、商工省工芸指導所同通商産業省工業技術院産業工芸試験所(工業技術院製品科学研究所)及び工業技術院兼務。通商産業技官。昭和19年、中国武漢陸軍軍司令部勤務。重機関銃手。昭和24年商工省工芸指導所「工芸ニュース」誌編集係長。昭和28年、工業デザインKAK設立、代表取締役。昭和29年、学校法人「桑澤学園専門学校桑澤デザイン研究所」設立に参画、43年よりインダストリアルデザイン主任教授、同学園評議員、理事、教務部長を歴任。同学園東京造形大学兼任教授。昭和43年、株式会社共和電業デザイン顧問。昭和59年、株式会社グラフテックデザイン顧問。昭和62年、ぺんてる株式会社デザイン顧問。受賞多数。
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工芸からインダストリアルデザインへ (桑沢文庫) 著者:金子 至 |
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