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2009年2月 1日 (日)

久我山・自宅前 1955

4321955その昔、 杉並区・久我山は大地主さんがそれぞれの地域を仕切っていて、道路までが私物でしたから、舗装・上下水道からガスの導入にいたるまで、そう簡単には住民の声に耳を貸さなかったのです。

この写真は1955年(昭和30年)に父が撮った、家の前の様子です。周りの地域はとっくに舗装化されて、雨でもさほど苦労しなかったのですが、この一角は、舗装になったのが、1972年ですから、随分と、遅れてしまったのでした。砂利を敷いた道も、数年後には殆ど埋まってしまい、また雨や雪に悩まされ、靴も汚れてしまい、といった惨憺たる状態でありました。右手の垣根と砂利の間に敷石がありますが、この線と垣根の間は地主さんの土地で、何故こうなったのか、今でもわからないことのひとつです。

まだ、テレビもなく、ラジオを聴いては想像力を駆使して、とくに紅孔雀などの昔の話に一喜一憂していた頃です。久我山の町全体が農村のような雰囲気をもっていた頃の一枚ですが、5年後には、宅地化の並が押し寄せて、あっという間に田園牧歌の世界は吹き飛んでしまい、それにつれて、画家の集団・二科会が久我山駅から東郷青児邸まで踊って練り歩く妖しげな祭りも、新興サラリーマン家族としての風俗的見地の影響が強くなったのか、いつの間にやら、無くなってしまいました。

この写真を撮影した頃は、農村の風景と二科会を中心とした芸術家の洒落たアトリエ村的要素が同居していて、それなりの優雅な環境でありましたから、宅地化によってこの町の色がなくなってしまい、平均的な郊外のサラリーマン中心の平均的感性の町に変わっていったのは、当然とはいえ、残念な話であります。

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