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2009年2月18日 (水)

広重・小梅堤

Photo 小梅堤 安政四年(1857)

利根川の流路が変更される以前は、関東地方の西北部に端を発した利根川に荒川と入間川が合流して住田川(隅田川の旧名)となり江戸湾へ流出していた。当時の本所は、蘆荻(ロテキ)が茂る洲があちこちに散在し、その問を住田川が幾筋にも分かれて流れている地形であった。その中でも水に浸らない寺島、須崎、請地(浮地)、石原、押上、柳島などには家が建ち人が住んでいた。小梅村もその一つで、かつて小梅村にあった三囲稲荷社の縁起は、牛島の地(小梅村が含まれている)に梅が生じたので、土地の名を梅が原と称するようになったと伝えている。これが小梅村の起源となったと考えられる。
 この絵の田圃の中央の水路は、もと本所や深川方面へ水を供給するために掘られた亀有上水であったが、その機能が停止した後は四ッ木通用水と呼ばれ、沿岸の田圃の灌概用に利用され、また上流では水上交通路として利用された。人間が舟を引く有様は
四ツ木通用水引船に示されている。
 小梅村での土堤は小梅堤と呼ばれていた。また用水に架かる一番手前の橋の右側には、梅の木が植えられていて、土地の広さが八段(8k㎡)あったことから「八段梅」とか「八段目」と呼ばれていた。そのため傍の橋の名も八段橋となった。用水右岸(絵では対岸)の道は水戸街道の脇道で、浅草方面からは、竹屋の渡しを舟で渡って来ればこの道へ入ることができた。柴又の帝釈天参りの人もこの道を使っていた。 
(堀晃明『広重の大江戸名所百景散歩』)

江戸は本所の北方、隅田川東岸にある小梅村にある堀川沿いの堤を描いた、広重の可愛らしい刷物です。

よく観るとなかなか急勾配な橋は、わざと視覚的に手前と奥の堤との距離感を演出するために使った手法でしょうか。実際もこの位の勾配であれば、ちょっと二の足を踏んでしまいますが・・・。

犬と遊んでいる子供も登場して、長閑な江戸郊外のスケッチのようなこの一枚は、梅の色香をほんやりと暗示するように天の部分と地平線あたりに、その刺し色がデザインされています。

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