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2009年2月15日 (日)

広重・愛宕下藪小路

108 降りしきる雪を背景に鮮やかな色彩を使いながらも、傘の下に身を沈めこちらに背を向け歩み去る人々、という何とも淋し気な図柄がみごと。路の奥は愛宕下、すなわち右手の丘の愛宕山のふもとになる。静寂なこの遠景に、丘の上の愛宕山権現社へ登る門の赤さがかすかな華やぎを添えている。
 一方,近景は活気にみちてにぎやかだ。右手の急流は桜川とよばれた放水路である。増上寺を過ぎ古川に注ぎこむまでの大分の距離を流れるが、遠く静かに後退する遠景と、にぎやかな近景のうまいつなぎとなっている。雪にたわむ何本かの竹は、右手の垣根から画面中央に大きくセリ出し、餌を探す3羽の雀が空に舞う。画題の色紙形の金箔模様も雪のようだ。
 実はこの竹藪は江戸の名所の一つで、江戸市民ならばすぐこの場所が分かるのだ。『江戸名所図会』(巻一)の挿絵には、四角い盛り土の上にはえる竹藪が見える。ちょうどここにあるような背の低い垣根に囲まれてもいる。ここは、水口(東海道は京都の四つ手前の宿場駅)の大名加藤家の上屋敷の東北の隅なのだ。竹藪の目的は明らかに鬼門の守りである。しかし何故竹なのか、地誌には何も書かれていないが、宮尾しげをによれば、加藤家の祖である清正の朝鮮における虎退治に由来するという。現在ここは、虎ノ門1丁目18番地の第10森ビルの角に当り交番が設置されている。考えてみると、これもまた守りの一つである。
 藪小路とはこの竹藪にちなんだ名前だが、加藤家の屋敷の裏屏ぞいに虎の門の水の落し口まで続く。小路は題名には現われても画面には登場しない。画面をはずれた右手の奥にある。代りに見えるのが南の増上寺の方角に向う広い通りだ。放水路にまたがる灰色の建物は加藤家の番小屋である。向いの屏は菰野(三重県)の大名土方家の上屋敷で、正門は画面をはずれた左側にある。(ヘンリー・スミス)2007

現在の愛宕通りの蕎麦屋『砂場』辺りから南の方角を望んだ雪の景色です。今や愛宕タワーがそびえ立つ景色であり昼夜、車の往来も激しいスポットであります。ほんの150年前はこのような光景であったのかと思うと又、残念と思わざるを得ません。江戸・明治・現在の地図を比較してみても、その優雅さは歴然ですし、さらに、ベアトの撮影した幕末の愛宕山の頂から永田町方面を撮影した一枚を通して、江戸の町並みの美しさに改めて驚愕するのです。Edo4Edo2 Edo3 

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