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2009年3月13日 (金)

赤坂丹後町・1958

1958 徳川家康が江戸入りする以前の、永禄10年(1567)に開拓が実施されるまで、この地は山林や畑が多く、人家はあまりありませんでした。
 大永4年(1524)、小田原北条軍が江戸城攻略に成功し、「一ツ木原」で勝どきをあげた記録があります。
 赤坂の起源は、見附から四ッ谷へのぼる「紀伊国坂」のこととされています。坂上に茜草(あかねぐさ)が生えており、「赤根山(あかねやま)」と呼ばれたことから、赤根山にのぼる坂を赤坂と称するようになったというもの。「染物屋が坂に赤い絹を干したから」という別の説もあります。しかし元赤坂町があったのは千代田区側で、赤坂見附の造成により現地に移されました。
 赤坂の名は、明暦3年(1657)発行の地図に、はじめて登場しますが、このときは千代田区側に記されていました。このことから、元は麹町へのぼる坂の名だった可能性もあります。
 江戸期のこの地域は大半が武家地で、町らしい町は、田町、新町、裏伝馬町あたりでした。
 明治11年(1878)の「郡区町村編制法」により、赤坂、青山地区が赤坂区となりました。昭和22年(1947)に港区が成立し、赤坂区に所属した各町はすべて“赤坂”を冠称しました。昭和41年(1966)の「住居表示に関する法律」により、赤坂溜池町、赤坂田町、赤坂新町、赤坂一ッ木町、赤坂丹後町赤坂表町、赤坂台町、赤坂檜町、赤坂中之町、赤坂氷川町、赤坂福吉町、赤坂霊南坂町などの全域または一部に、麻布谷町の一区画をあわせて、現在の「赤坂」となりました。

現在の青山通り沿い、赤坂署の裏道の界隈は、その昔、ビルも殆ど無く、素晴らしい景観が望めました。1956年の夏、父に連れられ、祖父が世話になった吉村さんの御宅を訪れたのは、菓匠「とらや」の先の坂の界隈でしたから、丁度、この写真の坂辺りだと思われます。街中を横断するその急な勾配が異常に見え、その頃夢中になりだした少年探偵団の小林少年の気分になりきり、大人と一緒に居るのが飽きればその御宅から出て、近所を探索していました。子供心にも、落ち着いた本瓦の連なる町並からは、豪奢ではありませんが、きちんとした正統な佇まいの素晴らしさを感じとり、その後、この御宅に伺うことを愉しみにしていました。

祖父と同じ明治5年生まれの吉村さんの御宅は、お線香の香りが漂っていて、当時の私には、古めかしい家のような印象がありました。住んでいた久我山の環境は緑に囲まれた比較的暗い印象でしたが、この赤坂丹後町界隈は緑が少なく、陽射しの強さの影響なのか・・・、今の青山通りが、やたら白く眩しかったことを強烈に覚えています。

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