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2009年4月30日 (木)

宮脇檀・船橋ボックス

Rimg19272 Rimg19264 Rimg19282 Rimg19287 Rimg19291 1975年の宮脇檀さんの名作『船橋ボックス』の取り壊しを目前にした見学会が28日の午後、文京区向丘でありました。爽快な日で、自転車で行こうかと迷ったのですが、集まるお歴々からして、見学会後の飲み会も当然ありそうでしたので、南北線で出かけました。

現場には既に口コミで広がったのか、学生さんと思しき方々も多く、この名作を名残惜しそうに外から観ていました。

都市で周囲に気遣うことなく暮らすことをコンセプトに、躯体をコンクリートで固め、内部は木造の温もりを可能な限り表現したハードとソフトの素材感のコントラストがいかにも1970年代のカジュアルなライフスタイルの台頭を象徴しているようです。一階は寝室・個室を中心に閉鎖的空間ですが、二階はトップライトからの陽光を浴びて一転、開放感に満ちたキッチン・リビング・和室・バストイレが回遊性を伴ってまとめられています。

又、(建築家以前に)都市生活者としてくらしを楽しむ粋人でもあった宮脇さんらしい洒落っ気が細々した部分に登場し、例えばキッチンから飛び出すコンクリートの棚部分などは、1970年代から流行りだした観葉植物を置くためだけのミニ装置のようにも受け取れました。それは無機的になりがちなコンクリートの壁面に、アドリブのようなスパイスが掛けられたような効果でありました。

Rimg19227 現在の日本は此処以外にも、モダン都市住宅の取壊しが頻繁なようで、見学会を公開する機会も少ないのですから、この日は貴重な一日でありました。

このあと、根津神社境内でつつじを肴に屋台で盛り上がり、ついでに根津・車屋でしっかりと船橋ボックスに関して喧々諤々・・・、とうとう熱く濃い中高年の集団と化し、皆さん帰りの電車で反省しながらのお帰りであったことは間違いなさそうでありました。

宮脇 檀

1936年、名古屋生まれ。東京芸術大学建築科で吉田五十八、吉村順三に学ぶ。
61年、東京大学大学院修士課程修了後、’64年、一級建築士事務所 宮脇檀建築研究室開設。
80年、「松川ボックス」で日本建築学会賞受賞。
91年より日本大学生産工学部建築工学科研究所教授に就任。
作品集として『日本現代建築家シリーズ1 宮脇檀』(新建築社 ’80年)、『宮脇檀の住宅』(丸善 ’96年)。
また、著書として『父たちよ家へ帰れ』(新潮社 ’96年)、『男と女の家』(新潮選書 98年)など多数。
98年10月21日、62歳で死去。

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2009年4月29日 (水)

鈴木信太郎の岩と波

22 1964年(昭和39年)、房総の外海を描いたものです。房総の外海は荒々しい波が岩に打ち砕かれた、強いイメージを持っていたのですが、この絵では鈴木信太郎らしい明るく親しみのある画面になっています。

対象をそのまま描くのではなく、自分の今感じていることをキャンバスにぶつけることが絵画の存在なのだ・・・などと絵画論の前段で金科玉条のように聞かされた話でありますが、この絵などはその講義のサンプルとして最も適している内のひとつでしょう。

海の群青色を僅かに示す程度で、波の砕かれた白い泡が外房の海の激しさを表現してくれていますが、全体を覆う鈴木調ともいうべき洒落たまとまりは、いつ見ても心が穏やかになります。

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2009年4月28日 (火)

広重・日坂 佐夜ノ中山

Photo 殆ど人が上るレベルではなく、スキージャンプの斜面のようでありますが、これも広重お得意の誇張と象徴でしょうか。

広重が描く雨景の版画には登場する人々の動きが雨を一層引き立てて、温度・風向きまでを感じさせてくれる効果がありますが、坂道を描いた一連の作品にはさほど際立った人間の動きが見られず、殆ど陣笠・編笠を並べてしまう技法が多いのは、何故でしょう。

この作品の主題は坂はもちろん、中央にある曰くありげな石にありそうです。急斜面を転がってきたと思われるこの石は道のど真ん中にあって往来の邪魔になりことは分かりきっているのですが、この画面からは、ある種の名所になっているようです。寄って集まって石に書かれた文の薀蓄を語っている人も居るようですから、当時は東海道の中でも迷惑な名所だったかも知れませんね・・・。広重ならば右上の崖辺りに今にも転げ落ちそうな石を描いてもよさそうなのですが、ここではその作為をぐっと抑えていますね・・・。

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2009年4月27日 (月)

赤坂・豊川稲荷の石塀に!。

Rimg17808 この時季、早朝の都心の銀輪徘徊は朝日のあんばい、そよ風のやわらかさが最高に快適で、しばらくするとうっとうしい梅雨長い期間に入りますから、5月上旬までは、無理してでも早朝から都心を疾走します。

この日は、曇り気味でしたが、都心に向かっている間の正面からの陽射しもなく、却って、自転車には、具合の良いお日和でした。

赤坂・東宮御所前の青山通りを、振動ひとつなく過ぎ行き、豊川稲荷を左にちらっと見ると、いつも、見過ごしていた、塀の彫り物に気付きました。

現在のような、コンピューターで掘り込むのとは違い、石工が丁寧に彫った痕跡がみごとに浮き出ています。おそらく、豊川稲荷をこの地に別院として護持するために寄進された大般若講中をはじめ、赤坂界隈の有力者を未来永劫記録するためのアイコンでしょうが、ひとつとして、同じ、デザインがなく、石との調和も経年変化によって、綺麗寂びな趣きとなっています。

豊川稲荷・東京別院

江戸時代の名奉行で知られた北町奉行の大岡越前守忠相が、

領地三河に古くから伝わる円福山妙厳寺の鎮守・ダ枳尼天を

深く崇敬し、忠相の子孫が1828年(文政11)に赤坂一ッ木の

下屋敷内にダ枳尼天を勧請したのが赤坂豊川稲荷のはじまりです。

 1887年(明治20)に大岡邸が現在の地に移転するとともに移り、

妙厳寺が直轄する東京・赤坂豊川稲荷別院となりました。

赤坂豊川稲荷は「稲荷」と名が付いていますが神社ではなく、

曹洞宗の寺院です。

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2009年4月26日 (日)

本郷・ルオー 旬の景色

06 01 08 東京都心は一気に萌黄色、新緑色が眩しくなって、世相の閉塞感を蹴飛ばすかのように、解放的な気分に溢れ始めています。

24日の午前中、本郷通りの森井書店に寄って山岳書・画文集を探したあと、十年ぶりに東大正門近くの『ルオー』に入りました。一階は学生、教授と思しき皆様で、すでに満席。案内されるままに二階に上ると、お客は皆無で全くの独り貸切状態・・・。目の前は東大の樹木の緑が眩しく、実に嬉しく贅沢なひと時を味わいました。

この店のガラス窓は気持ちが晴れ晴れとするほどの借景を頂き、美しい縦横のプロポーションもあって、平凡な景色であるにも関わらず、収まりの按配に安堵してしまいます。二階の隅の細長い窓の脇に座って、この時季の美しさを堪能していると、落ち着いた気持ちがじわっと浮き上がって、他所では味わえない贅沢な喫茶店の王道の空間を独り占めさせてもらいました。又、二階には小部屋があって、此処のテーブルの空間に於ける位置のバランスはみごととしか云いようがありません。眩しい開放感をお好みでない、読書三昧を希望する方々は、こちらの方がベストポジションであることでしょう。

昨今の飲食ビジネスの尖兵でもあるマニュアル指向の「カフェ」などにはない、ニッポンのあるべき喫茶店の堂々たる姿には、此処が本郷だけに、なくなって欲しくない・・・、などと思ってしまうのであります。

喫茶ルオー 文京区本郷6-1-14  03-3811-1808
                      09:30〜20:00
                       土〜17:00
                          日休

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2009年4月25日 (土)

鈴木信太郎の入江と灯台

21_3 鈴木信太郎の風景画は何と云っても、明るい色彩と自由な構成によって、イラストレーションのようなポップ感覚が時代を経ても色褪せないところが魅力です。

夕日に沈む水平線をバックに灯台の光が点された瞬間のようなシーンですが、港の瓦屋根が実際の趣きから一人歩きして、色彩のオンパレードといった状態で、鈴木信太郎の誰にも真似出来ない境地です。1967年(昭和42年)に描かれたこの港が何処であるかは定かでありませんが、あそらくこの前後に描かれた伊豆の下田近辺かもしれません。

明るい漁村を描いた一連の作品にはどれひとつ似通ったものがないことからも、鈴木信太郎がひとつの様式に陥ることなく、コスモポリタンのように自由に世界を遊泳し、職人のように常に技術の向上をし続けた証とも云えるでしょう。

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2009年4月24日 (金)

この一軒だけで引き締まる。

Rimg17365 自分のことしか考えないのは人間社会のことばかりかと思っていたら、どうやら街にもその傾向が顕著であるそうで、今や、街並の存続のみならず、一軒一軒のお店のありようも総合的に問われる、厳しい時代に突入したといっても過言ではないのでしょう。

店は通りと関わり、ましてや、不特定多数が通り過ぎるようなゾーンであれば、ますます、環境を楽しく・美しく・さらにいえば、ちょっと知的に表現することが、その役割であろうかと存知ます。しかし、短絡的なPOS管理によってどこも同じ品揃えという傾向になっていて、町の徘徊の大きな愉しみである、ちょっと店に入って、そのイリュージョンのオーラを浴びるほどの店も、無くなりつつあるのが現実であります。

それでも此処神宮前3丁目のon Sundays http://www.watarium.co.jp/onsundays/ などは、意固地にひとつの『ワタリ風』ともいうべき、店の趣きが品揃えに徹底していて、此処に来ると半歩先・一歩先のアート・デザイン・建築のトレンドを安定的にブレなく垣間見ることができます。外苑西通りに面したウインドーは整然と、しかし独自なショーイングで、最新の洋書が展開されています。おっと思ったのが、ヴィンテージ・ロードレーサーの写真集が置かれていて、そういわれれば、この界隈の出勤時の自転車ラッシュは、もはや、オランダ並の洒落た風俗となりつつありますから、信号待ちでこのウインドーを見たからには、思わず立ち寄ってしまう輩も少なくないのでは・・・。

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2009年4月23日 (木)

二子玉川のビストロ

Rimg17784 「こんな店でいいのか」などと思いつつ、いきなり扉を開けて入った店が、偶然の所産とはいえ、予想だにしなかったほどの、洒落た店だったことを、皆さんも何回かは、経験済みだと存じます。

先週、二子玉川・高島屋のレストランが全体にトーンダウン・サービスダウンしているのを、うすうす感じていたので、周辺の適当な店に飛び込んでみました。ランチタイムは過ぎてましたから、百貨店の販売員さんたちの元気な声に一人うつむくこともなく、まったくの貸切でありました。そして、ランチのパスタをお願いして出てきたのが、このセットです。

この雰囲気、私の好みであります。先ずは、妙なランチョンマットがないこと。食器に統一感はないが、磁器・ガラス・金属の選択に一捻りあること。料理は大雑把であるが無神経ではないこと。  要は、気取ってないが、無神経ではない・・・といったニュアンスなのです。この感じは、あえて言うと男の独壇場で、初めての海外旅行で記憶している、ベルギーのペンションの雰囲気とうりふたつでありました。

というものの、この店の名前をチェックせずに出てしまい、あとから「しまった!」・・・、といった状態ですから、あしからず。

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2009年4月22日 (水)

掛時計

060420_ll1様々な業種の皆様と、ご一緒することの多い仕事ですので、訪れたオフィスで最初に目がいくのが掛時計です。最近は、洒落たリビング雑貨店、ファッション店にも輸入、国産を含めデザインのバラエティーが豊富ですが、落ち着きのないデザインのものが多く、日本人独特の律儀さも手伝って、事務所開店でだいじな取引先からの頂き物をむげに出来ず飾っているなど、夫々、気配りも必要のようです。

さて、掛時計のデザインは想像以上に難しく、0,2ミリ単位のバランス調整のセンスを求められます。一箇所を修整すれば他の部分との微調整もしなければならず、その間の集中力は半端ではありません。

最近は、無印良品など低価格帯の商品にも無駄のない、潔癖なデザインのものが増えましたが、そこには何かが足りないように感じています。きっと、数ミリ単位のちょっとしたプロポーションと細部のアレンジあたりに原因がありそうです。

さて、このユングハンスの掛時計http://item.rakuten.co.jp/s-deco/maxbill_22/は、1956年にデザインされたロングプロダクツの商品で、Max Billのデザインによるものです。その繊細ななかにも抜群のバランス感覚が清潔感を伴って、まさにドイツのアイデンティティーそのまんまであります。最近は、美容院や病院でもこの掛時計を置いてある所があって、それだけで清潔感・信頼感が伝わってくるように思えます。

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2009年4月21日 (火)

Earth Day Tokyo 2009

Rimg18816 Rimg18824 Rimg18825 Rimg18829_2 Rimg18838 Rimg18851 Rimg18856 先週の土日に、代々木公園前・イベント広場でEarth Day Tokyo2009 http://www.earthday-tokyo.org/  が開催されました。

昨年、初めてこのイベントを訪れ、その業界・業態のバラエティの広さに圧倒され、是非、今年も・・・、ということで、開始時間前の9時半に会場に入りました。なにせ、『環境の時代』という追風もあって、今年の入場者数も13万人が予想され、昼頃は多くの人でごったがえした昨年の記憶もあったので、早めに来てみましたが、昨年と変らない、エスニックファッションや雑貨の店も不思議なゾーンを形成していて、もう下北沢状態でありました。

期待していた自転車に関係する若い世代のブースを覗くと、世界の自転車駐輪場の現状を報告しているアカデミックなものもあれば、バイクメッセンジャーの会社の若者達が立ち上げたBICYCLE FILM FESTIVAL http://www.bicyclefilmfestival.com/jp/ の広報ブースもあり、私の日常接する、サイクリストやヒルクライマーとは一線を画す、新世代の活動 http://x2tokyo.jp/index.html  http://www.bejapan.org/ が目に焼き付きました。自転車通勤のための快適な環境を創る動きは法改正も含め、かなり詳細に亘っていることも分かります。

太陽エネルギーブースの傍に手作り化粧品のブース・・・など、このイベントは分野も会社の規模もピンからキリまであって、現在の環境志向のライフスタイルの潮流を横串でざっくり掴むには、これほどはまり役のイベントもそう無かろうかと思います。圧倒的に賑わうのは、食に関わる分野でありますが、美・健に関わる分野も多く参入し始め、洗練さにも磨きがかかり、今後、『食・美・健・住・知』のメガトレンドイベントとして、おお化けする気配が濃厚でありました。

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2009年4月20日 (月)

1956・今日の日記「夕方でたもや」

321_04 この絵を見る限り、天空に浮いている超常現象もどきは、西荻窪あるいは荻窪方面かと思われます。

久我山と西荻窪・荻窪はそれほど遠い距離ではありませんが、自転車ですと途中の上り・下りの坂道を経由して、結構、時間がかかります。小学校時代は無理でしたが、中学2年生頃になると、自転車で西荻窪界隈の同級生の家に遊びに行っては、途中の商店街などを垣間見ていました。

1956年頃ともなると、ナショナルの販売店が街中に登場し出し、その明るい店内はそれまでの、どの商店にも観られない光り輝く世界で、蛍光灯・テレビがウインドーを飾っていました。まだまだ、戦前の木造の店が殆どでしたから、明るさだけが売り物のような電気屋さんには、何か新しい時代の気配を感じていました。

さて、このもやに浮ぶ「でんき」は何かといわれても思い出しませんが、街中が明るくなりだした時代を捉えています。

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2009年4月19日 (日)

丸善・ダック(帆布)ノート

Rimg16105 Rimg16112 授業内容を記録したり企画会議の議事録などを速記するには、さほどきちんとしたノートなど要らないのでしょうが、自分の好きな事柄を系統無視して思いつくまま記述したりするノートは、長いお付き合いが予想されますから、見るからに正統的な姿というものが望ましいですね・・・。

丸善の大定番・マスターピースであるダックノートなどは、世界中数あるノートの中でもその頂点ともいえるノートでありましょう。

私はこのノートのことを高校時代の世界史の別枝達夫先生にひょんな会話の流れから知り、その後、ずいぶんと経ってから日本橋・丸善で購入し、あまりの書き心地のスムースさに感動し、今に至るまで、企画アイディアの素案からスケッチまで、欠かせないアイテムであります。

別枝先生は英国史の生字引としてその名を知られた学園の名物先生で、ハリスツイードのジャケットの胸ポケットにはダンヒルのブライヤーのパイプが覗いているという、ダンディズムの神様のような存在で、そのバリトン音域から聞こえる授業内容とともに、生徒にとって、ついつい父と比較してしまい、そのかっこよさの格差の物差しでもありました。

学園の先輩らが制服の下から覗かせるVAN JACKETのボタンダウンシャツよりもなぜかイギリスの気分濃厚なKENTというブランドのシャツに憧れたのにも、別枝先生の影響が無きにしも非ず、なのであります。

さて、私はスケッチに色鉛筆や水彩絵具を使うことが多く、このフルース紙の淡いクリーム色との相性が捨てがたく、いつもテーブルの脇に置いてあります。勿論、万年筆との相性も悪かろうことなく、そのすべり心地も、老舗の何たるか・・・、を見せ付けられるようであります。最近のダックノートは以前のものと比較して、帆布の織目の密度が甘くなった感がありますが、まだまだ、日本を代表するマスターピース・ステーショナリーなのであります。

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2009年4月18日 (土)

サンフルーツのビジュアル指向

Rimg18433 Rimg18429 いわゆる、美術・デザインのカリキュラムには、食に関わるものがありませんが、多くの優れた料理人には素材吟味、調理加工、原価計算・上代設定、盛付などを瞬時に、総合的に見据えられる能力が備わっていて、これはもう、総合デザインの範疇なのです。

というわけで、久しぶりに東京ミッドタウンに出向き、新しいNIPPONSTYLEをキーコンセプトとしている此処の各階を徘徊してみましたが、アパレル系はまったく死んだも同然。この世界景気の衰退をまともに被ってしまったのか・・・、商品に発信力も提案力もなく、ただ、モノがぶら下がっている状況であります。このような状況だからこそ、来店者にもっと美しさという小売のサービスを前面に押し出すべきなのですが、担当者の目の前の売上しか見えていないブランドの底の浅さが露呈してしまいました。

そんな中、地下一階のサンフルーツは季節のメリハリをていねいな組合せを通して、顧客に提案し続けてくれます。しっかりと研がれた包丁でカットされた切口のシャープさには、房の乱れなど一切なく、潔ささえうかがえます。

きわめて、カジュアルなフルーツの世界に、日本の旬の感性を盛り込んだこの店舗が、今のところ、私のお気に入り、一番です。色彩設計といえば大袈裟ですが、この店のプレゼンテーションには、連綿としてブレのない、アートディレクションの薫りがしてくるのです。

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2009年4月17日 (金)

勉強三昧?

1115195801 1958年(昭和33年)に父が撮った、珍しい私の自宅での写真です。

小学校5年生となっても、相変わらず勉強よりも軍艦模型作り・野球に励み、成績の方はあまり芳しくなかったのですが、父も自由奔放に生きてきた経歴もあって、そのことをあまり気にもせず、私の好きなようにさせてくれました。

当然、勉強部屋などというものはなく、小学校低学年の頃は父のアトリエの隣の本棚の隅っこでしたし、この頃もごらんのような客間の畳部屋の片隅と言った状態でありました。それでも、当時の私の興味の世界が机上に垣間見れますし、潜水艦の模型はこの時期にのめり込んでいた、太平洋戦争末期・日本海軍のイ号潜水艦と思われます。又、父の好きな煙草・Pieceの缶に筆記具が差し込んでありますが、これなどは、父の書斎のテーブルを見て、物まねしたものです。

日本の軍艦模型作りを通して周辺関連も気になり、徐々に興味の範囲が日本の近代史や戦争にも広がり、この頃の絵は、殆ど軍事物ばかりという有様です。さらに太平洋戦争に始まった興味対象は、様々な書籍や雑誌を通して子供ながら相当詳しいレベルに到達していて、日清・日露さらに明治維新にまで遡るようになりました。

特に太平洋戦争下における日米の陸・海・空夫々の軍略の相違まで、詳細に調べていたと記憶しています。

このように、私世代では、子供時期から大人の世界に何らかの拍子で飛び込んでしまった者が多く、同級生の中には歌舞伎研究・縄文人研究などに一生懸命な仲間もおりました。

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2009年4月16日 (木)

銀座ミキモト・水引の花畑

Rimg18693 Rimg18691 Rimg18684 今では、日本の老舗の多くに特有な意固地な守旧感覚を捨て去って、明るい現在感覚を上質に店頭表現できる店は、さほどあるわけなく、殆どの店はインスピレーションのない商品展開に終っています。

しかし、此処銀座には、ニッポンのプライドをいつも新鮮な感性で、歩く人々にオアシスのようなひと時を過ごさせてくれる、ミキモト http://www.mikimoto.com/jp/index.html のウインドーがあります。創業110年にあたる今年は、例年以上にそのディスプレーコンセプトに輝きが増し、これまでの、ヨーロピアンエレガンス一辺倒だった業界に袂を分けてしまったように、コンテンポラリー・ニッポンの薫りを満載してくれてます。日本の伝統工芸でもある水引を使った花畑は、抽象・具象の中ほどの造形を通し、柔らかい光を背景に、ソフトな春の到来を告げています。

売上の下降を食い止められない店の殆どが、プレゼンテーションをコンダクトする余裕などなく、初歩的な物品陳列に終始している銀座ですが、ミキモトのこのスペースだけは、銀ブラの皆さんを、特別、旬のお告げを賜るような敬虔な気持ちにさせてくれます。

尚、正面のミキモトガーデンプラザには銀座風物として定着している京都嵯峨の桜守、16代・佐野藤右衛門さん http://www.uetoh.co.jp/ に育てられた八重咲きのウコン桜がほぼ満開してますから、(淡い黄緑色の)遅めの華やぐ銀座のさくらを堪能できます(4月21日まで)。明治以降、全国一律に広まったソメイヨシノという桜でないところも、桜の世界を知り尽くした佐野さんの提案なのでしょうか・・・。ミキモト!、なかなかやりますね・・・。

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2009年4月15日 (水)

春の兆し、表参道。

Rimg18647 Rimg18669 東京は、桜の乱舞も一段落して葉桜となり、いよいよ一気に春の様相が加速し始めます。

此処、表参道の穏やかな午前中は、欅の伸芽が一気に新緑の葉となり、茂る前の御簾効果もあって、一年の中で最高な景観を提供してくれます。平日の午前中は驚くほど静かで、昔の表参道をリバースしたように、永くここで生活されていると思しき妙齢のご婦人方が散策している光景は、週末の喧騒とは程遠い、美しい町の姿を見せてくれます。

さらに、陽射しの差し込む按配の素晴らしさから、此処が参道であるという感覚も改めて納得するのです。

ところで、表参道ヒルズが鳴り物入りで三周年を迎えたものの、町に対するロイヤリティはさほどでなく、むしろ、今やどこでも見られる無個性・フラットなビルは、店の大多数を内部に取り込んでしまったので、歩道側にファッションメッセージとしてのダイナミズムが無く、外壁だけが哀しそうな表情をしているようにも観えてしまいます。方や40年以上風雪に耐えたオリンピアコーポの今も斬新な外観は経年変化が自然で褪せることなく、燦然としていて、今もこの町のランドマークなのであります。

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2009年4月14日 (火)

いつの間にか、増えるのです!。

Rimg11266 いつの時代でも、男の工具好きというものは、女性の皆さんには理解されにくい感覚のようですが、逆に、女性の鍋・調理器具好きが男には理解しにくいのと、同じようなことなのかも、知れません。

子供の頃から、父のアトリエに忍び込んでは、絵の道具に混ざって、キャンバス生地を張り込む特殊な道具などを見て育ち、そのうち、自分で、木っ端に釘を打ったりすることが面白くなってしまい、挙句の果て、自転車という工具なしでは役に立たないモノにのめり込んで以来、今日まで、工具が目の前に現れると、ついつい抑えていた物欲の癖が起きてしまいます。

右の他愛無いやっとこは、子供時分の工作でお世話になり、左のBAHCOのモンキースパナは自転車で出かける時、フロントバッグに放り込んだ必須アイテムでした。いかにも道具然としていた世界にも、新素材やら、新技術の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)の果て、全く分からない姿の工具もあって、久しぶりの東急ハンズは、工具のバラエティ・ショーのような様相を呈していました。財布に優しい価格のスイスの赤いグリップのドライバーを手に取ると、バーコードが刷り込まれていて、折角の美しいロゴの構成を台無しにしていましたが、雑然とした工具箱に仕舞っても直ぐ分かりやすいデザインに、一目ぼれと相成りました。

こうして、止められない工具収集の性癖は、工具箱を増加させる状況にしてしまうのです。

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2009年4月13日 (月)

1967ヨーロッパ旅行・アウトバーン

451967 461967 1967年、初めてのヨーロッパ旅行で、最初に度肝を抜かれたのがアウトバーンのスケールの大きさでした。ヒットラーが、何時でも何処でも戦闘機が離着陸できることを想定して作られたと云われるこのハイウェーを、ロンドンBMCでレンタルした車でびゅんびゅん飛ばすのを横目で観ながら、私は専ら、初めての海外にも関わらずミシェランの地図を片手のインスタント・ナビゲーターでした。

まだ、免許を持っておらず、しかも一番下っ端とあって、人遣いの荒っぽいカメラマンから秀山荘のオーナーにいたるまで、同行者の使い走りとして、何でも指示されたことをやってました。挙句の果ては、煙草やガムの買出しにも使われ、初めての旅行というものの、実態は、さほど楽しいものではありませんでした。

ですから、180キロほどで飛ばす車から見えるドイツの美しく重厚な景色だけは食い入るように観て、しっかりと頭の隅々まで記憶しようとしてましたが、突然「そろそろ、別のルートに入るんじゃないのか!」などと言われても、もう頭は真っ白で、叱られてばかりの毎日でした。

この旅行を通して、ベルギー・ドイツ・スイス・イタリアと、国が変わるとその景観から佇まいまで全く変わることの面白さを実感して以来、今も、ツールドフランスの中継を観ながらも、レースより、専ら、アクロバット飛行のようなヘリコプターから俯瞰する、素晴らしい景色を愉しんでいます。

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2009年4月12日 (日)

桜田門の石積み

3 4 早朝の都心を自転車で徘徊する愉しみは、先ず、自動車の少ない道路を疾走できること、爽やかな風を浴びて、気持ちよさを感ずることなど、ありますが、これ以外に普段見慣れた景色が、昼間の光の按配と違うことから生まれる、朝のとびっきりの美しさがあります。

この見慣れた桜田門の石積みも、昼間ですと、フラットになっていて、何の変哲も無い、只の石の集まりのようですが、早朝ですと、その色調も光の角度の影響か、まったく異なった色調を帯びます。只のモノトーンの階調程度にしか思っていなかった夫々の石も、早朝じっくりと見据えれば、デリケートな色の組み合わせであることが観えてきます。この石積みを請け負った、石工集団・穴太衆は荒々しい濠の石組みとは全く対極の美の精緻に徹し、おそらく、上下左右の石の配色にも熟慮しつつ、石を選定していったようにしか、思えないのですが・・・。このような発見といえば些細なことなのですが、朝はやはり、森羅万象、新たな個人的発見をもたらしてくれます。

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2009年4月11日 (土)

上野毛から二子玉川ライズタワーを垣間見る。

Rimg18512

1_2 桜の花も、雨風がないとこうも長持ちするのか・・・、などと思ってしまうほど、今年は春爛漫が長く楽しめましたし、当然、自転車徘徊にもやる気が出てまいります。絶好調の快晴で朝から温度も上がり、南風も暖かくほとんど7月の陽気となってしまった金曜日の早朝・・・、二子玉川の再開発は、上野毛の国分寺崖線界隈からだと、どのような見え方をするのか・・・、さっそく出かけてみました。上野毛でも一等地中の一等地、東急の総師一族がお住まいになるこの地域を散策し、抜群の景勝が約束されていた日本庭園のある場所に入ると、このような景観であります。

時代の趨勢とはいうものの、何とも云えない哀しい様相であります。この界隈から、丹沢連邦から富士山、そして真っ赤にそまる夕焼けの迫力など・・・、パノラマで見える贅沢さはこれでおしまいのような状況です。都心でさえ、以前では考えられない場所でも高いビルの建設が可能になってきたようですが、いよいよ、この二子玉川ライズタワーhttp://www.rise-tr.jp/が完成すると、周辺の商業環境なども一変し、多くの客が車で来ることでしょうから、上野毛界隈はあっという間に、信号なしの抜道になってしまうこと間違いなしであります。

しかも、この界隈は一方通行の宝庫ですから、うっかりナビの指示通り入ってきても、出るに出られない、悪循環が至る所で展開されること間違いなしですから・・・。

さて、成城から岡本・瀬田・上野毛・尾山台・田園調布を結ぶ国分寺崖線の頂上周辺は、戦前からの自然環境に恵まれた別荘地として、多くの著名人たちの住まう場所でありましたが、そんな優雅な風俗を継続できるほど日本は甘くなく、良好な環境は徐々に消し飛び、上野毛周辺も、やがて、ナビ頼りの車が環状八号線や駒沢通り・玉川通りの渋滞を避け、頻繁にこの国分寺崖線界隈を行きかうこととなり、騒音と大気汚染は免れず、永く済み続けた皆さんも徐々に移転していくのが、筋書きとして当たり前なのかも知れません。

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2009年4月10日 (金)

昼寝も自転車の愉しみ!

Mzdtwg 1970年に大学を卒業して、ある百貨店の商品研究所に就職したものの、自転車を愛することには変わらず、会社から帰っては愛車・東叡社のランドナー(当時はクラブマンと呼んでいましたが)を磨き込んで、休みの日には走りまくっていました。それでも、学生の頃のようなガッツのある走りには縁遠くなって、どちらかといえばのんびりとポタリングを愉しんでいました。ですから距離を走ることよりも、充実した日を愉しむ嗜好が強くなり、すっかりと趣味人的傾向に傾いていき、今日にいたっています。

当時は、1960年代後半から続く高度成長期の真っ只中となってましたから、車も一気に増え、自転車で幹線道路を走るほどの度胸も無くなり、専ら裏道・抜け道専門となっていて、しょっちゅう休んでは走り・・・の繰り返しで、その上フロントバッグのラジオから聴こえてくるFENのカントリー音楽番組をBGMとする愉しみもありましたから、木陰や風通しの良い場所でコッフェルで沸かした珈琲を味わいつつ・・・というような、殆ど野外の放浪者状態だったのです・・・。

この頃、ご機嫌なヒルクライムを楽しめた多摩丘陵界隈は宅地分乗開発のエネルギーに満ちて、どんどんと地形が削られましたから、当然、足を向けることも無くなり、近場の深大寺界隈から井の頭公園あたりを春爛漫の頃に出かけるのが、お楽しみ定番ルートでありました。

春といえばこの曲のお好きな私世代も多かろうと思いますので・・・。http://www.youtube.com/watch?v=0o04EQOBqKg&feature=related

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2009年4月 9日 (木)

安野光雅のスイス風景

209 何処か安曇野地方の早春里山風景にも見えてしまう安野光雅さんの水彩スケッチは、スイスの田舎を描いたものです。

安野さんの色調には日本人好みののしっとりとした湿度感があって、霞がかった柔らかな画面があるからこそ、多くの人を魅了するのでしょう。今は放送してませんが、NHK・FM放送『日曜談話室』を聞いていると、安野さんがその会話のやりとりからして、どちらかと言えば人付き合いのお上手な人ではなさそうですから、やはり独りで景色を描いているのが性に合っていそうです。

この画趣は和紙に描かれたような滲み効果があるようですが、れっきとした英国のWHATMANという270年間も作り続けられている水彩専用紙です。グレーの階調が奥行きのリズム効果を作り出し、さらりと一気に仕上げた、いかにも、せっかちな安野さんらしい一枚です。

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2009年4月 8日 (水)

Red Foley 穏やかカントリーは春の気分!。

Rimg18134 春の、のほほんとしたゆるり気分にRimg17768 浸りきっていたい時季には、その柔らかい春景色に相応しい音楽を抽斗から取り出して、早朝から目覚し代わりに聴くのが日課のようになっています。しかし、長く聴き入っていると、絶好の自転車徘徊日和を忘れて、早朝の低い陽射しの恩恵を受けられなくなってしまうのも、うっかりながら、よくある話であります。

というわけで、カントリーミュージックを大衆路線向きのポップスに変えていった功労者である、Red FoleyのHillbilly Feverの音楽なども、春の季節限定ランチのような、麗らかな趣きがあります。ちょっと低めながら伸びのある歌いっぷりが、1940年代から1950年代のカントリーミュージックの王道であったことを伝えてくれますし、ヒルビリーと呼ばれる、カントリーフレーバーがたっぷりの音色には、国の違いを越えて、自然風景の光と風が浮んできます。

この四枚組み計100曲は単にカントリーソングというだけでなく、アメリカの佳き時代の、毎日の他愛ない生活を中心としたテーマに溢れていて、それだけで、ノーマンロックゥエルのイラストレーションが浮んでこようというものです。

さて、先日買って来た,お洒落質素生活の指南雑誌・ku:nelの愉しみ連載コラム「MUSIC ごろりでゆるり」に細野晴臣さんが記事を書いていて、そのコラムには無類の音楽博士・伯楽でもあるそのエキスが文脈のいたるところに飛びまくっています。その中にRed Foleyの時代の音楽を『汲めども尽きない音楽の魅力の宝庫』と云いきっています。きっと、生活と音楽の関係が今のような情報消耗でなく、暮らしに密着していた時代の何とも云えない心地よさが、50年以上経ても一向に色褪せないのでしょう。ウディ・アレン監督の映画・Radio Daysにはこの時代の生活と音楽の親密な関わりを、一台のラジオを通して表してくれました。

カントリーの世界では、ヒットチャートを意識し出したナッシュビルサウンドの台頭する前の1950年代に、良識のある職人中心の音の細部に拘った音楽の姿が数多く記録されています。それは他のエンターテイメント、ポップス、ジャズでも映画でも・・・、さらに飛躍してしまうと建築・デザイン全般も含めて共通の話なのですが。

1950年代は客層を仮説として設定していくマーケットイン時代に移行する前の、作り手の思い入れを前面に出したプロダクトアウトなモノが生まれた時代だったのです。

Hillbilly Fever Music Hillbilly Fever

アーティスト:Red Foley
販売元:Proper Box
発売日:2006/06/20
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2009年4月 7日 (火)

皇居の桜は全開中!

Rimg18216 Rimg18192 Rimg18165 日曜日の早朝、快晴の天気予報を信じ、8時過ぎには皇居に到着。まだ人気も少なく、絶好の桜前線調査にはうってつけでありました。眩しいほどの陽射しではありませんでしたが、却って、桜の繊細な色を感じとるには花曇りとよばれるアンダー気味の方が儚ささえ読み取れて、日本人にはぴったりかも知れません。私の大定番である桜田門内の一本桜で記念撮影を、通りがかった英国人にお願いしましたが、RICOHのカメラをたいへん気に入っていただき、「俺も欲しいが、何処で売っているのか」と聞かれ、この先の有楽町ビッグカメラにこのカメラのコーナーがあります、と地図を書いて渡しました。この日は、まだ五分咲き程度でしたから月曜の午後には最高の状態、間違いなしでしょう。

桜田門から一気に大手門に向かい、竹橋を通過、国立近代美術館を抜けて、乾門までの坂を一気に上がり、工芸館(旧・近衛師団連隊本部)の脇を通り、メジャーでない千鳥が淵の小路を通り、田安門に出ます。場所によっては三分咲きも多く、今週いっぱい桜を享受できること、間違いなしであります。

田安門から九段会館を望む方向は、10時前ですと絶好の逆光が桜を映えさせてくれますから、ここでコントラストの漆黒の枝・バイオレット、ライトグリーンの草花を取り込んだ構図を決めたいと思ったものの、液晶モニターでは確認しづらく、勘に任せてワンショット!。

あとは、千鳥が淵のメジャースポットに一気に靖国通りを駆け上がり、出来上がったばかりの展望台から圧倒的なお濠のパノラマを満喫してまいりました。

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2009年4月 6日 (月)

越前和紙の里を訪ねる。

Rimg17980 Rimg18016 Rimg18023 Rimg18141 先週、越前和紙の里・福井県越前市に行ってきました。お世話になった杉原吉直さんのご案内で、職人さんの紙漉き工房を何軒か伺いましたが、皆さんの技術は夫々持ち味が異なり、こちらの要望をほぼ完璧に作り出せる感性と手が覚えている微妙な匙加減をお持ちでした。さらに、暫く享受していなかった街並の落ち着きに、郷土の伝統をどっしりと受け止めている自信が表れ、なにかぐっと来るものがありました。この町は静かながら、1500年の永きに亘り和紙の製造に携わってきた誇りというものが生活環境の其処彼処に溢れかえっていたように感じました。

この日、ご紹介いただいた職人さんの中に、なんと、私が20年近く水彩画紙として惚れこんでいるMO紙の職人さん・沖桂司さんの工房をお邪魔することが出来ました。この紙は、沖さんのお祖父さんにあたる沖茂八さんが60年近く前に作られた傑作をお孫さんにあたる桂司さんが継承されているのです。MO紙は日本の紙素材の調合を西洋の紙漉き技法で作るという和魂洋才の代表例として、その品格も含め、私たちの新民芸ともいうべき逸品です。

何しろ、このMO紙の滲み具合と溜まり具合に魅せられて以来、他の紙との品格がまったく違うことが分かりましたし、水彩絵具の色見本貼としても、その発色の良さは圧倒的なのですから・・・。

東京では入手しにくいMO紙の葉書きも、この地に来ると販売している場所もあり、嬉しいひとときでありました。

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2009年4月 5日 (日)

父の虫眼鏡。

こっそりとRimg11085 父の書斎に入って机の抽斗を引くと、それがガラクタであっても、こどもにとって全く未知の世界が展開しているようで、早く大人になって自分も書斎を持ちたいと思った方も多かろうと存じます。

私の父は何でも捨てられない人で、机の抽斗には、マッチ・コースターは勿論のこと、ちょっとしたメモ・名刺・筆記具・切手・クリップ・輪ゴムなど、勝手気ままな性格そのままに、ごった煮のように何でもかんでも、埋まっていました。

この虫眼鏡は小学校・低学年の頃から、気に入っていたもので、子供にとっては、レンズから通して見える拡大された世界は、普段と違う、不思議な世界を見せてくれました。ごった煮状態で埋まっていた抽斗の中で、唯一、周りのモノとは違う、光り輝くモノとして感じていました。この虫眼鏡を通して、特に新聞などの印刷物は網点となって見えること、カラー印刷ですと、複雑に色が重なっているからこそ、無限の色が可能であることなどを、知っていくことになりました。父は、出版関係の世界に戦後から昭和40年代まで、どっぷりと関わり、そのおかげで、若い頃から視力も衰え、これを愛用せざるを得なかったのです。

この虫眼鏡は、父が昭和19年に報道班員として南京・桂林などの前線を取材していた頃、名取洋之助の『名取機関・上海事務所』に出入りしていた上海で購入したものですが、たいへん健全・シンプルなデザインで、象牙で出来た部分が、子供の頃から、妙なつまみ心地の良さの印象がありました。レンズは研磨のいい加減なもので、覗けば、微妙に揺れ動く、大陸的精度のものですが、私には、そのいい加減に揺れ動く世界こそが、昔にリバース出来る序章のようなものなのです。

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2009年4月 4日 (土)

ニューヨーク・パリ間自動車レース

1903 1908年(明治41年)のニューヨーク~パリ間の自動車レースの様子ですが、どこでどう間違えたのか、というよりもこの時代、アメリカ中西部辺りでは未だ開拓途上の地域も多くあったようですから、まさに道なき道を往くという覚悟だったのでしょうね・・・。

それでも、何故ニューヨークからパリに向かったのに、何処でどう間違えてこんなとんでもないアメリカ中西部に来てしまったのでしょうか。あの1965年の傑作映画『グレート・レース』にもこの写真が元になったようなシーンが登場したように記憶していますが(グレートレース(The Great Race)は1965年に製作されたアメリカのどたばた喜劇映画。同年のアカデミー賞音響効果賞を受賞した。監督はブレイク・エドワーズ。1908年に実際に行われたニューヨークからパリまでの自動車レースをモチーフにして、レースのおおよそのコースとその時期を実話に合わせている。映画史上最大のパイ投げ合戦シーンなど、サイレント映画の手法のギャグが多く使われている。)、活劇そのまんまの出来事・事件も実際あって、最もたいへんだったのは大陸横断鉄道の線路を越えることだったようです。写真を観る限りでは、山岳地域で厳しい寒さのなかを突然自動車がやってきたところのようですから、あっという間に人だかりが出来、そのまま立ち去るわけにもいかず、困惑しているドライバーの様子が印象的です。

グレートレース 特別版 DVD グレートレース 特別版

販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ
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2009年4月 3日 (金)

フィルム缶

Rimg0997 Rimg0998 父の遺していった茶箱やダンボールの中には、見慣れないものが多く詰まっていて、簡単に捨てられそうもないものばかりが散らばっていました。

葛篭の箱にライカⅢfと一緒に残っていたこの缶は35ミリフィルム缶ですが、何処にもへこみ傷ひとつなくほぼ完全な状態で入っていました。ドイツのフィルムメーカー、アグファ製なのか定かでありませんが、この美しい缶ひとつとっても1950年代の律儀なドイツのマイスター魂が浮んでこようと云うものです。

ラベルのカラーといい、蓋にプレスで浮き上がったRAPIDの書体といい、たかがフィルムという消耗品を保護するものに過ぎないのですが、当時の写真というものがどれほど、高価な機材に囲まれていたのかが、このようなフィルム缶ひとつ採り上げても推測できるのです。

今や、撮影に失敗してもパソコン内の画像処理でいくらでも修整できる事務機器に成り下がったデジタルカメラ中心の時代でありますが、このような周辺機材・用品には何一つ美しいと思わせるものがなく、残念至極としか言えません・・・。

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2009年4月 2日 (木)

広重・四谷大木戸

001 「玉川堤の花」と題された広重の版画は、今の新宿御苑・正門附近と思われます。玉川上水は多摩川から引かれた水路ですが、この版画の刷られた1856年(安政3年)頃は、素晴らしい景観でありました。桜と川はお互いに響き合って春の風情を一層高めてくれますから、この時代の江戸庶民は夕刻あたりから宵越しの銭は持たない意気込みで、内藤新宿の花街に意気込んで出かけて行ったのでしょうね・・・。

今ではこの界隈はなんとなくどんよりとした環境となってしまい、この時代の豊かな景観を何処にも見出すことが出来ません。

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2009年4月 1日 (水)

エドワード・ホッパー、海岸

Ed5 1927年に描かれたエドワードホッパーの絵は、日本人好みの茄子紺系のダークブルーをメインの色に据えて、全体をそれに近い色相でまとめ上げ、差し色に僅かな茶色をもってくるという、デザイナー感覚たっぷりの表現であります。

ホッパーに見え隠れする、都会の孤独感・寂しさは、この絵にも表れていて、人物は登場しないものの、どこか悲しげな人影でもありそうな気配です。

すっきりと晴れ渡っている状況にも関わらず、冷たさを感じるこの絵にも、都市の孤独なホワイトカラーに焦点を当てたホッパーのマーケッターとしてのセンスさえも感じとることができるようです・・・。

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