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2009年5月24日 (日)

同じスポーツでもこの違いは・・・。

Rimg20086 Rimg20092 昨晩(金曜日)は、以前関わっていた環境団体の方と銀座のおでんやさんで旧交を温め、大いに盛り上がった結果、いつものように早朝というより、明け方に目が覚め、やむなく朝刊(土曜日の)を見ると、最近には珍しいインパクトのある、折込広告がありました。ブルース・ウエーバーもどきのシンプルな写真に沿った広告文は「日常はスポーツだ。歩く。なにかに急いで走る。階段を駆け上がる。水たまりを飛び越える。爪先立ちになって高いところのものを取る。しゃがんで落としたものを拾う。ガードレールをまたぐ。重いものを持ち上げる。人は毎日動いている。試合や競技のような激しい動きではない。しかし、日々の生活において、人は動き続けている。動きには個性があり、動きの快適性は生活の快適性に直結する。生きること。それは動くこと。だから、わたしたちユニクロはこう考える。日常はスポーツだと。今日という一日をカッコよく、きれいに動こうと。」・・・、日常の具体場面を通し、先に商品ありきをちらつきさせながら、なかなか読ませるコピーであります。勝ち組の雄、ユニクロの時代感覚をメッセージとして掲げたのですが、残念ながら中に差し込まれたチラシが哀しいかな、・・・、いつもと同じであります。売りにつながるチラシ広告を思い切った切口で展開すればこのメッセージとシンクロして、一歩踏み出した企業姿勢の広告として評価されるものを、担当の縦割りのせいか、ちょっとしたミスマッチでありました。むしろ、売りのチラシをパッケージにしてしまったのが、この会社のある意味のダササなのかも知れません。

この広告を観て、1979年の伊勢丹の傑作シリーズ「ああ、スポーツの空気だ。」をちょっと思い出したので引き合いに出しましょう。197012_2 広告文は「大統領が庭を走る。長い髪を束ねた若者が道を走る。いま、地球の朝は、熱いスポーツの空気とともに明けていくと言ってもいいでしょう。ことしこそ、わたしたちの暮らしもスポーツのある365日。ファッションだって、そうです。衣類は、もう、ボタンをきっちりはめることで体に合わせるのではなく、むしろ、肉体のしなやかさが、着るものと一体化すること、つまり、フィットネスとよく言われるそこに評価の目が向けられるのですね。衣も、食も、住も、そのすべての場に清新な、若い、スポーツの空気をいっぱいとり入れてみたい。ことし、1979年。」・・・、みごとな文脈と読み手に広いイメージをインスパイアさせるその全体観のみごとさ。伊勢丹宣伝部とライトパブリシティの喧々諤々から生まれたシーズン広告のメッセージです。ここに何の商品も訴求していません。あるのはメッセージの全段広告だけですが、この時代の半歩先のライフスタイルとしてヘルシーライフを先取りした、秀逸なシリーズ広告の最初です。この時代の伊勢丹は広告から商品展開・販売計画にいたるまで、みごとなまでの一貫性と全体観の共有化があり、それまで以上に他の百貨店との差をつけていったのです。

それにしても、時代の差こそあれ、この二つの企業のスポーツに対する表現がこうも違うのであります。

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