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2009年6月 5日 (金)

1926 冠松次郎撮影 剣大滝を囲む大岩壁

1926 冠松次郎氏が大正15年に撮影した写真は、まるで掛け軸のようなサイズです。当初はどのように撮影したのかと思ってましたが、よくみると中央部分で繋いでいて、四つ切サイズの二枚重ねであることが分かりました。

それにしても、素晴らしい写真です。南画のようなプロポーションもさることながら、陰影のコントラストといい、大瀑布http://www.geocities.co.jp/Outdoors-Mountain/4753/hsk4m.htmは水煙しか見えず、その臨場感は轟音さえ聴こえてくるようです。

時代は優雅な大正時代から軍部が跋扈する時代への転換期でもあり、優雅なアルピニストなどの行動は、軍部にも睨まれていたに違いありません。全員の恰好もハイテク素材などなんのその、高価なツイードジャケットと思しき姿など、クラシックな薫りがこのロケーションとみごとに合っています。

冠松次郎

「黒部の父」と称され日本アルプスの未踏の山域に多くの足跡を残し、山岳紀行文でも知られた登山家・冠松次郎(1883-1970)は、明治16年2月4日に東京で生まれた。

   日本アルプスが開拓されていない明治末期、家業の質屋を経営するかたわら、登山に熱中する。誰もが高い山への登頂を目指していた頃、冠松次郎は流行に背くかのように、黙々と渓谷美を訪ね歩いた。明治44年、松次郎は白馬岳に登り、祖母谷を流れに沿って下り、初めて黒部峡谷に入った。さらにその最奥部にある幻の滝と呼ばれた剣沢大滝遡行に挑戦した。十字峡の命名者でもある。それらの体験記を発表し、著書は昭和3年「黒部渓谷」を刊行したほか「渓」「立山群峰」「黒部」「剣岳」「渓からの山旅」「峰・渓々」「廊下と窓」「雲表を行く」「山渓記」など20冊を超える。(ケペル先生のブログより)

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