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2009年6月14日 (日)

広重・堀江ねこざね

Photo ここは、江戸川の河口である。鴻の台から10キロほど南下した地点である。この狭い流れは、江戸川の主流ではなく、江戸川から東南に分かれて江戸湾へ注ぎ込む境川である。向こうの江戸川には2艘の船が、帆柱だけを見せている。右側の集落が猫実で、左側が堀江になり、川に架かる手前の橋は、境橋である。うしろの橋ともども今も残っている。
 魅力のあるこの絵は、シリーズがはじまった安政三(1856)年二月の改印のある5枚のうちの1枚である。他の4枚と同じように、描かれた場所は、江戸の住民には一応知られながらも遠隔の地であった。千住大橋のような交通の要所、洗足池のような宗教的意味のある場所と違い、堀江・猫実の場合は、江戸っ子の好物のあおやぎなどの貝の産地として有名な場所であった。
 江戸湾に近いこれらの集落は、台風や津波によく襲われたが、土地の名前によく現われている。例えば、猫実という名前には、豊受神社(右手の木立のなか)近くの堤に植えられた松並木の根を、波が越さない(根・越さぬ)ようにとの願いが込められているという。もう少し確かな地名の由来は、明治二十二(1889)年に猫実と堀江の両村が合併される際に、「浦安」という名前が選ばれた経緯である。初代の村長が、この地を安心して住める浦にしたいと願って村名を選んだそうである。
 20世紀になると、埋立てが進み、浦安は沖へと拡大を続け、現在ではこの絵の場所からへ東へ3キロ、南へ2キロあまり陸地がせり出している。その先端部には、東京ディズニーランドがある。現代の東京のまさに名所になっている。
 近景には、鳥の猟の様子が描かれていておもしろい。堀内讃位の『鳥と猟』(昭和二十年刊)を参考に鳥のかたちおよび猟法を考えてみると、ここに描かれた鳥は、浜に棲む千鳥のなかまの大膳であろう。味がよいとのことである。猟師が千鳥無双網を砂に隠し、千鳥笛を使って鳥を呼び寄せる。頃合を見て綱を引いて、網を引き起こし鳥を包むという猟法である。日本では肉食は禁じられていたが、この戒律は、2本足の動物には適用されなかった。江戸では、野鳥の肉が盛んに取り引きされていたのである。
(ヘンリー・スミス『名所江戸百景』)

というわけですが・・・、この辺り、今では東京ディズニーランドに席捲されてしまった地域であります。洋風化の勢いは1960年以降、衣食住を含めてすべての日本人に極めてハイスピードで浸透してしまい、1980年代からは全国都市の商業地域からはじまり、その勢いは遂に銀座の顔である老舗の誇りさえ変えてしまいました。もうここまで来てしまったならば、ブレーキは効きそうにもありませんから、天変地異を願っているという善からぬ輩の念力でさえ、「まあ・・・、それもありかな!」などと思ってしまいます。

それほどこの国の姿がへんてこりんに成りだしたわけですから、ここは何方かカリスマが国の導き方を一気に品位のある方向へと切り替えませんと、ジャンクな国に成り下がりだした急降下の様相を止めることが出来そうもありませんね・・・。

ある団体の皆さんが明治維新によりもたらされた欧風化を見直す動きがある一方、江戸時代の町のありようを再評価しだしたり・・・など、至るところで『日本のこころとかたち』を再考しだしたようであります。

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