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2009年7月10日 (金)

1958年・久我山の家

19581802 生まれてから45歳になるまで過ごした、杉並区久我山の家の内部を描いた水彩画がやっと出てきました。それも、まったく関係ない昭和30年代の新聞スクラップブックの中からです。

1958年と鉛筆で書かれてますから、小学校5年生のときです。この家は戦前からある日本家屋を1953年にリフォームして、建て替えたものですが、古い部屋とリフォームした部屋が入り乱れ、遊ぶには格好の家でしたから、小学校の同級生も頻繁に遊びに来ては探偵ごっこに興ずるのでした。この家を改装中の写真を観ると、父の実家のある信州から大工さんが住み込みしながら建てている様子がわかりますし、この時代特有の新日本様式と呼んでも差し支えなさそうな、モダンな設えが見えます。例えば手前の天井と食卓のある天井は、船底天井とフラットな天井に分けられ、視覚的にも空間の仕切りを作っています。又、正面に鎮座するペチカと呼ばれる暖房装置は、巨大な大きさで、石炭をくべると輻射熱で柔らかい暖かさが家中を覆い、洗濯物などはあっという間に乾いてしまいましたが、暫く経過すると石炭価格が上がり、維持するのにやりくりがたいへんだったのです。煉瓦でできたペチカに背中をつけるとほんわかした暖かさが伝わり、なんともいえない、のほほんとした気分になったものです。又、手前の絨毯は父が中国から引き上げてくるときに、日本陸軍の軍指令部総長から譲られたものと父が喋っていたのを記憶しています。鮮やかなペルシャ製のものでしたが、この空間には似合わないイスラム古典的意匠が子供ながら気になっていました。さらに、ペチカの手前にある照明ペンダントは油紙をちぎってにかわで張り合わせたもので、光が微妙に透過し、その複雑な色と光が今も焼き付いています。

さらに、右手の丸柱と床材は、あろうことか伊勢神宮の式年遷宮に使われる檜から余ったものを払い下げで手に入れた材料で、たしかに節目のひとつさえありませんでしたし、高貴な檜の薫りは1960年代後半まで家中に流れ、じつに気持ちよい環境でありました。

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