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2009年7月31日 (金)

1971年 軽井沢銀座

197108_2 10 1971年の軽井沢銀座の様子ですが、あまり今と変わっていないようにも見えます。1960年代後半から1970年代前半まで、夏になれば、フォークソング・ブルーグラスミュージックのフェスティバルが軽井沢周辺で幾たびも開かれましたが、季節柄、雨・雷に見舞われ散々な目に遭ったことも数限りないのでありました。

この写真を観ると、買物に血眼でない長閑で優雅な避暑の気配が漂っています。この頃、旧軽井沢周辺には明治・大正・昭和の別荘が多く残っていて、その姿はまるでイギリスの田園建築そっくりのものが多く観られましたが、細部の建具などは地元の大工さんが知恵を絞って作ったに違いない純日本式な収まりでありました。今ではその数もすっかり減ってしまいましたが、よほどのメンテナンスが良いのか、まだ健在な山荘もあります。

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2009年7月30日 (木)

夏らしい一日。

Rimg21395Rimg213887月の慣用句(例文)

  • 大暑の候(折、みぎり。以下も同じ)
  • 炎暑の候
  • 猛暑の候
  • 酷暑の候
  • 烈暑の候
  • 極暑の候
  • 仲暑の候
  • 盛夏の候
  • お暑い折柄
  • 真夏日が続き、ひと雨ほしいこのごろ
  • 海や山が恋しく思うこのごろ

水辺が恋しい今日このごろ

蝉しぐれがしきりの今日このごろ

真夏の青さがまぶしいこのごろ

夕立後の風に一服の涼味を覚える昨今

連日の猛暑しのぎがたい昨今

いよいよ夏が到来しました

近年まれにみる暑さです

梅雨明けの暑さはひとしおでございます

長雨のあとの連日の炎暑に閉口しています

夏とはいえ、この数日の暑さは格別です

草も木も生気を失うような炎暑が続きます

寝苦しい熱帯夜が続いております

エアコンなしでは過ごせない毎日です

蝉の声が暑さをひっそうかき立てます

風鈴の音にようやく涼味を覚えております

花火が夜空を彩る季節となりました

花火の音が遠く近く聞こえてきます

7月の書き出しの言葉(例文)

盛夏の候、皆様ご健勝でお過ごしのこととお喜び申し上げます。

大暑のみぎり、皆様お変わりなくお過ごしのことと存じます。

今年の暑さは格別ですね。皆様お変わりありませんか。

連日の炎暑でございます。お変わりなくお過ごしでしょうか。

本格的な暑さを迎え、ますますご壮健でご活躍のこととお喜び申し上げます。

例年にない冷たい夏となりましたが、皆様ご清祥のことと拝察いたします。

夏の手紙はよほどのマメな人以外は、その暑さがもたらすダルさゆえ、なかなか書くのが億劫でありますが、日本には上記のような夏の約束ごとの書き出しがあって、これを眺めているだけでも、日本の夏を垣間見ることが出来ます。

この何日かは亜熱帯地方のような蒸し暑さに閉口してましたが、この日は早朝の真っ青な天空を仰ぎ、思い切って多摩川に向かいました。誰もいない多摩川の早朝は風も気持ちよく、その景色もふだんとはやや趣きが異なって、異国のような雰囲気さえ漂っていることも多々あります。7時前というのに、ひとっ走りして休憩すると一気に全身から汗が噴き出し不快感の極みでもあり、この一瞬だけは自転車乗りが誰も避けられない最悪の宿命でもあります。無風状態のなか快適に多摩川堤を疾走しつつ、日頃愛用しているRICOH Caplio GX100を取り出し、周囲の安全を確認してから走っている自分の影を撮りまくりましたが、被写体の収まりの出来具合は偶然に任せるしかなくどんなものかと思ってましたが、この一枚は良く取れたと、納得です。

皆様、暑中お見舞い申し上げます。美味しい冷奴とビール、枝豆で些細な夕涼みが愉しみな時季であります。

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2009年7月29日 (水)

鈴木信太郎の『下田港風景』・1971年

19_2 数多い鈴木信太郎の下田港の絵の中で、最も『童心の画家』と呼ばれた鈴木に相応しい一枚を挙げろと云われれば、躊躇なく私は、「これでしょう・・・。」と叫んでしまいます。

もう、のんびりした下田港から一転して、戦後最も輝いていた高度成長期の活気が此処にも押し寄せている様子が伝わって来るようです。色を多彩に操って自由奔放に描かれたこの港の絵は、港町の活気と海のもつ元気を観る側に伝えてくれる傑作と私は一人で思っているのです・・・。

この絵にも鈴木信太郎の遊び心が雲の表現に表れていて、この表現があるからこそ、楽しくわくわくする港町として完結していると理屈付けしてしまいます。

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2009年7月28日 (火)

江ノ島・1890年

1890 Rimg2933_2 今や湘南の一大観光地である江ノ島の120年ほど前の風景です。江ノ島全体が江ノ島神社の所有する土地なのですが、その気配など全く感じられないほど、今では聖はどこかへ行ってしまったが如く、俗・遊の活気に溢れ、至るところから美味しい魚介類の煮焼きする香ばしい煙が立ち込めていますが、この写真は、まだ神様がしっかりと土地の末端まで根を張っていた時代の名残が記録されています。

入口の鳥居には、注連縄はないものの、御幣と笹が神道の簡素な意匠を象徴しています。

この参道も今では土産物屋さんが軒を並べてシーズンともなれば、大忙しとなりますが、明治中頃の風景にはそんな様子は微塵たりとも見えませんね・・・。

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2009年7月27日 (月)

男に身近な刺繍

1201 男に身近な刺繍というものがあれば、その筆頭は何といってもポロシャツのワンポイントマークでしょうか。それとも体育会の同窓会で全員揃いのブレザーの胸に輝くパキスタンが産地のエンブレムでしょうか。

どちらにしても、スポーツに関わるアイテムにこの刺繍が纏わり付いてくるのが、曰くありげであります・・・。

45年程前ですと、ポロシャツのワンポイントマークの筆頭ステータスはマンシングウエアのペンギンキャラクターでありました。当初は手縫いのなかなか洒落た出来ぶりのマークで、マンシングウエアそのものが当時は、それなりの高級なショップでしか扱ってなかったですし、ゴルフショップに出回るのは、その少しあとだったのですから。

東京の洒落者は挙って、このペンギンマークを求めに、日本橋・高島屋やら、銀座・モトキなどに出かけ、夏場の勝負服として、超高価にも関わらず複数枚、購入するのでした。また、夏場に限らず、冬のスキー場でもこのワンポイントマークの持つ力は半端でなく、良い思いをされた夜の豪傑も多々いらっしゃるはずです。

今や、ビンテージクロージングが、お洒落の方程式となってしまい、面白いもので、この古いキャラクターマークを求めて、下北沢・目黒界隈の古着屋が繁盛しているようであります。確かに昨今の素材よりも数段吟味されていますし、マークの収まる位置も一定でなく、そのいい加減さが却って、量産品ぽくなく、今の若い世代には新鮮なのかも知れません。各ブランドも古着に顧客の嗜好が移るのを食い止めるのに必死のようで、ラコステなども、昨年以来、古く魅せる新商品を発売しています。

さて、この画像のモチーフは1995年の切抜き資料から出てきたもので、旅日記を刺繍で表したという、ナイスなセンスに嬉しくなり、保存しておいたものです。

他愛ないといわれれば、それまででありますが、こんな重箱の隅のような世界にも、意外と、気付かないことへのヒントがあったりと・・・、人間の好奇心は増幅して止め処もないのであります。

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2009年7月26日 (日)

縁起良し!。

Rimg15983 失礼千万を承知で紹介いたしますが、ストレートに羨ましい限りですね。姓だけなのか、姓名なのか分かりませんが、桜新町で見つけたこの表札に書かれた朝日出さんの三文字バランスといい、みごとなものです。

縁起の良い苗字はそれだけで末代までの安全と繁栄を保障されたと思ってしまいますが、この思ってしまうという気持ちこそが、モチベーションを高めるわけですから、疎かにしてはいけないのです。

この苗字にしても、元は曰く因縁があったからこそなのでしょうが、この御宅の近辺に夜明前さん・夕日沈などというお方がいらっしゃったならば、もう国宝級のリレーションでありますね。

さて、この表札の書体は美しいですね。専門的なことは分かりませんが、明朝体のようであってそうでもない・・・、といったニュアンスからして、相当昔の表札なのかも知れません。さらに、石塀の難しいプロポーションに「絶対位置としてここしかない・・・、」と云わんばかりに見事に当てはめた感性にも拍手モノであります。

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2009年7月25日 (土)

波・Big Wave

Waveno7_21 Rimg12107 人間のもつ五感を働かせ、イマジネーションを表現する嗜みは、芸術作品から日常の些細な演出に至るまで、限度なく広がっていますが、この波ひとつ採り上げても随分と趣きが違うものです。

ハワイのノースショアで撮られたショットはみごとなチューブでありますし、余計なサーファーが映っていないだけでも、何か自然界の神がかったエネルギーを頂ける様で、有難いヴィジュアルとでも云えましょう。

方や、我がNIPPONが誇る藍染の暖簾には、これまた、みごとな抽象化された大波が迫っていて、一瞬の動きを掴んで離さない職人としての、絵師と染師との呼吸の相槌さえ浮んできそうです。

どちらも平面としての表現にも関わらず、人間の一瞬を捉えたいとする執念が伝わってきて、清涼感を伴う小気味よさと爽やかさが快適であります。

因みにYou TubeでBig Wave http://www.youtube.com/watch?v=GdLnri3Jvs0 を観ていても、さほどの感動がないのは何故なのでしょうか・・・。

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2009年7月24日 (金)

ジャズシンガーの寛ぎ!

204_2 いまや武井義明という名前を憶えている人は、どれほどいるだろうか。
終戦の数年後、日本は時ならぬジャズ・ブームに沸いた。
 とくに都会人は、すっかりアメリカかぶれして、それに呼応するように進駐軍(のちに
 駐留軍)のキャンプまわりをしていた即席ジャズメンは、日本人向けの桧舞台にも躍り
 出て、人々はスターシンガーやスターバンドに群がった。
それも一段落した昭和三十年代の初め、なみいるジャズ・シンガーのなかで、ひときわ
 光彩を放っていたのが武井義明だ。
 折からジャズ専門誌の《スウィング・ジャーナル》が主宰する歌手ベストテンでは、こ
 の人が2、3年間にわたってトップに推されていた。
やがて各家庭にぼちぼちテレビが入り始めた。あのころはテレビという言い方はあまり
 せず、テレビジョンか、人によってはテレベーションとも言っていたっけ。
 人気番組は、なんといっても力道山が暴れまわるプロレスであり、ジャズの演奏を交え
 た洒落たコメディも台頭していた。

 このジャズ交じりの番組に颯爽と現れたのが、男の歌手では笈田敏夫、柳沢真一、黒田
 美治、旗照夫などのほか、日本に帰化したらしいジェームス繁田、ビンボー・ダナウな
 どであった。
 女ではナンシー梅木、ペギー葉山、マーサ三宅、丸山清子、新倉美子などに、未成年な
 がら江利チエミ、雪村いづみも登場していた。
 大学に入りたてのころのぼくにはよく分からなかったが、これらのジャズ歌手はどこで
 学んだのか、英語の歌詞を器用に唄いこなしていたように思えた。邦訳の歌詞を交える
 ことも多かったけれど。

 とにかく、そんな歌い手がジャズ界に勢揃いしているなかで、ぼくにとっては武井義明が
 断然、光り輝く大スターだった。
 ミュートをかけたような甘く優しい声といい、歌の躍動感といい、加えてソフィスティケー
 トされた容姿……。本人は高知県出身だそうだが。
 アメリカから来日中の女性歌手が「ヨシ、ヨシ」なんぞと呼んで、彼と親しく話していたこ
 ともあり、ちゃんと英語が話せるんだなあと感心もした。

 武井義明が得意なのは、「虹の彼方」や「国境の南」で、聴いていると、行ったこともな
 いアメリカの大地を彷彿とさせるようだった。
 そうだ、そんなジャズやポップスが荒波のように押し寄せてきたことによって、日本人の
 多くは、アメリカへの憧れを醸成していったのではないでしょうか。
 近年のようにアメリカが病める国だなんて思ってもいなかっただけに、かの国に純真な憧
 れを抱いていたのだろう。

 話は武井義明に戻るが、確か昭和も四十年代になってから、その姿や歌声が忽然と消えて
 しまった。
 ジャズ学校を設立したなんて噂を聞いたような気もするが、少なくともテレビではお目見え
 できなくなった。
 いったい、どうしたのだろうか?
 いまや、幻のジャズ・シンガーか。(栗田英二)

昭和30年代のジャズ隆盛期に図抜けた人気のあった武井義明はオールマイティーな歌手でしたが、その控えめな性格が裏目に出て、あっという間にテレビからも消えてしまいました。小学生の頃、武井の口笛を途中ではさんだ『誇り高き男』という映画の主題歌は、今も頭の奥に残っていて、ソフトな歌声に、子供ながら感心したものです。この写真は1950年代後半に赤坂・テキサスハウスという今で言えば億ションのような住いで寛いでいる武井義明です。方や、手前に居る笈田敏男夫妻は、長く現役を続けられましたが、その理由は歌の上手さ以上にお喋りであったといわれてますから、何事も一つだけ秀でていても世渡りは難しいのでしょうね・・・。

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2009年7月23日 (木)

夏の漁港写真を観て思い出す。夏の学校

1962 1075195803 写真:宮本常一

宮本常一さんが撮影した、対馬鰐湾漁港の写真を観ていると、50年以上前の小学校・夏の学校の頃を思い出します。まるで、カンカン照りで、焼け付いた石畳でも裸足で駆けようものなら、あまりの熱さに飛びあがりそうな雰囲気まで写っていますし、わんわんと鳴り響く蝉の声が聴こえてきそうな写真です。

下の写真は1958年の岩井海岸での様子です。普段の学校生活から解放された明るさもありますが、当時はまだのびのびと生徒一人ひとりの特性を活かした教育をしていた雰囲気が、生徒の顔つきに表れています。

勿論、冷房などあるわけなく、夜ともなれば開けっ放しの宿舎には蛾やこうもりまで飛んでくるといった、スリリングな環境を体験できたことは、今もその鮮烈な記憶残像が残っていることからみて、少年時代のビッグイベントでありましたし、蚊帳の中で、就寝前の大はしゃぎとしての枕投げ戦争なども佳き思い出であります。

あまり水泳の得意でなかった私は、写真に写っている昼ご飯の後に発表される、クラス分けにドキドキしていたのです。というのも、殆どの水泳師範は大学のラグビー部の怖そうなお兄さんたちで、もう泳ぐ前から行きの列車の中で、「今度行く海岸には、鮫なども出るそうだから、そういった時のためにも褌をさっと解いて長く見せないとダメなのだ・・・」、などとひたすら恐怖感をあおるのでした。もし、得意でない私が思いがけず上級クラスなどにでも入ってしまったなら、「一番置いてきぼりにあって、後ろからサメが狙っているのでは・・・」、などと、そちらの想像力だけは達者でありました。

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2009年7月22日 (水)

神宮前・大文字 夏姿の器

Rimg21369 日本の器が面白いのは、季節の変化や旬に合わせた季節限定の意匠が競い合い、店先を楽しくしてくれるからでしょうか。

神宮前5丁目にある人気の和陶器屋「大文字」http://www.daimonji.biz/は値ごろな和陶磁器・ガラス器を中心に日本の食卓を飾る商品を長く商いされている店で、そのきめ細やかな商品の揃えから棚に並ぶアイテムの括り方にいたるまで、実に観やすく選びやすく、さりとて担当者の優れたホスピタリティが前面にでることなく控えめで、じつに品良く展開されています。

今の時季にぴったりな季節野菜の陶磁器も、渋いながらも可愛さもありと、優れたセンスのプロデュースによって生まれたシリーズです。ちょっとした小付けとして、お手塩皿として、これひとつあると夏の卓上に小粋な涼風が生まれます。

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2009年7月21日 (火)

イタロ・ルピの構成センス

3 手と頭で表紙の構成を考えるアートディレクターの仕事というものは、瞬間芸のような、あるいはボクサーのショートパンチのような鋭い切れ味が魅力であります。

今やDTPの世話になるばかりの雑誌の表紙でありますが、一時代前は卓越したアートディレクターが表紙のみならず、雑誌全体のストーリーまでをも、監理し、雑誌夫々に独自の風味というものがありました。勿論、優れたアートディレクターのみならず、社内ネゴシエーションに長けた編集長が存在していたことは云うまでもありませんが・・・。日本においては、マガジンハウスの堀内誠一さん http://www5a.biglobe.ne.jp/~wo-house/horiuti.htm が質・量ともに最高峰なのでしょうが、イタリアにおいてはこのイタロ・ルピさんがアートディレクターとして双璧でしょう。

さて、最近は大手出版社の総花雑誌の売れ行きが芳しくなく、逆に個人が発行する雑誌が目立ち始め、内容もその個人の眼の届く範囲に集中し、意匠もその人柄に相応しい表情となっています。大きな書店というよりは、小さいながら懐の深そうな本屋さん、書店とカフェを併設している洒落た店などに、細々と置かれています。

イタロ・ルピ ggg Books 53(スリージーブックス 世界のグラフィックデザインシリーズ53) Book イタロ・ルピ ggg Books 53(スリージーブックス 世界のグラフィックデザインシリーズ53)

著者:田中 一光,イタロ・ルピ
販売元:ギンザグラフィックギャラリー
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009年7月20日 (月)

眩しい足元。

Rimg20493 写真:Free&Easy

どうやら、ここ数年のけばけばしいスニーカーブームも去って、シンプルな真っ白系がどのメンズ雑誌を見ても採り上げられています。週末に限らず、早朝の駒沢公園で老いも若いも黙々とランニング・ウォーキングに励む皆さんの間を自転車ですり抜ける日々ですが、アスリート系の足元は毛虫のようなデザインがいまだに跋扈していて、どうしても馴染めませんが、ゆっくりと散歩している皆さんの多くは、シンプルな品の良いスニーカーに移ってきたように思われます。

私世代の多くが、メンズ雑誌を通してホワイト・スニーカーに憧れ、まだ希少価値だった頃は横浜辺りまで行かないと入手困難でありました。友人の中には、米軍キャンプに出入り自由な者がいて、スニーカーを自宅で洗濯する際の注意事項などまで教えてもらっていましたが、実際、その友人の手ほどきでやってみると、汚れが却って染み込んでしまい、大ひんしゅくをかったこともありました。又、白いスニーカー・バミューダパンツ・マクレガーのポロシャツが三点セットのようだった1965年頃の軽井沢には、そっくりさんが旧軽井沢界隈を席捲したかのようでもあり、今から思えば漫画そのままのようでありました。

さて、この夏、各メーカーから洒落たデザインにリファインされた復刻版から、地域限定モデルまで、真っ白シリーズが数多く店頭を飾るのですから、物欲がうずくこと間違いなしでしょうが、これに見合う足首をしていませんと、案外、情けない姿になりますから要注意を・・・。

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2009年7月19日 (日)

ゴリラのラガー。

Rimg21412 Rimg21413 10日ほど前ですが、家族の一人が帰ってくると、突然テーブルの上にこれをどすんと置いて、自分の部屋に入っていきました。

なかなか出来具合のよろしい人形ですが、これはサントリーラグビー部http://www.suntory.co.jp/culture-sports/sungoliath/のキャラクターのゴリラです。昔のキャラクターグッズと違い、ずーっと飾っておきたくなるほど、細部にまできちんとした縫製がなされ、顔つきも見る角度によって様々な表情が生まれます。背中にはなんと、監督の清宮克幸さんおサインもあり・・・と、お好きな方々にはたまらない逸品なのでしょう。

ゴリラといえばその昔、亡くなった土屋耕一さんの名コピー『おれ、ゴリラ。おれ、景品。』『オレ、ゴリラ。おれ、社長の代理。』を思い出します。こちらは明治製菓の広告文でしたが新聞には大きく、ゴリラの人形が座っていました。この人形欲しさに、応募が殺到し、明治製菓の販促課はパニックになったということがありました。

笑われるかもしれませんが、私は一時期、古いテディ・ベアをコレクションしていたことがあり、例えキャラクターが代ってもこのゴリラも悪くないな・・・、と微笑んでしまいます。

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2009年7月18日 (土)

自由が丘 セール夫々

Rimg21407 Rimg21424 Rimg21408_2 早朝の、まだ人手もない商業地を徘徊できるのも自転車の愉しみの大きな要素で、陽射しの角度が低い分、日中より商品の見え方もコントラストがはっきりして、市場調査などには是非、お奨めであります。

この日は、早朝からの炎天が強烈で、太陽から逃げ場のない多摩川堤を走ってから自由が丘に向かいました。年々、早くなるセールの時期ですが、すでに会期の中盤となり、各店とも目玉商品を前面展開して、自由が丘らしいカジュアルなファッションがウインドゥを通して客の引き込みに必死のようすです。それでも、夫々の店がSALEのPOPにも気配りしていて、商品の趣きに似合ったビジュアルを訴求しています。他愛ないことですが、100円ショップで購入したようなSALEのPOPですと、商品よりもその店自体がセールではないかと思ってしまいがちで、ほんのちいさなグラフィックひとつでも、店のセンスが問われますから、疎かにはできません。

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2009年7月17日 (金)

グランド小池商店

Img_8190 Img_8188 Img_8189 駒沢から近場でお手軽な自転車コースといえば、多摩川堤ルートです。一年中、昨今の健康志向の影響で、混雑しますが、とりわけ、春と秋の季節ともなると、自転車はもとより、ジョギング・散歩・クラブ活動の皆さんも一気にこの狭い堤を占拠しますから、遅めに家を出ようものなら、渋滞に巻き込まれ、自転車を降りて歩かざるを得ないこと、度々です。

このルートですと、休憩の定番として、元読売巨人軍のグランドの裏にある、『グランド小池商店』は、外せません。川上哲治さんと、うりふたつの店主が、ほのぼのと店のベンチに座っているようすは、何となく映画のワンカットのようですし、最近、なかなか観られなくなった家族経営できりもりする姿も嬉しいのです。

この店には、今も往時の巨人軍の写真がところ狭しと飾られ、これを目当てに、来店する巨人ファンも多いとのことです。1950年代からほぼ50年分のお宝写真を観つつ、名物おでんに舌鼓を打つと、テレビ以前の、ラジオ野球中継で耳を澄ましていた、小学生の自分が蘇ってきます。

店の前は多摩堤通りの土手ですから、ほとんど空と通過する車しか見えず、不思議なアングルからは非日常的パノラマが展開します。Rimg15998

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2009年7月16日 (木)

1962 大瀬崎の記録

196204 小学校を卒業して、苦手な水泳ともお別れかと思っていたら、そう世間は甘くなく、中学に入るとより厳しい水泳訓練が待っていました。

この写真は中学3年生の夏、西伊豆・大瀬崎でのスナップです。男女共学といっても、ひとクラスに女子は数えるほどで、基本的には男子校の薫りで充満していましたから、解放された気分にもエンジンがかかり、このような屈託のない遊びに一生懸命でした。辛い遠泳大会が終ってのひと時を専属カメラマンがスナップしたものですが、この時代の長閑さもあって、気に入っている写真です。

思春期となるこの年頃でさえも褌姿でしたから、抵抗感もあったのですが、女子の数も少ないのでさほど気にならず、海岸に出てしまえばもう男子の世界とばかりバカ騒ぎの連続でした。また、先生もさほど気にせず水泳訓練時以外は比較的自由放任でしたから、中学時代は本当に愉しい時代でありました。

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2009年7月15日 (水)

日本的ハワイの薫り

Rimg20492 phptography Free & Easy

『憧れのハワイ航路』http://www.youtube.com/watch?v=EgxDnhUyIKc&feature=relatedという明るい歌謡曲がヒットした1948年(昭和23年)からだいぶ経った夏の頃、家の中から四六時中、この曲がラジオを通して聞こえていたのを記憶しています。ヒットしてからおそらく6年ほど経過していたでしょう・・・、岡晴男の鼻に抜ける高音は、その後知ったカントリーミュージックの男性歌手のそれともよく似ていて、今でも脳裏に焼きついています。

この曲、妙にモダンな薫りのする曲ですが、伝統的な歌謡曲の旋律や途中で聞こえる木魚のようなリズムが高田浩吉の股旅物の映画のBGMのようでもあり、妙に、和と洋が上手くかみ合っていて、独特の折衷感覚は今も新鮮であります。

この頃、小学校の4年生になり、夏の学校でしっかりと水泳訓練をさせられ、水泳の苦手な私は遠泳などもってのほかとばかり、ただひたすら、最終日の遠泳選抜に落ちる事しか念頭にありませんでした。水泳師範は殆どが学園の大学水泳部・ラグビー部の先輩ばかりでしたから、日中は厳しく、夕方からはちょっと大人の世界を教えてくれる良き兄貴となって悩み相談の窓口となってくれました。岡晴男の時代は終り、石原裕次郎の洒落た旋律が主題歌の『狂った果実』 http://www.youtube.com/watch?v=pSlsdYSDLLg が映画になった頃ですから、夏の街は無論、全国いっせいにアロハシャツを着た「太陽族もどき」が右往左往し、その影響を受け、日焼けした先輩達が自慢するそのアロハシャツのかっこよさに、おませな男子生徒は早く大人の仲間入りがしたかったのであります。当時、ウクレレを弾けることが夏の男のモテモテ必須条件でもあり、甘く切ないラグビー部の先輩の歌声に、たかだか10歳のおませな男子生徒達は、たまらなくなるのでした。

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2009年7月14日 (火)

眩しい大岡山。

Rimg21160 Rimg21158 最近、自転車で城南地域を走りぬける場合、中原街道を大岡山駅方面に向かうコースが気に入ってます。丸子橋から環状8号線を渡り、雪谷大塚を通り洗足池の手前信号・大岡山駅入口を左折すると、いきなり静かな住宅街となりますが、コンパクトながら坂のアップダウンも楽しめます。所謂、ハウスメーカーの表層的様式建築が少ない分、落ち着いたシンプルな外観の住宅比率が高く、この地域に住まわれる皆さんの生活センスの高さと知性の深さをも感じます。おまけに物価の安さも幸いして、生活のしやすさという面からも、今や人気高騰のエリアであります。

真っ直ぐ進み、東急大岡山駅にぶつかり左折すると、突然素晴らしい光景が現われます。駅に隣接する東急病院の壁面緑化の姿であります。ここ大岡山は、東京工業大学があり、某教授の指導により、この壁面緑化が管理運営されています。この駅周辺は大田区・世田谷区・目黒区の中でも標高が最も高い位置に属し、そのせいでもあるのか、陽射しの眩しさと快適な風の通り抜けにひどく感激してしまいます。又、この町近辺は、東急池上線・大井町線・目黒線・東横線に囲まれ、歩いて10分から15分程度であれば駅の選択肢が10ほどもあるという、徘徊趣味な皆様にとっては嬉しいゾーンでもあります。

周りから浮きまくっている自転車ジャージ姿のまま改札を通り、地下の駅を見ますと、ずいぶんとモダンな意匠に囲まれた待合室が目に入ります。ちょっとしたカウンターではお勉強や読書の方もいて、あのやかましい二子玉川駅とは別格のインテリジェンスな雰囲気に満ちていました。

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2009年7月13日 (月)

自由が丘で神田の気分!

Rimg21140 Rimg21148 Rimg21146 目黒区自由が丘は、カジュアルなお洒落れの街として、その人気は不変でありますが、町中がお洒落スポットであるわけなどなく、エリアによっては下町気分が充満している箇所が存在しています。私の好きな『東京書房』http://www.tokyoshobo.com/も古書店として60年ほどの長い歴史があって、看板に見える電話局番もうれし涙の三桁ですし、その品揃えは神保町にも引けをとらないのであります。店主は毎日東京中を駆け巡り、仕入れに奔走していているので、私は店に居る確立の高い木曜日を狙って、業界のトレンドなどを聞きにお邪魔します。最近は写真集・デザイン関連が廉価で狙い目ですが、漫画関係の充実には及ぶ筈がありません。この界隈も、バギーの子供連れが多く、当然それを見逃さない店主は幼児関連の書籍から雑貨にまで展開に力が入っています。

さて、この向かいにあるビルの中には洋食マニアに知られた「洋食亭 ブラームス」http://www.melsa.co.jp/jiyuoka/jshop/blarms.htmlがあって、ちょくちょくお邪魔していますが、此処のデミグラス・ソースの味は絶品であります。この日頼んだポークヒレ・カツレツの迫力は、画像でお分かり頂けると思いますが、東北ポークの甘く柔らかい美味しさは、さすが神田レベルを超越しています。この二店舗があるだけで、私は自由が丘を神保町に見立てて徘徊できるのであります。

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2009年7月12日 (日)

メタリックで粗野な気配!。

Rimg15349 ツルツル・ピカピカ・テカテカな素材感覚は、時代遅れの感がある自動車か、もしくは都市の一部のビルしか見られなくなり、社会の中心である若い層の身なりをはじめ、飲食世界の店舗で使われる建材などはラギッド・・・RUGGED「粗野な」 「無骨な」 「頑強な」感覚のものが台頭しています。

一生ものの身の回り品が、トレンドな品に代わって蘇り、長く付き合える品々の時代になって来たのでしょうが、商売する方はこれまで、時季ごとの切り替えと季節トレンドの先取りによって、そのイニシャチブを握っていたのですから、これからは賢い顧客が店を選別する時代に入って来たのかも知れません。

この他愛無い金属製の花器でさえ、その表面は研磨することが高級感と思っていた業界の一線を離れ、微妙なあやふや感のある仕上げですし、加飾としての唐草模様でさえ、ヨーロピアンエレガンスの繊細ラインではなく、大胆な骨太線です。

こと左様に、些細な生活品の世界にも、その時代時代の感性の影響が表れています。

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2009年7月11日 (土)

千駄木のジャムセッション

Rimg21053 Rimg21022 Rimg21054 先日、須貝重太さんから電話があり、「大阪から桜井さんというテキサスフィドルの名人と千駄木・ペチコートレーンでセッションをやります」とのことで、出かけました。団子坂信号を谷中方面に向かい、通称へび道に来ると洒落たクラフトマンシップ溢れる看板が目に入ります。この界隈、昼間は自転車で通りぬけることが多いところですが、夜の趣きは何となく京都のそれにも似ていて、港区界隈とは違う落ち着いたうえに独特な洒落た気配が漂っています。初めて訪れたこの店はオーナー・ママさんと親しみやすい方々で、室内のアットホームな設えとともに、誰しもが和んでしまう空間ですし、毎月様々なライブも開かれ、この界隈では有名なスポットのようです。

須貝さんとは、ほぼ38年ほどの音楽仲間、それもブルーグラスというジャンルを通してのお付き合いからはじまりましたが、変らぬ江戸的洒落っ気とひねりがサウンドにも表れ、いつも楽しませてくれます。この日は、須貝さんを棟梁とするバンドの皆様も終結し、11時過ぎまで盛り上がりました。Rimg21088 又、この店の大きなガラスを通し、外から覗き込む地元の皆様も多く、一般的には聴く機会の少ないアコースティックな世界を珍しそうに観ていましたが、この界隈とブルーグラス・スタンダードジャズ・日本歌謡は実に相性のよいことを発見しました。

テキサスフィドルの創始者、ボブ・ウィルスの1940年代の画像とボブ・ウィルスを称えるローリングストーンの画像がYou Tubeにありました。http://www.youtube.com/watch?v=kij-lMcA2zI

http://www.youtube.com/watch?v=2xECNrYxRUA&feature=related

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2009年7月10日 (金)

1958年・久我山の家

19581802 生まれてから45歳になるまで過ごした、杉並区久我山の家の内部を描いた水彩画がやっと出てきました。それも、まったく関係ない昭和30年代の新聞スクラップブックの中からです。

1958年と鉛筆で書かれてますから、小学校5年生のときです。この家は戦前からある日本家屋を1953年にリフォームして、建て替えたものですが、古い部屋とリフォームした部屋が入り乱れ、遊ぶには格好の家でしたから、小学校の同級生も頻繁に遊びに来ては探偵ごっこに興ずるのでした。この家を改装中の写真を観ると、父の実家のある信州から大工さんが住み込みしながら建てている様子がわかりますし、この時代特有の新日本様式と呼んでも差し支えなさそうな、モダンな設えが見えます。例えば手前の天井と食卓のある天井は、船底天井とフラットな天井に分けられ、視覚的にも空間の仕切りを作っています。又、正面に鎮座するペチカと呼ばれる暖房装置は、巨大な大きさで、石炭をくべると輻射熱で柔らかい暖かさが家中を覆い、洗濯物などはあっという間に乾いてしまいましたが、暫く経過すると石炭価格が上がり、維持するのにやりくりがたいへんだったのです。煉瓦でできたペチカに背中をつけるとほんわかした暖かさが伝わり、なんともいえない、のほほんとした気分になったものです。又、手前の絨毯は父が中国から引き上げてくるときに、日本陸軍の軍指令部総長から譲られたものと父が喋っていたのを記憶しています。鮮やかなペルシャ製のものでしたが、この空間には似合わないイスラム古典的意匠が子供ながら気になっていました。さらに、ペチカの手前にある照明ペンダントは油紙をちぎってにかわで張り合わせたもので、光が微妙に透過し、その複雑な色と光が今も焼き付いています。

さらに、右手の丸柱と床材は、あろうことか伊勢神宮の式年遷宮に使われる檜から余ったものを払い下げで手に入れた材料で、たしかに節目のひとつさえありませんでしたし、高貴な檜の薫りは1960年代後半まで家中に流れ、じつに気持ちよい環境でありました。

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2009年7月 9日 (木)

のんびりとした午後

Ckhui 3109 たまり場のある町角というものは、そこを初めて訪れた人間にとってもすんなり入り込める吸引のオーラが働いていて、人間の街に相応しいスポットであります。

雑誌の切抜きにもそんな雰囲気にぴったりの一枚が紛れ込んでいて、これは南イタリアのラヴェッロの町のスナップです。アマルフィの北側、崖に面した高台のこの町は当然上り下りが毎日の生活には欠かせませんから、中高年はどうしても町の其処彼処で「ちょっと一服」のコーナーが必要不可欠なのでしょう。毎日をただ楽しく生きる達人の多いイタリアの中でも飛びっきり美しい景観を持つこの界隈は紺碧海岸を観ているだけでも長生きしそうですから、羨ましい限りであります。

安野光雅さんのファーブルの故郷を描いた画集にも、南ヨーロッパの乾いた空気感・眩しい陽射しの中で一服しているスポットが描かれています。どちらにせよ、明るくのんびりと暮らすことがいちばんの贅沢になってきたことには、間違いなさそうであります・・・。

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2009年7月 8日 (水)

ブルーストライプに夏の風。

Rimg20882 Photo 毎年繰り返されるファッション界のシーズントレンドでありますが、いわゆるファストファッションと呼ばれる低価格・高感度なブランドばかりがもてあそばれ、その流れはメンズ界にもあおりが来て、どのブランドも内情はたいへんなようであります。

私のようなベーシックなものをどう組み合わせて着回すことしか考えない者には、何故、普通なものが無いのか!!!、と苛立つ時代でもありますが、案外、ネットで探し当てる博打感覚もあるのですが、これまで何度か試したものの、届いた実物とモニターで見るモノとの格差が激しく、もうこりごりであります。

さて夏のマストアイテムといっても過言ではないボートネックのボーダーストライプのシャツなどは、年を重ねてやっと着こなせるアイテムでありますが、あのピカソのような着こなしなど無理であっても、是非、ご同輩にはチャレンジしてもらいたいものです。首から肩にかけてのラインが中高年になるとなだらかとなって、このボートネックが似合う年恰好となり、これに、カーキ色のチノクロスのズボンと、真っ白なスニーカーがあれば毎年、夏になっても気分良く過ごせますし、見ていても軽快に映るのですから・・・。

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2009年7月 7日 (火)

シルエットの美・シーランチ

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写真:二川幸夫

1968年10月号の『都市住宅』を手にした学生時代、その逆光シルエットの美しさに、建築のもつメッセージが違う視点からも捉えられることを知ったのです。その後、この建築は多くの雑誌に採り上げられ、カジュアルに向かう時代の流れとぴったり合っていたこともあり、ナチュラル指向の建築のバイブルとなったのです。

まるでジーンズのような着心地、いや、住み心地が伝わってくるような人間賛歌の住まいに憧れ、実際近くまで行って来た人間もいましたが、シーランチ自体が広大な別荘地域で、全てがこの素晴らしい建物とは限らず、典型的なスパニッシュ様式もあれば、イスラム様式もあり・・・といった何処かの国とさほど変わらないことを知ったとき、正直、がっくりとさせられました。今もこの物件は健在のようですが詳細のほどは分かりません。

チェーンソウの刃型がむき出しの板壁に憧れた同世代は多く、東京の洒落た珈琲店にもそっくりさんが登場したり、苗場スキー場にも似たようなキャビンが登場したりと、こと話題には欠かせませんでした。

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2009年7月 6日 (月)

1970年代の傑作広告

197011_2 1970年代前半の日本企業の傑作広告として、1972年、伊勢丹の「こんにちは土曜日君」があります。週休二日制がまだ一部であるものの、少しずつ浸透し始め、もっと健康に、もっと楽しい趣味を・・・などと百貨店の役割を物販至上主義から生活提案型にシフトチェンジしたエポックメーキングなグランドテーマでありました。http://www.isetan.com/icm2/jsp/isetan/company/2005_activity_pdf/26.pdf このテーマに決定するまでは、伊勢丹宣伝部とライトパブリシティの喧々諤々なバトルロイヤルのデスマッチがあり、そこには両社の思惑というより、顧客・時代の流れを敏感に感じながらも突破口の掴めない苛立ちがあったのですが、土屋耕一さんの名文一行によって、目の前が急に明るくなったのです。

このグランドテーマを因数分解して、翌年の夏に「土曜日には汗をながそう」というマーチャンダイジングテーマに基づき、スポーツ売場のスニーカーから底面(そこずら)の良いものを選び、新聞広告を打ったのですが、社内的に大ひんしゅくをかったのであります。当時は新聞広告は広告メディアのキングとして燦然と輝いていましたから、「何で靴の底を見せなければならないのか」という大先輩のご意見が社内中を駆け巡りました。しかし、この会社は現場より経営陣になればなるほど若い世代の感覚を積極的に採り入れる社風があって、守旧派のご意見も知らぬうちにどこかに行ってしまいました。

百貨店業界の先鞭を切った、このような生活提案型広告は「買って下さい」という販売促進よりも「私の会社を愛して気に留めてください」という広報的役割を裏技として含んでいましたから、社内的にも理解の浸透まで時間を要しましたが、その後の伊勢丹の広告手法の雛形となりました。その後、1980年代、競争相手の西武デパートは広告業界のお歴々と最先端の尖った皆様を上手に束ね、クリエーティブ指向な広告展開と新しいショップ展開を牛耳りましたが、今や、両社とも静かになってしまいました。

さて、時代は大きな変換点となり、ことさら一企業が生活に関わるメッセージを訴求することなどは草食系比率の高い若い世代にはダサイの一言でしょうが、かといってただの商品広告・タイアップ広告に埋没していれば、いつになっても肉食系比率の高い代理店担当者に首根っこを掴まれたも同然なのであります・・・。

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2009年7月 5日 (日)

デザインのコツ・・・「骨」展。

Rimg20888 Rimg20897 Rimg20894 ついこの間、府中市美術館において、BRAUN社のブランディング・デザインポリシーの輝く軌跡 http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/Rams/index.html に圧倒され、軟弱な昨今の情報消費としてのデザイン傾向を諭された気がしましたが、東京ミッドタウン「21_21 DESIGN SIGHT」で開催されている「骨」展と呼ばれる展覧会も違った意味で出色な催しとなっています。http://robot.watch.impress.co.jp/docs/news/20090528_170308.html 

先端工業製品から日本のからくり人形にいたるまで、モノのスケルトンを解体して見せてくれたり、コンピューター図像を通して構造をシミュレートしてくれたりと、私のようなアナログ系デザインに関わる者にとっては異星人としか云いようのないプレゼンテーションばかりであり、洗練さと先端性がみごとにマッチメートされた、企画展といえるでしょう。

洗練された生物の骨格に敬意を表しながらも未来のデザインに関わる骨格まで探求し、これらが一堂に展開する壮快さは、日々の仕事に追われ硬直化した脳内を洗浄するには極めつけの展覧会であること、間違いなしであります。

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2009年7月 4日 (土)

広重・大森八景坂の鎧掛松

018 最近、余程の早朝でない限り自転車で走らない池上通りは、大森駅手前から急激な上り坂となり、シーズンはじめの頃はまだ脚の筋力も鈍っていて、苦しい息遣いとなってしまいます。この通りは第一京浜や大井町方面に抜ける細いながらも幹線道路ですから、一日中、自動車の往来も激しいので、自動車の少ない快晴の早朝にさっと抜けるのにはご機嫌なルートですし、今も稀に浜風のような気配を感じ取ることができます。

この版画のタイトルにもなっている鎧掛松は源義家が奥州・安部一族を征伐の途上にこの松に鎧を掛けて休息した由来からその名を呼ぶようになったそうですが、今もその残照はあるのでしょうか。

今ではこの辺り、せせこましい商店街に囲まれ、東京湾を望むことさえ出来ませんが、この版画の左奥には品川宿を望めますし、なかなかの絶景ポイントであったことは間違いないでしょうね・・・。駕籠かき・旅人の様子からして、池上通りは日蓮宗の集まりの時期以外は、しっとりとした落ち着いた街道の風情があります。

Rimg7125_2 さて、我々自転車仲間の慣例では、ここからさらに上った山王口の信号辺りが、ひたすら苦しい上りを登りきって、ちょいと一服する休憩地点であります。

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2009年7月 3日 (金)

ビル・モンロー

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写真:小森谷信治

ビル・モンローhttp://music.yahoo.co.jp/shop/p/12/134893/ という名前を知ったのは、当然ブルーグラスという音楽を知ってまもなくでしたが、その脳天から飛び出すほどの高音の歌声に、当然、拒否反応を示し、http://www.youtube.com/watch?v=ffhqOy_A8KM&feature=related専ら、レスターフラットなどのポップス感覚に溢れた洒落た感性のブルーグラスばかり聴いていました。http://www.youtube.com/watch?v=ppKyphr8Eas

なにしろ、この方以外のブルーグラスサウンドをブルーグラスとは認めないほどの熱狂的マニアが多く、私のような『そんなことどうでもいい』立場人間にとっては、アナクロ的存在の代表といっても過言ではなかったのです。そして、エルビス・プレスリーもビルモンローの作曲したBlue Moon of Kentukyをビート感溢れる1950年代のロックンロールへと仕立て上げたのを知り、http://www.youtube.com/watch?v=AGeOuAnIvNs嫌いだけど気になるミュージシャンとなりました。

それでも、時代の推移というものは勝手なもので、最近はビルモンローの表現するハイロンサムサウンドがアメリカ音楽の唯一のオリジナリティのようにも思え、You Tubeをクリックしては、お手軽に愉しんでいます。このYou Tubeの功罪は計り知れないものがありますが、それまでのメジャー指向だった世界に、とんでもないマニアックな音楽のあることも分からせた役目には喝采せざるを得ないのです。今ではYou Tubeを通したビルモンローをはじめとするアメリカ南部の音楽を、南部の白人風俗文化を背景にした、文化史的側面の貴重な資料とさえ思っていますから・・・。

さて、1970年代初めに実際のグランド・オール・オープリーのステージをご覧になり、このベストスナップを撮った小森谷信治さんによれば、「ビルモンローが舞台に登場するだけで、周囲には緊張と敬意が満ち溢れ、軽々しさなど隅っこに飛んで行ってしまう」ほどのオーラがあったそうです。

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2009年7月 2日 (木)

すぐ休憩の癖が・・・。

Lrtr 以下は45年も前の話ですから、そこかしこに記憶の落とし穴があって、つじつまの合わないこともありますが、読み流してください。

1964年当時http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1964.html、スポーツタイプの自転車など、全く見かけない時代でしたが、稀に井の頭通りをパールのように輝く綺麗なスポーツ自転車が疾走していて、羨ましい気持ちで眺めていました。何の因果か、久我山の家と吉祥寺の高校を行き来するほぼ中間点に東京サイクリングセンターがあり、その美しい自転車の出所も此処であったことを知りました。雨の日以外は、ほぼ毎日自転車通学でしたから、帰りには必ずといってよいほどこの店に立ち寄りしては傍耳を立てて、出入りする自転車好きな人の一挙手一動を見逃さないようにしていました。井の頭通りに沿って在ったこの店は、当時芝生が一面にありピロティ方式の建物は一階がセットバックしていて、周辺の商店がまだまだ日本瓦ばかりなのに、ずいぶんと進んだモダンな木造建築でした。店内には、見たこともないフランス・イギリス・イタリアの自転車をはじめ、この店のオリジナルブランドであるゼファーや世界中の最高級部品がガラスケースに博物館のように展示されていて、その中でも、彫刻のような姿をしたカンパニョロの部品には単なる部品でなくアートのような感性さえ感じ、ぞっこんでありました。日本の部品はまだまだ情けない状況で、サドルは使い物にならず、変速機にいたっては美しさの微塵も無く、ギアチェンジの度に、ガリガリとぶつかる音が神経を逆撫でし、イライラ感がつのるばかりでありうました。

そしてこの店に入り浸っているうち、創業者・板倉修氏にスポーツ自転車を振興している諸先輩に引き合わせていただき、週末にはお邪魔虫のようにその先輩の後を追って走りながら、走法・姿勢・ペダリングのコツを盗みつつ自転車のもつ魅力にとりつかれていきました。

高校生でしたから、むやみに飲食関係の店に一緒に行く事も出来なかったのですが、先輩たちが楽しそうに、自転車で色々な店に出入りする様子を観つつ、羨ましさだけが先行していきました。皆さん、どうも休憩好きのようで、洒落た店があれば一服、また一寸走って一服と、走りたいだけの私などは皆さん休憩中でも独り周りをきょろきょろしながら徘徊していたのです。

どうやら、この時代の経験が今も無意識にでて、知らない街でも平気でうろうろしながら、町・街・人・店の考現学に熱中してしまいます。

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2009年7月 1日 (水)

イサム・ノグチのあかり

I『 あかり』と称される、イサム・ノグチ (http://www.consolstile.com/noguchi/ )の素晴らしいインスピレーションと日本の伝統文化に対する深い洞察から生まれた照明は今や、専門店・百貨店などでも扱っている人気商品ですが、以前の、目もくらむばかりの明るすぎる照明器具売り場ではその美しさもコンセプトも伝わる事なく、売れ筋の派手な花柄のスタンドばかりが主流の売場では、隅っこにお邪魔虫のように置かれがちでありました。

その後、1990年代後半、BEAMSを筆頭とするセレクトショップがファッション以外のMDを模索している頃に、リビング関連を新しい切り口で展開しはじめ、その象徴としてこのあかりシリーズや、柳宗理さんの時代に媚びない一連の商品が、感性の豊かな若い客層に脚光を浴びたのです。

もともとは岐阜提灯を作っていたオゼキ( http://www.ozeki-lantern.co.jp/ )もひょんなことからこの世紀の大天才と邂逅して、試行錯誤しつつ今日も改良をしながら、日々精進・刷新しています。

我家にこのあかりを入れたのはもう36年以上前でしたが、当時は小田急ハルクか銀座松屋くらいしか揃ってなく、店頭以外の商品はカタログを見て注文したものです。Jaisamunoguchiakari11_1シンプルなデザイン以外にも彫刻家ならではの発想に基づく美しい造形のものが多々あって、楽しいあかりを空間で愉しむには、今のところ、このシリーズ以外、皆無ではないでしょうか。

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