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2009年8月31日 (月)

ひたすら美しい、萩乃薫

Rimg22042Rimg22048山口県萩市の『萩乃薫』Rimg22045は日本の伝統お菓子の代表として『お好きな方々』には著名な逸品なのだそうですが、先日、日頃からお世話になっている方より送られて来ました。外装の包装紙を解くと、美しい水引も鮮やかな本体が表れ、素朴な意匠の中にも萩の銘菓としての誇りが見えるようです。

明治維新となり、旧長州藩の武士の生活安定化のひとつとして考案された夏蜜柑の加工品ですが、蓋を開くとぎっしり詰まった房と皮に見立てた砂糖漬けの夏蜜柑が 華やかであります。 砂糖のまぶし方からかなりの甘さかと思いきや、意外とさっぱりしていて、朝のお茶の友として、梅干代りとしてもしばらくお付き合いが続きそうです。

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2009年8月30日 (日)

雲の流れに秋の気配・・・。

Rimg21988 Img_8324 冷夏に虐げられたこの夏でありましたが、先週からぐっと秋の気配も濃厚となって、自転車には最高の季節となりました。この日、多摩川を登戸方面に向かうとみごとな雲の一団が表れたので見とれていると、西に流れていくスピードが速く、爽快な空模様を堪能できました。平日の午前中でしたから、週末のような混雑もなく前面に展開する雲を追いかける気分で登戸から関戸橋まで行き、ユーターン。最近変えたチェーン用オイルの具合も俄然良く、軋み音も全然せず、周囲の静けさの心地よさを堪能し、鳥、虫の声も聞き分けられるほどであります。

昼頃ともなるとさすがに暑くなり、駒沢公園のサークルベンチで一休み。相変わらず、ウォーキング・ジョギングの皆さんは黙々と自分のエクササイズに集中しており、私のようなきょろきょろしている御仁は見当たりません。比較的中高年層が占めていますが、この世代は負けず嫌いの比率も高く、むきになる性向があり、その結果、急に具合の悪くなる方も出たりと救急車の往来が週末に多いのにもうなづけるようです。又、駒沢公園通りも店の入れ替えが激しく、それも、ある限られた場所のようで、そこには店の内容以前に、人間が集まりたくなる場かそうでないか・・・、の見えない環境力学の違いでもあるがごとくで、あります。

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2009年8月29日 (土)

トートバッグあれこれ。

Rimg21978 久しぶりに田園都市線に乗りましたが、最近の洒落た男性サラリーマンと思しき皆さまがかなりの比率でトートバッグ系の持ち物の多いことに気付きました。

何でもぶち込める優れもののアイテムとして、私世代では始めにL.L Beanのトートバッグを知りましたが、あの頑丈な幌布製のものでは都市型サラリーマンの身なりに向くわけなく、昨今は革製のものから、高質なナイロン製にものまで、登場しています。

中には、日本の伝統工芸のような刺し子風のものまであり・・・、今や、トートバッグは百花繚乱の時期を迎えています。今のサラリーマン諸氏は、パソコン・ゲーム機・電子辞書・漫画本・デジカメ・歯磨き、歯ブラシ・オードトワレ・カード専用財布・などなど仕事道具以外の幅も広がりましたから、ざっくり収納できるトートバッグに嗜好がなびくのも、ごもっともなのであります。

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2009年8月28日 (金)

軽井沢・1945年

194508 太平洋戦争が終結してhttp://www.youtube.com/watch?v=qR6lstlAVbc&feature=related、その後の日本は良くも悪くもアメリカ中心の指導管理下によって、国のありようから教育まで自国のアイデンティティーを今も縛られているわけですが、終戦直後の8月中頃には、此処軽井沢は平和を謳歌する多国の人々が自転車を走らせて、自由の楽しさを満喫しています。

何しろ、戦時中でさえジャズの音楽がいたるところで流れていたと言われる軽井沢ですから、憲兵の監視体制も半端でなかったのでしょうが、いかんせん、軍人・政財界のお歴々のご家族も疎開していたわけですから、おいそれと軍靴で入る込むことも、出来にくかったのでしょう。そのくらい、コスモポリティックな地域であった軽井沢だからこそ、この楽天的な記録写真が、軽井沢のもつ時代感覚を事実として遺してくれたわけです。

軽井沢周辺は農作物にも恵まれていたことでしょうから、都心のような飢餓状態など考えられるわけなく、いたって、健康的なワンショットであります。

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2009年8月27日 (木)

三田・幽霊坂

Photo 幽霊坂という名のつく坂道は東京には数多くあって、今もその名の通りの首筋のぞくっとするような雰囲気は、不滅であります。

此処、三田四丁目の幽霊坂は二本榎通りの尾根道を桜田通り側に下るところにあって、この界隈は、実相寺・常林寺・隋応寺などの寺が固まっていますから、そこから由来した名前といってよいでしょう。昼間ですと日の陽射しをまともに受けますから、此処を5回ほど往復すれば、もう吹き出る汗は止まることがありません。二本榎通りは都心を縦走できるご機嫌な尾根道で、一年中、特に早朝は風も気持ちよく走り抜けることができますが、あっという間に慶応義塾界隈に出てしまいます。ちょっと脇道を愉しみたい方には、幽霊坂・蛇坂・潮見坂などの名前に素直に引き寄せられてみては如何ですか。江戸時代とさほど変らない環境が良好に残されている界隈からは、狭いながらも、独特の古臭い薫りと各寺から漂う御香の香りが、和の世界に引き寄せてくれます。

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2009年8月26日 (水)

素朴な篭

01

Photography Takahisa Ide 

1970年代の頃、地方に行くと思わぬセンスの日用雑貨に出くわすことがあって、びっくりしたこともありましたが、今や情報化の時代で、どんな小さな雑貨でも、ほぼネットからメディアまで出尽くした感があります。

初めて日用品の機能的美しさを見出したのは、残念ながら日本のものではなく、北欧のチーク材のテーブルウエアでしたが、後からチーク材自体は南洋材で、純粋には北欧のものではない・・・といったことを学習しながら、海外の雑貨のことを覚えていきました。会社に入ってしばらく経つと、ファッション雑貨から生活雑貨までをトータルに展開するショップを立ち上げることが続き、伝統工芸レベルからトレンドファッションとしてその年しか流行りそうもない雑貨までを、平行して勉強せねばなりませんでした。

さて、長い間、国内の地場産業は商いとして低迷しているようですし、あまりにも短くなった都市小売業の販売展開サイクルにも対応がついていけないのが実態でしょう。さらに東京の百貨店では地方催事が月に一回はあるほど頻繁で、中でも北海道・九州・沖縄が人気のイベントとして定着していて、食品人気は無論のこと、日用雑貨も根強い人気のようです。しかしその内容にも店側のマンネリが目に付き始め、そろそろ新機軸を打つ時期のように思われます。

さて、画像の篭はイタリア・アマルフィーで細々と編まれているものであります。日本のもののように細かな意匠を施すわけでもありませんが、この地で連綿として作り続けてきた品格さえも漂っていて、清清しいものに仕上げてあります。妙な作為が微塵もなく、ストレートな造形が潔い日用品です。

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2009年8月25日 (火)

フレンチセンスの文具

Rimg21627_2 Rimg21635_2 その国のデザインセンスの水準を計るのは未だに家電製品・自動車などと決まっているようで、相も変わらず発展途上的発想が纏わり付いています。

先日、表参道の文具屋を覗くと、フランスの他愛無い丸シールを貼り付けるウルトラマリーン色をした箱入りの商品が棚奥にひっそりとしていました。日本製でもお馴染みの丸シールですが、全て一枚のシートにべったりと貼ってあり、洒落っ気の微塵もありませんが、このフランスのものは、ひとつずつ箱から引き出しながら取り出すという極めて悠長な仕掛けです。大昔の駄菓子にもこれとそっくりな仕掛けの変わり玉の箱があったような記憶がぱっと閃きました。この大らかさから、フランスの事務処理の長閑ささえ想像できるようで、効率一辺倒でない国のゆとりさえ読み取れるようです。

さて、20年以上前に買い占めた、おなじフランス製のクリップなどもとうとう残り一箱となってしまい、記念に一緒に並べてみましたが、良くお似合いであります。グラフィックの秀逸さなど、たかが引き出しの中に埋もれるものであっても、手抜きのかけらもないセンスに脱帽であります。

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2009年8月24日 (月)

氷の柱を登る!

Petzl_20060302 クライマーに憧れている人というのは、それほど多いわけではないでしょうが、海外のクライマーの写真を見ていると、その舞台のスケールがが日本とは段違いであることが分かり、人口もそれなりに居るということに納得です。

それでも岩登りならいざ知らず、こんな氷の壁を登る神経は尋常でないだけに、やはり、皆さん普通ではないようであります。

私など、この氷の壁が突然剥がれたら、どうなるの・・・、などと尻込みしてしまいそうです。夏の清涼感に浸るのにはこの上ないロケーションでありますが、本人よりも、見ている者の方が、冷や汗をかきそうです。

この岩から染み出た水が溜まって、まるで鍾乳洞のような、柱を形成してますが、昼間はこのように光を浴びているわけでもあり、何ともはや・・・であります。

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2009年8月23日 (日)

細谷厳 LAST SHOW

Rimg21597 Rimg21692_2 Rimg21693 Rimg21696 「とにかくうまくなりたかった。うまくならないとプロのデザイナーとして生きていけないと思った。しかし、うまくなるといっても、どうしたらうまくなれるのか、とても焦った。そして、うまくなるためには、デザインだけでなく、絵画・映画・音楽・文学、さらには、人間のこと、世界のことなど、自分が素晴らしいと感じるものを沢山、見ること、知ることが大切だと先輩たちに教えられた。」1954年・18歳の頃 細谷厳

銀座GGG http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/ で開催中の稀代のアートディレクター・細谷厳さんのLAST SHOWはアナログ時代のデザイン作法までも読み取れる秀逸なものです。私世代の教科書ともいうべき細谷さんのほぼ全仕事が展開されていて、軸ブレの全くない精度と職人芸ともいうべきレイアウトが観られます。1970年代に一度仕事とは関係ない場所で細谷さんの勤務先であったライトパブリシティhttp://www.lightpublicity.co.jp/aboutus/index.htmlの方からご紹介いただきましたが、高倉健さんのような風貌にひどく緊張した覚えがあります。1980年代には千駄ヶ谷GAギャラリーhttp://www.ga-ada.co.jp/japanese/ga_gallery/index1.htmlで細谷さんの絵コンテの展覧会があって、その美しい重ね塗りの色鉛筆の表現力に卒倒するような衝撃を受けました。

営業指向の強い広告代理店が仕切る以外の、クライアントと直結した高いクリエーティビティな仕事の潔さには、ご意見伺いのような揉み手する処理などいっさい見られず、ひたすらメリハリのあるヴィジュアルコミュニケーションに徹しています。

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2009年8月22日 (土)

京都 俵屋の石鹸

Rimg12088 嬉しい頂き物は、いくつあっても困らないものなのでしょうが、一時は、虚礼廃止の生活慣習が定着し出したものの、日本独自の歳時記に基づく風習でもあり、若い世代の伝統風習への見直しなどもあって、又々、この贈答文化の流れが戻ってきたようです。

京都・俵屋さんの石鹸も、嬉しい頂き物です。海外ブランドや、国内化粧品メーカーのフレグランス指向の香りでなく、其処は京都、老舗香店との共同開発による日本の香の清清し品物です。

今や、京都で気の効いたギフトブランドとして定着した俵屋の各種アイテムは、当主自らが関わり、売れ筋とか顧客のニーズとか・・・、一切のマーケットイン的発想を無視し、徹底的な作り手の誇りを表に出したプロダクトアウト発想だからこそ、寿命も長く、飽きの来ない優れた傑作品(マスターピース)を生み出すのです。凡そ、プロダクトアウトの品こそ、ロングセラー商品となること多く、その誇りと魂が京都には連綿として受け継がれています。

このパッケージひとつ観ても、印の白地に黄丹色と包装紙の微妙なピンクゴールドとのハーモニーが絶妙であります。一歩間違えれば果物屋さん的イメージにもなりかねないところ、温雅ながらカジュアル感もあり、半歩先の京都のあるべき姿さえ、読み込んでいるようであります。

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2009年8月21日 (金)

世田谷文学館・堀内誠一さんの展覧会

Rimg21738Rimg21702Rimg21745Rimg21739Rimg21697「アンアン」「ポパイ」「ブルータス」など、誰もが一度は目にしたことのある数々の雑誌。その創刊から現在まで受け継がれているタイトルロゴやレイアウトデザインの基礎をつくりあげてきたアート・ディレクター堀内誠一氏。アート・ディレクターのほかにも、エディトリアル・ディレクター、絵本作家と様々な顔を持つ堀内氏の、多彩な創作活動の全容を紹介する展覧会「堀内誠一 旅と絵本とデザインと」が東京・世田谷の世田谷文学館http://www.setabun.or.jp/exhibition/horiuchi/にて開催中だ。

堀内誠一氏(1932~1987)は、戦後、弱冠14歳にして伊勢丹百貨店の宣伝課へ入社、装飾係員としてウィンドウディスプレイや展覧会、PR誌「ブーケ」の制作に携わり、早熟な才能を開花させた。勤続約10年を経た後、広告デザイン会社アド・センターの設立に参加し、本格的にデザインの仕事をスタート。その後、さまざまな雑誌のアートディレクション、ロゴデザイン、絵本の挿画を手がけ、絵本作家としても活躍した。この展覧会は、世の中にあふれる堀内氏の作品の数々を一堂に集めた展覧会である。

これまで、秀逸な展覧会は数多くありましたが、この堀内誠一さんhttp://www5a.biglobe.ne.jp/~wo-house/horiuti.htmの展覧会は、私が無類の雑誌好きということもあるのでしょうが、展示されているスケッチから雑誌のレイアウト・タイトルデザインなどなど、博物館のような展示が功を奏し、あの雑誌作りとしての黄金時代のエネルギーと超人的技巧がガラス越しに観る者に飛び込んで来ます。14歳で伊勢丹宣伝部に入社し、海外のファッション雑誌などを観つつ、体で美しい紙面づくりを覚え、その後の人との出会いにより、幅広い仕事を自分のものにしていきますが、マガジンハウス社の雑誌のアートディレクターの仕事ぶりがその質・量ともに冴えわたります。あのブルータス誌のロゴもロトリングで製図された様子がワンコーナーきちんと設定され、食い入るように見入ってしまいました。今ではDTP主流でしょうが、切ったり貼り付けたりして理想の紙面に近づける思考回路の鍛錬こそ、王道なのでる・・・、などと感じ入ってしまったひと時でありました。090817brutuslogo1

この二点の写真撮影 鈴木芳雄090817gazai1 久しぶりの芦花公園でしたが、周囲はすっかりグレードアップした環境となり、旧ウテナ邸も門などが残るのみですが・・・、「武家屋敷のような土壁が延々と続くこの界隈は誰の住まいなのか・・・」、などと思いつつ自転車で通り抜けた昔に戻ることも出来ました。

   

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2009年8月20日 (木)

ささま・岩清水 雲の峰

01 02 Photo スイーツの隆盛は和菓子業界にも少なからず影響が出て、今や無国籍的和菓子の跋扈は百貨店の売場を徘徊していても目立つ状況であります。ただ、残念ながらその材料のまとめ方、色相バランスなどの視点から及第点に及ばないものばかりであることも事実であります。

その点、神保町・ささまの和菓子などはミニマリズムともいうべき引き算美学の宝庫であり、瞬時にその季節感が観る者に理解できるところなど、新参者とは雲泥の差なのです。

『岩清水』の泡立つ清流、小豆の岩のみごとな表現、『雲の峰』の入道雲の量感・・・、どちらも冷夏であったにも関わらず、涼しさの表現のみごとさにうっとりとしてしまいます。

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2009年8月19日 (水)

サーフィン三昧

Leroy_grannis02_2 Leroy_grannis03 高校三年生の頃(1965年頃)ともなると、男子生徒の趣味も多様化しだし、スポーツの世界を極める輩と文化・芸術の世界に目覚める輩など、それは面白いほどのバラエティがありました。

そんな中に、サーフィンは新しい風俗として、日本に紹介されだし、1963年に大ヒットしたBeach Boysの「サーフィンUSA」 http://www.youtube.com/watch?v=k1FaflUn4Co の後押しもありそれは新鮮に映りました。が、私は水泳をはじめとする水・海系に関わる分野には根っから苦手意識をもっていましたから、周囲の男子生徒ほどは、興味を示しませんでした。

サーフィンにしても、ヨットにしても、住いの傍にそれを出来る環境が無ければつまらないでしょうし、元々、そのようなものなのだ・・・などと、若いうちから妙な悟り気分で達観していました。その後、1972年頃からアメリカの新しいトレンドとして、健康・スポーツ指向が顕著となって、ヨット・サーフィンも大ブレークしていきましたが、私はせいぜい、Top Siderのデッキシューズどまりで、相変わらず、自転車・スキーに没頭していました。

さて、LeRoy Grannisが1960年代に撮影したカリフォルニアのサーフィン写真には、日本のサーフィン風俗とは違った、地に根付いたサーフィンの世界が読み取れます。サーフィンは確かに一歩間違えれば危険極まりないスポーツであるものの、ある一瞬の風・波・光を自分独りのものにできる稀有なスポーツのひとつであることは、この本を通して伝わりますし、一度この快感を占有してしまえば、もう虜になるしかありませんね。

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2009年8月18日 (火)

国境が変われば・・・。

609 画・安野光雅

1967年、初めてのヨーロッパ旅行で最も印象深かったのは、フランスとスペインの国境が変わると突然、地の色、住居の色が変わってしまったことでした。柔らかいパステルトーンのようなフランスの田舎町があれよあれよという間に赤茶色を帯びた景色一色となり、おまけに景色そのものが乾ききったような世界となりました。これほど違いがあるのなら民族性が異なるのは当たり前で、古来、いざこざの数は耐えないことは当たり前なのだ・・・、などと若輩ながら思いました。

さて、安野光雅さんのスペインのスケッチにも、乾ききったスペインの景色がリアルに描かれています。この時期に、スペインの乾いたスケッチ画集を観ていればおのずと喉も渇ききり、冷夏でビールの売上も前年比10%以上落ちているビール業界に少しは貢献してるのでは・・・、などと一人合点しています。

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2009年8月17日 (月)

多摩堤通りの一角

Img_8202 目の前がすーっと広がり、多摩川の光輝く水面が現れると、実に気持ちの良い気分となり、此処、多摩川堤通りは、連休シーズンのバーベキュー狂乱時季以外は、いつ来ても、飽きないスポットです。

通りに面した植栽も、しっかりと管理されていて、スポーツする人間にとっては邪魔にならず有難い話なのですが、最近はその管理状況も過激になって、何処もさっぱりと刈り上げられた坊主頭のように、そっけない気がしないでもありません。

その中で、この一角だけは、何故か近代の気配がまったくせずに、ひたすら大昔の多摩川の気配にあふれている観があります。昼間ですとさほど気になりませんが、夕方あたりに此処を通過すると、ちょっと気持ち悪い予感さえ閃いてしまいます。街路灯もありませんから、月夜の晩には辻斬りなど・・・、といった時代劇の一場面がぴったりの、場所なのです。

登戸から多摩水道橋を潜ると、間もなく登場する、この一角は、夏場ですと気持ちよい風が吹いてくれて、疲れ果てたサイクリストのお休み処の定番でもあります。

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2009年8月16日 (日)

にょきにょき してます。

Img_8330 Img_8331_2 春は光から、秋は風から・・・、季節の変化はこのような感覚から感じとれるなどといわれますが、今日(8月15日)は正に秋風といっても良いほどの爽やかな流れが朝から体にあたっていました。用賀方面から多摩川に出る前に、ちょっと寄道し、五島美術館界隈を抜け、その落ち着いた環境にしばし浸りきってましたが、ふと思い立ち、噂になっている二子玉川ライズのタワー&レジデンスhttp://www.rise.sc/の状況を覗き見させていただきました。世田谷の国分寺崖線の中でも大山・富士山を望む景勝地の別格でもある五島美術館の庭を鉄扉越しに撮影させていただきましたが、このような光景です。以前は、美しい大山・富士山がビッグスケールで望めましたが、これですと遺憾ともしがたい有様ですね。東急コンツェルン創業者の別邸でもあったわけですから、自社の一大事業に関わるこのタワーには文句も言えない訳でしょうが、周囲の皆さんはどんな気分でお過ごしなのでしょう。

上野毛の急坂をブレーキの掛け続けで下り、二子橋を渡り、タワーを望むと、どんどんと高くなっていくのが良く分かります。二子玉川駅周辺はクラス感ありありな大規模商業開発として鳴り物入りなわけですが、果たして、生活価値観の変化もあり、大当たりとなりますかどうか・・・。http://www.futakotamagawa-rise.com/

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2009年8月15日 (土)

大岡山風景・東工大本館

Rimg21162 Rimg21166 自転車で町を散策していると、風の通り具合の良し悪しが分かって、ついでにその土地の地勢までもが想像でき、『ご趣味』としては、なかなか上等な類ではないかと、独りにんまりしてしまいます。しかし、昨今のビルラッシュの御蔭で、ご機嫌な涼風のポイントも、突然無風となってしまうこと多々ありで、せめて、まだ健在な涼風ポイントを訪れては、そっと優しい風の恩恵を愉しむしかありません。

自由が丘からほんの少し東にある大岡山は南に洗足を控え、起伏の多い都心のコンパクトなヒルクライムゾーンですが、小高い丘を中心に町があるため、その陽射しの明るさは、なかなかのものであります。おまけに旧過ぎず、新しすぎず、程よいバランスが絶妙な商店街は落ち着いていて、物価も周囲の町より安めという噂ですから、暮らすには大いなる穴場なのであります。この日は、東京工業大学のキャンパスに入り、落ち着いたキャンパスを徘徊しましたが、本館の美しさに感激いたしました。1936年に建てられた建築ですが、所謂、インターナショナルスタイルの代表作で、新宿伊勢丹・東京駅傍の中央郵便局と趣きが一緒の風景です。おそらく最近、白亜の部分を綺麗にでもしたのでしょうか、ラギッドな石積みの部分とのコントラストが知性の良識そのものではありませんか。おまけに天井から吊るされた照明は鋳物で製造されたのか、白とのコントラストと東洋的装飾が絶妙でありました。

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2009年8月14日 (金)

日記はコラージュ!。

Photo 自分の日々の些細な記録をつけておくと、そのときは面倒と思っていても、後から見たり、読んだりすると、ただ成り行きで記述した一言が、くっきりとその時の状況が浮き出してくれます。

ただ、文章を刻むだけですと、面白くもないですから、この佐々木悟郎さんのスケッチ帖のように、自由自在な素材を張ったり、付け足したりすると、立派な自分の記録誌となって、些細な日々の出来事が、ぐっとセンスアップ・ブラッシアップされて、ご機嫌な作品にまで昇華しています。

都心で生活していると、フライヤー・ちらし・DMから手紙・葉書に至るまで、毎日何らかの紙媒体に付きまとわれますから、上手に貼り込んで悪戯気分で、遊んでいると、これはこれで、洒落た時間の過ごし方とでも云えるでしょう。

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2009年8月13日 (木)

落ち着く逃げ場

Photo_10 新しく出来る飲食店の殆どが、落ち着かなく、こうなると、昔どこの町にもあった普通のバーが懐かしく感じています。

ふらっと入ると、ドキットするほど馴染む感性の店というのは何処かにあるのでしょうが、最近は軽い腰をあげて出かけるほどの好奇心もやや薄れてきてますし、それよりも、独りで入っても楽しい、物知りのおやじが居るような店も減ってきて、時代の趨勢なのか・・・、時を遊ぶ店がなくなる傾向なのでしょう。

それでも、最近は古い建物をリフォームして、内装にはそれほどお金を掛けず、無垢のカウンターだけが主役の店もちらほら見え出しました。こんな店に限って、酒だけは飛びっきりのものを置いていたりしてますから、けっこう侮れませんよ・・・。

こと左様に、音楽も1930年代のホテルのサロンミュージックだったりして、徐々ではありますが、私には嬉しい状況となってきました。不思議なもので何処で嗅ぎつけたかは解りかねますが、同好の士がお互い意識しつつも知らない素振りを見せながら、さほど広くない店内にうまい按配で散らばっているのです。

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2009年8月12日 (水)

元祖・エコなフェスティバル

Bluegrass201 写真:小森谷 信治

1970年代半ば迄のブルーグラス界は新旧後退の感があって、極端にいえば、毎月毎月新人バンドが登場しては話題をさらっていくという状況でした。

1974年に刊行さtれた小森谷さんのブルーグラス・フェスティバルを巡る一連の写真集『Blueridge Mts Friendly Shadows』には当時の新旧世代交代・感性変化・風俗混合などがモノクロームの秀逸な写真を通して、伝わってきます。この頃、ギターケースなどに貼る横長のステッカーには『Clean Up Air Polution Play Bluegrass Music』というキャッチフレーズが書かれ、今様でいえば、エコなスローガンでありました。

ブルーグラスの楽器は原則的にはアン・プラグドでありますから、このようなフェスティバル会場の音響設備も質素なものでしたが、70年代後半ともなると、設備もロックフェスのように大掛かりと成りだしましたから、静かな雰囲気を楽しみだった守旧派の客筋は一気に足が遠のきました。日本でいえば、箱根ブルーグラス・フェスティバルのように森林浴を兼ねられる会場で、連日アコースティックな世界に浸れる至福のときは、一度経験すると、もう止められない・・・、のであります。http://www.youtube.com/watch?v=840k1mSewSE

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2009年8月11日 (火)

永く使ってましたが。

Rimg21576 Rimg21577 Rimg21579 永年使い続けたモノが突然、按配悪くなるのにも一定の周期というものがあるようです。この椅子、たしか日本製でメーカーを度忘れしてしまいましたが、1970年頃に伊勢丹で買い求めたモノです。当初4脚あったのですが、どうしても譲ってくれという友人の懇願に負け、今ではこの一脚だけとなってしまいました。合板で作られたカジュアルなスタイルに惚れこみ、使うにつれてニスの色も深みを帯び、私の最も愛用し続けた道具のひとつでありましたが、先日書斎の天井ライトを交換するのに、この椅子に上ろうとしたところ、ミシッと鈍い音がし、ひっくり返してみると座面の裏側の合板が裂けていました。そろそろ寿命では・・・、などと勘繰ってましたが予想どおりのできごとに半ば納得でもあります。それでもためしに座ってみると、裂けた分だけテンションが衰え、逆に座り心地がまろやかになり、これはこれで、まだまだ使えそうな様子であります。

そんなわけで、1970年頃に買い求めた道具のあれこれが今年になって、劣化したり壊れたりと、慌ただしいのであります。

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2009年8月10日 (月)

1956 今日の日記「ちんどんや」

32804 1956年、小学校3年生の夏休みの日記です。この年から急に野球に目覚め、家の近くにあった、大蔵省印刷局グラウンドの野球場で、印刷局・局対抗戦を日曜日になると独りで観戦していました。

ルールなどまだ分かりませんでしたが、黙って観ていると、観覧席の隣の小父さんが親切に教えてくれて、その積み重ねで、いつの間にか野球のルールを理解していきました。

このグラウンドが出来る前は広い農耕地で、戦時中は岩崎通信機や吉祥寺にあった中島飛行機工場を狙いに来る、米軍の戦闘機に対抗する高射砲陣地があったそうです。

1956年頃は、グラウンドの周囲は一面畑で、風が吹くと家の中までじゃりじゃりになるほど、土埃が舞っていました。その畑の脇道を通り、ちんどんやさんが行進して来た様子がこの日記に記録されています。久我山の町が新興サラリーマンのベッドタウン化し出した頃でしょう。それまで娯楽の店など皆無だった久我山に初登場したパチンコ屋の街宣の様子ですが、商店街からずいぶん離れた野球場界隈まで街宣していたことが分かります。

現在も、このグラウンドは健在で、しかも周囲の畑も比較的、残っています。Cft

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2009年8月 9日 (日)

IKEAに遊ぶ・

Rimg21549 Rimg21587 Rimg21551 IKEA港北店に行ったのです。それも、人伝に聞いていた朝11時までの100円で1円のおつりが戻るモーニングセットhttp://www.ikea.com/jp/ja/store/kohoku/restaurantを食べることをお目当てに・・・。環状八号線から第三京浜に乗り10分ほどで港北インターを下りるともう目の前にIKEAはあるのです。10時過ぎに到着しましたから、店内はがらがらで、二階のレストランに直行・・・、お目当てのモーニングセットを注文しましたがオムレツとソーセージ、温野菜が程よいボリュームの上、この日IKEA FAMILYの会員になったカードを提示すればドリンクは無料という、凄さであります。さっさと食事を済ませ、商品を観て回りましたが、照明・カーテン・ソファーの低価格と品質・デザインの高さに嬉しくなり、照明器具を三点ほど購入。他にも物欲を刺激するものが多く、あっという間にお昼近くまで時間が経過してました。レストランに戻って一服しようと思ったのですが、既に写真のような有様。完全なお子様ランチタイムに豹変していました。ありきたりのファミリーレストランでは満足できない比較的ゆとりのありそうな客筋で大混雑でしたから、そそくさと退館し、ふだん通らないルートで246号線に向かい、荏田経由で世田谷まで戻りました。

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2009年8月 8日 (土)

1956年・箱根の寮

673195603 小学校3年生の夏の学校は、箱根芦ノ湖傍にある学園の寮で行われました。いわゆる箱根戦争と呼ばれる、小田急・西武両鉄道会社同士の熾烈な競争が始まった頃でありますが、此処はそんな周辺の生々しさとは別天地で、まるでイギリスの湖水地方のような穏やかな箱根の景観が東西南北、360度パノラマで展望できました。

寮の北側には乗風台と呼ばれる広大な草原が広がっていて、背丈ほどもある草木が欝蒼としていましたから、当時、小学生に流行していた水雷艦長という遊びには絶好の隠れ場所がたっぷりでした。

東京の生活を離れ、友達と一緒にこの恵まれた環境で過ごせた何年間は、自然環境の豊かさを知らず知らずに体得していき、自分の生活価値観として、自然に対する敬愛が育まれていったと実感しています。

この写真は朝の朝礼を前に、慌ただしく洗面に並ぶスナップです。質素を旨とする学園創立者の理念は、生徒の日々の生活場面にまで徹底していて、水の出し方から食器の洗浄に至るまで、決め細やかに文言化されていました。それでも元気な年頃ですから、朝食を待ちきれない生徒も多く、食事の時間まで畳部屋で大暴れしては、先生に大目玉を食らっていました。

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2009年8月 7日 (金)

ルイヴィトンの電飾

Rimg21361 例年にない冷夏という噂もどうやらほんものになってきたようで、野菜の高騰、魚の生態に異変・・・、などなど、生活にも少しずつ影響が出始めたようです。おまけに先月末から夏らしい陽射しも見られず、関節の節々にも普段感じなかった軋みが出て、体調にも微妙な変化を感じています。

久しぶりに用事で表参道に出向き、その帰りに観たルイヴィトンショップの電飾は冷夏に支えられ、暑苦しくなく、むしろ、日本の氷菓のインスタレーションにも見立てることができるような、美しいものでした。

もしかすると、日本の伝統美術を知り尽くした上で、あえて、猥雑なサブカルチャーを隠し味にルイヴィトンのアートディレクションまで関わりだした村上隆さんの確信犯ともいうべき表現なのでしょうか・・・。私は直感的にパチンコ台からインスパイアーされたのでは、などと勝手に思ってしまいます。雑然としたエネルギーに溢れたパチンコ台からと思われるエキスを、このようにセンスアップした表現として昇華した才覚に脱帽でありました。

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2009年8月 6日 (木)

鈴木信太郎の『越後の海』

31_1 1937年(昭和12年)に越後を旅した鈴木信太郎は柏崎近くがよほど気に入った場所だったのでしょうか・・・、此処からの風景を数枚描いています。佐渡の方向を描いたこの絵にも、鈴木信太郎らしい深い緑と青の重ねによる独特の、上品ながらも力強い表現をしています。

豊かな家庭に生まれた鈴木信太郎らしい避暑モチーフで、あたかもデュフィーの南仏蘭西の光景のようにも見てとれます。この絵の中では樹木の表現が卓越していて、琳派のそれにも通ずる大胆なアレンジぶりであります。

昭和の暗い時代の年 http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1937.html に描かれたにも関わらず、鈴木信太郎は黙々と明るい生活の画趣に向けて、ひたすら画業に勤しんでいたのです。

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2009年8月 5日 (水)

軽井沢・1933年

193308 1933年http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1933.htmlは昭和史・世界史にとっても様々な出来事の生じた年で、その後の暗い世相を牽引したきっかけもこの年に起因することが多いのでありますが、軽井沢にはまったくそのような暗雲立ち込めだした様子の微塵もなく、戦前の格差社会の風俗を如実に物語っています。

ところがある方の話ですと、この数年前からドイツ国の外交官と日本の官僚がこの軽井沢において、様々な謀を画策していたようですから、実態はこのような優雅な側面だけではなかったようであります。

国際連盟脱退・ヒトラー首相に任命・生糸相場大暴落・小林多喜二拷問死などの暗い出来事の多い中、皇太子誕生などの明るいニュースも僅かながらありますが、カゴメトマトジュースがこの年に誕生したとは知りませんでしたね・・・。

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2009年8月 4日 (火)

Field Ballでありたい!

Chkuio  あれほど子供の頃は野球少年だったものの、いつの日からか、興味対象の選択肢がスポーツ以外の文化・芸術にまで広がっていきました。

小学校高学年から中学一年頃までは父と神宮球場や後楽園球場と巨人戦を主に観戦していました。まだ管理野球の萌芽する以前で、各チームに独特のキャラクターを持った人気選手が多く存在していましたから、個性的なフォームのピッチングやバッティングの姿を観ているだけでも、勝敗を度外視しても楽しかったのです。

それと何よりも、広い芝生と澄み切った空というスポーツの舞台の王道である自然環境の中で、繰り広げられる試合だからこそ、風や光に影響されて思わぬ試合展開に変化していくのですから、今のような比較的自然影響を受けにくい全天候型スタジアムでは味わえない爽快感があったのです。

野球はまさにField Ballであって塁球(Base Ball)ではありませんから、今でも米軍基地の近くを通ると鮮やかなグリーンの芝生に囲まれたグラウンドを観るとゾクゾクしてしまいます。

今でもたまにではありますが、神宮球場に六大学野球大会を観に行きますが、やはり青空の下で観戦するほどご機嫌なことはないと、いつも痛感するのです。

Rimg1284 古いアメリカの野球の本を捲りますと、トレーナーやT・Shirtsなど、素晴らしいキャラクターが満載されていて、これらもFieldだからこそピッタリのものであるし、そうでなければ、特に東京ドームでの巨人戦のように改札入口でオレンジ色のスポーツテースト皆無なすっぴんタオルを配られるなどという、野暮なことは起きないでしょう・・・。野球場は健康ランドではないのですから・・・。

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2009年8月 3日 (月)

1962 西伊豆・大瀬崎 遠泳の不安

196202 中学3年生の夏の学校の写真ですが、遠泳が始まる直前の不安感に溢れた様子がありありであります。

大瀬崎は、湘南のようなからっとした砂浜でなく、地味な気配の濃厚な海水浴場でしたし、地元のこども達も褌の集団がよほど、珍しいのか、私達の周辺を遠巻きにして見ていたのを覚えています。

和船に腰掛けている生徒は頭には赤・白の帽子を被っていますが、水泳の技術は白の方が上級で、赤い帽子の何人かは、この遠泳を無事最後まで頑張れば、白い帽子のクラスに上れる人達です。

私は小学生時代から水泳が苦手で帽子はもちろん赤でしたから、遠泳イベントの当日は、ただひたすら、泳ぎ終わってへとへとになって戻ってくる生徒を、見ているしかありませんでした。生徒が座っている和船は遠泳に伴って救助する役目ですが、途中でリタイアする生徒も僅かで、終始、上手な泳ぎっぷりを羨ましい気持ちで見続けていました。

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2009年8月 2日 (日)

手すりの処理・深大寺なのですが

Rimg10900 Rimg19521静かな緑に囲まれた深大寺も、山門近くになると、賑やかな装飾に溢れた、今風のマーケット感覚の店が見えてきます。

静かな朝の内に此処を訪れると、打ち水をしたり、名物の蕎麦・饅頭・団子の仕込みに急がしそうで、それを見物しているだけでも、清清しい気分になります。

深大寺の山門の階段には、このような、洒落たつくりの手摺があって、その素材特性を生かした、処理は、机上からは生まれない、何か、独特の感性と合理性を感じ取ってしまいます。

今は、どうか分かりませんが、私の学生時代、デザイン科には素材研究の時間があって、自然素材から、化学素材まで、手当たり次第にその特性を活かした造形を考えたりしましたが、所詮、学生の未消化レベルに留まり、何とも中途半端で終ってしまいました。

植栽を業とする皆さんは、実学に裏打ちされた、面白い工作をするもので、この手摺も全国共通のまとめのカタチなのか分かりませんが、実に今の時代に合った、サスティナブルな始末のデザインであります。

以上は、昨年晩夏に深大寺に出向いた折の記事で出稿せずにいたのですが、先日行ってみると、全く様相が一変して、安全対策を熟慮した結果なのか、このような(下の画像)モダンデザインとなっていました。そのあまりにも残念な推移もあり、あえて、本日掲載いたしました。

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2009年8月 1日 (土)

デュフィの南仏

Dufy3 デュフィーのさらっと描いた軽いタッチのデッサンに近い画趣も、軽快な空気が部屋中に溢れてご機嫌なのですが、かたや、この画趣のような、絶妙な混色によるブルーを基調とした、深みのある一枚も捨てがたいのです。

こってりとした重ね色の効果は、下地の色を吸い上げて、単色では表せない、華麗な雰囲気を生み出します。デュフィは装飾画家としての経験の長さから、アート指向というよりも、グラフィック指向が強く、その、構成とアドリブに近い、コントラストのセンスは、今もって、光彩を放ち続けてくれます。

この画でいえば、右のパームツリーの葉に見られるインディゴ・ブルーのアレンジなどは、さしずめ『アドリブ王』の面目百花とでもいえるのでは・・・。

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