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2009年9月30日 (水)

美しい本!

Img_6350 Img_6351 何でもデスクトップを通して情報を手に入れることが出来るようになりましたが、たまに、素晴らしい本に出会った時には、やはり出版文化の底の深さというものを感じます。

神保町近辺にも、なかなか洒落た切り口の本屋さんが点在していますし、郊外の住宅地にも、趣味的な薫りがする書店もちらほら、してきました。紙のメディアには美の表現というものがあって、それをページごとに前の残像を残しながら展開できる贅沢さは、他では為しえない世界ですし、ストーリーを楽しむにも、これほど優れたメディアというものは、無いのではありませんか・・・。

紙の素材にしても竹尾( http://www.takeo.co.jp/ )が開催する展示会などでは、びっくりするような新素材の提案もあったりして、毎年楽しみにしています。時代の流れが『もっと、買おう』から『もったいない』をグランド・デザインとしているようですから、情報の消費よりも、文化の薫りを育む社会が求められだしたのかも知れません・・・。

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2009年9月29日 (火)

洋食に出会いだした頃!

1901 今や、なんでもありの東京のレストランですが、その昔、まだスパゲッティーといえばナポリタンかミートソース程度しか存在していなかった1960年代はじめ頃、父に連れられ六本木のレストランで食べたスペイン料理には、びっくりしました。

その新鮮な魚介類がふんだんに盛られ、レモンがたっぷりと放り込まれた鍋など見たこともありませんでしたから、ただひたすら喰らいつくしかありませんでした。魚介の絶妙に混ざった出汁の香りは未知との遭遇でしたし、ワインやオリーブオイルを隠し味にしたその風味に感動しっぱなしでした。それが、パエリアという名の料理であったことを知ったのは、後に車で遊び出した1966年に入った、横浜・馬車道のビストロでした。

この翌年1967年、「海外自動車レースとジュネーブ・トリノ自動車ショーの取材のアシスタント」という振って沸いた勢いのある話に便乗して、初めてのヨーロッパ旅行に行くこととなり、西欧の食生活に慣れるため、東京都内のイタリア・ドイツ・フランス・スペインのレストランに、手当たり次第入りました。

東京オリンピックも終わって、一気に近代都市の様相を呈しはじめた頃でしたが、今から思えばずいぶん怪しげな店も多く、どきっとすることもありましたが、さほどトラブルもなく今日に至っています。

この時代、特に赤坂・六本木には怪しげな店が多かったのですが、そういう店に付き物の胡散臭さと貧乏臭さが無かったからこそ何処も大繁盛していました。やがて、多くの店は妖しさ・艶っぽさに変わったものの、現在も上昇志向の輩は、この町にとめどなく吸い込まれていくのです・・・。

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2009年9月28日 (月)

猫とガチンコ!。

Rimg22675 自転車でかなり飛ばしていても、一寸先の光景に妙な予感が走り、「もしかすると何かが、いそうだ・・・。」と感じることがしばしばあります。その殆どが、期待はずれとなりますが、稀にこのような状況に出くわすこともあるのです。

先日、環状八号線の上野毛から中町方面に向かう、陽射しから逃げ場のない真っ直ぐな道を走っていると、地元の植木屋さんと思しき生垣が続き、何となく「いそうだな!!!。」と思い、ふっと左の茂みを覗くと、立派な顔立ちの猫がこちらをじーっと見ていました。カメラをポケットから出す間もじーっとしていて、シャッターを押しても、堂々としています。この界隈の主的存在なのでしょうか・・・、その立振舞いは、びくびくすることなく、悠々としていました。

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2009年9月27日 (日)

相撲と豊作祈願

Photo_15 名横綱・栃錦の土俵入りは力強く、ライバル意識むき出しの若乃花とともに私の小学校の頃は人気を二分していました。野球に相撲と、子供の頃のスポーツはこのふたつくらいなもので、今から考えれば少ないわりに楽しかったのです。髭の行司・式守伊之助が発するブルーグラッサーも仰天するハイテナーの声も、いまだに鮮明に焼きついています。

さて、子供の頃は知らなかったのですが、相撲が神事であることが、この横綱・栃錦の注連縄と御幣に象徴されています。注連縄は結界であると教わった事がありますから、正に横綱とは神そのものなのでしょうか。それとも、ある宮司から聞いた話でありますが、注連縄とは雲を表し、御幣は雷を表し、このふたつが揃ったところこそが豊穣を約束された場であり、豊作を祈願するために田の神様が宿る場であるということでもあるそうですから、奥深い意味とかたちがあるようです。

土俵の土も場所ごとに掘り起こして、新しい水を蒔いて蘇らせ、新しい土を盛付けていくようですから、この辺りの儀式も田植えに近いものがあって、清清しいものです。

相撲もすっかり国際化して日本人よりも外国人の方が頑張っているご時勢ですが、単に格闘技だけではない日本の農業文化と神事を秘めている以上、国技相撲くらいは守旧・攘夷思想を徹底するべきではないでしょうか・・・。

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2009年9月26日 (土)

一億一丸!

Photo

写真:日本テレビ

何ごとも一億一丸となって・・・などというご時世はとっくの昔に消え去り、今では一億夫々がお好きなようにといった風潮が、各分野でも浸透してしまった感があります。

電車の中の携帯電話を押し続ける群集を見た友人のフランス人が「キモチワルーイ」と叫んだのにもうなづいてしまいますが、世間はまったくこの個人化していく兆候に意外と無関心のようです。

先日などはヘッドホーンでiPodを聴きながら、さらに何と!、携帯電話を見ながら逆走する自転車が,こちらに向かって来ましたから、さすがにこの時は私も車のウィンドゥを開けて、大声で怒鳴ってしまった次第です。

こと左様な勝手仕放題の状況なのですから、個々個人に対応する商品を作って売る立場の皆さんも、知恵の出し合いよりも知恵が枯渇してしまう段階なのかも知れません。

一つのモノが風俗にまで影響を与える携帯電話・音楽プレーヤーなどは、その英知と技術を個別対応機能に集中しているのですから、ICの果たした個別への技術の進化はまだ止まらないのでしょう。

昭和30年代のテレビの黎明期の街頭写真などを観ると、ただ懐かしさだけでなく、皆が共通の体験をしていることが後を引き、今でも集まれば他愛無いあの頃の話に花が咲くだけなのでしょうが、案外、鮮明な追憶として同時代性のもつ安堵感が、人生の潤滑役を果たしてくれたように思います。

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2009年9月25日 (金)

雑誌のぶら下がり・尾山台ハッピーロード

Rimg22365 東急大井町線の町は夫々が渋い景色であったり、今風の店が街を席捲しだしたりと、時代の潮流の受け止め方も一駅一駅違っていて、自転車徘徊ならぬ銀輪徘走するにはもってこいの地域であります。

この尾山台周辺も大井町線と環状八号線の間の地域と大井町線と目黒通りの間の地域では風の流れ、街のもつ景観がまったく違い、爽やかさも手伝ってこの時季、気分良いひとときが味わえます。この街はハッピーロードという商店街の手本のような通りがあり、一軒一軒の元気よさと品々をきれいに見せている点は感心そのものなのです。

その商店街の中、古くからある尾山台書店などは平積みと棚容れしか考えそうもない一般書店の習慣の壁をぶち抜き、このようなぶらさがりの風鈴状態で最新の漫画本が勢ぞろいであります。本を大切にするスタンスからはこの発想など生まれるわけなく、もしかすると、この店主は雑貨として漫画を捉えているからなのかも知れません。それでも、思わず観てしまいますから、この罠にはめられただけでも店側の勝ちなのであります。

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2009年9月24日 (木)

峠の我家 Roy Rogers & The Sons of The Pioneers

Roy_rogerssons_of_the_pioneers 小学校時代にはガリ版刷りの冊子が配られて、遠足に行くときは必ず各自持参のお約束でした。

この冊子には唱歌という見出しがあって、日本・アイルランド・アメリカ・イタリアなどの民謡を中心に歌詞と音譜が書かれていました。

私が最初に好きになった歌は「Home on The Range」http://www.youtube.com/watch?v=oKBqz6FWvlo邦題は「峠の我家」http://bunbun.boo.jp/okera/tato/touge_wagaya.htmといいます。今でも、秋口になると脳裏をかすめるこの曲には、その後、デザインを勉強する時代になり、HomeとHouseの違いを解き明かすヒントもあって、かなり外国人の思うHomeの意味がしっかりと表れています。あくまでも、日々牛追いの生活に明け暮れるカゥボーイの心を歌った歌詞ですが、子供ながら、すっかり病み付きとなったしまいました。

間もなく、カゥボーイや西部劇映画にぞっこんとなって、家の中でもプラモデルの拳銃をぶら下げて机に向かっていた、間抜けな頃でもありました。

Home on The Range

Oh, give me a home where the buffalo roam
Where the deer and the antelope play
Where seldom is heard a discouraging word
And the skies are not cloudy all day
Home, home on the range
Where the deer and the antelope play
Where seldom is heard a discouraging word
And the skies are not cloudy all day

How often at night where the heavens are bright
With the light of the glittering stars
Have I stood there amazed and asked as I gazed
If their glory exceeds that of ours

Home, home on the range
Where the deer and the antelope play
Where seldom is heard a discouraging word
And the skies are not cloudy all day

Then give me a land where the bright diamond sand
Flows leisurely down to the stream
Where the graceful white swan goes gliding along
Like a maid in a heavenly dream

Oh I would not exchange my old home on the range
Where the deer and the antelop play
Where the seldom is heard a discouraging word
And the skies are not cloudy all day

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2009年9月23日 (水)

本瓦の姿!。

Rimg9662 中目黒四丁目・五丁目界隈は、その起伏の激しい細い道が縦横無尽に走っていて、自転車で遊ぶには、スリルを伴いつつ面白い地域です。道路拡張の恩恵を得なかった場所などは、お隣さん同士の連携も頻繁と見え、町の至るところに様々な町内会の催しが貼られています。

また、今では都心で見かけなくなった、本瓦の屋根も点々と健在していて、坂の上から望むその姿は、周りの新建築と比較しても正統な姿っぷりに、威厳さえ覚えます。

この細道を偶然通り上り下りを味わいつつ、視界が開けたかと思った瞬間、眼の前にこの日本瓦がドーンと登場したのです。普段はこのようなアングルから、日本瓦を見ることは稀ですが、この瓦の色は、永い間、日本の風土・風景とマッチしていましたし、そのしっとりとした素材感は、苔などが上手い按配に共生すると利休鼠色のような風雅な姿にもなり・・・、他の素材では表現出来ない、独特な趣きでありましたが、今では、本当に稀少な存在となってしまいました。四季折々の季節の変化が、植物や木々の色の変化に表れるこの国では、その美しさを享受するにも日本瓦のモノトーンが背景にあってこそ、相応しいのですが・・・。

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2009年9月22日 (火)

PPM マリーさんの死。

Ppm61 Trio1 B41 この一週間ほど新聞を隅から隅まで見ることなく、流し読みの日々でしたが、昨日はスクラップブックの貼りこみも兼ねて、じっくりと目を通しました。そして、あらぬことか、私世代の憧れでもあった、PPMのマリー・トラヴァースさんが白血病で72歳の生涯を閉じた記事が16日の新聞に掲載されていた事に気付いたのです。

1964年頃から私の通っていた高校でも、軽音楽の新しい流れが授業間の休憩時間に話題となっていました。方やビートルズ、方やベンチャーズといった元気な主流派とは別に、ややおりこうさん的フォークソングも徐々に大勢を占めるようになり、私もその流れに便乗して高校最後の文化祭ではバンドを作り、他の女子校生も駆けつけた超満員の教室で、男子生徒のむせかえるような臭いと窓を閉め切ったため酸欠になりそうな中、汗だくで歌いまくりました。当時、PPM,The Kingston Trio,The Brothers Fourがフォークソング界の御三家で夫々が独自の音楽観と表現の違いがあり、音楽以外のファッションにもその違いが色濃く表れていて、にわか仕立ての私達は一番無難そうなブラザースフォーを選びましたが、目の前で食い入るように見つめる男子達に気をとられながらも、何とかやりぬきました。1965 私は、キングストントリオの野趣に富んだ音色と、カリビアンの隠し味が気に入って、その後のブルーグラス・フリークにはまる糸口ともなりましたし、その兄弟分のようなブラザースフォーも爽やかなカレッジフォークの魅力を高校生にも浸透させてくれました。一方のPPMは、ややノーブルでビートニックなセンスが音楽に行き渡り、感覚的には、やや距離を置いてましたが、日本公演を観て、マリーさんの迫力ある歌いっぷりに、日本の学生フォークの歌手との表現力の差に愕然としたのを覚えています。

不思議なことに、この三つのバンドの影響を受けた団塊世代のコピーバンドはいまだに東京を中心として全国に多く点在していて、毎月ライブハウスなどでも自らの顧客集客の高さも含め、その営業の上手さといったら、なかなかのものであります。

PPMの名曲、Leaving on a jet planeです。http://www.youtube.com/watch?v=Fa3h3pnhg8s&feature=PlayList&p=E8A345D62806B604&playnext=1&playnext_from=PL&index=5

1960年代のPPMです。http://www.youtube.com/watch?v=GXOmSlcG3I0

キングストントリオです。高校時代によく歌った曲です。http://www.youtube.com/watch?v=Lz0DySippak&feature=related

ブラザースフォーです。この曲のようなマイナーコードが主流であったため、私は威勢のよいブルーグラスに転向していきました。http://www.youtube.com/watch?v=cYD3pkbgnKA&feature=fvst

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2009年9月21日 (月)

1963 自転車合宿 解散後の帰路

1963last 196314 写真・佐々山厚

1963年、高校一年の8月3日から10日まで実行されたサイクリング同好会の部への昇格に向けた合宿は渋川から韮崎までの300キロ以上に及ぶハードツーリングでした。山あり谷ありのルートは未舗装道路比率も高く、砂利にタイヤをすくわれたり、泥んこ道を日暮れ時に自転車を押し進む日もあったりと・・・、怪我あり笑いあり空腹ありの青春時代の佳き思い出の筆頭でもあります。8月10日に韮崎で解散したメンバーは夫々の自主的判断で様々なルートで帰路に着きましたが、私と佐々山厚さんhttp://www.geocities.jp/aysasayama/の二人は、自走で東京まで帰ることに決め甲府・浜田旅館で一泊して、8月11日の朝九時にスタートし、自宅のある杉並区久我山に到着したのは午後6時過ぎでありました。初めての116キロというハードな距離に挑戦したものの、まだまだ国産変速機の性能も曖昧なもので、気になるガリガリ音が不安感を助長させますし、大月から笹子トンネルまでの殆どが延々と続く砂利道で、正直、ヘトヘトでもありました。日中の強烈な日差しをまともに浴びながらやっとの思いで相模湖に到着し、これから出会う大垂水峠の強烈な石畳のラフロードなど知る由もなく、安堵感に浸った、のほほんとした記念写真を佐々山さんに撮ってもらいました。

今も現役のハードサイクリストとして、又、佐渡トライアスロンにも果敢に挑戦している佐々山さんも、この頃はまだ優しい写真大好き少年でしたから、この合宿ではたっぷりと素晴らしい写真を記録してくれました。

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2009年9月20日 (日)

広重・大伝馬町呉服屋

110 今では東京・大丸といえば東京駅内というニュアンスがあるのですが、寛保3年(1743年)から明治43年(1910年)まで大伝馬町で商いをしていたものの、一度東京から撤退して、戦後に今の場所で商売を始めたそうです。

安政5年の刷りによるこの作品には不思議な集団がこちらに向かっています。紋付袴姿が着慣れてなくて様になっておらず、さて彼らは何の集団かと思いきや、大工職人の集団が棟梁を自宅まで送っている様子だそうであります。『棟梁送り』という新築の家の上棟式を終えたあとの儀式だそうで、木遣を唄いながらの行列は江戸の風俗としての定番でもあったようです。私はこの世界には疎いのでありますが、この儀式は姿・かたちを変えたとして一体いつごろまで継承されたのでしょうか。

先頭のしっかりした風貌の男が棟梁だそうで、何故か大工に担がせず自ら背負っている幣串には何か特別の意味があるようで、たいへん興味深い装飾意匠です。

なにしろ江戸の街は一年中様々な催しで彩られていたようで、飾り物や旗指物など多様な装飾物がそこらじゅうでたなびいていた模様ですから、時代が変わりすっかり外国のイベントに凌駕された今も、浅草橋界隈を中心にイベントや行事ごとに関わる細かい装飾屋が軒を連ねているわけですね・・・。

江戸は、木造の都市であった。火事で焼ければ再建された。それを何度となくくり返した。ために大工は、この都市において幅をきかせた職人の雄であったが、雰囲気の一端は、「棟梁送り」と言われるこのにぎにぎしい行列に看て取ることができる。このお練りは、新築の家で行なわれる上棟式に続く儀式である。左手の建物は、大伝馬町の繁華街にある下村大丸屋呉服店である。江戸で商いをする者と江戸を建てる者とを一緒の画面におさめることで、両者の羽振りのよさを、それとなく巧みに描き出している。
 この棟梁送りの儀式は、棟上げされた屋上に設けられた祭壇で、神主が祝詞を上げることに始まって数時間行なわれる。その儀式で使われた道具がずらりと並んで、行列を作っている。先頭は大幣で、頭に紙の幣束を頂き、目出たい旭日の扇子を3本つなぎ合せてその中央に鏡を掛け、女性の髪結いの小道具(櫛と赤い手絡(てがら)と髢(かもじ))をあしらい、五色の布を吹き流しにしたものである。この女性の小道具は、若い女性を人柱とした古代の慣行を象徴化したものという。次には、破魔矢が2本続く。これらは、屋根の棟に立てられた破魔弓に掛けられていたものである。前を行くものは、鏑矢をかたどり、根元がふくらんでいて、空を飛ぶ際にブーンと音を出す。後方に続くものは、二股に開いた形状の雁股を象ったものである。前者は陽あるいは「天」の矢として知られ、東北の表鬼門をにらみ、後者は、陰あるいは「地」の矢として南西の裏鬼門をにらむ。これらの矢には、長寿の目出たい鶴と亀の彫り物が施されている。
 上棟式が終わると、建て主から引出物が贈られ、酒が大盤振舞いされる。大工の棟梁を家まで送るこの行列の騒々しさも頷かれよう。行列のなかで口を開けている者は、大きな声で木遣り節を歌っているのである。裃という礼装(刀を1本差している)にもかかわらず、どことなくちぐはぐである。行列の先頭を行くのは、大工の棟梁で、武士の礼装である鳥帽子に、違い杵らしい紋のついた素襖をつけている。その後に続くのは、やはり武士の礼装である裃姿の鳶の頭、左官、屋根師、畳屋、建具屋たちである。
 絵師の気配りは、この棟梁の行列だけでなく、大丸屋の店先にも惜しみなく注がれ、互いの繁栄を描いている。大丸屋も、大方の江戸の大店同様、下村彦右衛門(家名が暖簾に見える)が享保二(1717)年に京都に創立した店の支店で、江戸へは寛保三(1743)年に進出したといわれている。
 左上の大丸屋の店の看板には、興味深い標語が書かれている。「現金掛値なし」とある。この商習慣は、天和三(1683)年にまず三井越後屋の三井高利によって始められ、これに大丸が挑戦した形となった。
 広重の時代には繁盛していた大丸屋も、明治になると、乗り物の往来が北側へ移動し、この通りが目抜き通りでなくなったために、地の利を失った。明治四十三(1910)年には、東京支店を閉鎖し、関西へ撤退してそこを中心に商いを続けた。戦後の1950年代になると、大手百貨店へと成長を遂げた大丸は、ふたたび東京へ進出してきた。今回は東京駅の東側入口の一等地を確保した。今日もそこで繁盛している。

(ヘンリー・スミス『名所江戸百景』)

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2009年9月19日 (土)

眩いばかりの物件ですが・・・。

Rimg22323 Rimg22326 以前は建物がたいそう密集していた場所であったのでしょうが、今や、白日の下に晒されてしまい、永年のじめっとした湿気を一気に飛ばさんばかりに、日光浴であります。

先日、皇居の自転車徘徊を終え、桜田通りを南下し、西新橋界隈の一角が更地化されていました。再開発計画の取り壊しの途中の様相ですが、残された一棟とバックのガラスのビルとのコントラストが時の過ぎ行くまま・・・、を絵に描いたような光景でありました。

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2009年9月18日 (金)

夫々が自由自在。

01 PHOTO by Casa BRUTUS

いわゆる、お造りの夫々に異なった極上の味付けを施し、絶対バランスとして盛付け、その違いを視覚的にも予知させてしまうような卓上の展開を楽しめるのが、豆皿の世界でしょうか・・・。フレンチ・イタリアンのシェフが挙ってコピーしようとしている『祇園 さ々木』http://food4009.exblog.jp/4281282/の和食の美学・・・、「食材のもつありのままの造形を作為なさそうに表現する」のにもってこいなのが、手のひらにも収まる豆皿の世界なのかも知れません。

洋食器のような単純構成・同一柄と異なり、和食器の世界は、日本の優れた料理ソフトを前提として、使われる素材・色彩・サイズは自由奔放であり、おまけに四季の移ろいまでもが絡み合い、そのアンサンブルとハーモニーのクラシック感からアバンギャルド感の幅たるや、唯一無二なのであります。元々、自由に発想していた日本の器が、時の為政者の目に叶い、その後は様式として固定化され、様々な勢力・団体の絡み合いも被さって、その反面教師としてバサラ好みから枯淡好みまで、昨今は、そのバラエティたるや増幅する一方であります。

昨今は、目敏い海外ファッションブランドの若手デザイナーなども、古典ながら自由奔放が隠れ忍ぶ京都伝統工芸への日参が顕著であると聞きますが、京都の剛毅さと奥深さは、そんな俄仕立ての人間を受け入れるほど、単純ではありません。

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2009年9月17日 (木)

大岡山のタイムトリップ。

Rimg22141 東急・目黒線と大井町線がクロスする大岡山の地勢と風の流れ、そして町の醸しだす長閑で穏やかな空気は、来街者相手の商業を軸に置いた町とは違い、実に居心地の良い、エリアです。私も昼時、時間があると、地元の伯父さんから東工大学生に至るまで人気を二分する二軒の魚料理店に伺い、その日の気分で入る店を決めています。

駅前にある「司」という店はその一軒ですが、店の従業員が開店の暖簾を掲げると同時にお客さんが吸い込まれ、あっという間に満席となってしまいます。オーダーしてから運ばれるまでかなりの特急というのも、せっかちな私にはぴったりですし、何といっても、その魚の鮮度と味のうまさが群を抜いているからこそ、連日の大繁盛なのでしょう。

この日、そそくさと店を出、ちょっと横丁の徘徊をしてみると、人間の尺度に合った道幅が縦横無尽に走っていて、嬉しくなる気配が予感されます。その一角に観えたのが、この景色です。東中野にもこれと同じような広いゾーンがありますが、ここはもうひっそりと忍ぶ様に街に漂っています。一度、夜のひと時をこの界隈でうろつきたい気分ですし、そろそろ、そういう気分になる時季となりました。

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2009年9月16日 (水)

やっと見つけたガラス瓶

Rimg16629 永く愛用しているDarwent Studioの色鉛筆は、その発色がコピーをしても彩度・明度が鈍くならず、いかにもイギリスの画材らしい拘りにあふれた逸品です。独特の硬度をもっていて、昨今の減りやすい色鉛筆とは違い多少のムラはあるものの、色の素晴らしさは別格です。

それでも、この色鉛筆を一まとめで容れられ、しかも、この色鉛筆デザインにぴったりの器に出会うことなくブリキ缶・紅茶の瓶など試行錯誤を繰り返して来ましたが、先だって、やっと「これだ!」というものを見つけることが出来ました。大きなジャムを容れるガラス製のもので、かなり昔のフランスのものです。高さ・経ともに12センチあり、厚みもあり重量もそれなりですから、これまでのような、机上でひっくり返ったりということもなさそうで、これで一安心であります。

これを見つけた自由が丘のMieurx http://www.mie-ux.com/ はフランスの雑貨に優れたものが多く、そのセレクト・センスが抜群で、私もよくお邪魔する一軒です。このジャンルの店は、とくに、自由が丘という立地もあって、どうしても可愛いもの集積に傾きがちですが、この店は男性も愉しめるグッズが多く、嬉しいスポットであります。

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2009年9月15日 (火)

桜新町が明るくなった。

Rimg22104 Rimg22103 その昔、渋谷から二子玉川まで玉電が走っていたこの道も、今では車がひっきりなしに通過する道路となってしまい、のんびりと行き交う人々を眺める愉しみなどを味わう長閑な店もありませんでしたが、先月中頃、ある店がリニューアルして、オープンカフェに変身しました。

東急田園都市線・桜新町は沿線でもひときわ高い人気の町で、ご存知、サザエさんの生みの親、長谷川町子さんの住んでいた町でもあります。一日中、人の流れの途絶えない活気ある町で、当然、地元生活者にやさしい商店街も夫々切磋琢磨して、マンネリに陥らない工夫をしています。所謂、流行の店の比率も少なかったところに、以前、うどんやだった一階が同じ経営母体http://www.global-dining.com/ の決断か・・・、Cafe LA BOHEME が登場しました。意外にもリーゾナブルで洒落たイタリアンの無かった桜新町ですが、私は自転車徘徊の定番ルートとして抜ける場所ですから、具合の良い場所に一服処が出来、ここを峠の茶屋代わりに利用する頻度が増えそうであります。

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2009年9月14日 (月)

使い続けることとは・・・。

Rimg11958 だいぶ前の「芸術新潮」をアトランダムに観ていると、このような写真が出てきました。

建築家・中村好文氏が母の形見の桐箪笥の他、6種類の箪笥の抽斗を再構成して、蘇らせたものです。モンドリアンの構成デザインのようなまとまりもさることながら、夫々の素材の趣きが異なっているものの絶妙なコントラストが美しく、おそらく、再構成する前よりは断然、素晴らしいものとなったに違いありません・・・。

使い捨てる価値観が優先された時代はとっくに過ぎ去り、今や、受け継がれたモノや家族の価値観をその時代に適したように再編集する時代となりましたから、どこのリサイクルフェスティバルも盛況ですし、ものによっては、高値で取引されるアイテムも少なくないようです。以前はリサイクルマーケットですと、古布を使ったパッチワークが人気を独占していたような頃もありましたが、最近は、ハードな品にまで品幅が広がり、使い続ける大切さが定着してきたようです。

この写真のように、再構成することによって、感性も品質も、以前より上ることが、だいじな気がいたします。

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2009年9月13日 (日)

Gene Autry 佳き時代のアメリカンミュージック

Gene_autry 日本の懐かしメロディには、小学校唱歌でさんざん歌った曲以外、あまり馴染めませんが、オールドアメリカンミュージックには、メロディの美しい曲が多く、一日に何度もYou Tubeのお世話になっています。

Gene Autry・・・、稀代のカントリーミュージックシンガーにして、映画俳優・大実業家でもあった彼の歌は力強い国力としての第一次産業を基盤としたアメリカの良心があって、信頼が失墜した今、アメリカでも人気が復活・・・、などということがささやかれているようです。そのスケールの大きな歌いっぷりは、堂々・朗々としていて、時代を超えた男のあるべき姿さえ、鼓舞させているようであります。

彼の歌には都会に媚を売るような姑息なナッシュビルサウンドに観られた姿勢などまったくなく、ひたすら、『強いアメリカのバックボーンは農業である』と訴えているように聴こえてきます。http://www.youtube.com/watch?v=0hpqcpiLmoI&feature=related

この曲の歌詞です。

I'm back in the saddle again
Out where a friend is a friend
Where the long-horn cattle feed
On the lonely jimson weed
Back in the saddle again
I'm riding the range once more
Totin' my old 44
Where you sleep out every night
And the only law is right
Back in the saddle again

Whoopee-ti-yi-yo, rockin' to and fro
Back in the saddle again (once again)
Whoopee-ti-yi-yae, I go my way
Back in the saddle again

I'm back in the saddle again (once again)
Out where a friend is a friend (good ol' friend)
Where the long-horn cattle feed
On the lonely jimson weed (mmm-hmm)
Back in the saddle again (once again)
I'm riding the range once more (once more)
Totin' my old 44 (that 44)
Where you sleep out every night
And the only law is right
Back in the saddle again

Whoopee-ti-yi-yo, rockin' to and fro
Back in the saddle again (once again)
Whoopee-ti-yi-yae, I go my way
Back in the saddle again

Back in the saddle again

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2009年9月12日 (土)

平安の間が大騒ぎ。

Rimg22509 Rimg22499 Rimg22483

中尾ミエ、加藤タキ、小室知子、飯野晴子さんという、各界のゴッドマザー連が 「ありのままを受け入れて毛染めをしない自分を認めよう・・・」と「チーム ソルトン セサミ」を作り、昨年から地道なチャリティーの集いなどをスタートしましたが、今年はアニマル・セラピー団体への寄付を趣旨に、9日の夜、とうとうホテルオークラ・平安の間 http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/banquet/floor/heian/index.html を貸切り、500人の各界紳士淑女で会場は一杯となるような発展をしました。私も、ひょんなご縁で伺うこととなり、日々の静かなサウンドに馴れきった脳を活性するようなビッグバンドの圧力溢れる演奏に酔いしれました。またこの日は、アマチュア・ジャズコーラス筆頭格・THE OZ SONS http://www.ozsons.com/ozsons-pit/OZSONS-PIT.htmの皆さんも登場し、その枯淡ながら澄み切ったクアルテットヴォイスに、我々世代より上の、昭和20年代から30年代前半を謳歌された先輩諸氏をはじめ、至福のひとときでありました。会場の照明も藤本晴美さんの演出という贅沢スタッフにより、平安の間が、まるで世界一周豪華客船のパーティー空間に変貌してしまったような感があります。

帰り際、つくづく、ソシアルダンスからジルバにいたるまでいともやすやすと流れるように踊れる大先輩方を観ていると、ソシアルな世界を嘲笑い軽音楽からスタートしてしまった大多数の私世代が、いかにゆとりがないのかを痛感するのみでありました。

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2009年9月11日 (金)

奥沢・汽車のある玄関

Rimg9732 Rimg9739 多摩川堤を自転車で走り、駒沢までの帰路につくルートとして、気に入っているのが、環状8号線の北側に平行した何本かの道に沿って走るコースです。信号も少なく、落ち着いた街並みを眺めながらのペダリングは、若い皆様には、じれったくなりましょうが、私世代には、その花・植栽を横目にしながらの、愉しい趣味三昧の世界です。

特に九品仏・尾山台界隈は、自由が丘、田園調布に至近ながらも、風俗的街並みに陥らず、住民と商店街がそれぞれ、大人の風格を守りながらも程よく今風の店舗を絡めながら、正統的な郊外山手の典型を成しています。

この写真は九品仏駅の傍にある奥沢6丁目のお家の玄関ですが、よほど大切なものなのか、記念品としても相当な時を経た有様が、その錆び具合からも推察出来そうです。玄関脇にきちんとした造作を以って取り付けた経過からして、この主はよほど、この機関車に思いいれがあったのでしょう。さらに、このお家の全体の様子からして、英国的生活の長かった雰囲気が漂ってますから、この機関車も、どうやら日本製ではなく、イギリス仕立てのような気がしてきました。

昨今の新興住宅地ですと、このような思い入れのありそうなモノを、パブリックエリアにお披露目すること自体が、「持って行って下さい」と言っていることと同じでしょうから、さすが、大人の町・奥沢は安心・安全に満ちたハイグレードなところなのです。

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2009年9月10日 (木)

MIKIMOTOの季節センス

Rimg22251 Rimg22256 Rimg22246 季節感もなにもない、ただ、最新衣料品・雑貨の陳列に終っている銀座の海外メガブランドを嘲笑うように、日本の四季を独特のモダンな感覚と技術の裏打ちによって表現してくれる、銀座・MIKIMOTOの小さいながらも密度の濃いウインドーです。

過ぎ行く夏と秋の到来を、日本画の古典手法である「異時同図」ならぬ「異季同窓」として封じ込めた理性と、波のモノトーン紅葉のオレンジ系とのコントラストは、引き算美の典型例といってもよいでしょう。

銀座中央通に面した僅かなスペースを気付かずに通り過ぎる無感性な輩も多いのですが、銀座の老舗として、世界ブランドに対抗して頑張っている姿は、少なくなりつつあるので、少しでも応援してあげたくなります。

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2009年9月 9日 (水)

Paul Smithサイクルバッグ

Rimg22358 午前中、強烈な残暑の日差しを受け、緑のない青山通りを歩いているうちに、汗も噴出し、こうなれば神宮前5丁目を曲がり、癒しのゾーン「ポール・スミス スペース」http://www.paulsmith.co.jp/space/ に逃げ込み、しばしの時間を費やすしかありません。メンズファッション業界もご他聞にもれず、安い・可愛いブランドに席捲されたかのようで、この界隈もアンドロジーナス(中性的)・オーラの若者がうろうろしています。

しかし、此処ポール・スミス スペースのショップは所謂売れ筋なファッショントレンドとは一線を画し、ポールスミス自身のインスピレーションから作られた面白アイテムが転がっていますし、その複合店舗の品揃えがPOPとCLASSIC VINTAGE と縦横無尽に走りまくっています。もちろん、全国のポールスミスショップにも入っている商品が大多数でありますが、この空間で展開されると、平凡なものさえ、全く別物のような発信力があるかのようです。

この、ポールさん御愛玩のグッズばかりをプリントされたバッグは、少年時代、自転車狂でもあった彼の写真を混ぜて、1960年代の薫りを封じ込んでいますし、カメラから置物まで、彼の審美眼を通してセレクトされたモノ達は、時代を越えたマスターピースのようでもあります。さらに、右上にひっそりと書かれた「CYCLE」というメッセージなどは、「時代を巡る永遠のモノたち」と「自転車」をダブらせたテーマ出しがうかがえるようで、このバッグ全体のヴィジュアル感覚は仕事で使うプレゼンテーション・パネルのような出来具合でもあります・・・。今や、金科玉条のように何処も彼処も使っている「RE・ CYCLE」をあえて避けたセンスにも、ポールさんのひねりと反主流感覚がありそうで、彼の、「多分野情報ストックから引き出し、時代を読み取るセンス」の冴えは、まだまだ健在であります。

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2009年9月 8日 (火)

東京會舘・1950

Photo_2

Rimg1881 日比谷通りに面した東京會舘http://www.tcvb.or.jp/jp/tokyo_topics/pickup/0508/pickup_0508.htmlは1922年創業の格式の高い宴会場であり、連綿として三菱系企業御用達の頻度が極めて高い社交場でもあります。

1950年に撮影されたこの写真には今では観られない格調の高さが薫り、周辺の建造物にも三菱煉瓦街の余韻が垣間見れます。この車寄せの優雅なスロープも今はもうありませんし、ぐっと趣きの異なる鉄骨製のルーフも近代国家の象徴として創業当時は最先端感覚であったに違いありません。

その後、この界隈もご他聞にもれず、すっかり事務的で無機的な意匠の外観で占拠されてしまいましたが、此処に来て、三菱一号館が復活するなど、「壊さなければ良かったものを・・・」と残念がられた諸氏にも嬉しい話題が出て参りました。

小学校低学年の頃、父と日比谷の三信ビルに寄った帰り、この東京會舘のクッキーを買って貰い、子供ながらにその芳ばしさと触感に新しい世界が開かれたようでありました。今でもその味は変わることなくレシピも連綿として不変であります。又、『會舘フィズ』というミルク入りのジンフィズは、戦後、進駐軍将校のために作った飲物で、なかなかのお味・・・であります。

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2009年9月 7日 (月)

1953年・丸の内

1953 今や、東京の先進的お洒落エスタブリッシュメントの街として定着した感のある、丸の内・丸ビルの56年前の姿であります。

この界隈は、三菱が国からの懇願で買い上げた結果、ひとつのポリシーで街並みが一定のテーストで守られてましたが、高さ制限は何時の間にやら規制緩和となって、今や空の視界が狭まってしまいました。

この写真を見ると、遠くの方で煙突から煙が出ていますが、此処は何処だったのでしょうか。今でしたら、大クレームにもなりかねないような煙ですが、この時代はまだまだ産業復興・振興の黎明期でもあって、多少の辛抱・我慢を強いられた頃でもありました。

この年・昭和28年、父に連れられ東海道本線で名古屋方面に行きましたが、ツバメ号機関車が、もくもくとした煙を上げて走っている様子が印象的でした。まだまだ町から煙やにおい・埃が流れ立ち込めていたていた時代であります。

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2009年9月 6日 (日)

これは愉快、Photo Funia.

Photofunia453029 秋山東一さんのサイトhttp://landship.sub.jp/stocktaking/で紹介されていたPhoto Funiaで早速、悪戯してみましたhttp://jp.photofunia.com/。アンディ・ウォーフォールもどきがインスタントに楽しめるのも、嬉しい次第ですし、なにより、デスクの上で簡易にアートごっこに戯れることが出来るのは、功罪あるのでしょうが、ストックしていた写真などが全く異なる見え方を生むのですから、感性のブラッシュアップには欠かせそうもありません。

アナログ思考を旨とする私ですが、最近のデジタルおもちゃにうっかりはまりそうな気配であります。

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2009年9月 5日 (土)

ジタン・フランスの灰皿

Rimg22039 どうでもいいような話なのですが、このタイプの雰囲気が大好きなのです。他愛ないノベルティグッズなのですが、『お好きな方々』にはかなりの垂涎の的のアイテムでもあります。自由が丘で偶然見つけた和みの逸品です。

ほんわかした紫煙の漂う加減がリアルに表現されていて、販促品ながら、そのとぼけた按配に安らいでしまいます。今は、禁煙者ですが、これでも40歳代前半まではヘビースモーカーでしたから、灰皿は必須アイテムでありました。部屋のテーブルごとに違ったキャラクターのものを点在させては、そのコレクションににんまりとしていた時代もありましたが、今や、その灰皿も人にあげたりしてしまい、何も残っていません。

このジタンのお皿も灰皿が主たる用途なのでしょうが、デスクの上で頻繁に使うものの、その始末に手こずるポストイットなどを入れておくのに具合良さそうであります。

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2009年9月 4日 (金)

SWATCHが出てきた!

行方不明で手当たり次第探していたものの、一向に出てこないであきらめかけた頃Img_7429Img_7433 ようやく見つかったSWATCH http://www.swatch.jp/ です。

引越しの都度、転居先ですぐ活動できるよう、細かなモノの整理能力には自信があったものの、うっかりして適当な袋などに放り込んだ身近な自分だけのお宝・がらくたが、引越業者の思わぬアドリブで見失ったために起きたものです。

このSWATCHも、たいへん気に入ったもののひとつで、使用頻度が極めて高い道具でありましたが8年間ほど行方不明で、先月息子の参考書の入った段ボールを整理中、一緒に括ってあった伊東屋のショッピング・バッグの中から再登場してくれました。

今ではさほど話題にもならないSWATCHでありますが、この2点が発売された1990年代はじめは毎年斬新なコンセプトによる企画力が冴え渡り、時計をよく解っている担当者が洒落た遊び心を以ってデザインしたとしか思えない感性が、こちらにも伝わっていたのです。

さて、この二点とも相当に使い込んでいましたから、相当に傷だらけでありますが、私にはROLEX SUBMARINER ( http://www.rolex.com/en/collection/extraordinary-watches/submariner/index.jsp#/en/xml/collection/extraordinary-watches/submariner/index )以上に波長の合う時計なのです。

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2009年9月 3日 (木)

苔生す小石

Rimg16252 父が1955年頃に東北地方を旅行し、碁石岬の海岸で拾ってきた小石が私に土産として渡されました。その小石は、今ありませんが、波に揉まれてピカピカに光った真っ黒な石と真っ白な石が和紙の袋に入っていて、これは碁石の感触と、うりふたつでありました。その小石から碁石岬という名称になったのでしょうが、それ以来、国内旅行などをすると、その地の小石を探して持ち帰ることが習慣づきましたが、海外旅行の帰国手続きでは、ちょっとした苔や土が付着していると、検疫絡みで厳しくチェックされたこともありました。

先日、本郷界隈を散策していると、弥生町の住宅地の一角に、しぶい姿の小石が半日陰の場所にありました。まるで皮付きの栗のような姿に、苔と土が絶妙にはり付き、真っ白な空間にでも置くと、今はやりのモダン・ニッポンのイメージ広告にでも使えそうであります。

この小石を眺めていると、千利休が侘び寂といった美的概念に閃いたのは、見慣れない不思議なものを拾って来て,床の間に飾ってみるとこれまでと全く印象の異なる景色になったことから起因したのでは・・・、などと思ってしまうのであります。

さらに、若い世代を中心に蔓延するちょっとほころびたファッションhttp://rugged.jp/や、古材を生かした空間への嗜好傾向などを業界用語的にはラギッド(Rugged)と呼ばれていますが、これも、考えようによっては侘びであります。しかしながら、下北沢、表参道などでラギッド・ファッションに身を固めた集団がぞろぞろとだらしなく歩いているのを観てしまうと、全くただの汚さだけで終ってしまいます。

侘びと寂び

茶の湯独特の雰囲気や境地を、世間ではよく「わび・さびの世界」などと呼ぶことがあります。その意味するところは、閑寂(かんじゃく)・清澄(せいちょう)な世界、あるいは枯淡の境地をあらわしています。
さて、このもの静かでどことなく寂しげな境地、あるいは色彩感を否定したような枯淡な趣(おもむき)を美意識として発展させたところに、日本文化の独自性があるでしょう。
もともと、「わび」という言葉は、動詞の「わぶ」(「気落ちする・つらいと思う・落ちぶれる」などの意)から出た言葉で、また、「さび」も動詞「さぶ」(「古くなる・色あせる」などの意)から生まれた言葉です。「わび」という言葉の根元には「思い通りにならないつらさ」があり、「さび」という言葉は「生命力の衰えていくさま」という意味があります。ですから、ともに否定的感情をあらわす言葉なのです。
ところが、こうした否定的な感情をあらわす言葉が逆に評価され、「美を表す用語」として茶の湯の世界や俳諧などの文芸の世界で通用するところに、日本人独自の美意識や文化のとらえ方があるといえるでしょう。
「わび」「さび」という言葉が、美を感じさせる言葉に変化していくのには、その背景として和歌文学の伝統がありました。平安時代から鎌倉時代に至る和歌的世界で、閑寂・簡素・枯淡の境地が生み出されたのです(裏千家)

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2009年9月 2日 (水)

1956 東宝映画 子役オーディション模様

1956_01 1956年http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1956.html

日活映画『太陽の季節』が公開された年の東宝砧撮影所、炎天下の様子です。

まだ、映画が娯楽の頂点であるものの、テレビの勢いがぐんぐんと迫り、NHKでは『チロリン村とクルミの木』という伝説的人気番組がスタートした年です。

いつの時代も変わらない母親の真剣な様子から見え隠れするのは、豊かな生活への憧れなのでしょうが、子役以上にめかしこんでいるその姿からは、あわよくば私も・・・などといった短絡的狙いもあったに違いありません。

ついでではありますが、右奥に見られる男子用簡易トイレの妙なモダンさに好感がもてますが、この状況で勇気をもって飛び込む現場スタッフも辛かったでしょうね・・・。。

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2009年9月 1日 (火)

近場のヒルクライム・目黒区平町

Photo_2 東急東横線・都立大学を降りて、南口に出ると環状7号線側一帯に、平町という地名の街並みがあります。自転車で駒沢から10分弱の至近距離にありますが、名前のとおり、平な町とは程遠い、坂の多い町ですから、近場のヒルクライムとしては、車の往来も少ないので、安心して遊べます。

その中でも、平町二丁目とと大岡山一丁目の境界線にある鉄飛坂は環状7号線から目黒通りをショートカットできる自転車徘徊マニアには秘密の抜け道ですが、抜け道以外にも環状7号線を少し迂回して東に向かえば、西小山方面にも行け、この界隈での自転車徘徊では王道なのです。この鉄飛坂界隈は由緒ありそうな姿の住いが点在していますから、不審者として疑われないよう、きょろきょろしないで、ひたすらヒルクライムに集中いたしましょう。

落ち着いた大人の街並みの余韻を感じながら、自由自在に抜道・裏道を自分の気分で決めるのは、自転車ならではの独壇場ですし、ひたすらアスリートに徹しなくとも、身体にも知的好奇心の高揚にも、うってつけなのです。

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