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2009年9月 3日 (木)

苔生す小石

Rimg16252 父が1955年頃に東北地方を旅行し、碁石岬の海岸で拾ってきた小石が私に土産として渡されました。その小石は、今ありませんが、波に揉まれてピカピカに光った真っ黒な石と真っ白な石が和紙の袋に入っていて、これは碁石の感触と、うりふたつでありました。その小石から碁石岬という名称になったのでしょうが、それ以来、国内旅行などをすると、その地の小石を探して持ち帰ることが習慣づきましたが、海外旅行の帰国手続きでは、ちょっとした苔や土が付着していると、検疫絡みで厳しくチェックされたこともありました。

先日、本郷界隈を散策していると、弥生町の住宅地の一角に、しぶい姿の小石が半日陰の場所にありました。まるで皮付きの栗のような姿に、苔と土が絶妙にはり付き、真っ白な空間にでも置くと、今はやりのモダン・ニッポンのイメージ広告にでも使えそうであります。

この小石を眺めていると、千利休が侘び寂といった美的概念に閃いたのは、見慣れない不思議なものを拾って来て,床の間に飾ってみるとこれまでと全く印象の異なる景色になったことから起因したのでは・・・、などと思ってしまうのであります。

さらに、若い世代を中心に蔓延するちょっとほころびたファッションhttp://rugged.jp/や、古材を生かした空間への嗜好傾向などを業界用語的にはラギッド(Rugged)と呼ばれていますが、これも、考えようによっては侘びであります。しかしながら、下北沢、表参道などでラギッド・ファッションに身を固めた集団がぞろぞろとだらしなく歩いているのを観てしまうと、全くただの汚さだけで終ってしまいます。

侘びと寂び

茶の湯独特の雰囲気や境地を、世間ではよく「わび・さびの世界」などと呼ぶことがあります。その意味するところは、閑寂(かんじゃく)・清澄(せいちょう)な世界、あるいは枯淡の境地をあらわしています。
さて、このもの静かでどことなく寂しげな境地、あるいは色彩感を否定したような枯淡な趣(おもむき)を美意識として発展させたところに、日本文化の独自性があるでしょう。
もともと、「わび」という言葉は、動詞の「わぶ」(「気落ちする・つらいと思う・落ちぶれる」などの意)から出た言葉で、また、「さび」も動詞「さぶ」(「古くなる・色あせる」などの意)から生まれた言葉です。「わび」という言葉の根元には「思い通りにならないつらさ」があり、「さび」という言葉は「生命力の衰えていくさま」という意味があります。ですから、ともに否定的感情をあらわす言葉なのです。
ところが、こうした否定的な感情をあらわす言葉が逆に評価され、「美を表す用語」として茶の湯の世界や俳諧などの文芸の世界で通用するところに、日本人独自の美意識や文化のとらえ方があるといえるでしょう。
「わび」「さび」という言葉が、美を感じさせる言葉に変化していくのには、その背景として和歌文学の伝統がありました。平安時代から鎌倉時代に至る和歌的世界で、閑寂・簡素・枯淡の境地が生み出されたのです(裏千家)

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