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2009年12月13日 (日)

理解しようとしても無理。

Nr6 現在進行している先端な感性というものがどんなものかは分かりませんが、ある年代を経てくると、自分の感性の幅の無さに気付き、それが自分の許容範囲の狭さということにも関係して、新しいアートの世界を機会あるごとに観るよう心がける輩が多いそうであります。

ノーマンロックウェルhttp://www2.plala.or.jp/Donna/rockwell.htmの絵を観ていると、いかにもウォールストリートで長年株の売買を生業としてきた初老の紳士が、普段興味など示した事のないモダンアートを目の前に「これならば投資価値がありそうだ・・・」と考えているのか、それとも「このペンキをこぼしたような絵は何の意味があるのかね・・・」と自問自答しているかのようであります。

今や、現代アートの枠組みなどあるようで無きがごとくと言ってもよく、昔より進取の気概をもった者だけが栄光を勝ち取る世界であるだけに、これからの飛躍振りには目が離せません。この画像のタイプのモダンアートは1960年代がピークであり、アンディ・ウォーホールhttp://www.linkclub.or.jp/~kawasenb/warholn.htmlの台頭によって、工場生産に近いプロダクションシステムとなり、紆余曲折しながら現在の村上隆http://www.kaikaikiki.co.jp/に繋がっています。村上隆は日本画を徹底研究修練した男ですから、いつまでも現在のようなキャラクター一辺倒など考えられず、大手ブランドとのコラボレーションも潤沢な資金稼ぎとして、次のステップへの踏み台と割り切っているに違いありません。

村上隆はおそらく、現在の琳派を目指している気配がちらほらあるように見受けられ、その豹変も間もないのではないか・・・、と勘繰ってしまいます。

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