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2010年1月 2日 (土)

銀座煉瓦街・1878年

18784_1 銀座煉瓦街は明治初年の銀座大火の後、都市の不燃化を目指して煉瓦造により造られた街並みである。関東大震災で壊滅した。

1872年(明治5年)2月、和田倉門付近から出火し、銀座、築地一帯を焼く大火が起こった。鉄道の起点で、東京の表玄関である新橋に近いこともあり、政府は西洋流の不燃都市の建設を目指した。同年3月には東京府によって煉瓦をもって再建するよう布告が出された。建設方法は官営(大蔵省建設局が建て、希望者に払い下げる)と自営(民間で建てる)があり、建物の設計お雇い外国人のウォートリスが担当した。

同年8月から着工し、翌1873年のうちには拡幅された大通り沿いに洋風2階建の街並みが出来上がった。ロンドンのリージェント・ストリートがモデルになったといわれている。1877年までかかって煉瓦街の計画は完了した。

煉瓦街とはいっても、表面は漆喰や石で仕上げられたものが大部分で、赤煉瓦の街並みだった訳ではない。

当初は煉瓦造の建物が不評で空き家が多かったともいわれたが、銀座には新聞社や輸入品を扱う店など新しい商業が集まり、西洋文明の窓口になった。 当初の建物は次第に建替えられたり、改修で正面に装飾がほどこされたりしていったが、大正時代までは残っている建物も多かった。しかし、関東大震災ではほとんどの建物が倒壊、焼失し、銀座煉瓦街は完全に消滅したWikipedia

1978年、明治新政府も西南戦争を無事勝利し、東京をはじめ主要都市ではどんどんと西欧化に傾いて行きましたが、その頃の銀座中央通りです。この前の年に銀座の煉瓦街の工事が終了しましたから、これはその記念写真の一連のようなものかも知れません。人っ子一人居ない画面が少し不気味でありますから、おそらく、規制した中での撮影だったのかも知れません。右手の建物は、現在の松坂屋にあたる所だそうですから、左手を進めば交詢社通りということになります。ガス灯もなぜか哀しげですが、夜ともなれが出番が回ってきて、その明るさの輝きに見物人も度肝を抜かれたに違いありません。舗装などはまだ先の話ですから、慣れない外国人・要人等は雨が降ればたいへんな騒ぎだったでしょうね・・・。

ストーリー http://www.ginza.jp/ginzagaku/story/index.html

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