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2010年1月19日 (火)

浅草六区 1960

1960 杉並区内に生活していた者にとって、浅草は遠い世界でありましたが、その名が親しい感じになったのは、何といってもデンスケ劇場・大宮敏光の影響です。

テレビが家に来た1956年頃は、「野球中継」「プロレス」「日真名氏飛び出す」程度しか見たいものもなく、毎日、野球に明け暮れしてましたから、このデンスケ劇場の中継を観て、初めて、それまでの古典的漫才・落語とは違うスピーディーでエネルギッシュな舞台芸に子供ながら食い入るように観ていました。

この写真の背景である浅草六区がデンスケ劇場のある通りで、週末はいつもこのような混雑ぶりだったでしょうから、一人でも多くの客を館内に呼び込もうと各催しの主催者は必死で、芸風も一瞬で人を惹きつける掴みのオーラが要求されていたのです。

それにしても、今の繁華街のだらしない人の流れとは雲泥の差!、みごとな左右の往来の秩序ぶりです。

ほぼ同時代に登場したデンスケ・脱線トリオ・クレージーキャッツを代表とするコメディアンやエンターテナーは、その以前の穏やかさとは全く違う、高度成長を追風にしたスピーディなリズムに乗った活力満載な演芸ぶりでした。

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